『こういうのは眠璃の分野ですから』

 

 それから歩くこと二時間程が経過した。

 足場が悪い獣道。登ったり下ったり、また登ったり下ったりをひたすら繰り返していた。

 初めの方こそ、新鮮な気分を堪能していたが。やはり生粋のシティガールである鈴に、この険しい山道は過酷すぎたのか。


「ほ~ら、もっとしゃきしゃき歩くの!」

「うぇぇ……はぁ……はぁっ……ね、ねぇ、ちょっと、休憩したくないぃ……?」


 …………くたばりかけていた。


「そう言ってさっきも休憩していたじゃないですか」

「葵ちゃんより体力無い人なんて初めて見たの」


 葵と眠璃は哀れむような視線を、鈴に向けた。

 だが鈴は声を大にしてこう言いたい。二人の体力が異常すぎるのだ、と。

 汗の一滴すら掻かず平然としている葵と眠璃が同じ人間だとは思えない。

 鈴も日頃のダンスレッスンなどで体力にはそれなりに自信はあったが、それでも現役忍者と比べるとその差は見ての通り歴然である。


「も、もう無理だよぉー……一歩も動けないよぉー……オーバーワークは体に悪いからね。適度な休憩をとった方が効率が良いってレッスンの先生も」

「動けないならねむりが手伝ってあげるの~」

「へ? ちょっ、ひっ――――」


 なんとも情けなくふらふらでへろへろな状態で駄々をこねる鈴のお尻に、眠璃は蹴りをかました。

 体が前のめりに、そしてふわっと浮き。


「ひぎやゃああぁぁぁぁーーーーっ!!!!」


 ごろんごろん、と鈴華は急斜面を転がり落ちた。

 バラエティー受けしまくる派手な転がり方だった。だがもし仮にこのような脚本があったとしても引き受けるかは別の話。危険すぎると苦情殺到するだろう。

 …………あとあたしのファンがマジギレする。

 


「あぅ、痛たた……し、死ぬかと思った……なんであたしがこんな目に……」


 ようやく止まった。

 疲労困憊のうえ、土で汚れた衣服。綺麗に整えていた髪もぐしゃぐしゃ。アイドルらしからぬボロボロ状態だ。

 擦り傷程度ですんだのが奇跡である。日頃のレッスンで培った柔軟性に感謝した。


「ほら鈴、あと少しですから頑張ってください。ほら、見えてきましたよ」


 かなり長い距離をローリングした筈だが、既に二人の姿が両脇にはあった。

 さすが忍者。俊敏性は抜群のようだ。鈴の散歩ペースに合わせてくれていただけで本当なら今頃とっくに帰宅していたのだろう。

 感心する反面、それなら最後まで付き合ってくれればいいのにとも思う。

 ついでに心配してくれる様子は皆無だ。さすが忍者。情けは無用といったところか。


 ともあれ、やっと着いたようだ。「あれが忍びの里です」と葵が指差した方へと、涙と土でごちゃ混ぜになった顔を上げる。

 四方を山に囲まれた平地に、ポツンと屋敷が一棟。

 門があり、土塀があり、屋根には瓦が敷き詰められている。まさに時代劇に出てくるような佇まいの建物であった。周りには何もない。

 ゴールはもう目と鼻の先。胸の内には達成感が生まれてきた。やはり何かをやり遂げるというのは気持ちがいい。眠璃に蹴り飛ばされたのも今となっては良い思い出だ。

 もう山は見飽きた。とりあえずお風呂だ。一刻も早くスッキリしたい。

 ふらふらの足取りで、だが確実に屋敷へと一歩、また一歩と足を進めていくと。


 ――――ザクッ。


「ざく?」


 二メートルくらい前に、何かが突き刺さった。

 不思議に思い、それに近付こうとすると、また。


 ――――ザクッ! ザクザクッ!


「ひゃっ!? な、なにっ!?」


 さすがに足を止める。

 さっきよりも明らかに近い位置。鈴の足先三十センチほど。地面に突き刺さった黒い棒――――たしか苦無だ。しかも今度は三本同時に。

 この世界では空から苦無が降ってくるのか。そんな馬鹿な話はない、が苦無警報発令中である。

 ……もしかしてあたし、狙われてる?

 飛んできたであろう方向は目指している屋敷の正面。地面にやっていた視線を上げたところに。

 ――――ヒュッ!

 またもやこちら目掛け、苦無が放たれていた。

 先程までのが脅しだとしたら、この一投は鈴本体を狙ったもの。

 つまり、何もしなければ顔面に突き刺さる軌道である。しかしただのアイドルがこれに対処できるわけもなく、的さながらに反応すらままならない棒立ちの鈴。

 一瞬にして苦無が顔面間近に迫り、ようやく「やばいっ!!」と思考が悲鳴を上げた――――刹那。


「眠璃!」

「ていっ!」


 キィーンッ!

