そうだ、私の受験の話をしよう。

ただの柑橘類

私の受験のこと、その後のこと、今のこと。

 突然ですが私、和蘭芹わこさん。今定時制高校に通っています。

 平日午前はバイト、午後十六時から学校というとてつもなく忙しい日々を送っています。

 そんな中、どうして私が定時制に通うことになったのか。

 それは今から約三年前、二〇一七年一月初旬のこと。

 私和蘭芹さん、実は今通っている学校が第一志望ではないんです。

 第一志望はもう一つ他にありました。公立高校です。全日制の。

 合格発表の日に志望校の学校に行きました。

 通りすがりに、同じクラスの人が通りかかったんですよね。

「おう和蘭芹、これから行くん?」

「せやで。合格してたん?」

「してへんかったわぁ。受験番号なんぼ?」

「○○○○や」

 クラスメイトの顔色が変わったのを見てました。

「あぁ……」って言っていた時点で、私『あ、これ落ちてるなぁ……』と心の中で思ったんですよね。


 それで結果はどうだったか。

 まぁお察しの通り、大きな紙に記されていた合格発表者の受験番号の中に、私の受験番号はありませんでした。

 ガッカリとはしませんでした。その年の受験があまりにも難しかったのですから。

 私も全く分からなくて、特に数学なんてほとんどが空白だったのですから。

 しかもよく見てみると、私の学校から受けた人達の受験番号があまりないんですよ。あるとしたら、受験時に私の後ろと前の席に座っていた私の学校の人達の受験番号のみ。

 あー、勉強していたんだなぁ……なんて思いながら、私は学校から立ち去って、母親に連絡しました。

『受験落ちましたw』

 いや『w』じゃねぇよって思うと思うんですけど、その時の私って兵庫という私にとって未開の地であった所に引っ越してきてまだ半年も経っていなかったんです。

 それを理由にして受験落ちたなんてよく言えるな、って今だったら言えますよ。

 その頃の母は出勤したばかりだったらしく、『出勤したばかりだったんですけどwww』と冗談交じりの返信。

 怒られるんだろうなぁ……なんて思っていたら、その次の返信が、

『まぁ、しょうがないね! まだ頑張れるよ、大丈夫。とりあえず学校行っといで(ニッコリ)』

 ちょっとだけ涙が込み上げて来ました。堪えてどうにか学校に着いた途端、担任の佐久間先生がやって来てですね。

「和蘭芹どうしたん!! 落ちたんか!!」

 って言われたんですよ。

 そこで涙腺崩壊。職員室の前でぼろぼろ泣いて「ごめんなさい……」ってずっと言っていたのを覚えています。

 佐久間先生は、私が兵庫の学校に転校してきた時の、男の担任の先生。

 一言で言うと熱血教師。野球部の顧問で優勝したりと、かなりの実力を持つ先生でした。

 後に母も来て三者面談。

 どうやら私の予感は的中していたようで、他にも私の学校から落ちた人が多数いたらしいです。

 その人たちのほとんどは既に三者面談を終えて、進路を決めたと、佐久間先生は言っていました。

「和蘭芹、どうする? あと残ってる進路言うたら、通信制と定時制やで?」

「……いや、落ちたら通信制で働きながら勉強しようかなぁとは思っていたんですが……」

 なんて私が言ったら、「通信制はやめときや」と一言。

「……なんでですか?」

「俺通信制で教師になってんけど、ほんましんどいから。和蘭芹に俺と同じしんどい道は辿って欲しくないねん」

 毎日のレポート提出、それでいて働きながら勉強。

 確かに辛いだろうなと確信しました。私の地元は市立高校しかなかったし、通信制や定時制なんていう言葉や学校の存在も、兵庫に来てから初めて知ったことだったけれど、先生の話を聞いてる限りでは、市立に通うことよりもきついんだろうなと思えました。

「……じゃあ、定時制って言ったらどこがあるんですか?」

 逆にそう聞いてみた。通信制はいくつか調べていてどんなことをするかは分かっていましたが、定時制のことはさらさら触れておらず、全く分からなかったのですから。

「午前中にバイトに行って夜に学校に行くんや」

 えっ夜に??

