『忍びなら己の身は己自身で守ってみせろ』


「――――はぁ? 違う世界から来た? その世界に私らもいる? だから私らの名前も知ってた?」


 他にもあいどるだとかどっきりだとかかめらだとか、一応鈴の口から出た情報は一頻り伝えた葵であったが。葵自身もよく解っていないので、それが棗に伝わるわけがない。

 信じられない、というか信じようとしない棗の反応は至極当然のもので。

 だがそれ以前に、棗の逆鱗に触れたのが。


「あーおーいー、お前忍びってことなにペラペラ喋ってんだ? 自分は忍びですとアピールする忍びがどこにいる? ああ?」

「ご、ごめんなさいごめんなさい、ついうっかりして」

「忍びのくせにうっかりとか言ってんじゃねぇ! しかも御丁寧にこんな所まで連れてきやがって何考えてんだぁ? うっかりでもなんでも素性を知られたからにはさっさとその場で殺せよ!」


 案の定、叱咤を受ける葵。

 飛び火がくるのを恐れてか、いつの間にか眠璃は姿を消していた。


「し、しかしですね、棗さん……これまでに例の無い案件なので、念のため頭領の判断を仰いだ方がよいのかと」

「頭領の? あー……」


 棗は屋敷の方を振り返り、二階に位置する部屋の一つを見つめた。

 そして三秒ほどで再び葵へと目を戻し、言う。


「わざわざ〝あれ〟に会わせる必要は無い。よし、今ここでこの棗様が判断してやろう。そうだな、よし、怪しいうえに馴れ馴れしいから殺す。決定」


 数秒足らずで下された裁定は、処刑。

 葵の反応を待たずして、棗は倒れたままの鈴へと歩み寄った。

 気だるそうに屈み込み、これから殺そうとしているその顔を覗く。


「おい、いつまで一人で戯れてんだ?」

「あうぅ、痛たた……もうっ、 なっつん! いきなり避けるなんかひどいよーっ! あたし死ぬかと思ったんだからね!?」


 上半身だけを起こし、威勢よく喚き出す鈴。なにせここ数十分の間に三度ほど死にかけている。


「その馴れ馴れしい呼び方やめろ! お前は私のこと知ってるかもしれねーけど私はお前のことなんかこれっぽっちも知らねーから!」

「あ、そっか、そうだったよね。えへへ、じゃあこれから仲良くしようねー?」


 にっこりと微笑む鈴とは対比的に、棗は冷ややかな瞳で無感情に返した。


「仲良く? ハハハ、そうなれるといいな。だが無理。何故ならお前はこれから私に殺されるからだ」


 棗の懐から光るものが顔を見せる。


「え、えぇぇぇ!? ちょ、ちょっとストップストップッ! なっつーんっ!!」

「うるせぇっ! あ……いや待てよ」


 しがみつこうとしてくる鈴の腕を容赦なく払いのけ、だが棗は何か考え込む様子であごに指を当てる。

 その仕草を見て『棗が思い止まってくれたのだ』と、ぱぁーっと花咲いたように鈴は喜んだ。


「なっつーん、信じてたよー!」


 ――――のも束の間。


「ここで殺ると後始末が面倒だな。屋敷の景観を損ねてしまう。殺して森の奥にでも捨てとけば野犬が勝手に処理してくれるか」


 そう恐ろしいことを本気のトーンで呟き、鈴のパーカーのフードを乱暴に掴んだ。

 ずるずると引き摺り、屋敷を離れる棗。


「うぁぁー……やだよぉー……死にたくないよぉー……っ」


 誰か助けて。といっても眠璃がいなくなった今、その誰かは一人しかいない。

 しかし自ら素性をばらしてしまううっかり具合やめちゃ弱との噂があることから、どう考えてもこの棗に敵いそうにない。だが藁にもすがる思いで「あおい様……」と涙目で訴えた。

