Dollsー世界の終わりに踊る人形――
柱木埠頭
薔薇
僕が忘れられないひとは、倉庫の中で眠っていた。
空調機能の故障に気づくのがずいぶん遅れてしまって、分かった時にはレッドアラート。普段は倉庫の照明は切っていて、出入りしないことも災いした。なんとか全機能を復帰させたが、念のため、僕は長いこと扉を閉めたままだったその場所へ、向かうことにした。
倉庫の中は、まだ換気をし始めたばかりで、空気が淀んでいる。一度ちゃんと手を入れて、隅々まで掃除しなければならないかもしれない。古い紙の人形に、何に使うかもしれない水晶の球体。黴の生えそうな絵画に、美術的価値が有るのか分からないぬいぐるみ。雑多につめ込まれたすべては、祖父が集めたものだ。
この家は祖父が造り、幾度かの改装を経て、僕に遺された。ひとり暮らしをするにはあまりに広すぎであるために、この倉庫のように、ふだんは明かりも灯さない、最低限の維持だけに留めている箇所も少なくない。
だからその日、僕がその人形を見つけたのは、もしかしたら運命のめぐり合わせというものだったのかもしれない。
「うわ、すっごい埃」
脳内で危険信号が点滅する位、静かに降り積もっていた埃が換気機能の回復によって巻き上げられ、悲惨な状況を作っていた。暗がりの中、ひらひらと舞っている。
「ん?」
その埃の膜の、向こう側。ソファに吸って、瞼を閉じた少女が居る。一瞬、まさか誰かがここに住んでいたのかと錯覚して、いや、それにしてはおかしい、と思い直す。
触れてみて、分かった。
「人形……」
そう、人形だ。
精巧に作られた、人間にしておおよそ十六歳程度の少女を模した――人形。彼女のことを、僕は知っていた。
「そうび」
薔薇の名を与えられた――踊る、ロボット。
随分前――祖父がまだ若かった頃の話だ。
当時、家庭内にオートマチック化が広がり、肉体労働の四文字が徐々に人間から消えていった時代、とある娯楽用ロボットが一世を風靡した。流行の象徴となり、その後シリーズ化されて定着していったそのロボットは、『踊り』に特化されていた。
日本舞踊を得意とし、つややかな黒髪と勝ち気そうな眼差しが印象的な舞踊
『バレリーナ・ダンスロイドそうび』
愛らしいその姿と美しさからダンスロイドブームを巻き起こした彼女が、祖父の倉庫の中で眠っていた。淡い緑色の髪には埃が積もっていたが、悪い扱いを受けていたわけではないとひと目で分かった。長期保存用の処置が施されている。
ロボット用の浄化室は、祖父が成人する頃にはスタンダートなものになっていた。この家にも当然あって、そうびはぴかぴかになって帰ってきた。
「かわいい」
ぽつりとひとりごとをしてしまう位には、可愛い。
耳の上で結ばれた緑の髪は、蔦の様に肩を過ぎ、胸のあたりで薔薇の形に編まれている。おおぶりなイヤリングにも、スカートにも、薔薇のモチーフは散見されていた。
薔薇と言うと、刺のあるいきものだが、そういう誇り高さよりも、ひたすらに、蕾のような愛らしさばかりが目につく。
物言わぬ、舞踏人形。うなじの人工皮膚に覆われた蓋を外して一本、それから、人間でいうところの肩甲骨の真ん中、臀部、額、胸部、腹部にも繋いでいく。ともかく旧式で、そのうえ各部位の機能が不全となっていて、死んでいる回路を迂回しなければならないので、予備の予備の接続端子まで使う羽目になった。
その甲斐あって、メインシステムにアクセスすることが出来た。僕からすれば、文字通り埃を被った古びた技術であるが、基本的なシステムは後継機にも受け継がれていったから、手間取りはしたが問題なかった。
画面に映し出されていく状態を、確認していく。エネルギーを補給して、眠り姫を起こすには何が足りないのか、と思案する。殆どの機能は停止している上、なぜか、『ダンス』のデータが削除されている。
祖父の仕業だろうか。
踊るロボットから、踊りを奪うだなんて、そんなことをする意味は、何なのだろう。ひとつひとつ機能をチェックしながら、謎ばかりに行き着いて、戸惑う。