 具体的には十六時時後半からだという。

 だいたい二十二時に終わって、帰るのは二十二時半だと聞かされました。

 朝早く起きるのが苦手だった私にはちょうどいいなとも、聞いてて感じていました。

「和蘭芹は定時制に行き。絶対その方がええって」

「大丈夫でしょうか……」

「大丈夫やて」

 次に出た言葉が、行くことを不安がっていた私にとって、行くことを決断出来たきっかけの言葉でした。


「和蘭芹は成績もええんや。定時制はアホなヤツしかおらんけど、アホやない和蘭芹やったら上位に輝ける。周りのアホなヤツらを見返せるで。先生が保証したるわ!!」


 ずっと頭悪いし私なんて……って思っていた自分が恥ずかしいって思いました。

 同時に、この人なら私の隠れた趣味や実力を分かってくれるんだなぁって、そう思いました。

 そうして私は定時制に行くことを決めました。帰ってから履歴書を書いて、証明写真を撮って、学校に提出しに行きましたよ。二次募集としてね。

 実は二次で公立高校の道もあったんです。ただそれがとてつもなく遠かったので、家族の中で却下の意見が多数でして……定時制に行くことになったという訳です。

 義父は心底嫌そうな顔をしていましたが……「しゃあないねん。兵庫ここに来てまだ日も浅いんやしな」なんて言ってくれて、最後には承諾してくれました。

 二次募集の書類を提出しに来た時に、前で待っていた女の子が一人いたんですよ。

 ひょんなことから書類提出で待っている間に仲良くなったんですけども、どうやら私が二次で考えていた先程の遠いところにある高校に落ちて、ここに二次として来たそう。

 先程の遠いところにある高校は私でも受かるレベルの……言っちゃ悪いですが、底辺高校だったので、それほど難しかったんだろうなぁと確信が持てました。


 受験当日の日、制服を来て受験を受けたのですが……。

 まず問題に驚きました。

 問題のほとんどが、中学生で解くべきではないような、非常に簡単な問題だったのです。

 ……こんなに、レベル低いの……?

 こんな所に、入学するの……?

