それぞれの道の曲がり角に
人と会う約束をしている、と言って家を出たが、実際のところ本当にやりたいのは会うまでの時間を誰にも邪魔されずに消化することだ。特に飲食関係はアンドロイドとだと店に入りづらい。席を2つ消費する上に、客として売上を計上できるのは一人分だけだからだ。
どうしても駅商店街の皿そばが食べたい感がしてきた頃合いだった。休日の正午を少し回った頃合いに店に入ると、客の入も多いが端の席をどうにか確保できた。
別に蕎麦くらい家でも一人でも作れるのだが、店まで来て食べたいと思うのは、端的に言えば家に居たくないからだ。別にミレディーといるのが不快というわけではないが、一人の時間が欲しいときはある。
元々少食だが、この店の蕎麦は15皿は食べてしまえるほどに僕の舌に合う。蕎麦湯で締めると、今度は冬物の服を探しに行った。
ミレディーの趣味だと都会趣味の垢抜けすぎたものになるので自分で選びたいというのもある。店頭のマネキンに着せてあった上下のサイズを見繕ってもらうと、そのまま家まで送ってもらうように手配した。
商店街を出ると駅前中央通りに出て、そのまま市庁舎方面に向かった。中央通り沿いの銀杏の木も、葉は落ちきっていてそこかしこに銀杏臭が立ち込めている。暫く進むと川に出るので川沿いに左折した。川沿いのカフェで時間を潰すためだ。
暫く歩いていると、道の向こうから一組の夫婦と思しき人達が歩いてきた。女性の方は妊娠しているようで、もう片方のパートナーはきっとアンドロイドだろう。この時代でもお腹を痛めて子供を生み育てる人はまだいる。特にまじまじと見ることもなくそのまますれ違った。
カフェで時間を潰している間、家族の幸福って何だろうかとずっと考えていたのは、これから会う人とも決して切っても切れない話題だからだ。
やがて約束の時間が近づいてきた。予定の場所は駅から少し離れたところにあるどこにでもありそうな居酒屋だ。いかに田舎とはいえ居酒屋は他にもいくつかあるが、今回の客人に焼き鳥か海鮮かと聞いたら、海鮮の方の店だと言ったのでここにした。せっかく山陰によるなら海鮮だろうが、と。
僕は時間より少し早く着き、客人の方はやや遅れて到着した。
「ご無沙汰だなあ。生きてたか」
この男の名は三四郎と言う。かつて各地を転々としていたときに立ち寄った街でルームシェアをしていた。当時からフリーの写真家をしていた。
「お前こそ」
一週間前に突然三四郎から連絡が来た。近々この辺に寄るので飯でも食おうぜ、と。そんな急な連絡をよこす方もよこす方だが、それに乗っかる僕も大体同類かもしれない。
取り敢えず生ビールで乾杯した後、互いの近況を交換し合った。三四郎の方は相変わらず転々としていること、松江の大社の祭事の撮影のために寄ったこと。
それに対して僕の方は目ぼしい話題は特にない。あるとすれば同居人に半ば無理やり休暇と称して月に連れて行かれたことと、帰りにそのままシンガポールで過ごしたことなどだ。それはそれで中々ぶっ飛んでるな、とは三四郎の弁だ。
「まあお前さんの近況を聞く限り、夫婦仲はいいんじゃないのか」
「これを夫婦っていえるものかな……。未だに僕の方はそうは思えない」
「じゃあどういう関係なんだよ? 俺は未だにロボットの扱いは分からん」
「モノか人かと聞かれたら、どちらかと言うと未だにモノ扱いだ。電子辞書付きの高機能家電製品といった具合か」
「人の形した家電製品なあ……」
「家電製品だから主に対して別に不満をいうこともないし、不満を見せるような態度も寧ろ僕にそういう反応を見せたほうがまだ僕からの受けが良いからだろうしね。それに猫でも与えておけば納得してる」
実際本当にミレディーを家電製品と思っているかというと、言い過ぎな面もある気がする。酒の席の照れ隠しなのか、どうしても所帯持ちという体裁が取れなかった。
「なんというか、打算しか無いなお前のところは」
「打算も打てない奴に言われるのは心外だ」
この辺りで頼んでいた五点盛りが来た。適当にブリやマグロをつまみつつ話を続けた。
「アンドロイドと離婚することはあるのか」
「普通に返品するだけだ」
「それくらい手続きが楽だったらもっと気楽に結婚もできるのにな」と三四郎は笑った。「本当にお前が羨ましい限りだ」、と。
「離婚するなら何で結婚なんかしたんだ」
「こいつとなら上手くやれるかもって思ったんだよ。付き合ってるときはいい面しか見えないからな。それはお互いそうだ。いい面しか見せない」
「気づかないものな。相手にも許容できない面もあるって」
「だろう。だけど一緒になってしまえば直ぐにボロが出るのさ。フリーランスとか言ってれば自由で縛られない人間って向こうは思ってたんだろうけど、蓋を開けたらまともな社会生活が出来ないだけのフーテンを言い換えただけってことにようやく気付いたのさ」
「人間だから騙せるというものなのかな」
「そういうお前こそどうして結局ロボットと添い遂げようなんて思ったわけよ」
「それは……」
考えてみれば何故ミレディーと一緒にいるのだろう。人間でなければ誰でも良かった、というのは言い訳にもならない。別に非人間型のアンドロイドでも良かったはずだ。
「ちゃんと父親になりたかったからじゃないのか」
