04 それを獣と呼ぶべきか
◆ ◆ ◆
「この汽車に乗っているのなら、目的地は王都アルバですよね? 観光に?」
「引っ越しです。師匠が、昨年の十三月に亡くなって……さっき言った、ベアトリーチェ……師匠の古い友人の元に、今後はお世話になるんです」
「こんな半端な季節に大変ですね」
「本当は、暖かくなるまで待つ予定でしたが…………想像以上の豪雪に、家が……半壊、しまして……」
「半壊ッ!」
「それを知ったベアトリーチェから、すぐに越してくるよう勧められました……」
「そうしたほうがボクも良いと思いますよ」
互いに名乗りはしないものの、会話を楽しんだ。
真紅の相手はアルバに住む職人らしく、こうして誰かと話すのは久しぶりでセスの口からは自然と話題が溢れた。
山奥で師と仰ぐ相手と二人きりで生きてきたセスは誰かと関わることが少なかった。師匠は旅を好み、必然的にセスもそれに付き合わされ――かと思えばその反動とばかりに数年山に引きこもり、そうなればセスも山奥に居座り続けるしかなかった。
我が儘で足癖が悪い師匠に付き合わされる日々に文句がなかったわけでないが、だからと言って師の元から飛び出したくなるものでもない。むしろ逆だ。師匠との日々はセスにとって大切なものだった。
「ありがとう。お話できて、気分も紛れました」
「自分こそ……こんな、話すだけで許してもらえるなんて……」
「間違いは誰にでもありますもの。それを言ったら、ボクこそ失礼をしましたよ」
「あれは、正当防衛です……自分が本当に泥棒だったら、危ないですから……警戒はしたほうが良いです」
セスが力強く答えれば、相手は女性的な仕草で口元を隠して笑う。
不思議な人だとセスは凛然とした真紅に視線が吸い込まれた。
一等車に乗る人達は鼻が高い相手ばかりだと思っていた。実際にいままでの乗客はセスを視野に入れると故意に目を反らしたり、表情を顰めたり、ひそひそと囁き合う者ばかり。乗務員に苦情を入れる者も出たが、そこは運が良いことに客を見た目や家柄などで判断せず、平等に接してくれる親切な乗務員が対応してくれた。
一等車にいる贅沢を当たり前とした客達は自分とは相容れない世界の人間だと思った。セス自身も他者と深く関わる気はなかったので、その態度はある意味で好都合だと気にしなかった。
なので、この時間はとても不思議に感じられた。
こういった出会いも旅の醍醐味かもしれない。汽車の中だけの付き合いだと割り切ってはいるもののセスは少し嬉しく、楽しい気持ちになった。そんな時。
甲高い悲鳴と紛う金属音とともに車体が激しく振動した。
列車が急ブレーキを踏んだと気付くよりも先に、セスは身体に力を込めて乱暴な揺れに抗う。それは向かい側の席につく相手も同じだった。
「……なに?」
テーブルに両手をついてバランスを保った相手が、訝しげに周りを見渡す。碧眼がさり気なくも素早く荷物の安否を確認している。
汽車が、完全にとまった。
走行音の代わりに人のざわめきが奏でられ始める。
「事故、でも起きましたかね……?」
転がりそうになっていたアルバ硝子製の菓子器を咄嗟に捕まえていたセスはそれをテーブルに戻しながら言う。
「あんたは、大丈夫ですか? 出ませんか……?」
「ボク?」
「中身……出ませんか?」
セスは自分の胸の前で手をひっくり返す。
「さっき、客室の鍵も掛けずに飛び出すほど酔いが酷かったのでしょう……?」
雑談の中で得た情報を思い返しながらセスは真紅に訊ねた。
大切な荷物があるにも関わらず客室に鍵を掛けるという判断を失わせ、ただただお手洗いに直行させるほどに体調を崩した汽車酔い。再び胃がひっくり返って中味をぶち撒けそうにならないかと、セスは相手の様子を窺う。
「自分が荷物を見ていますよ? 行きます……?」
「ご心配ありがとう。大丈夫。とは、言い切れないけど胃をカラにしたから、多少は楽ですよ」
相手はセスに笑顔を返した。
確かに始めて相対した時――相手がお手洗いからこの客室に戻ってきた時に比べれば、顔色は断然良い。
「キミこそ、荷物を見てこなくて平気?」
「……大丈夫とは、思いますが……」
