第五話 医師団がもたらすもの

「今朝の新聞、読まれました?」


 キラール神父は手に新聞紙を持って、病室に入っていった。中はいつも通り、病人で溢れている。


「読んではいませんが、アグネスが教えてくれました」


 患者たちに朝食のオートミールと乾燥された小魚を配り終えたモーガンは、神父の方へ体を向ける。連日、休む間もなく働いているせいか、顔には疲れの色が滲んでいた。


「帝都中の医者が集められ、コレラのための医師団が作れる、でしたっけ? まあ、半年の間に成果なかったら解散させられるらしいですけど」


 神父は肯き、嬉しそうに小さくステップを踏み、右手に持っていた新聞紙を広げた。一面には、大きな文字で『オーヘント2世、ついにコレラ対策に打ち出す』とエルコム語で印刷されている。


「今まで教会がそういった政策を立てることに実権を握っていましたから、かなり大きな決断ですよね〜」

「噂に聞く、気弱な王様がやることのようには思えんがな」


 二人がいる病室に偶然立ち寄った老医師シリウスは、神父の肩から新聞の記事を覗き込み、コメントした。


「まあ、確かにそうですよね」


 神父は納得したように頷く。

 モーガンはエルコム帝国の王がどんな人物なのか知らなかったため、彼らの話に入っていけず、両手に付いたホコリや汚れを払い、持っていた小袋に入っている、患者たちの朝食のあまりの干された小魚を手に取った。


「帝都の病院長や医師たちに今日、王宮に集まって会議を行うようにとの知らせがあるそうですが、シリウス先生も参加されるのですか?」

「いや、いかん。モーガン、儂の代理っていうことで参加してくれ」


 魚を口に入れようとしていた手を止め、モーガンは目を見開く。


「僕が? 代わりに?」

「嫌な予感しかせんからな」

「困ります、私のエルコム語はまだ未熟です。先生も一緒に来てもらわないと」


 モーガンはそう言うと、老医師の服を引っ張り病室を共に出るよう促した。

 病室の扉の前には、貧しい魚屋の女性が着るような、古びたドレスで身を包んだアグネスが立っていた。彼女の両手には大きなトランクが二個、抱えられていた。


「王宮へ向かう準備はできています。さあ、どうぞ。馬車の中で着替えて、身だしなみを整えてくださいね。先生に合う香水も買っておきました」


 そして大きなトランクを、それぞれ二人に一個ずつ差し出した。

 皆、彼女の用意周到さに驚き、賛辞の言葉を長々と述べようとしたが、病院の前にアグネスが頼んだ馬車が到着したことにより、それは叶わなかった。

 老医師とモーガンはトランクを抱えて二人乗りの馬車に乗り込み、病院の修道士や患者たちに別れを告げた。


 そして殺風景な街の道のりを一時間ほどかけて、二人の医師は王都の西に位置する王宮に着いたのだった。



***



 豪華絢爛なバロック様式の王宮前で、小さな馬車は止まった。


「ここは元々、この国で一番大きい大修道院だったんだが、先王が亡くなってからは、王宮と合併したんだよ。まあ、難儀だなあ」


 老医師は大きなため息を吐き、痛む腰を摩った。

 モーガンは過剰なまでに装飾された建物を見上げたが、特にコメントもせず、王宮に入って行った。王宮の真ん中には、豪華な内装には合わない、正装だが汚らしい身なりの男が十数人、天井に描かれたフレスコ画を見上げながら立っていた。

 修道士や貴族でもない、シリウスやモーガンと同じ医者であった。


 カソックに身を包んだ中年男性が、彼らの前に現れる。その神父は一同を宮殿の奥まで案内し、一つの大きな扉の前で立ち止まった。

 その部屋の中で待っていたのは、今の君主───オーヘント二世と彼の姉が、静かに彼らを待っていたのだった。


「皆様よくぞ、おいでくださいました」


 数年前、デンマークへ嫁いだとされる王女がその場にいたことに、国の事情を知らないモーガン以外の人間は、一瞬喫驚きっきょうしたものの、すぐに事情を理解した。


 今回の医師団結成は、この王女が裏で糸を引いているのだ。医師たちは何食わぬ顔で次々にお辞儀をし、挨拶を述べた。そして、それぞれの席につき、人形のように微動だにしない王ではなく、不敵な笑みを浮かべる王女の方を見、彼女の言葉を待った。


「皆様にこうしてお集まりいただいたのも、今回この国で猛威を振るう『コレラ』を収めて欲しいからでありますわ。

「本来、こういったことは教会が行ってきました。しかし、今は科学の時代。ブリテンでは数々の新発見がなされており、機械が開発され、この国だけでなく世界中に大きな影響を及ぼしております。

「一方、我が国はどうです? 古き伝統を重んじる教会が権力を振りかざし、教理に反する真実は消し去られる。このままで良いとお思いで? いいや、断じて違う。私たちは世界に遅れを取らぬよう、そして民を救うため、今こそ変わらなくてはならないのです!」


 ハシバミ色の瞳を輝かせ、意気揚々と語る王女の姿に、皆が「この人が君主だったならば、どんなに良かっただろう」と思い、想像した。そして、未だ口を開かない少年王を見ないようにした。


「そのためにも、私たちはあなた方の力をお借りしたいのです」


 先ほどまでの雄々しい姿を潜め、朗らかに王女は微笑む。医師たちはお互い顔を見合わせ、何も言わずにただ頷く。集まった医師たちに、医師団の結成への異論はないと判断した王女は、さらに言葉を続けた。


「半年という限られた時間しか与えられませんでしたが、どうか皆様には今までの経験と知識を活かし、コレラへの対策を立てていただきたいと考えております」


 そして王女は医師たちに、自由に議論する機会を与えた。彼らが持っている有意義な情報を交換し、より迅速に事態を収束し、より有効な政策を立てるためである。


 初めに、眼鏡をかけた恰幅の良い男が挙手をし、発言した。


「コレラの治療には、やはり患者を一箇所へ隔離することが一番有効だと、私は考えます」


 この医師の発言により、彼らはより言葉をあげやすくなったことは確かである。眼鏡の医師の意見に、別の痩せこけた男が賛成せず、自身の考えを述べた。


「私は瀉血が一番良いと思うがね。伝統的な治療法だ」


 皆が先ほどまでのアンナ王女の演説を忘れ、己の知識欲をひけらかし、自分がいかに正しいかを示そうと必死になっていた。

 彼らが語る治療法の多くは、今となっては酷く迷信めいた、主観と感覚に基づいたものであったことが分かる。


 そして結局、会議からは何一つ、成果は得られなかった。


 権力を維持し続けたい教会や貴族にとっては、この上なく喜ばしいことだったが、なんとしても王族に権威を戻したいアンナ王女、そして自分の偉大さを自慢することではなく、純粋に患者の命を救いたいと思う医師たちにとっては、屈辱的なものであった。

 患者を救うこと、そしてコレラを解明するという強い意志で、異国に移り住んだモーガンにとっては、さらに辛いものだった。


 医師団の初めての会議が終わり、東部地区の病院に帰る道中、モーガンは項垂れ、譫言のように呟いた。


「彼らは、正しいかどうか分からない方法で、患者を治療することに疑問はないのでしょうか?」


 その後、医師団の中には特に何も進展は見られなかった。医師団を率いているかに見えた王女が国に帰らねばならず、また初めの会議での苛立ちを医師たちが忘れられずにいたことが、主な原因だと思われる。


 その日、帝都だけでも死者は一万人にまで上ったとされている。

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