「たっだいま~」

「あれ?」

「おかえりなさい」

「遅かったじゃん」

「ん~。ちょっと色々ね~。それより、どしたの、みんなで集まって?」

「どうしたもこうしたもないわよ」

「下見て、下」

「え?」


「…………え、なに。どうしたの、これ。天変地異? さっきまでは何ともなかったのに」

「あんた、ギリギリセーフだったね」

「何かあったの?」

「泰山府君さまよ」

「泰山府君さま!?」

「何かね、呼び出されていった先の綺麗な桜の木が誰だかに折られてたとかで、犯人探しにやっきになってるのよ」

「…………へ??」


「何も泰山府君さまがそんなことやらなくってもいいのに」

「おかげで下界は滅茶苦茶よ」

「あ~あ。どこの悪ガキだか妖怪だか知らないけど、早く見つかんないかしら」

「う~ん。でも、泰山府君さまの通力でも見つからないんだもの、いずれか名のある鬼神かもしれないわよ」

「こわいなぁ」

「…………………」

「ん? どしたの、あんた。顔色悪いわよ」

「い、いや、……あの」

「なに汗かいてんのよ。水浴びしてきたら?」

「ええっと…………そのぅ」

「「「…………」」」


「ねえ」

「……はい」

「あんた、その背中に隠した手、何持ってるの」

「………………はい」

「「「おいぃいいいい!!」」」


 程なくして。


「「「申し訳ありませんでしたぁああ!!」」」

 こめかみに青筋を浮かび上がらせ仁王立ちする泰山府君の元で、天女たちが総土下座を決めていた。

「申し訳ありません。この馬鹿が。この馬鹿が! この馬鹿が!! とんだ不始末を仕出かしまして――」

 蒼褪めた天女の頭をばしんばしんと叩きながら、彼女の同僚が同じく蒼褪めた顔で必死に頭を下げる。

 一通りの事情をお聞きあそばされた泰山府君は、大きく息を吸い込むと、特大の雷を落として気弱な天女の何人かを失神させた。そして深々と溜息をつくと、ガクガクと震える犯人の天女に面を上げさせた。


「とんでもないことをしてくれたな」

「はいぃぃ」

 色を失った顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃである。

「俺は、あの桜の花の延命を希われて勧請されたのだぞ。それを叶えるどころか、俺の眷属がその枝を手折っただと? 流石に外聞が悪すぎるわ」

「うぅぅ」

「まあ、仕出かしてしまったものは仕方ない。その方、俺と共に、もう一度下界へ降りよ」

「はぃ?」

「急ぎ身支度を整えるのだ。顔を洗って、化粧けわいもしっかりとな。そうだな、舞の準備でもするがよい。なるべく優美で、見栄えのするものにせよ。楽はこちらでなんとかしよう」

「え? え?」

「誤魔化すのだ! 桜の枝の一本くらい俺の通力でなんとでも治せる! ついでに花の延命も可能な限りで叶えよう。お前はとにかくこう、天の奇跡っぽい演出をして不始末を誤魔化せ!」

「は、はい!」

「分かったら早う支度せよ!!」

「ひぃぃ! 畏まりましたぁあ!」



 一方、その頃。

 突然始まった天地の鳴動に、桜町中納言成範は気が気でなかった。

 まさか、自分の執り行った祭儀が原因であろうか。

 教わった通りに進行できたはずだ。それとも、桜の延命などでそれを行ったこと自体が不味かったのだろうか。

 祭儀を教えてもらった陰陽師に一度相談に行ったほうがいいか、成範が真剣に考えていた、その時だった。


 風が止み、雷が止んだ。

 先程までの喧騒が嘘であったかのように、暗雲立ち込めた天が晴れ、再び冴え冴えとした真白の月が、その姿を現した。

 月光が、桜に降り注ぐ。

 しん、と空気が張りつめ、清浄な気が辺りを満たした。

 天上から、楽の音が零れ落ちてくる。

 それに合わせるように、はらり、はらりと、桜の花弁が散り落ちる。

 