セスの荷物は簡素だ。長旅を共にして皺と汚れが増した防寒用の長外套と使い古した革鞄。それから自分には背丈のあわない杖。それだけ。客室に常備されている荷物棚も使わず、椅子に乗せてしまっている。
もしかしたら床には転がり落ちたかもしれないと想像しながらセスは腰を持ち上げた。
「右隣なのですよね?」
真紅に頷きながらセスは客室の扉へと足を進める。扉の前に立つと、向こう側に広がるざわめきがより耳についた。
「一応、見てきます……」
後ろからついてきた相手にセスは短く伝えて、扉を開いた。
「長い一人旅だったので……久しぶりに誰かと話せて、楽しかったです……」
「ボクこそ。酔い冷ましになって、これでゆっくり眠れそう。ありがとう。極彩に輝く導きを」
「気高き
アルバ行きの汽車に乗ってからは特に耳にすることが多くなった聖典の一節を貰い、セスも師より継いだ言葉を述べる。
そしてセスはすぐ隣の、自分の客室へと向かう。扉についたプレートを確認し、今度は間違いないとノブに手を伸ばすと「キミ、忘れ物」またあの声と甘い香りがセスの意識に触れた。
「貴重な白薔薇でしょう? 忘れたら大変ですよ」
扉を開けて廊下に一歩出てきた彼の手には、ほぼ花の失われている寂しい花束。
セスはノブを掴む利き手と真紅を交互に見やる。「……ない」と口頭で現実を確認すると、真紅の元へと早足に戻った。
「わざわざ、すみません……」
「頂き物ですものね。気付いて良かった」
相手から受け取ったあとふとセスはこの薔薇を食べていたところを目撃されてしまったと思い出す。普通ならば奇行だろうそれを訊ねてこなかった相手に、なぜかと疑問を投げようとして、セスは口を噤んだ。さして追求されなかったことはセスにとって喜ばしい。また余計なことを口走ってはいけない。
「……助かります」
大人しく相手に頭を下げた――刹那。
複数の悲鳴が、セスの耳へと押し寄せた。
「今度はなに?」
警戒と困惑を織り交ぜた面持ちで真紅が動きを止める。セスも勢い良く上体を起こした。
ざわめきは二等車のほうから響いていた。人々の発している言葉の内容までははっきりとは聞き取れないが、驚愕し緊張している混沌とした様子は、上がる悲鳴や声の抑揚から十分に読み取れる。
一等車で寛いでいた他の乗客達も好奇心からか外の様子を確かめようと扉を開けた。身なりの良い者達が一様に「なんだよ?」「どうしたの?」と疑問や興味を表出す。
騒音の波は徐々に大きさを増し――――「……くる」
セスが目を細めた次の瞬間。
人々の注目を一心に受けていた一等車の貫通扉が、吹き飛んだ。
車内に叫び声が上がる。
それに混ざって、誰かが絶叫した。
――――オオカミだ! と。
人々の好奇心は驚倒と恐怖に変貌し、一斉に内側から鍵をかけられる客室へと引っ込んだ。
貫通扉を壊して一等車に飛び込んできた狼は、他の車両で散々暴れていたのかテーブルクロスを被っていた。誰かに危害も加えたのだろう。クロスには血らしき汚れも付着している。
「部屋に……!」
セスは固まっていた真紅を客室側へと押し飛ばし、前に飛び出した。ふらついた真紅の長身が客室に入るとほぼ同時、セスは床に倒される。
「キミ!」真紅の切羽詰まった声。
クロスで視界が悪くなっている獣は頭を振り乱しながら廊下を猛進。
設置されている物を壊しながらセスに激突してきた。四足歩行で駆けてきた獣に組み敷かれ、床に叩き付けられる。背中だけでなく胸も苦しくなり、一瞬呼吸が詰まった。
「……ぐ――ッ!」
衝撃にセスは歯を食いしばる。
ふ、と。
獣臭ではなく、強烈なあまったるい香りがセスの鼻腔を舐めた。
クロスに隠されたものの全貌を真下から覗いたセスは、息を飲む。
「なん……」
愕然とし、言葉が出ず、唇が半端に震えた。
どうすれば〝これ〟が狼に見えるのか。
セスに突っ込んできたものは、
クロスに包まれていたものは、
「カニ、バル……ブーケ……ッ!」
赤黒い、薔薇のブーケを連想させる頭を有した歪な存在だった。
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