第7話 「あー…間一髪…」

「あー…間一髪…」


 前髪をかきあげながら、少しだけバックして前を見る。

 幸い、ウサギは撥ねずに済んだ。

 寝不足も手伝って、空の声がなかったら…ブレーキ踏んでなかったかもしれない。


「空、大丈夫か?」


「う…うん…」


 助手席の空は、目を見開いたまま。


「大丈夫。ウサギは逃げたよ。」


「……」


 空は額に汗。


「…悪かった。もっとゆっくり走るから。ちょっと寝てろ。」


 空の額の汗を拭って、シートを少し倒してやる。

 時計を見ると、9時。

 あと2時間はかかるな…


 俺は携帯電話を持って車を降りると。


「あ、織さん?俺。渉。」


 二階堂家に電話をする。


「あと2時間ぐらいかかるけど、ちゃんと帰るから。ああ、大丈夫。」


 織さんは兄貴と同じ歳だ。

 そんな人を母と呼ぶことになるのは…少し照れくさい。


「陸兄も帰ってる?あ、いや、帰ってる方がいいんだ。じゃ、また。」


 二階堂家が全員集合なのを確認して。


「…よし。」


 俺は気合いを入れて、車に乗り込んだ。






「おかえり!!」


 二階堂家にたどりついて。

 玄関に入ってすぐ、走って出迎えたのは泉だった。


「もう!!お姉ちゃんのバカー!!心配したんだよ!?」


 泉の言葉に。


「…うん…」


 空は唇を尖らせてる。


「あ、泉。これ、土産。」


 大量の土産を差し出すと。


「何よ〜。二人してこんないいとこ行ってたの?」


 泉は温泉の名前を見て、眉間にしわを寄せた。


「まあまあ、リハビリだと思えば。」


 俺と泉のやりとりを、空はうつむいたままで聞いている。


「さ、みんなの所へ行こう。」


 俺が空の背中に手を添えると。


「……」


 空は無言で俺の顔を見上げた。




「空…」


 リビングに入ると、織さんが泣きそうな顔で空に抱きついた。


「もう…母さん、どんなに心配したか…」


「…ごめんなさい…」


「わっちゃん、ありがとう。」


 環さんに抱きしめられてしまって、背中をポンポンとするしかなかった。


「まあまあ、みんな座ってお土産でも食べようよ。」


 泉がそう言って、お土産を広げた。


「じゃ、お茶入れましょうか。」


 陸兄の奥さん、麗さんがキッチンに向かう。


「ったく、どこの温泉に行ってたって?」


 陸兄が、座った空の額を突く。


「……」


 でも、空は唇を尖らせたまま。


「…空、部屋で休むか?」


 海の問いかけに。


「いや、その前に…」


 俺は切り出す。


「?」


 一斉に、みんなの視線が俺に向いた。

 少しだけ息をのんで。


「空を、俺にください。」


 環さんの目を見ながら、そう言うと。


「…………」


 みんなは絶句。


「く…くださいって…」


 海と織さんが顔を見合わせる。


「結婚、したいんです。」


「結婚!?」


 全員に声をそろえて叫ばれて、つい体を引いてしまった。

 隣にいる空は、目を丸くして俺を見てる。


「実は…6年前から付き合ってました。」


「ろ…6年前って…そそ空と?」


「はい。」


「どー…どうして今まで隠してたんだよ。」


 陸兄の問いかけに、首をすくめる。


「それは言われても仕方がないんだけど…何となく言えなかったって言うか…」


「どうしてすぐ名乗り出なかったの?お姉ちゃんの恋人だって。そしたらお姉ちゃんの記憶だって…」


「…事故の前に、プロポーズしてふられたんだ。」


「…ふられた?」


「そう。いつも待たせてばかりだったし…約束は破るし…」


「それは仕方ないでしょ?急患だって入るだろうし。」