 そんないたいけな少女の切な願いはたしかに届いたようだ。


「な、棗さんっ、ちょっと待ってください! この人、鈴はたぶん悪い人じゃないんです!」

「はぁ? 悪い人じゃないったって私らの素性もこの場所も知られたわけだろ? それにどっからどう見ても怪しいし? 異常なほど馴れ馴れしいし? ほーら、殺す条件は充分すぎるくらい揃ってんだよ」


 鈴を殺すことを既に決定事項と捉えている棗は、葵の言葉にまるで聞く耳を持とうとしない。たしかに、棗の言い分は尤もだろう。だが、と葵。


「どんな些細な事でも頭領への報告は必須。それがこの里の掟でしたよね? 棗さん」

「……葵」

「あ、あおいぃ……っ、ぐすっ……」


 救いの手を差し伸べてくれる親友の姿は、鈴の目にとても頼もしく映った。

 そして、棗はしばらく考えた後に。


「はぁ…………わかったよ。ま、どっちにしろ変わんねーと思うけど」


 渋々ながらそれを受け入れる。またしても死を逃れ、いや先延ばしになったというべきか。

 なんにせよ、今この瞬間に殺されることはなくなった。

 

「お前、鈴とかいったな?」

「う、うん……?」


 本当は鈴じゃなくて鈴華なんだけど、と言いたかったがそれを口にすると更にややこしくなりそうだったのでとりあえず頷く。


「その荷物貸せ」

「ううん、そんな重くないし大丈夫だよ。ありがとね。やっぱり優しいんだね、なっつん。このツンデレさんめー! このこのー」

「黙れアホ女。この私がお前の荷物持ちなんかするわけねーだろ」

「へ? じゃあなにを」


 棗は鈴から強引にバッグを取り上げると、僅かな躊躇いもなく真っ逆さまに。

 当然、中身は地面へと散らばった。


「ちょっ、どぅええぇぇーー!? な、なにしてんの!? あたしのバッグー!」


 抵抗しようとするも、するりとかわされ、いとも簡単に背後をとられる。


「まだ死にたくなかったら大人しくしとけよ」

「ふぎゅっ!?」


 そのまま首に腕が掛かり、自由を奪われてしまった。


「こっちが先でもいいか」


 もがく鈴の耳元で、棗はそう呟き。


「え、ちょっ、ひゃぅっ、きゃぁぁーーっ!!」


 荒々しい痴漢のようなものか。全身を余すことなく触られまくった。

 ――――あたし、襲われてる!?

 持ち物をあらされ、身体を好き放題されるという突拍子もない犯罪行為だ。


「はーーなーーしーーてぇーーっ!! なっつんのへんたいーーっ!!」


 鈴が手足をばたつかせようともやはり効果はなさない。十センチほどの体格差だ。いや、力で押さえ付けられているというよりは技術によるもの。

 忍びともあらばそういった心得が備わっているのだろうか。


「んゅっ、な、なっつん……こんなことやめよ? ね? ねぇぇぇぇ!?」


 肌という肌すべてに這わす滑らかな手つき。それに加え、すぐ側には女なら誰もが羨む美貌がある。時折、耳を撫でる微かな吐息。棗以上に完璧な容姿の人間を鈴は知らない。

 …………やばい。うっかりそっちの世界に誘い込まれてしまいそうになる。

 忍びともあらばそういった心得も備わっているのだろうか。

 ごくり、と息を呑む――――ってなにをその気になっているのか、あたしは。

 世界を間違えたといえ、そっちの世界までも間違えるわけにはいかないのだ。

 鈴は懸命に堪えた。

 


「貧相な胸回り以外は特に問題は無さそうだな」

「はぁ……はぁっ……あぅぅ……っ」


 散々カラダを弄ばれた挙げ句、出てきた感想がこれだ。

 唯一(?)のウィークポイントをディスられたのと引き換えに、やっと解放された。

 もはや言い返す気力も残っていない。顔を紅潮させ、その場にへたりこむ鈴華。山道を歩いていた時より、その息は上がっていた。

 呼吸を整えるよう、胸に手を当てる。慎ましくまっ平らに近い胸だった。

 こればかりは頑張っても頑張ってもどうにもならない。牛乳が苦手だからヨーグルトを食べまくってみたが悲しいほどに効果なし。色気に欠ける鈴の中でも一番のコンプレックスである。


