11 魔女と隣人の違い

「…………はい?」


 ロゼルは鞄から櫛と二種類の硝子瓶、明るい赤のリボンをふたつ取り出すと、首を傾げることもできず、呆気にとられて硬直するセスの前まで戻ってきた。

 話に追い付かず止まっているセスを尻目にロゼルは丸いポンプが付属された青と緑の硝子瓶をふたつテーブルに置く。


「えっと……なぜ……こういう流れに、なるんですか?」


 首に巻く髪を丁寧に解かれ、白い癖っ毛に櫛が入ってからセスはようやく口を開いた。


「お礼って言ったでしょ?」


 ロゼルは櫛で髪を梳きながら歌うように答える。


「髪を結うのは嫌い?」

「したことがないので……なんとも」

「それもまたすごいわね」


 苦笑いを零しつつロゼルはセスの剛毛を入念に整えていく。

 頭に串先が当たらない丁寧な手付きは随時と慣れていて、心地良さにセスは抵抗する気もわざと悪態をつく気もなくなってしまった。


整髪料オイルとか、使っても良い?」

「勝手にどうぞ……」


 セスは大人しく髪が櫛に撫でられる感覚を堪能する。

 アルバ硝子の窓から射し込む極彩色の陽光の中でキラキラと埃が瞬く姿をぼんやり眺めながら、セスは気付くと彼が髪を梳かしやすくなるように背もたれから背中を離し、身体の位置をずらしていた。


「面倒と言っていたけど、長いほうが大変じゃない? 一度も切る気にはならなかったの?」

「切ろうとは、しました。ただ……その都度、師匠に耳ごと切られそうになって…………諦めました」

「師匠って」

「《薔薇咲きの魔女》ブージャムです」

「ブージャムって、魔女の代名詞とも言われる大魔女よね」

「らしいですね。でも……多分、人間側に残る歴史とは違いますよ」

「《薔薇咲きの魔女》ブージャムは《血の魔女》とも呼ばれているのでしょう?」

「一部だと、そう言われていますが…………」


 セスは言葉の途中で洩れそうになった欠伸を噛み殺す。


「魔女は、色々いますから……よく人間に混ぜこぜにされますね。どうしたらそうなるのか……不思議です」


 セスのぼやきに、首から長い長い髪を解く作業をしていたロゼルの手が一瞬止まった。


「その言い方だと……御伽噺にも出てくる《血の魔女》はブージャムではないの?」

「違いますよ」


 セスは即答した。

《血の魔女》とは魔女狩りが盛んだった時代、実際に起こった出来事をもとにして作られた有名な御伽噺に登場する魔女だ。

 魔女は、魔女によってその有する力が異なる。

《血の魔女》とは血液が赤薔薇になる魔女であり、絵本だけでなく史実にもその名は刻まれている。

 血液が赤薔薇になる《血の魔女》と、身体から薔薇を咲かせる《薔薇咲きの魔女》は人間側の文献や研究では同一視されることが多いが、ブージャムの弟子であり自身も薔薇に関する魔女であるセスからすれば、それは鼻で笑いたくなる話だった。


「ブージャムはあくまでも身体から薔薇を……青い薔薇を、咲かせるだけの魔女です」


 青い薔薇を強調しながらセスは言う。


「師匠は血を流しません。血と言うか、体液と呼ばれるものが師匠にはないんです」

「血が、ない?」

「魔女と人間は似て非なるもの。師匠曰わく……元々、魔女は実体をもたない存在だったそうです」


 巻いていた髪が完全に首から外される。


「世界に穴を空け、太陽を小さくし、月をふたつに分け、巨大大陸を十三に砕いた大厄災ヴァルプルギス――これを境に魔女は変化したと師匠は言っていました」


 首回りが涼しくなるのを感じながらセスは声帯を動かし続けた。


「ヴァルプルギス以前、殆どの魔女は実体がなかったと……その頃は魔女ではなく隣人と呼ばれ、人間にはほぼその姿は認識されていなかったそうです。隣人が見える人間は、本当に一握りだったとか……」

「なんだか……幽霊みたいね」


 ロゼルは青い硝子瓶に手を伸ばす。どうやらそれらは整髪料のようだ。彼は洋梨型のポンプを押して剛毛を仄かに湿らせていった。が、呻く様子から中々思う通りにはいかないようだ。


「分かりやすく例えるなら、その言葉があうかもしれません。……そうですね。魔女は、自然物から生まれる幽霊だと考えてください。そんな幽霊じみた隣人が、実体を得て魔女と呼ばれ始めたのはヴァルプルギス以降なんですよ。で、自分はヴァルプルギス以降の第三世代の魔女なのですが……師匠は第一世代、ヴァルプルギス以前の隣人と呼ばれる頃からいるバケモ……魔女だったんです」


 整髪料を扱っていたロゼルが息を飲む。

 彼が驚愕と疑問の渦に巻き込まれているのを気配で察しながらセスは盛大な溜め息を吐いた。


「ヴァルプルギス以前の魔女――隣人は実体をもたないと言いましたが、稀にいたんです。実体を持つ、いいえ隣人が……」

「それが、魔女ブージャム?」

「ッ……だっから師匠は! 魔女の中でも感覚がおかしいんですよ……!」


 セスは力強く吐き捨てた。


「実体があると言うことは身体を傷付ければ痛みを感じ、怪我をすれば中身が零れます。なのに、なのに! 隣人である師匠の実体は、魔女のそれとは大きく異なるんです!」


 セスは思わず顔を両手で覆って深く俯いた。結われ中の髪が自分の動作につられて動き、少し引かれたが構わずにセスは嘆く。


「師匠の実体には、中身がない。空なんです。空箱なんです! そのせいなのか、師匠には痛覚もなくて……それでも、自分が痛覚がないからって弟子の耳を髪とまとめて切ろうとするのはおかしいですよね⁉︎」


 セスは勢い良くロゼルを見た。セスの長すぎる髪を自分の肩に引っ掛けつつ両腕全体を駆使しながら扱うロゼルは「それは、流石にね」と苦々しく眉を下げ、口端を持ち上げた。


「実体があってないような隣人である師匠は……元より実体を得て生まれる魔女の中でも飛び抜けて異質! ……何度、感覚の差に自分は死にかけたか……」


 セスの脳裏で青薔薇の高笑いが反響する。

 湧き上がってきた思い出にセスは震え、自分の両手で強く自身を抱いた。


「本当に……魔女の中でも再生力の高い体質で良かった……」


 セスは自信が有する特殊な力に心底感謝した。特化した身体能力と再生力の高さはセスの魔女としての特色の一部であり、ブージャムと暮らす日々での命綱だった。


「……とにかく、そういうわけで青薔薇を咲かせる師匠に血はありません。まずあの師匠が傷付くというのが想像できませんし……最期まで、見た覚えはありませんね……」


 乾いた笑い声がセスの喉から洩れる。温かいはずの客室内で、セスは悪寒が止まらなくなった。自分を抱いたまま二の腕辺りをさする。


「大体……《血の魔女》なんて…………」


 セスは目を伏せる。


「存在しませんよ。どこにも……」


 記憶の底で黒髪が揺れた。


「あれは、人間が勝手に作り出した架空の魔女です」


 セスは師匠から譲り受けた黒外套を握り締めた。


「《血の魔女》なんて……魔女の間では、聞いたこともありません」


 セスは事実を語る。

 魔女狩りが盛んだった時代、人間は架空の魔女を数多作り上げた。それによって偽りの魔女と冤罪が増えたのも事実。

 皮肉だが、人間側に伝えられる有名な御伽噺に出てくる《血の魔女》とはそんな架空の魔女の一人だった。


「……?」


 セスはロゼルの両手が白髪を編む途中で静止していることに気が付いた。


「なにか?」


 セスが灰眼を持ち上げれば、どこも見ていないロゼルの視点が我に返るかのように定まった。

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