 ――花実の種も中空の。天つ御空は雲晴れて。落天下天天人忽ち現れたり。


 その中に、いつしか一人の女が舞を演じていた。

 美しい女だ。

 人の世のものとは思えぬ、触れれば溶けて消えそうなほどの儚き姿。

 その手に、いくつかの花実をつけた桜の枝木を一本握っている。

 女は天より降り注ぐ楽の音に合わせて優雅に舞い踊り、ゆっくりと庭の桜木に近づいて行った。


「これは、夢か……」

 成範は、その幻のような演舞を、一人呆然と眺めていた。

 やがて桜木の真下まで移動した女は、腕を伸ばし、その手に握った枝をその中に差し込んだ(そこで初めて、成範は枝の一本が折れていたことに気付いた)。

 それはみるみるうちに癒合し、ついには手折られた事実などなかったかのように、元の通りにくっついた。


 女は袖を上げて顔を隠し、薄れゆく楽の音の中に身を投じると、しずしずと身を引いて、紫色の濃い夜闇の中に溶けていった。


 一夜明け。

 成範はいまだ夢のなかにいるような心地で、家人に誰かあの女の舞を見たものはないかと聞いて回った。

 しかしながらそれを見たものは一人もおらず、それどころかその直前の天地の騒乱にさえ、気づいたものはいなかったというのである。

 昨晩の宴の盛り上がりだけは身をもって知っていた家人たちは、口を揃えて夢でもみたのでしょうと言い、成範自身も、段々と己の記憶に自信をなくしていった。


 しかし。

 例年ならば七日で散り果てる桜の花弁が、何故か成範の屋敷の庭の一本だけ、二十日間もの間散らずに残ったのだという。

 あの夜の宴に参加した人々は、口々に成範の祭儀が功を奏したのだと吹聴して回り、希代の花狂い、桜町中納言の名は、いよいよ広く世間に知れ渡ることとなったのであった。



 さて。

 本来ならばこれで、物語は幕引き。めでたしめでたしと相成るところ、私は蛇足として、ここにもうひとエピソードを付け加えたいのである。

 それには、こんな会話を妄想するところから始めるのがよかろう。


「あはは。えらいことになっちゃった。ごめんね、中納言さま」

「なんの。十分に楽しませて頂き申した。天女どの」

「でも、分からないなぁ」

「分からない、というと?」

「桜よ」

「桜?」

「どうして、折角ならずっと散らないようにして貰わなかったの? それなら、いつまでも花を見られるじゃない」

「それでは、意味がないのだ」

「……?」


「桜は散るからこそ美しい。そこに終わりがあると知ればこそ、その命には光がある。ゆえにいとしい。ゆえにかなしい」

「ふうん」

「それになぁ、天女どの」

「うん?」

「花は、また咲く」

「……」

「一つ季節が廻れば、また花は咲く。それを思えばこそ、夏の暑さも、冬の寒さも、人は乗り越えられるのだ」

「よくわかんない」


「ふふ。そうか。なれば、天女どの。次の春もまた、この庭で宴を開こう」

「おお」

「あの時酌をしてくれた女房は、そなたなのであろう?」

「あは。ばれてたか」

「次は、共に飲み交わそう。次の春も、そのまた次の春も」

「……そうすれば、さっきあなたが言ったこと、私にも分かるようになるかな」

「ああ。きっと」

「そっか。……うん。分かった」

「では?」

「また来年、会いにいくね?」

「心より、お待ち申し上げる」

「うふふ」


 そうして、天女は時に女御として、ときにはやんごとない身分の姫として、その度に姿形を変えて、成範と花見をした。

 成範の庭の桜は、変わらずそこにあり続け、毎年毎年、他の桜よりも少しだけ長く、花を咲かせた。

 やがて巡る春も片手では足りぬようになり、両手の指にもあまるようになると、その庭から成範はいなくなった。それでも桜は変わらずそこにあり続け、時に主を変え、時にはそれを失い、いつまでも、そこに立ち続けた。


 いつしか政治の中心が京の都から東の地へ移り、戦が起き、平和が続き、それが破られ、また平和になり、そんなことが何度か繰り返された、ある時のこと。


「へぇ。こんなとこに桜の木なんてあったんだ」

「うん。穴場なんだ」

 何人かの若者が、その古木の下にシートを広げ、酒宴を催していた。

 穏やかな春。

 絶好の花見日和。

 その老木のある公園は、その地に住まう人にとっても馴染みが薄く、滅多に人の来ることはない。それでも、毎年必ず、辛うじて花を咲かせるその木の下で、誰かしらが宴の席を設けているのだった。


 昼から始まり、終始和やかに進んだその宴の中で、一人の若者が奇妙なことに気付いた。

(あれ……人数増えてない?)

 気のせいだろうか。いつの間にか、シートが手狭になっているような気がする。

 そういえば、今俺の紙コップにビールを注いでくれているこの女は、なんという名前だったっけ?

 にこにこと愛想よく笑うその女は、宴の席をくるくると行き来して、参加者全員に酒を注いで回っている。みな彼女の存在に違和感を抱くことはないようで、それに気づいた彼自身、自分が何に引っかかっているのか、時間とともによく分からなくなってくる。

 けれど、不意に彼女が立ち上がり、静かに花弁を散らす老木の幹に手をついた所だけは、やけに鮮明に目に映った。


「        」


 その小さな唇が、何か言葉を紡いだのが見えた。

 宴の喧騒に紛れて消えたその言葉を、誰も聞いたものはいなかった。


 彼女がなんと言ったのか。それを知っているのは、一本の桜木と、ここまでこの物語をお読み頂いた、みなさまがただけである。




                           了

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「また会いにきたよ」 lager @lager

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