「おいアホ女、これはなんだ?」


 しばらくの間、ぽけーっと呆けていて気付くのが遅れてしまった。

 存分に鈴を辱しめた後、棗は自らの手で地面に撒き散らかしたあれやこれやを物色していたのである。

 あんな辱しめをくらった後ではさほど気になどしない。もう好きにして状態だ。どうせ大した物も入っていない。棗が訊いてきたのもそのなんてことのない物の一つであった。


「それはメイク道具だよ。それでお化粧とかするの」


 アイドルはどんな時でも身嗜みに油断しないのだ。

 他には財布やお菓子やお泊まりセット等々。棗の表情からしてやはりこれらはこの世界では珍しいらしい。充電器を爆弾だと疑ってきたり、ただのお菓子を毒だといちゃもんをつけてきたり。財布の現金についてまで訊いてきたことから、ここでの鈴は文無しであるようだ。

 こんな強姦&強盗まがいの仕打ち。そこでようやく察しがつく。これは持ち物検査であると。

 用心深い忍びだ。怪しい物を隠し持っていないかのチェック。ここでの怪しい物とは、刃物などの獲物の類であったり、暗殺に使用されがちな毒といったものである。

 もちろん鈴は、そのような物を何一つとして持ってはいなかった。毒だと疑われ、化粧品を舐めさせられたのには軽くひいてしまった。


「で、これは?」


 最後に棗が手に取った物。白色の薄い長方形の機器。財布には五千円くらいしか入っていなかったので、鈴の所持品の中では価値として最も高いものだろう。


「どっからどう見てもスマホだね」

「は? わかるように言え」

「うーん……これはね、なんていうか」


 スマホ。それは電話にメール、アプリにカメラ、等々……無限に用途のある現代のハイテク機器。これらを一から説明してもよいのだが、まず理解はされないだろう。

 それに電波が無いこの状況では嘘と捉えられてしまう可能性だって否めない。更に充電も切れてしまっているので、もはやただの板きれ同然だ。そこで鈴は。


「えへへ。それ、あたしの御守りなんだー」


 こう言っておけば問題は無いだろう。少なくとも棗たちが言う危険物ではないのは確かである。


「なるほど。ならぶっ壊していいか」

「えぇぇーっ、今の聞いてた!? 御守りって言ってるじゃんっ! 壊れちゃったら守ってもらえなくなっちゃうよっ!」

「フッ、神に祈るとはとんだ素人め。忍びなら己の身は己自身で守ってみせろ」

「あ、あたし忍びじゃないしぃーっ!」

「黙れ。なんにせよ此処に足を踏み入れたからには誰もお前なんか守ってくれねーんだよっ、バァーーカッ! ハハハハッ!」


 殺したくても殺せない、そんな鬱憤を晴らすように。

 棗はケラケラと高笑いを飛ばし、全力で鈴を泣かせにかかる。


「返してぇーっ! あたしのスマホ返してよぉーっ!」


 鈴の届かない遥か上空にスマホを掲げ煽りまくる棗。

 出会って数分たらずで出来上がった〝いじめっ子といじめられっ子〟の構図である。

 返して返してとぴょんぴょん跳び跳ねながら、いじめられっ子は思う――――「私が一体何をしたというのか」と。


「いじわるしないでよーっ、なっつーんっ!」

「だからその馴れ馴れしい呼び方やめろっつってんだろ!」

「やめたら返してくれる?」

「しねぇよっ、バァァァァァァカッ!!」


 その端麗な容姿から放たれているとは思えないなんとも汚ならしい言葉遣いに、哀しくも懐かしんでしまう鈴だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あたし以外みんな忍者! 湖宮巫女 @haku_misiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