第4話――ヒトのスミカ

「ひっ……、ぅぐっ……」


 両手を差し出した助手が、苦痛に声を漏らす。イスにちょこんと腰掛けたその顔には小さな白い布のようなものがいくつも貼られていた。バンソウコウというものらしい。そう教えてくれた先ほどの小さいヒトは、テーブル越しに座ったツチノコの隣でハラハラと助手を見守っている。そして――。


「ほぉら、終わったぞ。えらく派手に転んだんだな。消毒、しみたんじゃないのか?」

「そ、そんなことはないのです。ちっとも痛くなんてなかったのです。私はオサなので」

「オサ? ああ、長女ってことか。ハッハッハ、お嬢ちゃんは我慢強いなあ」


 救急箱にバンソウコウや消毒液を片付けながら、助手の前に座った大きいヒトが笑う。その太い声に似たものを、先ほど港でも耳にした。フレンズと違う低い声。それが性別の違うためという結論になかなかたどりつけないのは、フレンズという生き物がメスだけだからだろう。


 ツチノコは改めて大きいヒトを見た。元々は黒一色であっただろう髪は、所々から白いものが混ざっている。表情を変えるたびに目立つ目元や口元には深いシワが刻まれており、なかなか高齢であることが見て取れた。口もとや顎の下が薄く灰色掛かっているのは、本来そこに生えていたであろう毛をそり上げているからか。ゴソゴソと救急箱の中を整理するその指先は節くれが目立っており、長年酷使されてきたのであろうことがわかった。そして――


「どうしたの?」

「……べつに」


 見られていたことに気づいた小さいヒト――名前はサトルだと、公園からここまでの道中で聞いていた――が、首をかしげてこちらを振り返る。帽子の下の純粋そうな瞳がチラリと光る。


「なんでもない。ちょっと、気になることがあっただけだ」

「そう……わかった」


 そっけない態度で応じると、サトルは寂しそうに目を伏せ、再び前に向き直った。相も変わらず治療の様子を見守るその顔は、真に助手のことを心配しているようだった。


 その助手を手当てする大きなヒト。どこか面倒見が良さそうというか、優しげな雰囲気のある顔は、なぜか自分の横にいるサトルとよく似ていたのだ。なぜだろう。種族こそ共通しているものの、別個体であるはずの二人が似ている理由がよくわからない。もしかすると、同種に見えるだけで実は種族が違うのかもしれない。模様の異なる近縁種のイエイヌを見た記憶がある。それなら大きさの違いも説明がつく。


「父ちゃん。その子、大丈夫なの?」

「んー?」


 父ちゃん、と呼ばれた大きいヒトがサトルに振り返る。


「ああ。消毒もしたし、傷口も綺麗にしたし、もう心配ないだろう」

「ホント!? ホントに? よかったー! 良かったね!」


 嬉しそうにその場でピョンピョンと跳ね回りながら、サトルがツチノコの手を握りしめる。突然のことに手を引く間もなく、掴まれた手を上下に揺さぶられるのをツチノコは見つめることしかできなかった。


 ここはサトルと大きいヒトの住み処だ。公園で声をかけてきたサトルは、どうやら港から着いてきていたらしい。港から逃げ出したツチノコたちを心配して追いかけ、公園の茂みの中に入り込んだ二人が再び動き出したのを見て、意を決して肩を叩いたという。


 怪我をしてる助手を見て、治療のためにも家に来てほしいとサトルは言った。行く宛のない二人は素直に従うことにした。べそべそと泣きじゃくる助手の手を引いて、町の外れの丘の上、大きな畑を抜けたところにポツンと建った一軒家に二人は案内された。港で見たような大きいヒトに出迎えられたときは驚いたが、サトルの話を聞いたそれは優しく迎え入れてくれた。


