希死念慮観測所について

氷喰数舞

希死念慮観測所について

 観測所は一箇所しか無いため、ひっきりなしに電話がかかってくる。

 電話。

 通報とも言うか。

 報告とも言える。

 自白。独白。告白。

「白」という漢字には、色以外にも「ありのままのことを言う」という意味も含まれている。だから電話口の誰も彼もがありのままを述べる。

 観測員は皆それを自白と呼んだり告白と呼んだりする。

 私は独白と呼んでいる。


 + + +


 希死念慮は自殺願望とは違う。「自殺したい」という思い或いは意志がある以上、それは希死念慮ではなく自殺願望だ。電話してくる人間の大半がそうだ。だから希死念慮について案内することになる人間の量は、電話の向こうにいる人間のおよそ半分ということになるか。

 希死念慮には「願望」或いは「意志」が存在しない。漠然とした死に関する概念であって、自死は含まれてもそれだけということはない。漠然とした死に対する念。電話の向こうの人間はそういう内容を話してくる。それが自殺願望だとわかれば、即座に自殺願望研究所の電話番号を案内するか、そのまま研究所に取次をする。

「死にたいのです」とくれば研究所の電話番号を案内する。

「自殺したい」とくれば電話番号を案内する。

「心中」電話番号を案内する。

 観測所に比べて研究所の数は多く、四十七都道府県全てに設置されている。にもかかわらず取次には苦労する。

 電話口の相手も、こちらが希死念慮観測所であることを知っていながら自殺願望について取り合ってくれないだろうかと電話をよこす。

 要するに研究所の電話もパンク状態で、いつ電話をかけても繋がらない。機械音声が流れ、ダイヤル操作を迫られる。

 訪問研究をお望みの方は「壱」を。

 予約研究をお望みの方は「弐」を。

 それ以外の方は「参」を。

 このまま命をお断ちになる場合は、「肆」を押して下さい。

 取次は精神衛生上よろしくない。この機械音声を数十回聞いた過去のある観測員は、その翌日、研究所に電話をかけて「肆」を押した。

 今までに比べて、電話番号を案内するだけでよくなってきたから、そんなことに見舞われることも少なくなってきたからいいものの。

 繋がらないからかけてきたと電話口の人間が言う。このまま死んでやると脅しをかけてくる。銃声がしたりみずみずしい音がしたり嗚咽や悲鳴が時折流れてくる。物音がして、その後しなくなる。かと思えば誰かの嗚咽や悲鳴がまた聞こえてくる。物音がして、しなくなる。音がして、しなくなる。声がして、しなくなる。

 私は電話を切って、報告を書く。

 自殺願望研究所宛。

 電子の文字が飛んでいく。

 

 + + +


 観測所と銘打ったからには観測をするのが役割である。

 希死念慮を観測したら、私達は観測した地点に出向く。

 インターホンを鳴らして挨拶をする。出ようが出まいが挨拶をする。希死念慮観測所の者です。こちらで希死念慮を観測致しましたのでお伺いしました。

 誤差もある。伺って話を聞いたら自殺願望だったため、研究所の電話番号を書いた紙を渡して去る。誤差は想定の範囲内。気力さえあれば手の届くような距離に観測地点は表れる。こちらで希死念慮を観測致しましたのでお伺いしました。

 言ってしまえば家に押しかけてカウンセリングをするのと何ら変わりない。宗教家がやってきて神を信じるか訊かれたら門前払いするだろう。それと一緒だ。互いの信じるものが一致したときだけ、道は開かれる。あなたは神を信じますか。偉大なる神。尊大なる神。信じますか。

 こんにちは、希死念慮観測所の者です。こちらで希死念慮を観測致しましたのでお伺いしました。希死念慮をご存じですか。

 そうでしたか。それでは、簡単にご説明させて頂いてもよろしいでしょうか。漠然と死にたいと感じませんでしたか。ここ最近です。そうです、最近のお話です。

 心中お察しします。それはそれはお辛い経験をされましたね。

 この時点。相手の話に共感した後。

 神の話を始めるのと、希死念慮について話を切り出すのとでは、ほぼ同等に近い。

 それ以降の応答がなくなる。インターホンにも応じなくなる。ドア越しに銃声を聞いたり、物音がして、しなくなる。そればかりだ。そればかりが続く。

 本質的には、観測したものが果たして希死念慮だったのかどうかを確かめることができさえすればそれでいい。

 よって、銃声がしたり悲鳴がしたりした場合や、物音がして、しなくなったときは、誤差だ。

 彼らは研究所に電話したかもしれないし、しなかったかもしれない。「肆」を押したかもしれないし、それ以外を押して衝動に駆られたかもしれない。

 どちらにしても、自ら死を選び実行した時点で、観測所にしてみれば誤差でしかない。

 調査から帰ってきたら、別の観測員が出ていって調査をする。そして鳴り続ける電話を取る。

 こちら希死念慮観測所の者です。

 申し訳ございませんが、それは希死念慮ではなく自殺願望かと考えられます。

 お手数ですが、自殺願望研究所へのお電話をお願い致します。

 申し訳ございませんが、こちらからお繋ぎすることはできかねます。

 いかがされましたか。

 電話を切る。

 報告を書く。

 自殺願望研究所宛。

 電子の文字が飛んでいく。

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