「――ロックされている」
主要機能のほとんどが、強制停止状態にある。幾つかの部品も破損していて、これでは機体を動かすことはできないだろう。
少し考えて、――正解を探ることを放棄する。祖父がしたことだ。何か、意味があるだろう。
祖父が死んでから、ひとりきり。毎日繰り返される習慣の中に、謎解きなんてものはない。本を一冊ずつ読むことだけが、唯一の趣味だった。外出にそれほど興味はない。外に出ても――意味は無い。
祖父は僕に、自由に生きろと言った。
けれど、自由という言葉の意味を、僕はわからないままで居る。
「メインシステム、最終チェック……クリア」
ひとまず、彼女を起こしてみよう。
きっと、退屈しのぎにはなるはずだ。彼女の歌を、聴いてみたい。孤独の無聊の慰め、とでも言うのだろうか。愛されるために造られた、踊る人形。
「そうび、おはよう」
人間を模している瞼は、何度か閉じ、開きを繰り返して、ようやく硝子の瞳を露わにした。碧玉のような輝きは、ひとの眼とやはり違う。
それでいて、人造の美しさが魅力的だ。
「――慎一郎サま?」
最初の声は、祖父の名前を意味していた。
「おはようごザいまス」
少し乱れた、鈴を転がすような声。にっこりと微笑む彼女は、僕を祖父だと思ったらしい。僕は、『慎一郎サま』じゃない。――とその笑顔には、言えなかった。
こうして僕と、そうびの暮らしが始まったのだった。
「慎一郎サまー!」
書斎で日課である読書に励んでいると、足先から振動が伝わってきた。自動ドアが開いて、乗り手が心地よいように、と綿密に計算されて作られた車椅子が滑りこんでくる。祖父が晩年使っていたものだ。
外見は、ほとんどソファ。
病人に見えない所が良い、と言っていた。
「どウして、動けないンでスかー?」
書斎の古い紙と、機械の群れをかき分けるようにして、そうびが話しかけてきた。その顔には悲しげな表情が浮かべられている。
「言っただろう」
僕は、本を置いて告げた。
「君は今、故障している。左手指と首から上、表情再現機能だけが働いている。そうびができるのは、話したり、歌ったりということだけだ」
「それは、」
悲シイです。というのに、僕はこっそり、拳を握った。
踊ることができない舞踏人形に、何の価値が有るのか。僕の理性はそう訴えかけてくる。祖父がいなくなって、ひとりで生きていく中、僕はいつでも理性に従っていた。機械的に、過ごしてきた。
そうするのが望ましいと思ったのだ。
独りはとても、さみしいから。
「デは、カスタマーせんたーに問い合わセします」
勢い良く言った彼女に、どう返せばいいのかわからなかった。カスタマーセンター、故障や不具合が発生した際にそちらへと連絡することは、ダンスロイドの基本機構である。
翡翠色の瞳に、数字が浮かび上がった。問い合わせ中である証拠だろう。
しばらく時間が掛かるだろうことを見越して、再び本を開く。
この書斎には、本当に数えきれない程の本がある。データ化された電子書籍のみならず、祖父の世代にはすでに時代遅れとなっていた紙の本、物理書籍も数多く保管されていた。活字中毒だからね、と彼は笑い、ほら、これが面白いよ、と非現実な物語を手渡してくれたのだ。
ぴぴぴ、という音をBGMに、僕は読書に没頭していく。
十分二十三秒後、アのう、という控えめな声が届いた。
「カスタマーせんたーにつナがりません!」
だろうと思った。
「ここ、電波状況が悪いから」
ええええ、と情けない声を上げるそうびは、悲しげに眉を下げていた。僕はぼんやり、外の景色を眺める。鳥が空を飛んでいた。
窓の向こうに、足を踏み出していく必要性を、僕の理性は覚えない。
「そんなァ」
これでは、踊れマせん。と悲しげに呟く彼女の声を聞きながら、鳥の行き先に思いを馳せた。今まで、そんなことを考えたことは、なかった。
踊れない、バレリーナ。
プログラム通りにひとを愛する、その無邪気な姿は万人に愛されたという。その後、彼女の後継機はひとにとっては無くてはならない存在となり、――祖父もまた、そうびを愛し、慈しみ、多くの記録に残した。