「でも、俺は空に甘え過ぎてた。」


「……」


「その結果が破局だったんだ。だから俺のことなんて思い出さない方がいいって思ってたし…俺自身怖かった。」


「わっちゃん…」


「でも今でも空の事を好きだし…一番大切に想ってる。」


 俺は空に向き直って。


「空。」


 見つめる。


「…はい…」


「今、こんなプロポーズなんてしたら…迷惑かな。」


「……」


 空は無言。


「もし記憶が戻った時、あんたなんか嫌いだって言われるかもしれないけど、俺はそれでもいい。」


「……」


「もちろん、記憶が戻るように協力する。」


「……」


「結婚…しよう。」


「……」


 俺の言葉に始終無言だった空は。

 最後の俺の言葉の後に、小さく頷いた。


「空…」


 織さんは涙ぐんで空の頭を抱きしめて。


「わっちゃん…空を頼むよ。」


 環さんは、俺の手を握ってうつむいた。


「おめでとう、お姉ちゃん。」


「良かったな、空。」


「やるじゃん、渉。」


 みんなの声を受けながら。

 俺は、どんな事をしても空の記憶を取り戻してやると決心をした。





 * * *




「……」


「あ、ここ使う?」


 洗面所に入ると、母さんが遠慮がちに出て行こうとした。


「…ねえ。」


 あたしは、母さんの背中に問いかける。


「え?」


「あの…」


「何?」


「あたし…」


「ん?」


「……記憶喪失…だったの?」


「…………空?」


 母さんは頭を抱えて。


「ちょちょちょ…ちょっと待って。あ、どうしよう。環!!海!!泉!!」


 狼狽えた。


「いつ!?いつ戻ったの!?」


 母さんは興奮した様子で、あたしの肩に手をかけて揺さぶる。


「えっあっあの…気が付いたら…わっちゃんの車に乗ってて…」


「じゃ、あんた…プロポーズの時は…」


「…戻ってた…」


「もう!!何冷めた顔してたのよ!!わっちゃん、あんたのために必死になってたのよ!?」


「だっだって…照れくさいじゃない…」


「あーあーそうよね。6年も黙ってたんじゃね。どうして秘密にしてたの?」


「…だって…」


「何よ。」


「高校生の時、聞いちゃったんだもん。」


「何を。」


「父さんと母さんが話してるの。」


「…なんて?」


「空には、婿養子をとってもらおうって。」


「……」


 母さんは、あたしをじっと見たかと思うと。


「ぷっ。」


 吹き出した。


「何よ。」


「だって、それで?それでわっちゃんとの事を秘密にしてたって言うの?」


「だって…わっちゃんは婿養子になんて来れないじゃない。」


「今のわっちゃんなら来るかもよ?」


「やめてよ。」


 あたしと母さんが洗面所でそんな事をしてると。


「やっぱり愛の力って…」


 そんな事を言ってる泉と、父さんと兄貴がニヤニヤしながら立ってた。





 * * *



「…は。」


 疲れた。

 予定外のオペと指導が一度に入ると、さすがに疲れる。

 もう歳かな。


 エレベーターに乗り込んで、ネクタイを緩める。

 二階堂家に顔を出そうかとも思ったが、昨日の今日で空も疲れてるはず…と、やめた。



 チン。


 エレベーターが開く。

 ポケットから鍵を出して、玄関の…


「……」


 開いてる。

 今朝、閉めたよな?


「……」


 ゆっくりドアを開ける。

 息をひそめて中に入ると…玄関に見覚えのある靴。


「……」


 リビングに入ると…


「あ、おかえりー。」


 空がソファーに寝転んで…


「…何やってんだ?」


「ナンクロ。」


「……」


 前と同じだぞ…?


