12 血の御伽噺

「あ、いいえ……ほら、《血の魔女》の御伽噺は第五大陸では誰もが知るお話でしょう? だから、いないって言うのに少し驚いて……」


 微かに舌を絡ませて言い澱んだロゼルだったが、取り繕うような笑顔を作るとセスから視線を外して作業を再開した。


「……《血の魔女》は、本当にいないの?」


 癖が強く長すぎる白髪を編みながらロゼルが零す。


「『血の魔女と心優しい少女』の御伽噺は、魔女狩りの時代に実際におきた出来事が元になっているわ。少女が《血の魔女》を助けた際、交友の証としてもらった赤薔薇は現実に残っていたもの」


 ロゼルはやや早口に言葉を繋いでいった。


「五年前の錬金術研究所の事故で消失したけど……でも、あったはずよ。写真にも、文献にもそれらの存在は残っているわ」


 彼の口調はセスではなくまるで自分に言い聞かせる様子で、セスは疑問を感じた。


「《血の魔女》が実在しないと、なにか不都合が?」


 セスは浮かんだ疑問をそのまま口にする。

 ロゼルがぱっと顔を持ち上げた。その動作は一瞬狼狽しているふうにも見えたが、ロゼルの顔面に作られていたのはとても落ち着いた表情だった。


「はい。おしまい! 癖が強いから苦戦したけど……どうにかまとまったわ」


 ロゼルが太い三つ編みを持ち上げる。

 リボンを使い後ろでひとつにまとめたあと、そこから三つ編みにして先を細身のリボンで縛ってある白髪。あちこちに跳ねていた剛毛が綺麗に一本になっていた。


「おおお……っ」


 セスは感嘆の声を洩らす。


「こんなに、綺麗にまとめられるものなんですね」

「癖が強いし長さがあるから時間はかかるけどね。まとめるのも悪くはないでしょう?」

「これは……感激です」


 セスは興味深そうに三つ編みを触る。櫛で梳かれたお陰か肌触りも良くなっていた。


「ありがとうございます」


 歓喜を含む声音で礼を口にしながらセスは三つ編みを首に巻いた。

 一本の三つ編みは巻きやすくなっただけでなく、首筋に触れる髪の触感から鬱陶しさを失わせていた。しかも編まれたお陰で髪の長さも少し短くなり、垂れ下がる部分の邪魔さも段違い。


