第25話 「獣と化す魔人」

 あたしは無力だ。

 剣を腰に差して鎧を身に付けていてもそれは上辺を飾っただけ。

 あたしはあの頃から何も変わってない。

 魔竜が存在し魔物が村や町を蹂躙していた時代。あたしが暮らしていた村も魔物に襲われ、両親はあたしを逃げすために命を落とした。

 涙を流して逃げるだけ。

 ただただ怖くて悲しくて。

 魔物への怒りなんてそのときは感じてなかった。生きたい。死にたくない。それだけ考えて必死に逃げ出した。

 だけど魔法も使えない子供の足じゃ逃げ切ることは出来なくて絶望するしかなかった。

 でも……その絶望を切り裂いてくれた人が居た。その人のおかげであたしはあの日を生き延び、そして今日も生きている。

 悲しいことや不幸なこと。平和が訪れた今の時代もまだ残ってる。

 だけど少しずつ人々は笑顔を取り戻し始めた。少しでもその助けになれば。困っている人を助けられる人になれば。そう思って騎士になった。そのはずなのに……


「……あたしは……何でこんなに無力なの」


 目の前で自分よりも幼い少女が戦っているのにあたしはただ見ていることしかできない。

 本当なら騎士であるあたしが剣を抜き勇猛果敢に戦うべきだ。だって騎士は民を守るのが仕事だから。

 しかし、あたしはそれが出来ない。

 頭では分かっているのに身体が動いてくれない。腰にある剣に手を伸ばそうとすると身体に震えが走る。

 今のヨルクは危険。放置するわけにはいかない。

 もう人とは言えない状態になってる。

 魔物相手なら剣を振れてたじゃない。なら今だって……。

 違う。ヨルクは魔物なんかじゃない。ヨルクは……


「コロスコロスコロス……!」

「へへ、そんなの当たるかよ! ……ってやば!? バカ女、そっちに行ったぞ!」

「え……」


 ふと我に返ると……目の前に絶望があった。

 正気を失った破壊衝動だけ宿した瞳。変異した右腕は鎧のように硬い体毛に覆われ丸太のように太い。指先にある爪も鋭利に伸びていて、迂闊に触れようものなら人間なんて簡単に絶命するだろう。

 逃げなきゃ……。

 そう思った。だけど身体はその想いに反して動いてくれない。

 幼く何もできなかったあの日の自分とは違うのに。腰にある剣を抜けば自分の身くらいは守れるはずなのに。誰かを守るために日々厳しい訓練に耐えてきたはずなのに……。

 剣を持てば強くなれる。誰かを守れると思っていた。だけど結局あたしには覚悟がなかったんだ。命を奪う覚悟も奪われる覚悟も。

 なんであたしは……こんなにも……。

 自身の無力さに涙が溢れて視界が霞み、迫り来る絶望が見えにくくなる。だけど遠からずあたしは絶命するのだろう。

 諦めかけたその時――。

 ひとつの影があたしの前に現れる。そして次の瞬間、雷光のような剣閃が疾った。

 それはヨルクの首筋を斬り裂いたが変異が右腕以外にも及びつつあるようで傷口は浅い。ただ予期せぬ一撃を受けたヨルクは飛び退くように後退した。


「ち……浅いか」


 ところどころ切り傷を負い衣服も破けている。敵に向けられた瞳には冷たさが宿っているけど、それと同時に確かな意思も感じられた。

 長身で黒髪の青年。名前はルーク・シュナイダー。

 彼の過去に関してあたしはよく知らない。騎士団長達と親しいことから魔竜戦役の戦場を経験した人なんだとは思う。

 だけどそれ以上に今の彼の姿は、かつてあたしに迫った絶望を切り裂いた人。あたしの命の恩人。あたしにとっての……あたしの英雄の姿と重なるものがある。


「大丈夫か?」

「え……う、うん」

「だったらさっさと家の中でも隠れてろ。ここに居られると邪魔だ」


 戦えない自分が悪いし、あたしの身を案じて言ってくれているのは分かる。

 だけど……それでも癪に障る。

 何でそういう言い方しかできない……わけじゃないだろうからしてくれないのかな。そりゃああたしは誰からもズバズバ言われる方ではあるけど、それでもこの人は遠慮がなさすぎだよね。

 なんだかんだでこっちの都合で剣を作ってくれたりするし、何度も命を助けてくれる。口とか悪くて無愛想だけど根は良い人であたしの……え、英雄なんだろうけど。

 でもさ、もう少し優しくしてくれても良くない? それってあたしの我が侭なのかな?


