秋の終わり

「水……枯葉……短剣、壁……何だったんだあれは? 魔法?」

 同じ疑問がぐるぐると頭を駆け巡ってとても眠れる雰囲気じゃなかった。目を閉じればあの激しい闘いがまぶたの裏に投写される。

「……」

 短く息を吐き布団を顔までかぶって目を閉じた。あの風景が蘇ってきて再び考えるよう頭が働きかけたが、あきらめたように呟いた。

「明日聞いてみるか……」

 聞いて答えてくれるかどうか自信は無かった。ただあんなものを見せられて説明無しだなんて、とてもじゃないが納得できるものではない。誰だってそう思うはずだ。

 さっきの風景をまぶたの裏からようやく頭の片隅に追いやって眠りについた。しかし、それでも寝付けたのは深夜だったせいで、俺は中々の寝癖とクマを携えて登校することになった。


 今日は見事な秋の天気。ほんのりと暖かい中にひんやりとしたものが紛れ込んでいるような感じがする。

 そんな空気を目一杯吸い込むと、懐かしい秋の匂いがした。

 昨日の事を絶対に聞く。

 階段を一歩、また一歩上っていくうちに固く決意していった。

「おう。津上……また随分なクマで……」

「ああ。おはよう」

 噛み合わない返事を芦原に返して俺は涼の席へと目を向けたが、

「来てない」

 とっさに時計を見ると、時計の針はもう予鈴が鳴りそうな時刻を指している。この時間なら涼は確実に席に着いて俺にまた新しい本を貸してくれている。

「来てないって樋口か?」

「ああ」

「休みなんじゃね?」

 もしそうだったとしたら、昨日の事が原因か。そうとしか考えられない。

「おい、早く席に着けよ」

 固まっている間に予鈴どころか本鈴もなったらしく、芦原もいつの間にか自分の椅子にもたれかかっていた。担任が朝のホームルームを始めようと準備している姿を認め、その場に立ったまま質問を投げかけた。

「あの、先生」

「何だー?」

 担任は名簿を教卓に置きながら目も合わせずに答えた。

「涼……樋口さんは休みですか?」

「ああ。インフルエンザらしい。もうすぐ文化祭だというのに心配だ。お前、見舞いにでも行ったらどうだ? 仲良いんだろ?」

 担任までもが俺と涼の関係を知っていることに関心を持ったのは、たった数秒だけだった。

「インフル? まさか」

 そんな事はありえない。

 席にドカッと着いた俺は頭を抱えた。そんな俺を見たのか見ていなかったのか芦原は、

「まあ、あれだ。治ればまた会えるさ」

 いつもと変わらぬ口調で言った。

 違う。インフルなんかじゃない。それに、もう二度と会えない気がした。

 あんな場面を見られたからもう俺とは顔を合わせられないのか。どうしてそんなことを考える?

「秋……」

 あの激しい闘いで微かに聞こえた言葉を繰り返してみた。

『あなた『秋』なんでしょ?』

 秋ってなんだ。季節の秋で良いのだろうか。何故そんな単語が出てくる?

