『もしかしてここって、あたしの知ってる世界じゃないの?』
忍び? つまり、忍者? そういえばさっき忍び装束とか言ってたような。
忍者とか、そんなの私が生まれるずっとずっと昔に存在していたといわれるあれのことなのだろうか。だとしたら、少なくとも私の知り合いにはいない。
てことは…………どゆこと?
「葵ちゃん、忍びが自分のことを忍びって言っちゃダメなの」
「あ、しまった。すみません、つい」
「でもいいの。どうせ殺すんだから関係ないの」
…………ん?
殺すってそんな物騒な。ねむねむったら口が悪いなー。さすが現代っ子。
と、顔では笑いつつも気付かれぬよう少しずつ少しずつ二人から距離をとろうとする鈴華。
その刹那。タンッと地面を蹴る乾いた音。
「……へ?」
鈴華がフェードアウトを図ろうとした先に、なんと眠璃の姿が宙から降ってきた。
ふんわりと、柔らかそうな栗色の髪が目の前で揺れる。
何食わぬ顔で着地を決めた眠璃は目にかかった長ったらしい前髪を直しつつ、言う。
「逃げちゃダメなの」
ねむねむ、さっきまであっちにいたよね? 嘘でしょ。だってありえない。
直前まで葵と眠璃が立っていた位置から今着地した位置までは、おそらく五メートルくらいはある。ほとんど助走も無しに、それも鈴華を飛び越えたそれは普通ではとても考えられない程の跳躍力。
「あ、あたしの見間違いかなー……ねむねむ、今めっちゃ飛んでたような」
「うん。忍びなんだからこれくらい出来て当たり前なの」
「へー、忍びってすごいんだねー。なるほどねー」
…………ってそんなわけあるかー!
鈴華は心中で吠えた。
たしかに眠璃はグループ内でも一二を争うほどの身体能力だ。が、そうはいっても今のは人間のレベルを軽く超えている。
「わかります。眠璃の身体性能には最初、私も驚かされました」
葵が言うフォローもまるでフォローになっていない。ただただ唖然とする鈴華だった。
これが、忍び。
疑いようもない何よりの証拠を実際に突き付けられてしまったことで、まずドッキリという可能性が消え去った。更に空気の流れというか臨場感というか、眠璃が放つ目に見えない威圧が夢の可能性をも否定してくる。
一つ、また一つと。最悪を回避すべく可能性が潰されていき、そしてついに鈴華は覚った。
そう────『今ここに在る何もかもが現実なのだ』と。
だとすれば、どうして自分はこんな場所に? どうして自分の知っている人間が目の前にいるの? そもそもここはどこ?
わからないことだらけの状況。整理してみるとこうだ。
【アイドルが知らない森の中で変な格好をした同じグループのアイドルに殺されそうになってる】
ツッコミ箇所多すぎ問題。こんな意味不明な企画などあろうはずもない。つまり、マジで現実だ。
だが鈴華は案外落ち着いていた。考えることを放棄したわけではない。むしろ逆だ。
葵も眠璃も私のことは知らないらしいが、それでも大好きな仲間であることに変わりはない。二人がいてくれるなら、どんな困難だってきっと乗り越えていける。
そう、この二人に出逢えたことが不幸中の幸いなのである。
――――――――と、思っていた時期が私にもありました。
鈴華を挟んで交わされる二人の会話によって、真の現実に連れ戻される。
「どうするの? 葵ちゃん」
「そうですね、私たちのことを忍びと知られてしまったからには逃がすわけにもいきませんし」
「そっちが勝手に言ってきたんじゃんっ!」
「むぅ……訊いてきたのはあなたの方です」
「だからって正直に答えちゃう葵ちゃんもどうかと思うの」
そう、よくわからないが今にも殺されようとしているのだ。
逃げ出そうにも眠璃のあの身体能力からはとても逃げられそうもない。
と、なれば鈴華に残された選択肢は一つ!
「お願いっ! 命だけはっ、命だけは助けてー! あたしまだ死にたくないよぉー!」
両手を合わせて全力の命乞い。眠璃に、そして葵に。
どんな窮地であっても心は通じ合える。二人ならきっとわかってくれる。今までだってお互い支え合ってきたよね、私たち。
――――が、しかし。
「無理なの。知られたからには死んでもらうしかないの」
「そこをなんとかぁー! あたしなんでもするからぁー!」
「んぅ~、じゃあ、ねむりに勝てたら見逃してあげるの」
「無理! どうかそれ以外でお願いします!」
清々しくも拒否。だってどう考えても勝てるわけがないのだ。
「うぅ……ねむねむはすっごいアホでめちゃめちゃ変な子だったけど優しい子だったじゃーんっ! 思い出してーっ!」
「余計に殺したくなってきたの」
そう呟いて懐から短刀を取り出した眠璃。「ぎゃー!」と悲鳴を上げ、鈴華はビビりまくった。
と、そこに。
「――――眠璃、少し待ってください」
しばらく静観していた葵が待ったをかける。そして続け、言った。
「私たちだけで判断するのは少し危険かもしれません。その人、ちょっとおかしいです」
格好や言動は元より、なにより名乗っていない自分たちの名を知っていた。これを無視するのはどうなのか。
どこからか自分たちの情報が洩れているのでは、という可能性を葵は危惧した。
忍びであるからには自分たちに関する情報はどんな些細なことであっても外に洩らしてはならない、何よりも厳守すべきものであるからだ。
鈴華がこの状況を謎に思うのと同じく、葵と眠璃も鈴華のことを謎に捉えていた。
「頭領に判断してもらいましょう。それで構いませんか? 眠璃」
「うん。葵ちゃんがそう言うならねむりはなんでもいいの。でもそうすると忍びってバラしちゃったこと怒られちゃうと思うの」
