たまご石
俵形琳慶麿
山田青年 1
僕の喫茶店、楠木珈琲店には困ったお客さんばかりが来る。僕はいつも愚痴を聞かされていて、珈琲を淹れることが仕事なのか愚痴を聞くことが仕事なのか、最近は自分でもわからなくなっている。
「えっと、はじめて来店したのですが」と入ってきた青年は落ち着きがない。カウンターを勧めると席に座ると同時に「ちょっとマスターに聞いてもらいたい話があって」と話始めた。ここは喫茶店だ。なにか注文しろよ。
青年は山田と名乗った。大学生だと言う。コーヒーを出すと、一口飲んで「あーたしかに特別うまくはないっすねえ、ネットに書いてあった通りっす」などとのたまう。失礼なやつだ。
聞いてもらいたい話と言うのはこれです、と山田はカウンターに灰色の石をごとりと置いた。「石?」と僕。山田はこくりと頷いた。大きさも形も鶏卵のような石だ。いや、鶏卵よりは少し大きいくらいか。山田の長い話が始まる。
その日は風の冷たさが和らいで春めいてきた頃のよく晴れた日。山田青年は大学の図書館で自習をしていたのだが、もともと飽きっぽい性格であり、春のうららかなひざしに誘われて、全く勉強に身が入らず、大学付近の散歩に出た。
「ひとりで?」と僕。「いいじゃないですかひとりでもなんでも!」と山田はご立腹だ。それもそうだ、話のできる友達がいればこんな喫茶店にはわざわざ来ない、と僕は胸のうちで納得した。悪いことを聞いたな、山田くん。
散歩に出た山田青年は大学の近くでも見覚えのない通りがたくさんあることに新鮮な驚きを覚えた。そうして歩いていると、怪しげな雑居ビルの一階に、「石あります」と貼り紙をした、これまたどう見ても怪しい店があり、店なのかどうかもあやしかったが、暇をもてあました山田青年は怖いもの見たさでその中に入った。
喉が渇いてきた、と山田はほうじ茶を注文した。一口飲んで「ほうじ茶のほうがうまい!」と。もちろんほうじ茶もこだわって出しているが、珈琲店としてはコーヒーを誉めてもらいたいものだ。
怪しげな石屋、石屋という呼び方で正しいのかはわからないが、その店に入った山田青年は、店主の老婆と対面した。老婆は入ってきた山田青年ににこりと笑いかけただけで、いらっしゃいませの言葉もない。老婆の前には石のたくさん入ったガラスケース。壁の引き出しにも石がたくさん入っているのだろう。宝石の類ではなく、ちょっときれいな普通の石がたくさんある、というように見えた。その中で山田青年の目を惹き付けたのが、この卵形の石であった。
山田の話は長く、とくに散歩に出た後の話は説明が長い上にわかりにくく、すっかり飽きた僕はティラミスを作り始めていたので、やっと石の話が出てきてほっとした。そして山田のあとひとりも客が来ないことのほうが気になる。大丈夫か、うちの店。
ガラスケースに入っていた卵形の石は、どこがいいという訳でもないが、なにか他の石とは違う印象を与えた。老婆に頼んでケースから出してもらい手に取ると、ずしりと重量感があり、つるつるとしてひんやりと冷たい表面の感触に、山田青年は魅了された。それは普段歩かない道で不思議な店を見つけた体験の、その雰囲気がそうさせたのかもしれないが、山田青年はもうその石を買う決心ができていた。この石、おいくらですか、と聞くと、「お兄さん、いいのに目をつけるねえ」と老婆は怪しく笑った。「三千円にしとこう」という老婆の言葉に、山田青年は言われるがまま三千円払い、家に帰ったのだという。
「三千円? その石が?」僕は心底驚いた。どう見てもそんな値打ちがあるとは、正直思えない。僕はそのとき、話のオチが見えたなと思った。どうしてこんなものを買ってしまったのか、と愚痴る山田に僕がなにか奢ってあげて、この話はおしまいだな、と思ったのである。しかし、話はそう思い通りではなかった。山田は「まあ、石を買ったこと自体は後悔していないんですよ。その後の話があって、」と話し始めた。そんな石に三千円払って後悔しないとは。俄然興味が湧いてくる。僕は完成したティラミスを冷蔵庫にしまい、山田の話を聞いた。
たまご石 俵形琳慶麿 @ungyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。たまご石の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます