カワセミとノジコ

ここしゅか

石拾いの少女

 私は人付き合いが苦手である。(というよりか、人付き合いはするが、人付き合いが下手くそという感じに近い)

 最初のうちは、色んな人が声をかけてくれるのはいい。しかし、気付けば周りから人がいなくなっているような人種であった。それに気が付いたのが中学一年生の頃だった。

 身長が高いため、「運動神経いいんじゃない?」とよく言われるが、決してそうじゃない。小学生の頃、自宅の庭でフリースローをしていただけだ。球技大会でバスケットボールだった暁には、遊びでやっていたフリースローが役に立たず涙をこらえたし、マラソン大会は下から数えたほうが早いし、私はどうにもこうにも、つまらない人間なのだ。

 会話においてもそうだ。ノリよく発言しているつもりだが、周りが微妙な空気になる。さらに顔が厳つく怖いのだろうか、女子はみな私のことを恐れる。頭髪が茶色なのがいけないのか? と考えた。しかしこれはどうにもならない。生まれつきのものだ。黒染めにしようと思ったが、変える手間があれば、読みかけの本を消化した方が有益だろうと思ったからである。後から知ったが、私は外見だけだと「DQN」に見えるらしい。私の名誉と、DQNの方々の名誉のために言っておくけど、人の外見は脆い。触れてしまえばたちまち中身が涙と朝食と一緒に出てしまうから。外見はそれを堰き止めるためのダムなんだって思ったらいい。

 高校生になってからも、もう止まってしまった自分の身長を指先でなぞるような日々だった。自分と同じ身長の女子はちらほらと見かけたが、皆コミュニケーションがうまく、すぐに周りに馴染めていた。

 入学してから一週間が経ったある日の放課後、いつものように河原で石を拾いながら考えていた。私は、なにがいけないのだろうか。

彼女らはみな、オーラがあるように思える。私にオーラがないのがいけないのだろうか。私は一体、どうすれば——。


「あのー。あなたも石を?」


 声がかかった。

 カーテンの隙間から射す春の陽光のような、そんな声だった。

 五個目の丸石を拾いながら、前を見た。

 目を見開いた。そこに、美少女がいた。

 黒く流れる髪の毛は、横の方で夕陽を投影する、とろりとした川の流れよりも清らかなものだった。

 彼女は私の胸元までの身長で、少し幼く見えた。しかし、私と同じ学校の制服を着ていた。白いブラウスに、青いリボン。そして紺色のサロペット。それらすべてがぴったりと身に収まった少女だった。

 美しいものについて、今以上に真剣に考えたことがある。まだ幼い頃の話だ。母がどこかの美術館へ連れて行ってくれた時に観た、一枚の絵について。今でも、今よりずっと視点の低い私のぼやけたレンズに映った、八月の十八時の空並みに薄暗い館内を思い出すことができる。一瞬だ。一瞬だけ、その絵が映る。荒れた海の上に浮かぶ筏に乗った、懸命な顔の男たちの絵だ。その絵を、私は斜め左下の角度から眺めている記憶。

 この絵のタイトルは知らない。どの時代に描かれたものか、誰が描いたのかも勿論知らない。スマートフォンかパソコンの検索フォームで断片的な情報を打ち込んでいくと、恐らくその絵に辿り着けるのだろうが、そうまでして知ろうとは思わなかった。それが、私の思う「美しい」なのだと思っているからだ。

 気付かない間に、三十分かけて拾い集めた五つの「気に入った石」は、腕の中からすり抜けて、かたんかたんと落ちていった。

「あの、えーっと。落ちてるよ」

「……あ。あ、あぁ、ほんとだ」

 私は慌ててしゃがみ込み、五つの石を拾った。五つどころじゃなく、動揺していたのか、七つも拾っていた。それは家に帰ってから気付いた。

「ところでなにを?」

「あー。石のこと?」

「そう。石のこと」

 私は少し考えて、こう言った。

「ただの趣味。丸い石を集めていると、心が穏やかになるんだ。単純に言えばそう」

「へー、そうなんだ」

 黒髪の少女は身体を斜めにくねらせ、こちらを覗き込んだ。あざとい。

「そういうきみは?」

「私もただの趣味だよ」

 まさか、この広い地球上のこの狭い町の中で、私と共通の趣味を持つ者がいるとは思わず、私は両手で口元を塞ぎ、嗚咽を堪えた。パラパラと、また石が落ちた。

「あぁーっ。またおちたーっ」

「わわ」

 初対面の人間の前で何をやっているのだろうか。この日、私は彼女の名前を聞くことがなく。というか、彼女の名前を三年間ロクに知ることがなかった。後述の翌日のやり取りから、私は彼女を「カワセミ」と呼んだし、彼女は私を「ノジコ」と呼んだ。このネーミングに、きっと深い意味はない。

 その翌日の放課後も、彼女は河原にいた。

彼女は私と同じ学校に通っているのは確かな事実なのだが、日中彼女を学校で見かけなかったことを問うた。

「半分不登校なの。この時間帯に学校へ行って、要点をまとめた学習をして、それで夜に帰ってる。アフタースクールってやつ? ……私には合わないの。ほら、加熱したオレンジジュースで、栓をした洗面台の上に落ちたインスタントコーヒーの粉末を溶かすのと同じことよ?」