彼女は知らないのだ。
祖父がもう亡いことを。ダンスのデータがごっそりと失われていたように、彼女の中にある祖父との記憶も、損傷が激しい。
「慎一郎サま」
本の上に手を重ねて、僕が眺めたいくつもの記録映像を思い出した。
若かりし頃の祖父が、少女と歌い、踊るシーン。彼女はダンスが一番得意だが、歌にも優れている。歌のデータはほぼ欠損がなかった。いつか、歌って欲しいと願う時が来るのかもしれない。
「慎一郎サまは、本がお好きナのでスね」
「――ん、ああ」
身体を動かす事ができない、ただ、指先で車いすを操作するしかないそうびは、興味の対象を僕へと移したらしかった。違う、僕じゃなくて、慎一郎サま、だ。
「すきだよ。たぶん」
祖父はなんて、言っていたっけ。
「言葉は、時を超えるから」
「時を」
「それから、空間も」
変わらないものなんて何一つないけれど、それでも言葉は変遷を重ねながら、何度でも、ひとの手に立ち戻ってくる。
「もしかしたら人間は、言葉という病気に乗っ取られているのかもしれない。ひとは言葉を運ぶ器か、培養するための装置なのかもしれない」
言葉は闘争する、言葉は潜伏する。最も生き延びていくものは、変化するものだ。そうして、進化するものだ。言葉は変化する。受容する。そうして、進化していく。だから言葉は、この世界でもっとも生存を約束された存在なのかもしれない。
「じゃあ、歌は、なンなのでシょうか」
「歌?」
つらつらと考え事をしていたら、不意にそうびにそう、尋ねられる。歌、歌は、どうなのだろうか。
「歌はその、言葉の、詞の意味がわからずとも、魂に訴えかけてくるものであると、慎一郎サまはおっしゃっていましたね。身振り手振りで、言葉が殆ど分からない時ですら、ともに笑うことができるとも」
そうびは一生懸命、彼女なりに考えて言葉を紡いでいる。
古いシステムを使っている。劣化もしている。それでも、一生懸命に。そんな彼女を一言で表すなら、いじらしい、のだろう。
「私の歌は、プログラムです」
思わず、目を見開いた。
天真爛漫さが売りである彼女が、そのような言葉を放つとは、到底思えなかった。歌を、プログラムだと。確かにそうであるのだけれど。
踊るロボット、ダンスロイドはその前身のひとつに、歌うソフトが上げられる。正確には、歌わせることができるソフト、だろうか。そのソフトには種類ごとに名前と
彼女たちは(男の名と声、容姿を持つソフトもいるので、一様に、とはいかないが)歌姫と呼ばれた。ライブがあり、多くの人間がつめかけた。彼女たちは永遠に欠損の生じない存在である。人間のように、年老いもしない存在である。だからこそ、一瞬に価値はないはずだ。十年後でも、彼女たちは同じように歌うだろう。
それでも、ひとはデータの塊に、人間性を見出した。
「ソれでも、想いを伝えるコトができると、信じていマす」
それは、
それは、祖父とのささやかな思い出がそうさせたのだろうか。あるいは、かつてひとがそう考えたように、大切にされた物に宿るという魂の存在を、信じているのだろうか。
僕には分からない。
「――そうび」
どうしたらいいかわからない、ということは、あんまりなくて。
ただ、淡々と昨日を繰り返すばかりの時間を送っていた。
「そうびは、歌が、すき?」
「はイ!」
元気よく返事された。毛先がくるくると、薔薇に編み込まれたツインテールが揺れる。美しい容姿。可憐な、声音。
ひとを愛し、愛されるために造り出された存在。
「慎一郎サまは、本がすき?」
「うん、すきだよ」
今度は、たぶん、をつけなかった。それだけで、そうびはころころと笑う。ふっと、一つの光景が蘇った。
記録の中の、そうびの姿。
くるくると踊り歌う彼女は、トゥシューズがよく似合っていた。正確無比な足取りとは正反対に、あどけなく微笑して。楽しげに囃し立てる祖父は、子供みたいだった。
「慎一郎サま?」
はっと、思考の沈殿から引き上げられる。
心配そうな顔。時折しゃがれる声で、「ドうかなさいマシたか?」と語りかけてくるのに、なんでもないよ、と返した。
そうだ。なんでもない。なんでもないんだ、こんな気持ちは。
「バイタルサイン受信機構が停止シておりマす。身体の判断は専用ノ機器に委ネ……」
「いや、体調も大丈夫だよ」
今のそうびはほとんどの機能は停止しているから、使うことはないが――何度か
不安そうに揺れる眼を伏せてから、ふっと、顔を上げた。
「何かあったラ、すグにおっしゃってくだサいね。慎一郎サま」
表情再現機能、頸部操作機能、音声発震機構、手腕操作機構。最低限の筐体操作と、情動プログラム。それが、彼女に今許されているすべてだ。
そうびは、人間じゃない。
「――だいじょうぶ、だよ」
その優しさはプログラムで、その声音はシステムで。かつてはあんなにも楽しげに踊っていた、その事実のほとんどが、摩耗している。記録すら、欠いている。
それでも僕は、彼女を起動させた。
独りはとても、さみしかったから。
「慎一郎サまは外にデられないのデすカ?」
彼女がついてくる。
「行く必要はないから」
僕は先を歩く。
「……」
廊下には、祖父が選んださまざまな品物が並んでいる。数えきれないほどの絵画、書斎からあぶれた本、記録、流れ続ける立体映像。それでも、車椅子での移動を余儀なくされていた祖父のために、ゆうゆうと進んでいけるだけのスペースは設けられていた。
僕は祖父が亡くなってからも、それらを変えることなく過ごしていた。
必要性が無かったからだ。
そう、理性で決めたのだと、信じている。
「そうび」
静かなこの家に、歌も、踊りもない。それをもたらすはずだった彼女は、踊れない。声も、裏返ったり、時にはしゃがれたりもして、酷く不格好だ。元の声音が美しいだけに、尚更に、無様だ。
「君は、外に行きたいと思う?」
祖父は死ぬ間際、君が望むのならば、自由に、外で生きなさいと言った。誰かのぬくもりを、自分以外の他人と触れ合うことを、僕が独りで生きていかないように、と願ってくれた。
でも、僕の理性は、それを求めなかった。
望まなかった。そのくせ、寂しがった。
「私は、」
車椅子に乗った舞踏人形は、告げた。
「私は、慎一郎さまのおそばに」
そうびは機械だ。表情は、想いは、すべてプログラムなのだ。喜びも悲しみもすべて、あらかじめ設定されたものなのだ。なのに、なぜ、なぜ。
祖父は、孤独な身の上のひとだった。
妻もなく、子もなく、居るのは、孫と遇する僕だけだった。
だから、死に水を取ったのも、僕だ。それが、幸せなことであったのか、僕にはわからない。静かになっていくバイタルサイン、二十一グラムだという魂。
あのてのひらの温かさをずっと覚えていたとしても、それが優しさであったのか、尋ねて答えてくれるひとは、もう居ない。
居ないのだ。
慎一郎は、僕の祖父は、もう居ない。
僕はひとりになった。ずっと、ずっと、一人ぼっちで過ごしていた。
声が聴こえる。
階段に腰を下ろしてぼんやりとしていた僕を、慰めるような歌が響いている。そうびの歌声は、時折淀みながらも、いびつでも、本当は美しかった。今まで聴いた歌の中で、二番目に心に残る、声だった。
うたう、歌う、謳う。
人間ではないから、機能が許す限り、歌い続けることができる。酸素ではなく、電力で再生される声音は、だからこそ自由で、だからこそ不自由だ。本当は、歌うという表現ですら、正しくないのだ。
それでも僕は、そこに心を見出したいのだと、――気付いてしまった。
「そうび」
小さく呼んだ。
「そうび」
今度は、もう少し大きな声を出した。彼女は気付いて、歌を止めた。少し、惜しいと思う。階段から腰を上げて、彼女の後ろに立った。少しだけ自由になる首を動かし、こちらへと視線を投げかけてくるそうびに、僕は問う。
彼女が現れてから、何度、質問しているのだろう。思い出せばわかるけれど、僕はただ、そうびへと意識を注いでいく。
