第22話 「突然の来訪者」
太陽が頂上に差し掛かり始めた頃、俺はユウと共に昼食の準備を行っていた。
と言っても毎日のように手伝いを行ってきたユウの腕前は、まだまだ手際こそ良くはないがひとりで作れるほどにはなってきている。
いつまでもこの家で暮らすとは限らないし、また今日は急ぎの仕事もないこともあって試しにユウだけで作らせることにした。俺は近くで食器や次の食材を用意するサポート役だ。
「わぅぅ……ここは普通に切ればいいんだよな?」
いつもはそこまで大きさや形を気にせず切ったりしているが、自分がメインでやるとなると不安を覚えるらしい。
見た目が綺麗な方が好ましいのは確かだが、俺の料理もシルフィが作るものと比べれば粗末なものだ。
ちゃっちゃと作ろうとしているので丁寧に時間を掛ければ別かもしれない。だが俺は料理人ではないのだ。料理を作ることにそこまでの情熱は持てない。
ただ料理の大変さは知っているし、上達するまで不味いものを食べてきた経験がある。なのでユウがどんなものを作ったとしても最後まで食べるつもりだ。
「ああ。ただ食べやすい大きさにな」
「わぅ」
小さく頷いたユウは、まるで獲物を狙う獣のようにスープ用の野菜を睨みつけ、丁寧に薄く切っていく。
そんなに神経をすり減らすようにしなくても、と言いたい気分でもあったが、今の状態で声を掛けると驚いて手を切りそうにも思えた。なので黙って見守ることにする。
「…………ん?」
遠くからかすかに聞こえてくる足音。それは疾走している馬ではない。
俺の耳がバカになっていないのであれば、この音は少し前までよく聞いていたあいつの全力疾走が奏でるものだ。
これが止んだら一瞬の静寂の後に盛大にドアが開かれる気がしてならない。
深いため息がこぼれそうになるが、ユウはよほど集中しているのかこちらに向かってくる足音に気づいていないようだ。
このままでは確実に驚く。なら俺が先に声を掛けていた方がいいのでは?
「ユ……」
「ルゥゥゥゥゥゥくぅぅぅぅん!」
「――っ!?」
力強く開かれたドアと大声。それに続いて聞こえたまな板と包丁がぶつかる音。
遅かったか、と思いつつユウの手元に目をやると……彼女の指先ギリギリのところを通過した包丁が見えた。どうやら怪我はしていないらしい。
これについては一安心だが、どう考えてもここからの展開を考えると憂鬱にしかならない。
理由は単純にして明快。あのじゃじゃ馬が全力疾走で来た時、良い知らせを持ってきた試しなんてこれまでにないからだ。
「ルーくんルーくん、聞いてよルーくん!」
「人ん家に入ってくるなりうるせぇんだよ! もう少し落ち着いて入ってこれねぇのか。危うく手を切るところだっただろうが!」
「それについてはごめん! だけどあたしも急いでるから。非常事態だから。超絶に緊急案件だから! だから今回は勘弁して。仮に切っててもユウならすぐ治るだろうし」
「最後一言余計だ! ていうか今の発言、軽く人種差別だぞ。切り傷や擦り傷くらいならともかくオレら獣人でも指を切断したら治療しねぇと治るわけあるか!」
まあ傷口をくっつけるだけで治るならそれはもう人としての枠を超えてるな。
一度切断なんてされようものなら元にように動かせるようになるには時間が掛かる。それは魔法があっても変わらない。回復や治癒を行える魔法はあるが、それはあくまで人の生命力を活性化させているだけなのだから。
ただ何事にも例外はある。
この世界には神に祝福されたというべき者が存在する。その者達は極めて強い回復・治癒魔法を持っており、どんな病や怪我でも治すと噂されるほどだ。
だがこの力を持つ者は比較的短命だ。
何故ならこれも神剣と同じで魔力ではなく生気を代償にする力。使えば使うほど自分の寿命を削ることになる。魔竜戦役で亡くなった現女王の妹もこの力によって命の灯を消したようなものだ。
「ユウ、まあ落ち着け。今日は本当に緊急の話みたいだ」
「今日は? 本当に? ねぇルーくん、その言い方だとまるであたしが普段構って欲しくて適当なことばかり言ってるみたいに聞こえるんだけど?」
「…………」
「せめて何か言って! 当たり前のことを何で聞いてるんだこのバカ……、みたいな目だけで訴えないで。それよりはまだ吐き捨てるように肯定された方が寂しくない!」
最後の言葉はマシって言葉に変換しといてやろう。
普通に受け取るとマジで自分は構ってちゃんですって言ってるようにしか思えないし。
「……で、何の用だ?」
「それが大変なの! 実は」
「出来るだけ簡潔にな」
大きく開こうとしていた口を力強く閉じたあたり感情に任せてベラベラと話そうとしていたようだ。
ある程度付き合いがあるだけに無駄な情報が混じっていても伝わりはするのだろう。が、緊急と言うからには短時間で用件を伝えられた方が良い。新人のこいつも騎士をやめなければ必然的に先輩になるはずなのだから。
「えっと、その……ヨルクが脱獄したの!」
「脱獄? 尋問とかには素直に応じてるんじゃなかったのか?」
「そのはずなんだけど……今日警備担当が交代に行くと前の担当が気を失ってて。牢も破壊されてヨルクの姿がなかったの」
「……ひとつ聞きたい。警備だった奴らは気絶してただけなのか?」
