地球の誰もしらぬ手毬唄

西藤有染

とある交通機関の乗室にて

 持って来ていた本を全て読み切ってしまった。2冊もあれば、目的地までの暇潰しには十分だと思っていたが、この様子だとまだまだ時間は掛かりそうだ。携帯端末の充電が切れる事は暫く無さそうだが、肝心の電波が届いていないのであまり意味は無い。こちらにはすぐにでも目的地に辿り着かなければならない理由が有るのだが、そんな事情なぞ関係無いかのように、無情にも時間だけが過ぎていく。ただ待つことだけしかできないこの状況に焦りと苛立ちが募ってしまうが、どうしようもできない。こんな事になるとは思いもしなかった。思わず大きな溜息をつきそうになったが、周りの乗客に配慮して小さく息を吐くに留めた。

 他に何か暇潰しになる物は無いかとバッグの中を探してみると、お手玉が出てきた。こちらに来る前にお婆ちゃんが持たせてくれた物だ。しかし、お手玉をしたところで潰せる時間は限られているし、何よりそんな遊びをするような年でも無い。手持ち無沙汰にお手玉を両手で弄んでいると、突然隣に座っていた女性が声を掛けてきた。

 

「そのお手玉、珍しいですね。中に入ってるの、小豆ですよね?」

「え、あ、そう、ですけど」


 余りに突然の事に動揺し、生返事をしてしまう。そんなこちらの様子を気にせずに、彼女は話を続けてくる。


「やっぱりそうですよね! 少しだけ見せて貰っても良いでしょうか……?」

「えと、はい、大丈夫ですよ」


 そう返事し、お手玉を手渡す。受け取ったお手玉を、彼女は興味深げに眺め、手の上で転がしたり飛ばしたりしている。


「へえー……なるほど……ん?」


 何やら違和感を感じたのか、彼女はこちらを振り向いて尋ねた。


「これ、小豆以外にも何か入ってませんか? 何か、紙? の様な……?」


 中身を見ないで、的確に当ててきた事に驚いた。中には神社で買った御守の中身が入っている。こちらに来る前に祖母が御守として作ってくれたのだ。その事を伝えると、彼女は、まるで宝石を見るかのようなきらきらとした目で、お手玉を見始めた。


「ああ、なるほど! お祖母様の手作りなんですね! うわあ、凄いなあ……!」


 自分が作った訳でも無いが、何となく気恥ずかしい。暫く眺めた後、満足したのか、彼女はお手玉を返してくれた。


「突然声をかけてしまって申し訳ありません。余りに珍しかったので、つい……。お手玉、ありがとうございました」

「いえ、気にしないで下さい。それよりも、よく中を見てないのにこれの中身が分かりましたね」

「私、実は大学で民俗学の研究をしてまして、日本各地の童謡や童歌を集めてるんですよ。その一環で手毬唄やお手玉についても調べてた時期があったので、それでわかったんです」


 何でも無い事のようにそう言う彼女であったが、普通に研究していても、音や感触だけで中身を正確に当てるのは難しいのでは無いだろうか。


「こっちには国際シンポジウムに参加するために来ていたんです」

「ああ、なるほど。ここ最近は、国際会議や学会はこっちで開催される事が多くなっているみたいですね」

「そうなんですよ。最も中立な場所だから国際的な場に相応しい、っていう言い分は分かるんですけど、やっぱり遠いですからね。それに、ここまで来たせいでこんなことになってしまいましたし……」

 

 学者というのは存外しがらみが多いのだろう。彼女の口から愚痴らしきものが溢れ始める。


「でも、私にとってこの状況は最悪とも言い切れないんですよね。なんと言っても、実物の小豆入りお手玉を見る事ができましたから!」


 しかし、お手玉の話題になった途端、彼女の表情がまた生き生きとしたものに戻った。お手玉が本当に好きだという事が、この短時間でひしひしと伝わってくる。


「確かに、この時代にとっては、化石と言っても良い様な代物ですからね」  

「お祖母様の手作りなんですよね?」

「ええ、そうです。祖母が昔の遊びが大好きで、小さい頃に色々と教えてもらったんですけど、その時にお手玉も教えて貰いまして」

「そうだったんですか! もしかして手毬唄とかも教えて貰ってたりするんですか?」  

「一応教わりました、けど」

「宜しければその歌、今後の研究の為に教えてもらえたりしませんか……?」

  

 そう聞かれて、どうしたら良いか、一瞬悩んでしまう。その間を拒絶の意と勘違いさせてしまったようで、彼女の顔が曇ってしまった。


「すみません、急にこんな事お願いするなんて不躾でしたよね」

「いえ、そういう訳では無いんです。ただ、教わった手毬唄がかなり特殊なものなので、研究の役には立たないのではないかと思いまして……」

「特殊なものだとしたら尚更研究のしがいがありますよ! ご迷惑で無ければ是非!」


 恐らく、彼女が想定している特殊性とこちらの言いたい特殊性は方向性が異なっているのだが、それを口で説明するのが面倒だったのと、彼女の熱量に圧されたこともあり、祖母から教わった手毬唄を披露する事にした。