「踊りたい?」
薔薇のイヤリングが、揺れた。
「ハい」
なんとか半分だけ振り返った彼女は、悲しそうに笑う。望んでいるのに、できやしないことを分かっている顔だ。物分りの良い少女の、寂しい微笑だ。
これが機械であると、機械だから心も魂もないのだと。誰が規定したのだろう。
心とは、なんなのだろう。
そんなに大切なものなのか。
「とテも……」
僕は彼女を、家の中庭に連れてきた。天井がガラス張りになっていて、いくつも照明が輝いている。土と緑、風さえ備えられた、小さな自然空間。
かつてここに、僕は祖父を葬った。
「彼はね、薔薇がとてもすきだったんだ」
携帯端末機から、うなじと肩甲骨の間、それから胸部にケーブルを挿しこんでいく。死んでいる回路を迂回し、時に代替し、出来る限り、在りし日のように、機能を再現していく。
時間はかかった。
けれど僕には、沢山の時間があった。
「……」
「薔薇って、棘があるだろう?」
端末に表示されるそうびの内部データとにらみ合いっこしながら、そうびに話しかける。返事はない。彼女は今、停止しているから。
そうびが動く気配、声、歌わないだけでこんなにも、世界は静まり返るらしい。
「改良されて、棘のない品種だって、この庭にはあるんだよ。だけど彼は、棘のある、原種の薔薇が一番いいって言ってね」
打ち込んでいく。
必要なデータ、彼女から既に失われて久しい、踊りのための記録を。
僕が知っている、そうびのダンスを。
「それってさ、やっぱり」
彼女を目覚めさせるエンターキーを前にして、少しだけ躊躇った。
「本物の方が、良いってことかな。血のつながりなんてない僕じゃ、ダメだったのかな。彼の死を看取るには、偽物過ぎたのかな」
くだらない感情だ。それでも、僕は彼が最期、どうかさみしくなかったのだと、教えてくれたら良かったのにと思う。
眠るように逝ってしまった、僕の家族。
「そうび」
カチ、と音がして、ケーブルが外れていく。自動で人工皮膚の蓋が閉じて、彼女は目を見開いた。
翡翠色の瞳。長いまつげ。幼い風貌に、淡く色づくくちびる。薔薇色の頬。新緑の乙女は、ゆっくりと車椅子から立ち上がりよろよろと、二、三歩歩いた。
「わァ……」
キィ、と少し軋む音がする。長くは保たない。部品も破損し、欠損し、あるいは金属疲労を起こしていた。きっと、気付いているだろう。それでも、嬉しそうだった。
「ウごきマす……!」
揺れる、揺れる、二つ結びの薔薇の髪。繊細な指先は、青く塗られていた。
その手をとって、懇願する。
「踊って」
祖父の墓がある。
「ここで」
彼女は驚いて、僕を見つめていた。他でもない、僕を見つめていた。
「そうび」
どうか、名前を呼んでくれるな。それは祖父のものだ。僕のものじゃない。あなたを愛した、そのままに亡くなった、たったひとりの男のために。
歌が響く。
人工の風、人工の輝きの中、緑にあふれた中庭で、ひとりの少女が踊っている。その歌の題名を僕は知らない。知らないままでいいと、思った。
くるり、くるりと。
僕は気付いていた。そうびの機体は保たないのだ。だから、祖父は彼女から、あらゆるダンスのデータを削除していた。もしも僕が目覚めさせてしまった時に、踊らせないように。
うたう、歌う、謳う。
君だけの歌だ。そうび、ひとに造られた、ひとに愛されるためだけに生み出されたロボット。その声は再生されたもので、再現されたものだ。だとして、そこに魂が宿らないだなんて、誰に言えたのだろう。二十一グラム。そんなもの、いくらだって、何にだって、補えるだろう。
ふわり、髪が舞う。シャン、シャン、とイヤリングが鳴って、髪を結んだリボンの両端が、縺れていく。薄手の生地を重ねて、薔薇を模しているスカートが、ふわりふわりと膨らみ、閉じて。
知らないままなら良かった。
「そうび」
頬に伝っていく冷たさも、音を立てて、歌いながら近づいていく別れも、すべてすべて、知らなければ良かったのだ。僕の理性が、責め立てていく。