「まったく、買い物からなかなか帰ってこないと思ったら、女の子を連れて帰ってくるんだからな。それも二人も。我が子とはいえ、サトルも隅に置けないよなあ」

「ちょっ、父ちゃん。そんなんじゃないよ。港で二人が泣いてるのを見かけて、心配で、それで」

「それで追いかけて、怪我してたから家に案内したんだろう? はいはい」


 大きいヒトは読みかけの新聞を置いたテーブルに肩肘を載せ、やれやれといった具合に頬を赤くした小さいヒト――サトル――を見ている。その大切なものを見守るかのような温かい眼差しに、ツチノコはようやく合点がいった。


 二人は親子なのだ。だから顔も似ているのか。


 フレンズに親子という概念は存在しない。動物時代に住んでいた環境が近かっただとか、近縁種だとかで見た目が似ることはあっても、それはあくまで赤の他人同士。サンドスターによって生み出される存在に親も子もないからだ。言うなれば、全員親戚同士なのだ。

 ツチノコは改めて目の前の親子を観察する。二人が親子でサトルが子なら、こちらは親にあたるのだろう。声や印象から想像するに、動物でいうオス――男になるのだろう。


 感心するツチノコの隣に助手が戻ってきた。治療を受けた両手を不思議そうに眺めている。その目もとが少し赤いのは、つい先ほどまで泣いていたからだ。


「大丈夫か?」

「ええ、もう大丈夫です。さっきは取り乱して、申し訳ないのです」


 恥じ入った様子で頭を下げる助手を、ツチノコは苦笑いをするにとどめた。取り乱したのは自分も同じだ。隣に助手がいなかったら、今頃港で一人泣きわめいてたに違いない。


「さて、と」


 大きいヒト――男が膝を叩いてツチノコたちに向き直る。その手には薄い板状の機械――それが携帯電話だというものだと知ったのは、しばらく経ってからだった――が握られていた。ガラス面のほうを指先でなぞると、パッと模様が浮かび上がる。


「そろそろ君たちの親御さんに連絡したいんだけど、電話番号を教えてくれないかい?」

「で、でんわば……?」

「電話番号。おうちに電話しないと、お父さんお母さん、心配するだろう」


 機械に見とれていたツチノコは、不意に耳に飛び込んできた初めて聞いた言葉に、おもわずオウム返しになってしまう。デンワバンゴウ、どういう意味だ?


 助手に助け船を求めるも、どうやら助手も意味が分からないらしい。難しい顔のまま、ツチノコに小さく首を振っている。


 無言のツチノコたちに、男はどうやら別の理由だと勘違いをしたらしい。「そうか」と何に対してか苦笑を浮かべる。


「まあ、こんな時間まで帰らなかったらお父さんもお母さんも怒るもんな。電話してほしくないって気持ちはよく分かるよ。でも、お父さんとお母さんが怒るのは、心配してるからだよ。それだけ君たちのことを大切に思ってくれてるということさ。だから、ほら、勇気を出して電話しよう。私からも二人のことはどうか怒らないでやってくれってお願いしてあげるから。だから、さ、ほら」


 どこか励ますような口調で男は言い、携帯電話の画面を見せてくる。画面には十桁の数字が整然と並んでおり、そのすぐ上の空欄が、二人を急かすかのように一部分を点滅させている。

 こんな不思議なものはジャパリパークのどこにもない。普段のツチノコや助手なら、それがどういう仕組みなのかを見極めようと食い入るように見つめていただろう。だが、今の二人は別の意味で画面を見つめて固まっていた。


 男は自分たちのことを迷子だと思い込んでいる。たしかに、ジャパリパークから人間の住む土地へいきなり連れてこられたと考えれば、それはそれで立派な迷子なのかもしれない。

 だが、ツチノコと助手は男の言う も持っていなければ もいない。フレンズであれば当たり前のことなのだが、それを言ってここで通じるとは思えない。夜目もピット器官も飛行能力も失われてしまった今、彼らの目に映る自分たちの姿はヒトでしかないのだから。