 突如眼前に跳び出てきた小さな体によって、苦無は弾き落とされた。


「お、おお……ねむねむすごい!」


 その後も次々と降ってくる苦無の雨を、眠璃は短刀一本で見事に対処していく。

 漫画やアニメで見たことがあるような光景が現実に目の前で繰り広げられていた。まさかそれをやってのけているのが自分の友人とは驚きだ。

 いつもののんびりとした口調からは想像しがたいほどに、刀の扱い、そして動体視力は漠然ながらすさまじく思える。

 途中、弾かれた苦無が何本か頭に当たって痛かった。

 


「ふぅ~、ようやく気が済んだみたいなの」

「お疲れ様です。眠璃」


 やがてこちらを襲ってくる攻撃が止み、葵と眠璃が歩き出したのに合わせて鈴も続く。


「ねむねむ、めちゃめちゃかっこいい! ホントに忍者だったんだね。あたし見直しちゃったよ!」

「ふっふっふ~。なんたってねむりは世界一強いの!」

「だよね! あんなのあたしの友達で出来る人いないもん!」

「まあそう思ってたのは昔のことだけどね。上には上がいるの。世界は広いの~」

「へぇー、そうなんだねー」


 なにせ複数の世界があるくらいだ。鈴からしてみればここは異世界。異世界といえばファンタジー。もしかしたら魔法とかあったりするのかも、と心踊らす。

 だがちょっと想像してみるも、忍者に魔法というのはいまいちピンとこない。というか忍者とか屋敷とか移動手段が徒歩とか、何かと地味すぎて今のところファンタジー感はゼロに近い。心、踊らない。


 鈴が思うファンタジーとは、魔方陣から光が飛び出たり、翼が生えて空を飛んだり、妖精が話し掛けてきてくれたり――――そういったものだった。

 とはいっても今の眠璃だって相当に凄いのだが、上には上がいると眠璃は言った。忍者ならあれくらい誰でも出来るものなのだろうか。 


「あおいも今みたいなこと出来るの?」

「え? ……こ、こういうのは眠璃の分野ですから」

「ねむねむがすごいのは今見てわかったけど、あおいもやろうとすればできる的な?」

「そ、そうですね……迫ってくる角度や速度、軌道を冷静に見極め、こちらも磐石の体制で対処を試みれば、おそらく不可能ではない……かと」


 自信なさげにそう言う葵。やや説得力に欠けていた。


「鈴ちゃん、察してあげて。葵ちゃんはめちゃ弱なの」

「なるほど。あおいはめちゃ弱なんだね」

「むぅ、眠璃はともかく鈴には言われたくないですっ! まったく反応できてなかったでしょう、あなたは!」

「えー……」


 アイドルと張り合う忍者。アイドル版の葵よりもなんだか可愛かった。

 奇襲に遭った直後だというのに大して緊張感も持たない三人。忍びの二名はともかくとして、鈴までもが能天気な談笑に交じっていた。

 


 して屋敷の手前まで来たところで、鈴はようやくその存在に気付いた。

 門脇の塀の上に立ち、こちらを見下ろす女もまた同じく黒装束を纏っている。

 先程、苦無が飛んできた方向からして、この者の仕業とみて間違いはないだろう。


「――――随分と遅かったな。眠璃、葵」


 明らかに作ったような笑みで口を開く。立ち塞がるように三人の前へと降り立った。

 百七十センチくらいだろうか、女にしてはやや長身。すらっと長く伸びる手足。一際目を惹くのは碧い瞳と銀色の髪。それらが総じて完璧なる美貌を思わせる。


「すみません、棗さん。色々ありまして」


 葵が〝棗(なつめ)〟と呼ぶこの女も、二人と同様に此処で暮らす忍びである。


「色々、ねぇ……ま、報告は後で受けるとして。とりあえず────その女」


 棗は初めて意識的に鈴を視界に入れると。

 先程までの笑みから一変、睨みつけようと目を細めたところに。


「なっ、なっつぅーーーーんっ!!!!」


 葵と初めて会った時さながらに、抱きつこうと棗の胸に飛び込む鈴。

 そう、この棗も葵や眠璃と同じく鈴がよく知る仲間の一人。

 だが忘れてはならないのが、この世界は鈴が暮らしていた世界とは別の世界だということ。

 ここに辿り着くまでの道中でそれを一応ながら受け入れた筈の鈴だったが、感激のあまりかすっかり忘れていた。故に、これは決して再会などではない。

 ――――となれば、どうなるか。

 棗は嫌悪感丸出しに、飛び込んでくる鈴を華麗な動作でひらりと避けた。

 瞬間。そこにあった棗の姿が無くなったことで。


「へ……? ぶふぉっ!? うぅぁぁっ、痛いよぉっ、痛いよぉぉ……!」


 ドグシャッ――――!! 

 鈴は見事顔面から塀に激突した。


「類を見ない程の馴れ馴れしさ……なんだコイツ」


 ごろんごろんと地をのたうち回る鈴に、まるでゴミを見るような視線を刺す棗。


「鈴ちゃんってたぶんアホなの」

「あーもうっ、イカれた言動は慎んでください! もし棗さんの機嫌が悪かったら死んでましたよ!?」

「今ので最高に不機嫌になったから殺すか」


 土を肌で感じている鈴に、次々と辛辣な言葉を浴びせる忍び三人。

 かなしいことに誰一人として、鈴に手を差し伸べる者はいなかった。


「で、コレは? 客人とか聞いてねぇけど」


 鈴をガン無視したまま、棗は葵に問う。尤もな質問である。

 なにせ此処は忍びの里。棗たち忍びは世間から隠れ忍ぶべく、このような山奥に居を構え生活を送っているのだ。よって此処を訪れる者など滅多に存在しない。

 であることから、このゴミ……いや葵と眠璃が鈴と呼んでいた頭の悪そうな女に不快を示す棗に、葵は一から事情を説明した。

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