キィ、と彼女の機体が、悲鳴を上げた。
次の瞬間、彼女は両膝をつき、墓石のすぐ前で、踊りを止めた。
「お……」
「だ、」
それが歌詞であったのか、彼女の心であったのか、僕にはわからない。
「――い、すき」
カチ、と何かが決定的にズレる音がして、そのまま彼女は倒れこんだ。思わず駆け寄り、助け起こすと、翡翠色の瞳は、人造にありふれた、ただの硝子珠になっていた。
もう二度と、歌うことも、踊ることもないだろう。
「おやすみ、なさい」
ぎゅう、と抱きしめた。僕は祖父じゃない。慎一郎さまじゃない。それでも、
「お姉ちゃん」
やっとそう、呼べた。
「だから、お姉ちゃんって呼んで下さい!」
くるくると変わる表情。可憐で非現実な、おおよそ日常に適さない格好をしたロボットが、僕を購入した慎一郎さまの家における、先達だった。
もうずいぶん古い、ダンスロイド。
「ダンスロイドと僕のような家族型は系統としてはつながっているのかもしれないけれど、姉ではないから」
だから呼ぶことはできないと理性的に判断すると、彼女は到底機械だとは――ひとに愛されるために生まれてきた存在、ひとを喜ばせるためだけのロボットとは思えない、うぇええええ? という至極情けない声を上げた。
僕と彼女を引きあわせた彼は、穏やかに笑う。
「君たち、相性がいいみたいだね」
「どこが?!」
思わず答える僕と、ですよね! と嬉しそうに頷くそうび。
「ロボット同士、仲が良いのは、素敵なことじゃないか」
外へ出る扉は、ずいぶん長いこと使ってなかったから、自動ドアのはずなのに反応しなかった。力づくで押し開けると、ギイイイ、と酷くきしむ、耳障りな音が響いた。
きっと家中に、中庭にも届いただろう。
持ち物には悩んで、結局何も持たないことにした。
まだ読んでいない本は沢山あるけれど。
「いってきます」
読みたくなったら、帰ればいいだけだ。
僕の家は、ここなのだから。
外の空気は乾いていて、日差しが強い。そういえば、季節は夏だ。鮮やかに染め上げていく太陽に、朝と呼ばれる時間帯であることを、思い知る。
祖父であれば、旅立ちには調度良い、と言うだろう。
ひび割れた道路を進み、乗ることのできないブランコが、鎖だけをぶらつかせている公園を横切った。草むらとは存外に歩きづらくて、難儀する。錆びついた柵が幾つか倒れていて、僕は、踏み越えていく。
知らない小動物が、鳴き声を上げて、駆けていった。それを、もっと大きな動物が追いかけていく。
ふっと、足を止めて、その生き物はこちらを見た。
「僕は美味しくないよ」
柔らかそうな毛皮の、尖った耳の生き物は、ふんふんと風の匂いを嗅いでから、興味を無くしたように小動物が消えた方角へと、走って行く。
俊敏な四足だ。
なんだかとても歌いたい気分だった。ワクワクする。僕の知らないことが、本以外にもたくさんあって、開かれる時を待っているような。それは少しさみしくて、とても嬉しい。
「 」
僕は、彼女の歌を口ずさむ。
硝子の破片を踏むと、ひび割れる音がした。家では見かけなかった脆さに、思わず何度か踏みつけてみる。
きらきらと、光を反射していた。
そこかしこから草が伸びる道を歩くと、今にも倒れそうな棒の先に、丸いものが三つ並んでいた。そこに、鳥が何羽か停まっている。
一時の宿り木だったらしい。ふわり、と飛び立っていく。
あの鳥を追い掛けていけるだろうか。僕はどこまでもどこまでも歩いて、そうしていつか、家に帰るだろう。祖父は死に、姉の回路は焼ききれて。それでも僕は動いて、ここに居る。
生きている。
彼女は眠っている。あるいは、死んでいる。そう呼ぶことが許されるなら。祖父の傍で、微笑みを浮かべて。もう、離れることはない。
僕はいつか、帰るだろう。
人間のいなくなったこの世界で、生きていく。
了
Dollsー世界の終わりに踊る人形―― 柱木埠頭 @hashiragi
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