「そ、それは……私が謝ります」
「とーりょー? なにそれ?」
リン、リン、と鈴を鳴らしながら、鈴華は葵と眠璃と共に山道を歩いていた。
いまいち事情は呑み込めないが、とりあえず窮地は脱した。どうやらこれから二人が暮らす家へ招待してくれるらしい。
「あたし、こんな山の中歩くのって初めてかも。意外と楽しいねー」
リン、と鈴がまた鳴ったところで眠璃が言う。
「ねぇ、あんたの荷物さっきからうるさいの。鈴の音?」
「えー、良い音じゃない? あたし好きなんだけどなぁ。ほら、ねむねむもよく聞いてみてよ」
バッグを揺らしてみる。中でスマホに付けていた鈴のストラップが鳴った。
「んぅ、言われてみれば良い音のように聞こえてきたの。けどわざわざ自分の居場所を教えるなんて自殺行為なの」
「あはは。でしょー?」
昨日までは妹のように可愛がっていた眠璃にそう言われ、なんだかうれしくなる。
私のことを知らなくて、ちょっと身体能力が高くなっただけで何も変わらない。眠璃も葵も本質的には私の知ってるままなのかも――――うん、きっとそうに違いない。
「あ、そうだ! ねー、ねむねむもあおいもあたしのこと〝あんた〟じゃなくてちゃんと名前で呼んでよー」
「ほぇ? 名前?」
「ああ、そうですね。では、えーと……なんでしたっけ? たしか、すず……き?」
「おしい!」
鈴華の知っている葵は冗談が通じない真面目な子だ。よってこの葵もおそらくボケているわけではないと思う。
改めて名前を教えるというのもなんか変な感じだったが、二人からしてみれば初対面らしいのでそれも仕方がない。
「もう、ちゃんと覚えてよね? あたしの名前は、すず――――」
と、そこまで言い掛けたところで。
「鈴(りん)ちゃん! リンリン鈴を鳴らしてるから鈴ちゃんなの!」
いくらなんでも安易すぎる! 犬に名前を付けるかのように、眠璃が今日一のテンションをもっておかしなことを言い出した。
「ちょ、ちょっと待って。りんじゃなくてあたしは」
「それ良いですね、眠璃。すずなんとかって非常に覚えづらい名前でしたし」
訂正しようとする鈴華を無視し、葵もそれに乗っかる。
「あと一文字だからっ! 鈴華だよ!? すーずーかっ! 勝手にそんな変な名前にしないでよーっ!」
激しく訴えかける鈴華。しかし体を揺らす度にリンリン鳴る鈴の音。
更に眠璃はなんともいえない強い眼差しをこちらに向け。
「でもねむりのことも勝手に変な風に呼んでるの。だから鈴ちゃんは鈴ちゃんなの」
それを言われると強く言い返せない。眠璃の目もまったく譲る気はなさそうだ。
「そういえば鈴にいくつか訊きたいことが」
「もう定着してる!?」
諦めたように、軽くため息をつき鈴華は――――いや、鈴はふと考える。
このよくわからない状況を脱するまでは〝庵鈴華〟ではなく〝鈴〟という名で通した方が安全かもしれない。アイドルにスキャンダルは禁忌なのだ。
「よーし、今日からあたしは鈴として生きるよ! おぉ、これはこれでなかなかイイ感じかも! 生まれ変わった気分だねー!」
いざ口にしてみると驚くほどにしっくりきてしまった。それに勝手なイメージながら忍者っぽい響きのような気もしないでもない。まあ忍者じゃなくてアイドルなのだが。
「鈴ってやっぱり変わってる人ですね」
「でも鈴ちゃんに明日があるとは限らないの」
「なんとか強く生きてもらいたいものです」
一人盛り上がる鈴に、二人分の冷ややかな視線が向けられた。
して道中、鈴は色々なことを訊ねられた。
まず「鈴は何者なのか?」という漠然とした問いに対しては、伝わりはしたものの結局理解されることはなかった。
何故あの場所にいたのか、それも記憶に無いので答えようがない。
その後も正直に受け答えを続けるも、やはり通じる兆しはまったく窺えられない。
どころか話せば話すほど、疑念の眼差しを二人から向けられる。当然だ。この二人が鈴の知っている二人ならば、それはつまり同じ人間が同時に存在していることになってしまう。
「うーん……やっぱりいくら考えてもおかしい……」
おかしい。おかしいおかしい。なにもかも、おかしい…………違う。
かなり前から薄々と考えては否定してを繰り返していたある推論。例えるなら、寓話やお伽噺を読み進めていく感覚に似ているだろうか。
――――おかしいのは、あたし?
そう、今この場で異端なのは葵と眠璃ではなく、庵鈴華の方なのではないだろうか。人を、環境を、状況を疑おうとするよりも自分一人を疑ってしまえばこわいくらいにすんなりいってしまう。
二人が庵鈴華のことを知らないのは、会ったことがないからだ。
逆に庵鈴華が知っている葵と眠璃は、此処にいる葵と眠璃ではない。
だが目の前にいる二人は鈴華の知っている二人と同一人物。間違えようがないくらいに鈴華は皆のことを知っている。だから断言できる。
しかし、同じ人間は世界に二人は存在し得ない――――ということは、つまり。
「もしかしてここって、あたしの知ってる世界じゃないの?」
庵鈴華がアイドルをしていた世界とは違う世界。別次元の世界。異世界。呼び方はなんでもいい。こう考えれば今置かれている状況にもなんとなく納得がいく、ような気がする。
「別の世界とか、嘘っぽいの」
「もしそんなものが存在するのなら、鈴は一体どうやって行き来しているんですか?」
「それあたしが聞きたいよっ!!」
…………急募。東京への帰り方。
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