「あ、あたしだって……!」

「斬れるのか?」


 黙って家に入れとでも言われると思っていただけにすかさず返ってきた問いに言い淀んでしまう。

 あたしは騎士だ。本来ならあたしがルーくんやユウを守らないといけない。

 それにヨルクはもうあたしの知っている彼じゃない。止めるには殺すしかないのだろう。頭では分かってる。分かってるんだ……。


「おいルーク、こっからどうするんだよ? 何かあいつ、少しずつだけど全身が変わりつつあるぞ。あいつの毛クソ硬いから全身覆われたらオレじゃお手上げだ」

「さっきの一撃で分かったが反射速度も上がってる。それにあっちのガキとの戦闘でこいつも刃こぼれしてるからな。もし完全に変異されたら俺でも厳しい」

「じゃあどうすんだよ!」

「その前に首を落とす。それでダメなら心臓、それでもダメなら可能な限り斬り刻む」


 何の迷いもなく言い切るルーくんにあたしは恐怖を覚える。

 もしも同じ技量があったとしてあたしはこの場面で同じことが言えるだろうか。多分……いやきっと言えない。

 あたしとルーくんには明確な違いがある。

 それは過去に言われた斬るための理由。彼には人を斬る理由、命を奪う覚悟がある。だけどあたしにはそこが欠けている。

 だから今までそれを必死に探した。一生懸命考えた。

 でもまだそれは見つからない。あたしだけの人を斬る理由。自分だけの命を奪う覚悟。それがない限りあたしはきっと腰にある剣を振るうことはできない。


「それでもダメなら?」

「クソ硬い鈍器でも持ってきて叩き潰すしかないな。どこかの騎士様が居てくれたらその手間も省けるんだが」


 多分それはあたしのことだ。

 自分で言うのもなんだけど、あたしは人よりも力が強い。多分あたしよりも力が強いの騎士団でもガーディス団長くらいだろう。

 だけどこの場に居るのはガーディス団長ではなくあたしだ。

 もしもこの剣を振るうことが出来れば、あたしは頼りにされる存在として扱ってもらえる。ふたりのことを守ることが出来る。

 先ほど死を直感したからなのか、頼りにされているかもしれないという期待感からか。先ほどまでは触れることも出来なかった剣の柄を握ることが出来た。

 でも手の震えが止まらない。このままでは仮に抜くことはできてもまともに振ることはできない。


「まあ現状は俺だけで何とかするさ」

「おい、オレも居るのにひとりでやるのかよ」

「お前はそいつを守ってやってくれ。まともに剣も振れない状態で急にあれこれされると困るからな」


 ユウの見た目の幼さや言動の割と頭が回る子だ。それだけに渋々ではあるがルーくんの言うことに肯定の意思を示した。

 ただ……こいつさえ隠れてたらルークを助けてやれんのに。そう言いたげな目があたしへと向く。

 確かに現状最も足手まといなのはあたしだけど、そこまで邪険に扱わなくても。ルーくんと家に居候しているせいか、ユウってあたしに対する扱いひどくない? まあ割とあたしはみんなからの扱い雑だけどさ。


「コロス……コロスコロスコロスコロスゥぅぅぅッ! シネシネシネシネシデシデシデシデェシゲェェェェェぇぇぇぇぇッ!」


 狂ったように声を上げるヨルクの身体は、人の構造から外れるように剛毛に覆われる連れて巨大になっていく。骨格そのものが変化しているのか何かが壊れる音が響き不快感を覚えた。

 ヨルクはもう人じゃない。

 前に見た魔人の時よりも人であることを放棄している。まるで獣になった魔人……魔獣だ。

 その姿にあたしは本能的な恐怖を覚える。

 斬れる斬れないの話じゃない。こんな常識を逸脱した相手と戦えるのか。剣を向けることが出来るのか。そんなの無理だ。今すぐここを逃げ出したい。

 そういう気持ちで胸の中が溢れてくる。

 ユウも本能的に今のヨルクの危険性を感じ取っているのか毛が粟立っている。

 ただそれでも視線を逸らさず威嚇するような声を漏らしているあたり、過去の経験からか、闘争心は消えていないのだろう。


「……哀れだな」


 大きな声じゃなかったけど、この状況において普段と変わらない落ち着きのある声は意識を惹きつけるには十分なものだった。

 彼の顔に恐怖心はない。

 ただ真っ直ぐに敵であるヨルクを見つめている。

 そこには命を刈り取るという冷たい意思が感じられるが、どこか悲し気にも見えた。

 刀の切っ先を向けるように構える彼は、静かに言葉を紡ぐ。


「殺してやるよ……せめて人として終われるように」


 言い終わるのと同時に彼は地面を蹴って前に出る。

 それに呼応するかのようにヨルクだったものも咆哮を上げかけ始める。

 身体だけ見れば、ただの人間と魔人とも異なる人外。それだけ見れば絶望的にも思えるこの死闘は、今ここから幕を開けた。



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