第10話 あまいひととき
キーンコーンカーンコーン。
重い鐘の音が広い室内に広がる。彼女は慌てたようにパンを口へ運ぶ。
「真由、そんなに急がなくても」
喉に詰まらせないか心配だったが、水でどうにかなったようだ。それってもう詰まらせていたんじゃないかという質問には答えないことにする。クールに見えて案外可愛いところもあるものだ。
あれから、私たちはカフェテリアで昼食をともにするようになった。
探しても探しても学校でちっとも見かけないので、学校でもあいたい! と甘えてみたところ、
「お昼、一緒に食べてくれるんならいいですよ」
と小悪魔のような笑みを浮かべて言われ、二つ返事でオーケーしたのだ。交換条件じゃなくむしろ、私からすればご褒美である。
しかも、昼休みになると私の教室まで迎えに来てくれるというイケメンぶりである。
今日も四限が終わって後ろの扉をちらりと一瞥すると彼女の髪が見えた。扉の直ぐ外で読書に勤しんでいるのだろう。
以前にどうやったら毎度先回りして居られるのか疑問に思って尋ねた所、
「授業には出ていないので」
と返され吃驚した。受験は大丈夫なんですか、と心配したらきょとんとして
「私のこと、三年生だと思っていたんですか? ピカピカの一年生ですよ」
と、鼻で笑われて更に仰天してしまった。こんなに大人びた方が年下……!? 確かに今の時期、三年生は学校なんかに居ないと言われればそれまでだけども……! 完全に雰囲気に騙されていた。
それが分かったところで、敬語を止める気も、好きじゃなくなる気配も起きないのだが。
勉強は大丈夫か、と重ねて聞いたところで嗤われそうな気がして、グッと堪えたものである。
「真由、お待たせ」
分厚い小説の上で目を走らせる真由に声を掛ける。千ページはあろうかという本をよく学校に持ってくるものだ。授業に出ていない分、教科書が入っていないのだろうか?
「待ちましたよ、行きましょう」
かつて昼食をともにした友人達に目もくれず、私は彼女と地下へと向かう。
なぁに、元々続かない幸せだったのだ。初めのうちこそざわざわしていたが、今となっては彼女らのうちの誰も私を探す様子を見せず、わらわらと机を移動させて思い思いのイスを選んでいる。私がいようといまいと上手くやれるはずだ。
隣を歩く永久の幸せが手を握って、心強い。誰が見ているか分からないというのに恋人繋ぎなんて恥ずかしい、と言ったこともあるけれど、
「私たち、何も恥ずかしいことしてませんよ?」
なんて虐めるみたいに宥められてぐうの音も出なかった。真由のそういう積極的なところが心の底では大好きなので抑制するのもいやで、自ら進んで恋人繋ぎで廊下を闊歩しているのは級友には絶対の秘密である。
今日のお弁当も代り映えのしないもので、下の段は炊き込みご飯、上の段はひじきやコロッケ、煮物そして卵焼き。この卵焼きは色も綺麗でおいしそうな出来だ。
対する真由は、シチューとサンドイッチで、普段和食寄りのお弁当しか持参しない私とは違ってお洒落な雰囲気が漂っている。羨まし気にシチューを眺めていたら
「ぼうっとシチューなんか見つめて、どうしたんですか?」
と言われてしまった。本当に見つめていただけだったので返答に困って、
「な、ナンデモナイヨー」
なんて、なんでもありそうな気配を漂わせてしまった。案の定、
「なんですか?」
と問い詰めてくるが、本当に何もない。うーん。
考え込んでいると突然横からスプーンが出てきて、否応なくそれを咥える羽目になるのだった。
「あーん」
「あっ……むぐっ」
もぐもぐ、もぐ。玉ねぎが良い具合に溶けてとろっとした感触、ほくほくしたじゃがいも。弁当として持ってくるには美味しすぎる。
「シチューが欲しかったなら、素直に言えばいいのに」
そういう訳ではなかったのだが、頬が落ちそうなほどの料理に笑みを隠せないでいるので弁明出来そうもない。ここは頷いておいて二口めを要求するのが名案であろう。
「えへへ、あの、この凄く美味しそうな卵焼きあげるのでもう一口ください~」
「ん~そうだなぁ、私にもあーんしてくれたらいいですよう」
「んっ、わ、わかりましたっ…………あーん」
「ふふふ、おいしいです~」
そんな甘いひと時に敬語もちょっと崩れてしまって、体もシチューみたいにとろとろになって。
すぐ近くに見知った同級生がいる気もしたけれど、そう、悪いことは何もしていないから。
んぅ、と真由の膝に倒れこんで、お腹にすりすりしてみる。制服から温い珈琲の香りが漂ってきて、安心する。
気を抜いていたら私の脇腹がむにむにされるのを感じて、やっぱり、恥ずかしい。負けじと真由の下腹部から離れまいとしていたらどんどん手がお尻の方へ移動して……、ああっ、そこはだめっ!
こうして今日も真由に敗北した私なのだった。
キーンコーンカーンコーン。
予鈴が鳴り響く。その鐘を合図に手が止まって、どうやらパンを食べ始めたようだ。私のことをそんなにまさぐっておいて、その手で食べるなんて大丈夫なのだろうか。私は嬉しいので何も言わないでおくけれど。
真由は例のごとく五限にも出ないだろうに、急いで食事を終えようとしてくれるのは明らかに私への配慮で。ふふっ、やっぱり真由のことが、大好きだ。
「真由、だいすき」
「私もです、那奈。大好きです」
きっと今日も、授業が終われば真由はいつもの喫茶店に先回りしていて。
いらっしゃいませ、と他人行儀な挨拶をした後でこう囁くのだ。
────温かい珈琲はいかが?────
温かい珈琲はいかが? 侑奈 @yuna_yuna
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます