10 真紅の身支度

 赤薔薇と言えば、セスにとって真っ先に浮かび上がるのは黒髪の少女だった。

 赤薔薇を愛し、それを手に入れるためならば手段を選ばなかった少女。ゆえに火炙りに処された小さな魔女。


「……ッ……」


 夢の名残から這い出すように脳裏に浮かんだ黒髪の少女をセスは頭を振って霧散させる。余計なことを無駄に考えてこれ以上自分を混乱させたくはなかった。三回ほど深呼吸を繰り返す。


「キミの支度は?」


 セスが落ち着いた頃合いを見計らって、ロゼルが声を掛けてきた。彼は胸元にブローチをつけ、スカーフを丁寧に整える。


「上着を着れば、いいだけなので……」


 セスは答えながら壁に設置された楕円形の鏡で自分を確認するロゼルを眺めた。

 彼が着ているものは、やはりドレスじみた豪奢なロングコート。指先が隠れる長い袖に黒のフリルという点は継続されているが、全体的な仕立てはがらりと変わっていた。フリルはレース生地で黒糸の中に金糸も混ざっているのか揺れる度に濃艶な柔らかさを生む。コートは左右に大きなスリットが入り、彼の動きにあわせて細身の黒いズボンを隙間から覗かせた。

 何にせよ、これまた上質で、高そうで、派手なコートであることに変わりはない。


「……服持ちですね」

「ありがとう。これもお気に入りのひとつなの」


 セスとしては褒め言葉として言ったわけではなかったのだが、ロゼルは嬉しそうに表情を明るくさせた。

 セスは頬杖をついてロゼルから顔を逸らす。

 閉まっている二重窓が外の光を受けて瞬いていた。朝の気配を鮮やかなアルバ硝子越しに感じる。時折外の遮蔽物によって影がかかり、かと思えばまた色のついた輝きがセスの双眼を刺激する。

 ぱちぱちと弾ける美しい光の遊びを眺めながら汽車が前に進んでいく気配を堪能していると「ねえ」と静かに声をかけられた。


「上着だけと言うけど、髪くらいは結ったらどうかしら? そんなに長いと引っ掛からない?」

「まあ……時々。でも髪くらい、どうなっても構いません……」

「アルバは人混みがすごいわよ?」

「でしょうね……」


 セスはロゼルを見ず、素っ気なく返す。


「本当に長いわね。なにか切らない理由はあるの?」


 セスの態度に臆さず、ロゼルは会話を続けてこようとしてくる。

 彼は会話が止まることを苦手とするような人間には見えない。むしろ知り合った昨晩、何度か会話をした時に抱いたロゼルの印象から考えると逆だ。彼は会話の途中に意図せず訪れる静寂すら心地良いと感じる種類の人間だろう。

 昨晩カニバルブーケ襲撃の前にロゼルと他愛ない話をしていた時、やはり二人の間に沈黙は訪れた。

 初対面であり、互いに勘違いによってやらかした後の会話。本来ならば気まずい以外のなにものでもないのだが、ロゼルはそんなことを一切感じさせない穏やかさと冷静さでセスとお喋りに花を咲かせ、不意にくる静寂にも緊張の気配を見せず、反対にそれを休憩時間にでもするように呼吸を落ち着かせて静寂に耳を澄ませていた。

 だからこそセスも混乱せずに気持ちを落ち着かせられたのだ。そんなロゼルに感謝すら抱き、人柄の良さに内心では些か別れを惜しんだのも確か。

 でも、いまはあの時とは状況が違う。

 彼とは距離を取るべきだとセスは自分に言い聞かせる。


「……面倒なだけです」


 距離感をはかりながらなにかしらの会話をして交流を深めようしてくるロゼルに、セスは感情を含まない声で返事をした。

 魔女は人間に必要以上に深く関わるべきではない。それは逆も然り。なのにロゼルはなぜかカニバルブーケにこだわり、セスを魔女と知りながらもこうして普通に接してくる。

 人間にとって魔女は忌むべき存在。

 そんなものに自ら近付こうとするなどは、一昔前ならば異端者だと騒がれて火炙りにされただろう。

 しかもロゼルは既にただの人間ではなくなってしまった。

 奇病カニバルブーケに傷を負わされた人間。

 カニバルブーケがどういう方法で感染を広げているか不明な以上、セスは彼の身に起こるかもしれない〝最悪の事態〟も想定しなくてはならない。


「…………」


 セスは唇の内側を噛んだ。

 ロゼルとは親しくなるべきではないとセスは自分に強く言い聞かせる。

 そのためにも会話は必要最低限にしたい。

 そう思った矢先「ねえ」

 またロゼルが声を掛けてきた。しかも今度は肩を突つかれた。最初は無視をしていたが、もう二、三度突つかれて、渋々セスは顔をそちらに向ける。甘い香りが強くなった。


「こっちとこっち、どちらが良いと思うかしら?」


 側に立つロゼルが両手をセスの眼前に掲げる。

 華美な花を思わせるフリルから顔を出した骨張った両手が摘むのはピアス。

 右手と左手で違い種類のピアスを持つロゼルは、赤いルージュに三日月を描いた。


「どっちって……」

「迷うのよね。セスはどっち派?」


 綺麗に形を整えた赤い爪に飾られる指が二種類のピアスを揺らす。

 右手のピアスは金のチェーンに金薔薇の装飾が三連でつき、少し間を取ってから一番下に雫を模した大きな赤いアルバ硝子が垂れ下がっている。よく見れば硝子の中には小さな薔薇が浮かんでいた。

 左手のピアスは銀のチェーンに球体のアルバ硝子が一定間隔で連なり、一番下には長方形の輪っかがついている。輪っかの中には赤い薔薇が吊り下がって揺れていた。


「自分が、決めるんですか……?」

「悩んでいる時は客観的な意見がほしくなるでしょう?」

「そういうの……よく分かりません」

「そんなに深く考えないでちょうだい。最終的に決めるのはボクよ」


 ロゼルは自分の耳にピアスをそえて、一歩後退した。かつ、とヒールが鳴く。

 自分の全体とピアスの雰囲気をセスに見せてくる真紅をセスは注視する。が、やはりどちらのピアスでもセスは変わらないと思った。

 選べずにセスは首に巻いた白髪を掴みながら呻く。


「……あ……」


 不意に、窓硝子から差し込む虹色の斜光がロゼルの右手に持たれたピアスに反射した。


「…………そっち、で」


 セスはロゼルの右手を指差した。

 ロゼルの碧眼が右に流れる。「こっち?」と復唱しながら親指と中指で摘むピアスを確認するように揺らした。

 セスは頷く。

 ロゼルは右手を顔の前に持ってくると赤い雫を覗き込むように目を細めた。

 室内を走行音のみが包む。


「こっちね」


 ややあって、ロゼルが声を弾ませた。

 ヒールを叩いて踵を返すとロゼルは鏡の前に戻って行った。

 そして軽く膝を折ると床に置くトランクの上に並べている宝石箱に左手を伸ばす。アルバ硝子の蓋がつき、深い青の繻子サテン張りの箱から右手に持つピアスと同じ物をもうひとつ取り出すと、ロゼルは慣れた手付きでそれを左耳につけた。


「……なんで?」


 セスが指をさしたピアスで両耳を飾ったロゼル。セスは戸惑った。


「自分で偉ぶって言ったじゃないですか」

「選んだわよ。セスに助言をもらった上で、自分で判断して自分でこれを選んだわ」

「……そんなのって…………」

「似合うでしょう?」


 ピアスを見せ付けるようにロゼルは軽く首を反らした。

 形の良い耳から垂れ下がる長いピアスが艶やかに笑う。


「…………まあ」


 セスは生返事とともにロゼルから目を離した。椅子の柔らかな背もたれに身を委ねる。

 このままだと相手のペースに飲まれかねない。二度寝でもしてロゼルとの会話から逃げようとセスは腕を組み、軽く俯いた。次の瞬間。

 パンッ! と客室に破裂音が響く。

 早朝の澄んだ空気を引き裂いた音にセスは肩と瞼をびくりと上げた。


「お礼に髪を結ってあげる」


 唐突に手を叩いたロゼルが満面の笑みをセスに浮かべた。窓から射し込む極彩の朝日を受けるピアスよりも眩しい笑顔だった。

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