「手慣れていますね」

「妹がいるの。小さい頃はよくボクが結ってあげていたわ。あの子も少し癖っ毛なのよね」


 ロゼルは懐かしむように頬を緩めた。


「いまは全然いじらせてくれないから、ボクも久しぶりに楽しめたわ。覚えていて、良かった」


 ロゼルの碧眼に仄暗い影がかかる。


「なにより、いい気分転換になったわ……本当に」


 ロゼルは弱々しく口元をフリルの袖で隠した。

 セスは思い出す。眼前の相手が乗り物に弱いことを。


「大丈夫ですか?」

「安心して。薬は飲んだわ」

「えっと……お大事、に……?」

「ありがとう。ボクが突然客室の外に走ったら、察してちょうだい」


 真剣なロゼルにセスは頷いた。


「そのリボンはあげるわね」

「いいんですか?」

「うん。前にボクが使っていたものなんだけど……いまは使わないから」


 ロゼルは自分の短い髪を触る。眉が見えるほどに短い前髪を指先で整えた。


「綺麗な色でしょ? 使わないとは言え、中々捨てられなかったから、丁度良いわ。良ければ使って」

「もう伸ばさないんですか? 似合いそうな気も、しますけど……」

「ボクも癖っ毛でね。一度短くすると楽なのよ。それに」


 ロゼルは赤い爪先でチェーンのピアスの先を弾いた。


「短いほうが、こういうのは目立つでしょう? この種類のに惚れちゃってからはどうしてもねえ」

「なるほど……」


 セスは納得する。


「使わせてもらいます」

「そうしてあげて」

「ただ……自分で編めるかが…………」

「同じ作業の繰り返しだから慣れれば平気よ。ボクが教えましょうか?」

「是非!」

「その髪をまた解くのはちょっとあれだから……最初は編み方を覚えるってことで紐でやりましょうか。ボクの飾りの紐がいくつかあるから待ってて」

「助かります」

「良いのよ。ボクの気分転換にもなるから付き合って」


 後半の言葉には真摯な力がこもっていた。

 ヒールの底を鳴らしてロゼルは出したものをしまうために荷物鞄へと向かう。翻される真紅に合わせて甘い香りが踊った。

 セスは三つ編みを覚えようと意気込んだ。「頑張ろう」と両手に拳を作ったところで――――はたと、気が付いた。


「……あ……」


 普通にロゼルと会話をしてしまっている自分に気が付いた。


「あああ……っ」


 あれほど距離感には気を配り、必要最低限のやり取りにしようと誓いながら易々と崩れる自分にセスは項垂れた。


「距離を取ろうと、決めたのに……」


 額をテーブルにつけながら、セスは嘆く。


「普通に……話してしまった……」


 自責の念にかられるセスは固いテーブルに額をぐりぐりと押し当てる。首に巻いた三つ編みを強く握り締め、下唇を噛む。


「ど、どうしたの?」


 精神を激しく苛まれていると、戻ってきたロゼルが突っ伏すセスに戸惑った。

 セスはすぐには返事をしなかった。このまま無視しようかとも企んだが、今更だろう。

 セスは鉛玉にも勝る重い溜め息をついた。


「自分の意志の弱さを……痛感しています……」


 軋んだぜんまいのような鈍さでセスは首を動かす。テーブルに触れる面を額から頬へと移すと、またセスは濁った嘆息を落とした。

 不可解そうにロゼルは眉を下げる。セスが一人で懊悩していることだ。セスの心境を知らない彼が不思議に感じるのも仕方がない。


「三つ編みの練習、やめておく?」


 気遣ってくれたロゼルが訊ねてくる。

 セスは黙って身体を起こした。

 息を大きく吸い「やります」ロゼルに右手を伸ばす。

 彼は一拍置いたあと艶やかなルージュに彩られた唇を持ち上げた。

 ロゼルと距離を取り直すのは三つ編みを覚えてからにしようとセスは改めて固く誓いながら三本の紐を受け取った。


 ◆ ◆ ◆


 それから二人は紐を使って三つ編みの練習をした。

 それは終点である王都アルバの中央駅に着く知らせが流れるまで行われた。車掌からの昨晩の事故で遅れてしまった件への謝罪と典型的な車内放送の案内を聞きながらセスとロゼルは作業を中断し、荷物の最終確認に入る。


「持ちます」


 半端に腕を通している女性物の黒外套の上からさらに袖のない長外套を羽織ったセスはロゼルの背中に声をかけた。

 ふたつの大きな旅行鞄を入口付近にまとめようとしていたロゼルの両手からセスはそれらを奪った。

 ひとつは支度の際に宝石箱や化粧品を置いていた長方形の革鞄。もうひとつは大きさとは裏腹にやけに軽い正方形の鞄。青い繻子サテン張りで、金の綴織で流麗な茨の模様が描かれている。その青は、どこぞの足癖の悪い魔女から咲き誇る薔薇に近い色をしていた。


「背中……これだけの荷物を持つのは辛いでしょう」


 すぐに持って出られるようにロゼルの荷物を客室の出入り口前に揃えて置いた。


「荷物は、自分が運びます」

「有り難いけど、キミが疲れちゃうわ」

「魔女と人間を一緒にしないでください。特に自分は魔女の中でも身体能力と治癒能力は高いほうなんです。鞄のひとつやふたつ……運ぶのに疲労は感じません」


 セスは決然と伝える。

 ロゼルがセスの全体を吟味するかのように関心を含んだ眼で見た。


「見た目は人間と変わらないのにね」


 下顎を指の腹で撫でながら興味深そうに彼は述べた。昨晩の出来事を思い出しているのかロゼルの視線がふらりとセスからテーブルに立てかける瑠璃の杖へと流れる。


「外見だけですよ。中身はまったくの別物です」


 言うとロゼルの碧眼がゆっくりとセスに戻ってきた。

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