「…空?」


 俺が目を丸くしてるのを、空は寝転んだまま見上げて笑った。


「披露宴は盛大にね、わっちゃん。」


「…ああ…」


「あとね、診察してもらわなきゃ。」


「…誰が。」


「あたし。」


 俺は空に近付くる


「…どこが痛い?」


 空は起き上って俺の首に腕を回すと。


「ここ半年ぐらいの記憶がないの。思い出すかな。」


 って…


「…いつ?」


「わっちゃんが、ウサギは大丈夫って。何?ウサギがどうしたの?って。ずっと不思議で悩んでたら、うちに来て…」


「…じゃ、おまえ…プロポーズの時は…」


「カッコ良かったな〜。」


「おまえ…っ。」


 強く抱きしめる。


「わっちゃん…くっ苦しいよ…」


「空…」


「……」


 空が、戻って来た…。

 きっと、あの時の衝撃で…


「…ねえ、今度はここ半年の話を聞かせて?」


 空が笑いながら言った。


「そう言えば楽しい話がある。」


 俺も笑いながら答える。


「何?」


「おまえ、温泉行った時、宿帳に記録してあった俺の名前、こいつは来ません!!って塗りつぶしたんだってな。」


「なっ…」


 空が赤い顔をして、俺から離れる。


「どっどどうしてそんな事…」


「澄子さんから聞いたよ。」


「澄子?澄子…あ!!あの宿の新人仲居!?」


「そ。あと…おまえ、カナールの常連だったらしいな。」


「……」


「いつの間に、俺の行き着けに…」


 嬉しくて…空と額を合わせる。

 ああ…


 空だ…。



 * * *



「……」


 ずっと前。

 わっちゃんに、一緒にカナールに行こうって言われた。

 だけどその時、あたしはそれを断った。

 って言うのも…


 昼間は軽食、夜はバーみたいになるあの店。

 特に深夜は、あたしの大学の同期達が出入りしている。

 以前、同期の飲み会でそれを聞いて以来、あたしは夜には行かない事にしている。

 だから、あたしがカナールに行くのは、もっぱら昼間から夕方にかけて。

 わっちゃんが仕事でいない時間。


 それでも、思いがけずガレージに車が入るのを見かけると、嬉しかった。

 美味しいコーヒーと、わっちゃんの住むマンションと夕焼けを眺めながら。

 あたしは、あそこで一人の時間を楽しんでた。

 危険な仕事と、色んなしがらみから解放されて。

 あたしが、のんびりと時間を楽しめる場所。


 …ま、これはわっちゃんにも言わないけど。



「…結婚式、いつにする?」


 額を合わせたまま、わっちゃんがあたしの腰を抱き寄せた。


「…早い方がいいな。」


「…意外とせっかちだな?」


「せっかちって言うか…」


 あたしはわっちゃんの耳元に唇を寄せて言う。


「独身ナース達のためよ。」



 * * *



「おめでとー。」


 みんなに祝福されて、空はとびきりの笑顔。

 プロポーズから二週間。

 俺たちはコネを駆使して教会で式を挙げている。


「あ、嘘つきわっちゃんだ。」


 泉がそう言って振り返る。


「…その呼び方はやめろ。」


「じゃ、ライアー渉?」


「……」


 泉はいたずらに笑った後。


「お姉ちゃんをよろしくね!!」


 俺の背中を思い切りたたいた。


「いって!!」


 あまりの痛さにしゃがみこむ。


「あはは。泉って力あるから。」


 空が笑いながら俺の腕を取る。


「くっそー…あいつ、いつか倍返しだ…」


「わっちゃん。」


「ん?」


「話して来たら?」


 ふいに空の意味深な言葉。


「誰と。」


「沢渡さん。あたしの記憶喪失騒ぎで、ちゃんと話してないんじゃない?」


「……」


 図星。

 病院でも顔を合わさなくなった。

 無意識ではあっても、思わせぶりだった事…ちゃんと謝らないといけないって思ってたのに…


「あー…」


「あたし、あっちで紅美達と話してるから。」


 俺が渋ってると、空はそう言ってさっさと親族の固まっている方へ歩いて行った。


「…よし。」


 意を決して、病院関係者の集まるテーブルへ。

 沢渡君は佐野君とシャンパン片手に笑っていた。


「あっ、先生。」


 少しだけ頬を赤らめた沢渡君が、俺を見つけた。


「おめでとうございますっ。」


「あ…ああ、ありがとう。」


「…慶子、あんた優しすぎ…」


 沢渡君の祝福の言葉に、佐野君は呆れ顔。


「そんな事ないよ。あたし…彼女には叶わないってよく分かったから…だから、こうして祝福できるの。」


「慶子…」


「先生、あたし、一度ね…彼女に戦いを挑んだんですよ。」


「えっ。」


 沢渡君の言葉に驚いたのは、俺だけではなかった。


「戦い!?」


 佐野君が大声でそう言って、沢渡君の顔をマジマジと見る。


「そ。あたし、先生が好き。あなたがそうやって先生に冷たくあたるなら、あたしが先生を奪うわって。」


「……」


 俺と佐野君は口を開けたまま。

 沢渡君のキャラとは…イメージが…


「そしたら彼女、あたしは一度も冷たくあたった事なんかないって。いつだって真剣で熱いって。そう言った時の彼女の目…すごく強かった。それだけで負けたって思っちゃいました。」


「…慶子…」


 佐野君が沢渡君の肩を抱き寄せる。


「だけど、自分は強がりだから、弱い所は見せたくないから…だからつい生意気になっちゃうんだって。彼女…すごく真剣だった。あたし、同じ女なのに気付かなかった。恋してる人の気持ち…」


「……」


「絶対、幸せにしてあげて下さいね。」


 沢渡君が、なんとも言えない笑顔で言った。

 俺がそれに答えようとしてると。


「何離れてんだよー。」


 甥の希世きよが、空を引っ張ってやって来た。


「こんなにめでたい席で、何で離れてんのかって。イチャイチャして、みんなに幸せ振りまけよ。」


 希世の言葉に空は首をすくめる。


「…おめでとう。」


 そんな空に、沢渡君が優しく声をかけた。


「ありがと。」


 空は…笑顔。


「先生、ちゃんと幸せにするって約束してあげなきゃ。」


 佐野君が俺の肩をバンバン叩きながら言うと。

 空が俺の頬をつねりながら言った。


「あまり無理しなくていいよ。あたしが幸せにしてあげるから。」



 俺の妻は、何とも頼もしく。

 世界で一番愛しく。


 世界で二番目に、可愛い女性だ。






 19th 完





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いつか出逢ったあなた 19th ヒカリ @gogohikari

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