 また、あの場面が蘇ってくる。

 もう意味が解らない。水や枯葉。あの少女。解らない事が頭の中で回りすぎて混乱している。

 それが一日中頭の中で回っていたおかげで、授業は全く頭に入ってこなかった。


「もう会えないのか……」

 ベッドに寝そべって天井に問いかけても答えてくれるはずは無かった。


 翌日、そのまた翌日。当然涼の姿は学校には無かった。担任やクラスメイトは「インフルエンザなら一週間は休むのが当然だろう」と口をそろえて言う。

 確かにインフルエンザならそうだ。でも、

「違うんだ……」

 心の中の何かが、すっぽりと抜け落ちてどこかへ行ってしまった様に感じてきた。

 周りからも明らかにおかしいと思われ始めているようだ。


 昼休み、俺は涼の姿と、どこかへ行ってしまった心を探すようにふらついていた。

「津上」

 いきなり名前を呼ばれて顔を上げると、そこには二人の女子生徒が。一人は相変わらずきつい眼で、もう一人は心から心配してくれていそうな眼で見つめていた。

「あんた……どうしたの? 最近」

 ツインテールで眼つきの悪い方。相川だ。彼女は両手を腰に当ててため息交じりに聞いてきた。

「ひょっとして涼が来てないからそんな風になってるの?」

 俺は頷く。この二人にまで知られていたとは。

「樋口さん、インフルエンザなんでしょう?」

 相川の後ろに立っていた織田が恐る恐る口を開いた。

「だったらそんなに落ち込まなくてもまた会えるじゃない」

 そのセリフは大勢から何回も聞いた。

「違う……」

 一瞬本当の事を言おうか迷った。

「そうじゃないんだ。あいつは」

 あいつは、自分が超能力使いで、突然現れた少女とトンデモ超自然バトルを繰り広げた姿を俺に見られたんだ。それで、見られたくなかったのか、姿を消したんだ。

 なんていうのは当然言えるはずもなく、

「どこか精神的に参ってるみたいなんだ」

 大体合ってるだろう。

「精神的に?」

 壁にもたれかかって腕を組んでいる相川が繰り返した。

「ああ。ここ最近溜め込んでたみたいなんだ。転入生だから中々馴染めないみたいで。それがこの前爆発して、それが引き金になってもうこんなところ来たくなくなったんだろう」

「でも……」

 と織田が。

「それならそういう風に担任の先生も説明するんじゃないんですか? ただのインフルエンザですよ。すぐ戻ってきますよ」

「いや、俺にはそう思えないんだ……」

「津上……」

「悪いな」

 俺をじっと見つめる二人を置いて俺は教室に戻ってそのまま適当に授業を聞き流した。

 結局、何も考えないまま下校時間になってしまった。一度も当てられなかったは奇跡だった。

 

 日も暮れて冷えてきた下足室で靴を履き替える。この時間はいつものように、帰路に着く生徒や、何をするでもなく仲間同士で駄弁っている連中で賑わっている。他愛のない喧騒を右から左に受け流し、いざ出ようと思っていた瞬間、ある違和感に気づいた。

「これは……?」

 下足室から人の気配が消えた。さっきまであんなに居たのに。一体どこへ?

 辺りを見回しても銀色のロッカーしか見えず、目が回って思わず壁に手を付いて額を押さえた。

 何が起こっているのか全く解らない。どうして人が居なくなる? 何のために?