 解き終わると、なんと時間がだいぶ余っているではありませんか。

 偏差値はあえて言いませんが……本当に簡単な問題でした。


 帰って母に報告すると「当たり前やん、定時制なんてアホがいく高校やで?」とへったくそな関西弁で言われました。

 そうか……アホ校なのか……。なんて思いながらあっという間に時間は過ぎていき……合格発表の日。

 母と一緒に行きました。道が分からないと言うので、私が代わりに案内をしました。

 合格発表の紙を見る前に、私と同じ中学に通っていたクラスメイトのi君が私に気づき、向かってきました。

「おう和蘭芹、全員合格してるで!」

 合格発表の紙を見てみると、本当に全員合格しているのです。

 だろうなぁ。あんな簡単な問題で落ちる人の頭をほじくって知識を見てみたいわほんと。

 声には出してませんが、思考はこんな感じでした。

 定時制は制服がなく、私服での登校です。制服がぎこちなくあまり好きではなかった私にとっては、とてもありがたいことでした。

 私の高校は給食制でした(ご飯と汁物以外冷たいけど)。

 そして色々と説明を受けて……家に帰って来たのです。


 *


「頑張りや。新天地でも和蘭芹なら大丈夫や!!」

 三者面談を終えて母と中学から家へ帰るあの時、佐久間先生はそう言って笑顔で見送ってくれました。

 終業式の時、その佐久間先生は隣町の学校に転任してしまい、現在は卒業した中学校にはいません。

 もしあの時佐久間先生があの言葉を掛けてくれなかったら、今頃私は社畜生活を送りながら通信制の生徒として勉強をしていたのかも知れません。

 制服がぎこちなくて好きではない、と言っていましたが、私だって普通の高校に通って、綺麗な制服を着て、高校生らしい青春を送りながら勉強したかったです。

 今更夢を見ても遅いじゃないですか。兵庫に来て日が浅かったとはいえど、勉強もしていたのに充分に解けなく、受験に失敗したのは、紛れもない私の責任なのですから。

 でも、定時制に来たことは後悔していません。今私がウェブ小説という交流の場に居られるのも、先生の言葉のおかげですし、定時制にいられるからなのです。

「新天地でも大丈夫」

 あの言葉に、私は何度救われたことか分かりません。


 私事ですが、今二○一九年の私は家庭の事情があり、大阪府の自宅から兵庫県の学校まで約一時間半かけて登校しています。

 愛しい地元北海道を離れ、母と共に関西という未開の地に来てもう三年になりますが、その三年間の中で、私は色々なことを経験しました。


 仲の良かった友達も、喧嘩をして縁を切った人が何人かいます。

 定時制の生活についていけなくて学校を辞めた友達も沢山います。そのうちの一人に、つい一昨日偶然会いました。

 定時制でも頑張れてるんだぞってところを、いつか見せてあげたいです。

 高校生初バイトがブラックなところで、その職場で受けた叱責で人間不信、トラウマを持ち、今は精神病を患っています。

 母に『お前学校やめたら?』と言われたことも何度かあります。北海道に帰ることも勧められたこともあります。母が自殺未遂をして、家庭崩壊が起きて、受験時にシェルターに入れられ警察沙汰になったこともあります。

 去年の七月二十九日に、一年付き合っていた彼氏とも別れました。

 私に色々な景色を見せてくれた彼氏も、ラインもツイッターのアカウントすらも私からブロックしていて、今は絶縁状態です。


 それでも私は、学校も、人生も、ネットも、ツイッターも、人間関係も、ウェブ小説も、絵を書くことも、私がやっていること全てをやめたいとは思いません。今の生活が物凄く楽しいのですから。

 私のことをずっと応援してくれているフォロワーの方々や、私の小説を読んでくれている先生や友達、後輩の方々がいるのですから。

 絵を好きと言ってくれる人がいるのですから。また描いて欲しいと、小説更新楽しみにしていますと言ってくれる数えきれない程沢山の方々がいるのですから。


 地元を離れていなかったら、佐久間先生や関西の友達や北海道の友達がいなかったら、私はどうなっていたんだろうか。

 そう考えると、私って本当に幸せ者なんだって改めて思います。


 三日前の三月一日、私は十七歳の階段を駆け上がりました。そして来月四月、三年前に住んでいた義父の家に帰ることになりました。

 今務めているバイトも辞めて、また一からやり直そうと、母は言っていました。

 正直言って、私は今兵庫に戻ることが怖いのです。また中三の時のように、家庭崩壊を予想しているからです。

 ですがいつまでもこんな調子では居られないと思い、腹をくくって帰ることにしました。

 戻る所は、佐久間先生が転任した学校の隣町なので、佐久間先生に会えるといいな……なんて、私は思っています。


 そして、また会えたら、こう伝えたいのです。

 あの時、右も左も分からなかったこんな私に、輝ける希望の言葉をくれてありがとう。

 私今、学校でもネットでも輝けているよと。


 そして、今年から受験生になる、顔も名前も知らない中学二年生の皆さん。

 どうか、私のようにだけはならないで欲しい。受験という一つの出来事を失敗しただけで、こんなにも苦労して、そのおかげで沢山の人達に迷惑をかけることになるのだから。

 志望校は、私立と市立と、両方受けておいた方がいいです。私は第一志望しか受けていなかったので、もし受けていたら違う道を辿っていたでしょう。

 こんなエッセイも書いていないでしょう。そもそも、ウェブ小説にも、ツイッターにもいなかったでしょう。


 反面、定時制には、全日制にはない楽しいことが沢山あります。辛いことも沢山あります。

 ですが、半分社会人、半分学生という道を歩みながら、日々の勉強をしなければいけません。

 ですが志望校が決まらず、且つ頭が悪いし全日制は無理だと感じたら、第一志望で定時制を受け、第二次で全日制を受けるという道もあります。

 もし機会があるのなら、家族に相談してみるのもありかも知れません。

 家族に言いにくいなら、誰でもいい、担任じゃなくてもいい。知り合いや先生に相談してみるのも、一つの道かも知れません。


 ですが、私のように、第一志望で滑り止めなしで一発合格や!! なんていう馬鹿な道は絶対に勧めません。


 このエッセイで、あなたの人生が変わるかと聞かれれば、はいとも言えるしいいえとも言えます。

 道を選ぶのはあなた自身なのですから。

 それでもこのエッセイを読んだ受験生の方々が、大いに良い道へと歩まれますようにと、私は心から願っております。


 二○一九年三月三日 和蘭芹わこ

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