「うん。倒れたときに軽い怪我をした人は居たけど命には別条ないよ」
それが本当なら少しおかしな話だ。
牢が破壊されているという話だけ見れば、まだヨルクの中に魔物の一部が残っていて暴走したようにも考えられる。だがそれなら警備だった者は皆殺しにされているはずだ。
それにヨルクは魔人となったわけだが元々戦闘力が高いわけではない。
自警団に所属はしていたが、魔物の腕を失っていた今の状態では騎士を気絶させるのは不可能に近いだろう。練度で言えば騎士団の方が上。返り討ちに遭うのが関の山だ。
「そいつらは何か言ってたか?」
「急に眠気がして……とかは聞いたけど、あたしも本人から詳しく聞いたわけじゃないから。団長達にルーくんに伝えろって言われてここに来たわけだし」
分類上は民間人に脱獄犯が居ると伝えるのはおかしいだろ。何を考えてるんだ騎士団は。
と言いたくもなるが、ヨルクは俺が倒した相手。もしも逃亡ではなく復讐が目的なら標的は俺である可能性が高い。
そこにアシュリーを寄こすのはどうなのかとも思うが、この場所が分かっていて比較的自由に動けるのは消去法で行けば彼女になる。それに復讐でなく逃亡が目的ならここに来させるの方が安全だろう。
「ルーくん、これからどうしよう?」
「どうするもこうするも闇雲に動いても意味はない。捜索やらは騎士団に任せてゆっくりするさ」
「いやいや、確かに手がかりもなく探すのは効率悪いけど。でもそこは探しに行こうよ」
「あのな……お前分かってるのか? 状況だけ考えれば今回の脱獄はヨルクの単独じゃなく協力者がいる可能性が高い」
下手をすれば戦闘にもなる。
コソ泥程度ならばアシュリーが居ても問題はないが、魔人だった男を逃がすような相手だ。しかも薬の類か魔法かは定かではないが、人を無力化する術も持っている。
人に剣が振れず、また搦め手への対処も出来そうにないアシュリーははっきり言って足手まといだ。
「その状況でお前を連れて行動できるわけないだろ」
「く……あたし……あたしだって」
奥歯を噛み締め拳を握り締めるその姿に思うところがないわけではない。
だが俺は全知全能でもなければ天下無双でもない。助けられるのはこの手が届く狭い範囲だけ。
「諦めろ……俺は絶対に守ってやるなんて言えるほど自分の力を買っちゃいない」
人並み以上の力はあるのだろう。
でもただそれだけだ。魔竜戦役という地獄を生き抜いたから身に付いていただけの力。自分に関わっていた者をほとんど守れなかったちっぽけな力なんだ。
そう自責の念を感じ始めた矢先、裾を誰かに引っ張られた。
意識を向けてみると何とも言い難い表情を浮かべているユウがこちらを見ている。
「どうかしたか?」
「いやさ……何かさっきから妙な臭いがするんだよな」
「臭い?」
俺は何も感じない。おそらくアシュリーもだろう。何かあれば誰よりも騒ぐ奴なのだから。
となるとユウだけが感じていることになる。
ユウは獣人であるが故に人間である俺達より鼻が利く。彼女の身体に流れる獣の血から予想するに獣人の中でも嗅覚は高い方だろう。なら遠くから漂う臭いを嗅ぎ取ってもおかしくはない。
「どこかで火事でも起こったのか?」
「多分そういうのじゃない。焦げた臭いとかじゃないし、割とこの家の近くだし。何ていうかさ、人と獣が混じったような臭いっていうか……オレを狙ってきたあの傭兵が出してたような臭いって感じ?」
その言葉を聞いた瞬間、俺は壁に掛けていた刀を手に取る。
アシュリーやユウはその行動に驚愕していたが、それに構っている暇などない。もしもユウの言葉が真実なら危険が近くまで迫っていることになる。
「ユウ、その臭いはどこからだ?」
「え、えっと……庭の方からだけど」
「分かった。お前らはここに居ろ」
「ちょっルーくん!?」
何か言いたそうなアシュリーを無視して窓から庭へと飛び出す。
すると数秒も経過しないうちに遠目にだが人影が見えた。それはこちらへ真っ直ぐ接近し、次第に露わになった。
ひとりは片腕がない男。
どこか興奮状態にあるように見えるが、あの顔は見たことがある。騎士団に捕まっていたはずのヨルクだ。
そしてもうひとりは女だった。
背丈はアシュリーよりも少し小柄。だが平均といえば平均だろう。髪は白く乱雑ではあるが短めに揃えてある。緊張感のない緩んだ顔であくびをしているが、立ち姿には芯のようなものがあり武芸者なのは間違いない。
そして、何より目を惹くのは少女の手にある刀だ。
長さからして少女の身の丈よりもある。確かに刀身の長い刀は存在し、小柄な体格でも重量のある武器を使う者は居るだろうがパッと見はミスマッチだ。違和感に近いインパクトがある。
「ふぁ~……あれ? 突然の来訪のはずがまさかの臨戦態勢。いや~お兄さん優秀だねぇ」
「ルーク・シュナイダー……殺す……殺す殺す殺す!」
「ありゃりゃりゃ、こっちも。やれやれ、最近のお兄さん方は血の気が多いなぁ」
また大きくあくびをすると、少女は無気力ながらも微笑みを浮かべた。
まるで自分には関係がないと。ここで何が起こったとしても取り乱すつもりはないと。そう言いたげに……
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