 ふと、背中に嫌な気配を感じてすばやく振り返った。

「どうも。お久しぶりね」

「な……」

 あの時の静かな口調と鋭い眼。季節はずれの純白ワンピース。あの少女だ。

「いつものと一緒じゃないのね」

 抑揚の無い言葉で話し始めた。

「もう何日も前から学校に来てない」

「そう。余程あれを見られたのがショックだったのかしら」

「……何なんだよ。あれは」

「どうだって良いじゃない。だって……」

 即答して手を自分の胸の前へと持って行った。

「死ぬから」

 その手が俺へと向けられると、バスケットボール大の水の塊が少女の手から飛んできた。

「いっ……」

 すかさず逃げようとした。が、靴の中から釘で地面に刺されている様に足は全く動かなかった。

「ぐあっ……」

 水の塊が俺のみぞおちに直撃し、いとも簡単に後ろの壁へと飛ばされた。

「いてえ……」 

 砂埃が立つ中、ゆっくりと少女が近付いてくるのが解る。

「まだ死んでないの?」

 少女は俺の胸倉を掴むと、空気より軽々と持ち上げ、真っ直ぐ後ろへと投げ飛ばした。

「あっ……」

 下足室のすぐ外の駐輪場へと飛ばされ、何台かの自転車を巻き込んで校舎の壁に激突した。

「意外と丈夫なのね」

「俺もそう思った……!」

 遠くに居るはずなのに彼女の静かな声は驚くほど良く聞こえた。

「でもこれなら……」

 少女の右手に水が現れ、何かを形作っていく。

 短剣か……

 全く体が動かない俺は、ただゆっくりと近付いてくる少女を目を細めてじっと見ているしかなかった。

「あなた、全然力が使えないのね」

「……力?」

 咳き込みながら言い返す。

「だってあなた、『春』なんでしょう?」

「は、春?」

 一瞬彼女は驚いた表情を見せる。が、またすぐに引っ込める。

「知らないの? 自分が。……まあ良いわ」

「おい、なんだよその、秋とか春とか!」

 体中がキシキシと嫌な音を立てるのを聞きながら叫んだ。

「どうだって良いじゃない……」

 静かに、小さく放って少女は短剣を真っ直ぐ上に掲げた。

「さよなら」

 ゆっくりと短剣が振り下ろされる。いや、実際はもっと速かっただろうが何故かその時はスローモーションで見えた。

「くっ……」

 もはや少しも動かない体ではどうすることも出来ず、ただ目を閉じるだけだった。


「…………」

 が、いつまで経っても俺の体が斬り付けられることは無かった。

「あなた……」

 少女の驚愕した様な声が聞こえてゆっくり目を開けると、少女の短剣は、何者かに止められていた。

 枯葉の短剣、ポニーテール、少女と同じくらいの小柄な体。

「……涼!」

 目の奥から何かが溢れて来そうだった。ただ俺はそれを必死でせき止めて叫んだ。

 間違いなく涼だった。どこかに行ってしまった俺の心と一緒に帰ってきた気がした。

「ごめんなさい……」

 涼は小さく呟くと、大きく短剣を振り払った。とっさにワンピースの少女は後ろへ下がる。

「あなたも、お久しぶりね」

 いささか余裕な表情である。

「ええ。そうね」

 それに対して涼も微笑を以って答えた。

「ちょうど良い。あなたを探しに行く手間が省けたわ。さ、一緒に死んでもらおうかしら」

 少女は鋭い目で短剣の切っ先を涼に向けたと思うと、信じられない速さで突っ込んでいった。あの時と同じだ。

「うっ……」

 切り結んだ衝撃で思わず互いに吐息が漏れる。

「あなたを……『秋』を消して『春』も消すわ!」

「『春』って……まさか翔の事を言ってるの?」

「そうよ」

 激しい斬り合いにも関わらず少女は顔色一つ変えず静かに答えた。

「やっぱりあなた……そうなの?……っ!」

 涼の一撃が少女を振り払う。


 少女は深く溜息をついて答えた。

「そうよ。私は『夏』よ」

 今度は夏が出てきた。

 が、涼はそれに困惑することなく口を開いた。

「だったら……どうして?やっぱり負の力なの?」

「だから……」

 少女は自分の胸の前へ手を持っていく。あの水球か。

「涼!」

「どうだって良いじゃない!」

 叫びながら涼へ近付いてさっきと同じ水球を放った。

「ぬぁっ……」

 手を体の前で十字に組んでそれを防いだが、負担は大きい様だった。

「少し喋り過ぎたわ……」

 よろめいた涼に激しく斬り付ける。

「今から消える人にもう何も話す事は無いわ」

「くっ」

 目にも留まらぬ素早い斬撃で涼を圧倒していく。

「これで終わり!」

 地面に倒した涼に素早く寄ってかかり、短剣を振りかざす。

「涼!」

 叫ぶ事しか出来なかった。

「消えて!」

 声がかすれる程叫んで一気に短剣を振り下ろす。

 時間が止まった気がした。目を閉じていたせいもあるが、風の音やその他何の音もしないほど静まり返っていた。


「く……」

 目を開けると、涼の喉元を突く寸前、少女の手はなぜか完全に止まっていた。

「は」

 すかさず少女の足を払い、形勢を逆転する涼。

「もし、もし負の力なら……!」

「やめて!」 

 涼は激しく抵抗する少女の胸に思い切り枯葉の短剣を刺し込んだ。

「おい……おいおい……」

 それ以上言葉は出てこなかった。

 ぐったりした少女に刺さった短剣を、ゆっくり真横に引き抜くと、驚くことにその少女と全く同じ形をした抜け殻の様なものが付いてきた。いや、抜け殻は地面に伸びている方だろうか。