 ヒトとして見てもフレンズとして見ても微妙な現状。もし不審に思われてここから追い出されてしまうということは、この広い未知の世界に再び放置されるということだ。自分の身は自分で守る――フレンズとしてパークを生きる上での掟が、ただにヒトになってしまった自分たちに果たせるわけがない。


 町を駆けずり回った時と違う種類の汗をダラダラ流す二人。何と答えるのが最良か、言葉に窮して黙り込んでいたその時、意外なところから救いの手が差しのべられた。


「……電話番号はないよ。父さん」


 ツチノコはギョッとしてサトルを見た。サトルは思い詰めたように下を向き、服の裾を握っている。


「二人がいたのは、港なんだ」

「港……」


 男がハッとして目を剥いた。携帯電話を懐にしまい、姿勢をただしてイスに座り直す。ツチノコたちに向けられる視線に明らかな憐憫の色が浮かぶ。


「港か。そうか……そうだったのか。すまんなぁ、辛いことを聞いてしまって」


 明らかに態度の変わった男に、ツチノコは困惑して助手を見た。助手も同じように感じていたのかわ同時に目があった。


(ど、どうする?)


 目線で尋ねると、助手はほんのわずかに首を縦に動かした。「今は流れに身を任せよう」ということらしい。


「お父さんやお母さんも港かい」


 そう尋ねてきた男の様子は、心の底から申し訳なさそうだった。


 ということに何かあるらしかったが、それが具体的にどういう意味を持っているのか、判断するための材料が何一つない今、まったく見当がつかない。男の態度の変化から察するに、余程のことを意味しているに違いないのだが。


 あれこれ考えを巡らせるツチノコ。助手も同様に何かを考えているのだろう。質問に対して無言の二人に、男は別の意味に受け取ったのだろう。突然わなわなと口元を震わせたかと思えば、立ち上がり、両手を広げてツチノコと助手を抱き寄せてきた。左右の腕でそれぞれを抱き止め、勢いよく頭をなで回す。


「いいんだ。もういいんだ。もう何も言わないでくれ。……そうかぁ、大変だったんだな。二人ともよく頑張った。えらいなぁ……」


 涙声にハナをすすりながら、男はゴツゴツとした手のひらで痛いほど二人の頭を撫でる。力のあまり、男の手が動くたびにぐわんぐわんと視界が揺さぶられる。


「な、なあっ。分かったからさァ。そろそろ離してくれよ」

「そ、そうなのです。私たちは別に何も気にしてないのですよ」


 二人が抗議すると、男はすぐに腕を離してくれた。すまん、と何度も言いながら目元をぬぐう男を、ツチノコは困惑気味に見つめる。


「あ、ありがと。ところで、さっきの港のことなんだが、一体どういう意味が――」


 その時だった。ぐぅ、と腹の鳴る音が三つ、部屋の中に響き渡った。


「あ……」「う……」「うぅ……」


 ツチノコと助手、それからサトルの三人がお互いを見やった。思えばこちらに来てから数時間、夕方からずっと走り通しだった上に何も口にしていなかった。お腹が鳴るのも無理ない。


「ん、いまのは……」

「すまん。今の、オレだわ」

「私も、お腹がすいてしまって」

「実は、ボクも……」


 音の出所を探して部屋を見渡す男に、ツチノコがポリポリと頬を掻きながら小さく手をあげる。助手も恥ずかしそうに俯きながら自身の腹を押さえる。


「腹がすいてるんだな。よし分かった」


 三人をそれぞれ見渡して、男は大きく頷きながら立ち上がる。


「待ってな。オレが腹一杯食わせてやるからな! サトル! 夕飯ができるまで二人と一緒にいてやってくれ。いいな!」


 言うが早いか、男は部屋を飛び出した。夕飯を作りに台所へ走り去っていく後ろ姿を、残された三人は呆然と眺めるのだった。

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