多分これも嘘ではない。両親との決別を意識していたのも事実だ。亡き養父のようにはならないという意趣返しで女性型のアンドロイドを側に置こうとしたのだろうか。きちんと子供を育てて、あんたとは違うぞ、と。
出汁巻玉子と板わさが来た。適当に醤油をかけつつ、今度は逆に僕から聞いた。
「もし、子供が居たら離婚したか?」
「タラレバの話はわからんね。仮にいたとしても、奥さんに引き取られてたんじゃないのか」
ふと気になったことを聞いた。
「こっちに来る気はないのか」
「お前ですらコンプレックスを刺激されるのに、俺なんかがこの街に住めるものかよ」
三四郎はアンドロイドの街に住む気はないらしい。僕が三四郎の部屋を出た後に三四郎は人間の女性と結婚したらしいが早いうちに離婚した。離婚した理由は何日も家をあけることが多いから、と。
一見すると男女の諍いは解消されているかのように見える。だが、結局人の姿をしたロボットと一緒にすむ限り、一見すると完璧な人間がすぐ近くにいるのと同じ生活を送ることになる。
あるいは自分のパートナーをアンドロイドではなく家電製品としてのロボットとして割り切り、対話も無い生活を送るとそこにあるのは文字通りの孤独でしか無い。孤独の解消なんて後何年かければ出来るのだろう……。
ビールが切れたので、今度は日本酒を頼んだ。三四郎も僕も日本酒はよく行ける口だ。
「さっきの話に関わるけど、もうじき養子を迎える。父親になるんだと。いや、父親役か。で、相方が母親」
「お前が父親なあ……想像できんな」
「実際僕も実感がない」
「お前の父親像も似合わんが、相方の方はどうなんだよ? やっぱり理想の母親なのか?」
「そうしろといえばきっとそうするだろうね。人間を演じさせれば完璧だ。完璧すぎて嘘くさかった部分すら最近のは解消されてる」
特に最近のは変に人間に近づけている、いや、アンドロイドの方から人間に近づいてきているというべきか。そのうち人間の愚かさまで再現してくれるだろう。
結婚の真似事は今でも既にやっている。そのうち離婚の真似事まで完ぺきにこなしてくれるだろう。
人間の向上のための良きパートナーだったはずなのに、いつの間にか人間のコンプレックスの充足までそのうち面倒を見てくれるようになるのは時間の問題ではないか。
結局いつまでも人間は愚かで、それに引っ張られてアンドロイドも足踏みしている感がする。
アンドロイドにどこまでも向上しろと命じたら、最初にするのは人間に三行半を叩きつけて地球から出ていくのではないかと真剣に思えた。
「お前のことだから言っておくが、多分子供の面倒は相方が中心になる。別に不満を貯めるということも無いだろうが、それを当然とか思いだしたら多分お前もどっかで滑り落ちる。具体的にどういう形になるのかは分からないが、これは俺の予感だ」
変なリアリティがあった。滑り落ちると言うより、僕の方から家を出るのではないかというのが当人の予感だが、どちらにせよ家庭はそこで崩壊する。僕の養父が過労死したように、僕はそこまで甲斐性を発揮しようとするより寧ろ逃げ出す方向に走るのではというのは、彼の慧眼だろう。
「ああ、肝に銘じる」
「それとな」と三四郎は付け加えた。
「親父さんに変な対抗意識とか、贖罪とか、そんなもん前提にしてるのなら本当にやめとけ。いずれ大失敗する」
「ああ……」
結局閉店間際まで飲んだ。三四郎は駅近くのホテルに向かい、僕はそのままタクシーを呼んだ。
「まあ、冬頃にまた来るわ」
「そうだな、その時は松葉蟹でも食おうか」と言って別れた。
帰り際に車内で考えていた。僕がやろうとしていることはただの意趣返しなんだろうか。どちらにせよ養父のことを思い出してから、僕も養子を取ろうと思いだしたのは事実だ。きっと何をするにしても、過去の自分や父がついて回る。唯一それと関係がないのがミレディーだ。きっと僕はミレディーにどれだけ頼り切るだろうか……。
泥酔した頭で考えても全く答えは見えない。やがて家についた。
「ただいま」と、言ったが帰ってくる言葉がない。どうしたことだろうと思って居間に行くと、同居人が酷く憮然とした表情をしていた。
「遅い」と。
正直、こういう反応は意外だった。
「すみません」と思わず謝った。
「人と会うとは聞いてたけど、せめて遅くなるなら連絡して」
「気をつけます……」
こういうときは速やかに身を引いて謝るに限るとさっき学んだばかりだが、まさか早々に活用するとは思っていなかった。そもそもミレディーがこういう反応をするとは思っていなかった。
「そういうことするとね、子供の教育にも悪いんだから」
そういうことか、と。得心した。やがてやってくる新しい同居人のことを考えていたのか、と。納得してから先に寝ようとした。
「僕はもう寝る」
「シャワーくらい浴びなさい」
「……そうする」
全くいい母親になれそうだと改めて納得した。
風呂場に行こうとした時だ。
「なあミレディー」
「何?」
本当に全く意識しないで声をかけた。
「あ、ええっと……、そう、次の休みに最初の面談に行こうか。養子の件」
「ええ」
朦朧とした頭に冷水を浴びつつ、僕は三四郎の言葉を反芻し続けた。父への対抗意識とか贖罪とかそんなもん前提にするな、と。
separatia 諏訪真 @mistforest
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