「やっぱり……」

 小さく涼が呟くと短剣もろともその少女と同じ形のものは跡形も無く消え去った。


 しばらく立ち尽くしてから、思い出したようにこちらに向かってきた。

「翔! 大丈夫?」

 言われて体のあちこちを触ってみる。が、

「不思議なくらい何とも無い……」

「良かった……」

 俺はゆっくりと立ち上がって、服のほこりを払おうとするが、途中で無駄だと考え手を止めて地面に伸びている少女のもとへと歩み寄った。

 涼もそれに付いてくる。

 俺はぐったりして全く動かない少女を見下ろして、

「……さあ、一体何なのか教えてもらおうか。あの水とか枯葉とか、春とか秋とか。ついでに昼休み何してたのか」

「そうね……教えないといけないね……」

 涼はしゃがみ込んで自分の膝を枕にして少女を寝かせてから説明し始めた。

「私は……この子も、翔も、何て言ったら良いかな……そうね。季節の化身って言ったほうが良いかな」

「化身?」 

 その中に俺も入っているのか。

「そう。私は『秋』、この子は『夏』、この子の言ってる事が正しければ、翔は『春』の化身ということになるわ」

「たしかにそいつに『春』とか言われたけど……俺は人間だぞ? 小さいころからの写真もちゃんと残ってるし、両親だっている」

 少女の髪を撫でる涼は、答えを続けた。

「……そこが解らない所ね。どうしてそんな事言ったのかしら……でも、初めて翔に会ってから私と似たような感じがしたの」

「へえ……」

「それでね、たまに実態化して皆の声を聞きに降りてくるの。私の場合はイチョウとか、紅葉とか秋風に皆の言葉を運んでもらうの」

「へえ。じゃあ昼休みにどこか行ってたのは……」

 涼は頷いて、

「うん。声を聞いてたの」

 優しい目で答えた。

「それで、皆何て言ってた?」

「……寒かったり生温かったり、おかしいって」

 皆考えることは同じか。

「でも」

 とたんに暗い表情に変わった。

「皆秋なんてどうでも良いみたいで……翔もでしょ?」

「え? ああ。でも、涼が『秋』だったなんて……」

 心のどこかで涼のことは意識していたが、秋という季節は意識していなくて、でも涼は『秋』で……頭がここに来てまた混乱し始めた。しかし、彼女の悩みの種はわかってきた。


「それでね」

 涼は再び話し始めた。

「声を聞いている時に、人の激しい怨みや不満とか、人の負の感情が多すぎてそれが負の力になってそれに飲み込まれるときがあるの」

「それで、その『夏』は暴走したのか」

 俺は涼の膝の上で寝息を立てている少女に目をやった。

「多分そうだと思うの」


「ん……」

 少女の唇が微かに動いて、小さな吐息が漏れた。

 そして、ゆっくりと目を開いた。

「え」

 俺達二人を交互に見て最初に放った言葉はそれだけだった。

「あの……」

 少女はすっかり怯えた様子だった。

「私、どうして……あっ! もしかして……負の力……」

 と、慌てた様に立ち上がって、

「えっと、『秋』に『春』……あの、ありがとうございます!」

 さっきの口調とは全然違う声で礼を言った。礼を言うのは涼の方にしてくれ。俺は何も出来なかった。というより投げ飛ばされた。それよりこの子が『春』と言うから本当に俺はそうなのか。

「ごめんなさい……むちゃくちゃしちゃって……」

 少女は俺の服にそっと触れる。

「いや、良いんだ。大丈夫だから。それで……」

 俺は涼を改めて見つめた。

「これからどうするんだ?」

「そうね……翔が何故自分が『春』と知らずにここにいるのか……それを解決しないと」

 それに続けるように『夏』が付け加えた。

「あの……『冬』の気配が全く察知出来ないんです……それもなんとかしないと……」

「そうね」


 それにしてもとんでもない事を知ってしまった。季節の化身が存在するとは。しかもその中の一人が俺だなんて、とても信じられる話ではない。

 しかし現に俺の目の前に『秋』と『夏』の両方が立っているし、目の前であんな闘いを見せられたらもう否が応でも信じざるを得ない。

 ただ、疑問はある。『夏』が俺達二人の存在を知っていたのにも関わらず、涼は俺が『春』であることやこの少女が『夏』であることに気付かなかった。これにはきっと何かあるに違いない。いつかわかることなのだろうか……

「あの……」

 深く考え込んでいると、『夏』が切り出した。

「私この学校に転入して『秋』……涼さんと……」

 なんて呼んだら良いのか問う様な目を向けてきたので、俺は、

「翔で良いよ」

「あ、はい。翔さん達と一緒に様子を見たいと思います。『冬』の事が心配なので……」

 そういって『夏』は白い歯を見せた。

「それから、私ここでは一條藍って名乗ることにしてるんです」

「あい? 解った。藍ね。改めてよろしく」

 涼は少女、藍と同じ様な優しい笑顔を見せて、

「じゃあ、一緒に帰らない?」

 その一言に賛成して三人で正門を出る時には、普段のように人が多い通学道になっていた。


「もうすぐ文化祭か……」

 誰にも聞こえないように呟いて、俺達はひたすら夕陽の差す通学路を下っていった。

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寒い秋 @mamossan

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