補遺
家族葬にて式が執り行われた後の報告によって、私達は一人の観測員が死んだことを知る。
彼は隣の席の人間だった。私が電話をとっていない間、彼の声が聞こえてくる。その明瞭な話し方は印象に残っている。滑舌も良い。懇切丁寧。手本にすべきは彼だろうと誰もが思っていたに違いない。彼は電話から流れてくる独白を自白と呼んでいたと思う。
死亡時期は観測地点への訪問調査の時だった。調査の際には必ず音声ログが残される。今やそれは飛行機に積み込まれたブラックボックスであり、彼の最新の声であり、最後の声である。フライトデータではなく希死念慮観測のデータと、パイロットではなく観測員のボイスデータ。航空機におけるブラックボックスという概念は、観測所でも似たような意味で使われる。
こんにちは、希死念慮観測所の者です。こちらで希死念慮を観測しましたので訪問させていただきました。よろしければ、調査をさせていただきたいのですが。
そして轟音がノイズを作ってスピーカーを引っ掻きながら飛び出してくる。
スピーカーの網目を掻い潜って飛んできた音は、目を瞑るくらいの威力だ。
飛行機に乗ったことがあるなら想像してみてほしい。離陸前の猛スピードで突っ走る航空機の中に伝わる振動。着陸直後の振動。とにかく揺れだ。観測所が揺らぐ。どよめきもあるだろうし、驚きだってあるだろう。ブラックボックスの音を聞いた観測員一同はその揺れに耐えることができずに失神する。
爆発事故だった。故意にコンロのガスを充満させ、マッチを擦ったらしい。
そして、私がこうして補遺として書いているのには理由があって、それは私が赴いた観測地点こそが爆発現場だったからだ。
記憶に新しいかもしれないが、私は二人がかりで調査に出向き、ドア越しに銃声を聞いた。そして観測された希死念慮は誤差と判明し、その場を後にした。覚えてるね?
更に、私と入れ違いで観測所を出ていった観測員もまた覚えているだろうか。
その彼は、誤差と判断された観測地点に再び赴いている。
それは言うまでもなく、希死念慮が再び観測されたからだ。
室内の銃声を聞いて、自殺したと判断した我々の見解は間違いだったわけだ。
+ + +
懺悔室でそのことを悔いる。観測は続く。調査は続く。誤差も多発する。そして観測員はやはり死ぬ。一定確率で巻き込まれる。
よくある話だ。
精神の汚染による希死念慮の発生と観測。
よくある話だ。
よりによって観測地点が観測所。
よくある話だ。
希死念慮が自殺願望に悪化。
よくある話だ。
観測員は研究所へと移送。
よくある話だ。
移送途中に自殺を図る。
よくある話だ。
成功するか失敗する。
よくある話だ。
何もかも。ありふれている。
電話から流れ出る呪詛や憎悪は、研究所の機械音声と同じくらいには、やっぱり精神衛生上よろしくない。だから電話越しに希死念慮が感染する例もある。潜伏期間はまちまちだ。だから誰の電話から感染したかもわからない。
或いは少しずつ感染して発生するケース。インフルエンザ予防のために少量のインフルエンザウイルスを投与する。レントゲン撮影による少量の放射線被曝。喫煙や飲酒だって。希死念慮も同じようなものだ。百害あって一利無しという程ではないにせよ、必要以上の摂取は危険だろう?
ただ、件の爆発事故のように、物理的な干渉に巻き込まれることは稀だ。自殺願望に巻き込まれて命を落とした。誰かを救いたいという気持ちはあったのだろう、だから観測員になった。誰しもがそうだ。多分。
トラックに轢かれそうになった子供を突き飛ばし命を落とす。
自らを壁として警護対象の人間から銃弾を守り命を落とす。
火事現場へと果敢に飛び込んで救助を果たし命を落とす。
これらと何が違う?
+ + +
補遺としておきながらここまで長ったらしい補遺もあったもんじゃない。
今日も観測所内で希死念慮が観測された。
観測員が私の後ろに立っている。
こうなることはわかっていた。精神が汚濁に塗れた人間はこんな文章を書いたりはしない。少なくとも、同じ単語、同じ類型、同じような例をこれでもかというくらいに羅列するような人間は、それが作風でもない限りまともではない。
私は小説家ではなく観測員だ。
作風など。
疑問。
私に小説が書けると今ここで主張すれば、この希死念慮も誤差として判断されるだろうか?
希死念慮を持ち、発生させた人間が観測員の場合、大抵は自殺願望になる。ほっといてもそうなる。だから移送途中で自殺などを図ったりする。
漠然とした死に対する念。
死ななければならない気がする。
今この状況下において、死ぬのが最適解なのではないか。
苦痛から逃れる一番の方法は死ぬこと。
死ぬとどうなるか。
何が起きるか。
私に何が起きるのか。
死ぬとどうなるのか。
どう思う?
死は魅力的か?
ああ、私はそう思う。
希死念慮を観測しました。
おめでとうございます。あなたは希死念慮を手に入れました。
どうするかは貴方次第です。このまま自殺願望へと変化させますか。それとも適切な治療を受けますか。またはその心情を否定して生きることを選びますか。そうでなければ、虚構を書き連ねてその希死念慮を発散させるのはいかがでしょう?
観測員としてのマニュアルが私自身を適切に導こうとする。
私は小説を書こうと思うんだ。
その参考として、死ぬってどういうことなのかってのを、考えているところなんだ。
後ろを無視して、鳴り始めた電話を取ってみる。こちら希死念慮観測所です。
それは自殺願望です。番号をご案内しますので、自殺願望研究所へのお電話をお願いします。
電話番号を案内する。
案内された番号を書く。
研究所宛に文章を飛ばし、私はまた電話を取る。今度はこちらから。案内された番号の通りに数字のボタンを押す。
こちら自殺願望研究所です。音声案内。機械音声。ダイヤル操作。
私は「肆」を押してみる。本当によろしいのですかと機械が告げる。機械が。人の声を聞くことなく死ぬことになるらしい。
私は受話器を置く。「肆」を押した以上は、多分研究所の人間がやってくるだろう。
何が補遺だ。
遺すものは無い。
後ろで立ってる観測員に振り向いて訊ねてみる。私が死にたそうにしているのが見える?
「観測した以上は、確かめないと」
大丈夫。ただのプロットだよ。そんな気持ちを込めて答える。
「では誤差ですね」
そう、誤差だ。いいね。良い判断だよ。観測員は去っていき、自分のデスクで電話を取る。
ダイヤル音は今日もあちこちで鳴っている。
理由は簡単。
観測所が一箇所しかないからだ。
希死念慮観測所について 氷喰数舞 @slsweep0775
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