と、笑った。一秒一秒形の違う面を作る川面に、今朝食べたハムエッグの黄身を彷彿とさせるような夕陽が反射して、彼女の顔に深い影が落ちていた。彼女の口から出た言葉が嘘だとしたら、この目に見えている彼女の笑顔は、きっと真実のものなのだろう。私はそれに、美しさを見出した。私は彼女の言葉に曖昧な返事をしてしまった。今思えば、それは恩を仇で返すことと同じ行為なのだと悔やんだ。

「分かるようで分からないけど、なんだかストンとくるな」

「そぉ? 分かんないな。」

 分かんない。というのは、私には分からないという意味なのだろうか。なんにせよ、考えたところで意味のない問題だ。

「そういえば、君の名前を知らない」

「あー、そうだった。というか、こうやって二日連続で出会うとか、おもしろいこともあるのね」

 彼女は手を後ろに組んで上半身をくいっと前に突き出した。ふふっ、と彼女は笑った。私から見て右側、彼女の頬の左側に、ぽっかりとできたえくぼが可愛らしい。

「私は——」

「すとーっぷ」

 彼女は右手を私の目の前に突き出す。

「へ?」

 何が、ストップなのだろうか。

「私はカワセミ。あなたはノジコよ」

「はぁ」

 唐突に鳥の名前を出す。彼女は野鳥が好きなのだろうか。ちらりと川の方を見遣ると、驚いた、鮮やかな水色と、触ると柔らかそうな湿った腹のカワセミが、水色の羽をパサパサと小刻みにはばたかせながら水面から飛び立っていったのが見えた。彼女の方をもう一度見た。すると彼女はさらに満足げに笑った。寝坊していた彼女の頬の右側のえくぼが、くいっと姿をあらわにした。

「いい? あなたは、私の前ではノジコになるの。私も、あなたの前ではカワセミになる」

「コードネーム?」

「みたいなものね」

 まったくもってよく分からないが、彼女がやりたかったことなのだろう。

「わかった。そうしよう。よろしく、カワセミ」

「うん。よろしくね、ノジコ」

 こうして、カワセミと私の河原での三年間が始まったのだ。


「そういえばいつから石拾いをしてるの?」

「あー、たぶん小学五年の頃から」

「へー、それでずっと」

「うん。よく分からない孤独を紛らわすためにやってた」

「孤独」

「なぜか知らないけれど、私は浮いてしまうんだ。ほんと、いくら考えても分からない。ただみんなと混ざりたいなーって思ってるだけなのに」

「ふーん。なるほど」

「でもまぁ、こうして石を拾っていくうちに、なんかどうでもよくなっちゃってさ」

 こんなに自分のことを話したのは初めてだ。心のどこかがすっぽりと抜けていく感覚が、同心円状に体中をじわりじわりと蝕んでいく。「心地よいか」と訊ねられると、「全然心地よくないや」と、反射的に答えてしまいそうだなー、なんて、自分でも気づかないうちに足元に視線を落とした。

「なるほどね、私もそうなの」

 彼女のような美少女が、私と同じ趣味を持ち、私と同じ理由で十六年間過ごしてきたことに、心底驚いた。恐れ多い、なんだか申し訳ない。

「孤独はクスリよ」

「クスリ」

 と、私は笑ってみせた。

「違うわ? 薬よ、薬。ヤオ。ヤグ。ドラッグ。ミディチナ。アルツナイ。メディカモン。メディチーナ」

「グローバルだね」

「そう。グローバル」

 いくらグローバル社会だのなんだの言われたところで、孤独感はどんどん深まるばかりだ。私は胸中で世界に毒づいた。しかしそれも、くそ、グローバルのヤツめ。私をまたしても、どこかの国にあるオペラ座の観客席にひとりでいるような気分にさせやがった。

「世界が広すぎて、なおさら自分がひとりに思えてくるよ」

「それはきっと、世界に特別だって思われてるからよ」

「つまり、世界は私たちに孤独を処方してるってこと?」

「ご名答」

 めちゃくちゃだ。そんな考えがまかり通るほど、グローバルな社会は甘くない。きっとどこかの文豪とか本の虫とかが、公園に捨ててある犬のフンよりも心地悪い真面目なレスを送って来るに違いない。そうでしょう?

「カワセミはその薬を一日に何回飲んでる?」

「気の向くままに飲んでるわ。一日に五回も飲む日もあれば、飲まない日だってある」

「なんで」

「使い分けてるのよ。今日は孤独のスタンスで行きたいなって思ったら、世界薬局から貰った薬を一粒飲むの」

「(中略)そりゃろりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ」

「サタラナ舌に」

「カ牙サ歯音。どこかのタービンもね」

 私とカワセミは同じタイミングで顔を見合わせて、そして堰を切ったように笑った。

 こんなことは初めてだ。

「世界は回ってる。私たちがいなくても回り続けるのよ。世界ってば、今までたくさんの血で作った油で動き回ってるのに、まだ足りないみたいよ」

 こう言って、カワセミはまたコロコロと軽快に笑った。私は安堵感と、妙な緊張感で胸を覆われた。蜂蜜をかけた程良い焼き加減のパンケーキのような、そんな色をしていた彼女を前に、私は今までかけられたことのない負荷を、心臓にかけられたのだ。

 その日の夜は、タオルケットに包まって目を瞑っていても、彼女の顔が鮮明に浮かんでくるし、イヤホンで魔笛を聴いていても、彼女の声が耳の中でこだましていた。

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