――出口はどっちさ 北さ 

  そっち出てさ セブンみぎ 

  公園へ行ってさ ひーだり 

  こうさてーんをよっつ渡ってさ 

  次のみーちをみーぎに行ってさ

  ひーだり

  まっすぐ

  まっすぐ

  次のかーどでみぎまーがーる


 久しぶりだったが、淀み無く歌うことが出来た。案外覚えているものだと我ながら一人で感心していると、何故か周囲から拍手が起こった。今更ながら、公共の場で歌ってしまった事に恥ずかしさを覚える。拍手の音が収まると、彼女は口を開いた。


「何というか、独特な『あんたがたどこさ』ですね。今まで様々な地域の手毬唄を聞いてきましたけど、ここまで歌詞が異なるのは初めてです。これは研究のしがいが有りそうですよ……!」

「いや、これは地域差とかは多分関係ないですよ。祖母のオリジナルなので」 

「どういうことですか?」

「小さい頃、駅から家までの道が全く覚えられなかったんですよ。それを心配した祖母が、この手毬唄を作ってくれたんです。それからこの歌で何度もお手玉をして、おかげで家までの道を覚えられました」

 

 あの頃は毎日のようにその手毬唄で遊んでいた。家までの道を覚えないといけないと思っていた事も理由の一つだが、何よりも、お婆ちゃんが自分の為に遊びを作ってくれた事が嬉しくて仕方が無かった。


「祖母はその時の印象が強いみたいで、それ以来、何かにつけては御守入りのお手玉を作ってくれるようになったんです。このお手玉も、『あんたが無事に帰ってこれますように』ってくれたんですよ」

「素敵なお祖母様ですね。機会が有れば是非一度お会いしたいです」

 

 彼女のその言葉は社交辞令としてでは無く、心の底からそう願っているように聞こえた。


「それは、難しいと思いますよ」


 彼女は首を傾げた。


「実は、祖母は今危篤状態みたいなんです」


 仕事でこちらに単身赴任している為に、両親や祖父母とは離れて暮らしていた。祖父母の歳が歳なので、日頃から気にかけていたのだが、


「3日前に家族から祖母の意識がなくなったって連絡が来たんです。それで帰省しようとすぐにこの高速船に乗ったんですけど、まさか自分が乗っている船が隕石に当たって難破するとは思いませんでした」

 

 科学が進歩し、惑星間の航行が可能になったとは言え、不慮の事故は付き物だ。最も、それが自分に降り掛かるとは、この場にいる誰もが思ってもみなかっただろう。


「難破してから大分経ちますけど、救助が来る様子は無さそうですし、もしかしたらこのまま地球に戻れずに宇宙を漂う事になるのかもしれないですね」


 半ば諦めたようにそう言うと、彼女は急に立ち上がり、声を上げた。


「そんな事言わないで下さい!」


 突然の事に、周りの乗客たちも驚き、彼女に注目が集まる。それに構わず、彼女は続けた。


「私達は地球に戻れますし、お祖母様の意識もきっと戻ります! こんな素敵なお手玉と手毬唄を作れる人が亡くなって良いはずがありません!」


「お祖母様の御守がきっと絶大な効果を発揮しますよ! 大丈夫です、私達は無事に帰れます!」


「それに、万が一お祖母様が亡くなって、あなたも戻れなかったら、あの手毬唄はどうなると言うんですか! あんな素敵な、家族の愛情と思い出が詰まった手毬唄が、無くなってしまうなんて許せません! 絶対に生きて帰って私が記録します! 地球上の誰も知らない歌になんてさせません!」


 学者とは思えないような無茶苦茶な理論を、感情的に振りかざす彼女に気圧され、船内が静まり返る。そこに、アナウンスが流れ始めた。


「先程、こちらに救助船が到着致しました。準備が整い次第、乗客の皆様の救助活動が始まります」


 その知らせに、先程まで謎の空気に包まれていた船内が一気に喜色に染まり沸いた。彼女も、声を上げて喜んでいた。


「ほら、言ったでしょう? お祖母様のお手玉の効果が出たんですよ!」


 ひとまず無事に地球に戻れそうな事に安堵していると、携帯端末が振動した。メッセージを着信したようだ。救助船のおかげで電波が回復したのだろうか。確認してみると、どうやら祖母の意識が回復したらしい。 


 この手毬唄は、どうやら地球上の誰も知らぬ手毬唄にならずに済んだようだ。


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地球の誰もしらぬ手毬唄 西藤有染 @Argentina_saito

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