第9話 告白

「もう、やめにしましょう」


 真由さんの口から紡がれた小さく鋭利な言葉たちが心臓目掛けて飛んできて、強く抉る。

 耳にはまだ、私のものではない香りがのこっている。私を抱き寄せる腕だって、嫌がるように力を緩めずにいる。小さなナイフの飛来をそのまま信じるには余りにも矛盾しすぎていて。

 余りに突然の出来事に、怒る隙などなくて、血が流れるようにただただ心が空虚になってゆくのみだ。

 私が悪かった? 私に飽きた? ……退屈だった?それなら、優しくしないでよ。耳だって噛み千切ってしまえばよかったじゃないか。

様々な想いが漸く発露する。だがそれも、本心でないのは分かっていた。これは私のプライドが邪魔した偽物で。真由さんが急に目の前から去ってしまうのが本当は、いやなのだ。分かり切ったことじゃないか。胸が張り裂けそうになって、吐きそうだ。


いやだ、いやだ、いやだ!


 眼前の彼女は先ほどまでと同じように、ふらふらと瞳を彷徨わせていて、そこには何も映っていないかのように視線が定まらない。やめにしよう、なんて思い切った言葉とは裏腹に煮え切らないその態度が私の気持ちをかき混ぜる。ナイフで人を突いておいて、どうしてそんな悲しい表情をするのだ。それを浮かべるべきは私ではないか? 誰かに言わされているのかと思うほどの不自然さである。

 返事すら忘れて彼女に見入っていたことに気づく。やっとの事で一言、絞り出す。


「どうして」


 流れるままに任せて血を吐く。収まっていた涙がまた頬を伝って、落ちる。ちょっぴり塩辛い。

 音もなく涙だけをはらはらと流す私に面食らった様子で、顔に手を当てられる。緊張しているのか、湿り気を感じる。こうなったのは、貴女のせいなのに。さりげない優しさがかえって私を苦しめる。


「ごめんなさい!」


 疑問だらけの私には、そんな謝罪は響かない。謝る彼女の顔を目の当たりにするのが怖くて、俯く。謝るくらいなら、どうしてそんなこと。どうして、でいっぱいになりながら黙って次の言葉を待つ。波の音と心臓の鼓動が鮮明に聞こえる。暫く経って、静けさが破られる。


「私、那奈にはじめて会った時、この子だったら私を退屈から連れ出してくれるかもなんて、期待しちゃったんですよ。ひどいですよね、初対面の女の子を利用しようだなんて。いかにも喫茶店に初めて来ました、なんて雰囲気が新鮮で周りとはなんだか違う気がしたんですよ」


努めて明るく話そうとする彼女の言葉に聞き入る。


「でも、那奈を見ているうちになんというか……好きになってしまって!必死に私、綺麗な所だけ見せようって。きたなくて醜い所を隠して振る舞ってきたんです。でもそんな騙しみたいなこと、いつまでもできるわけないじゃないですか。どんなに繕っても私は! 醜い私のままだから!」


 彼女のくぐもった嗚咽が響く。私のことが、すき。何でもないかのように届いたその言葉を喜ぶ前に、、グサグサと彼女の自虐が突き刺さる。完璧で綺麗で大好きな真由さんがそこまで自分を追い詰める理由が分からなかった。


「……だから、私が那奈が思っているであろう幻想とどんなに程遠いか分からせようとおもって。分かったら、離れていってくれるとおもって。あなたの耳を犯したんです。……っでも、那奈は優しくて、嫌がるどころかむしろ嬉しそうで! どうして、私をどうしてそこまで受け入れるのって思って怖くて! もっと好きになっちゃいそうで! 私はもう那奈の隣にいていい人間じゃない、私のせいで、元気で可愛い那奈が居なくなってしまうから、だから……」


 普段の冷静な真由さんとは打って変わって、取り乱したように叫ぶ姿が痛ましい。

自分自身をこてんぱんにして傷つく彼女はボロボロで、どうしてそんなことをするのか、それに立ち入る権利を私はまだ持たないのかもしれない。だけれど、これだけは言いたい。


「真由さんは」


 はっきりとした声で告げる。


「真由さんは、真由は、もっと自分に、自信を持ってください」


「……?」


「真由は醜くなんかない。私の好きな人を貶すのはやめてください」


「……だって」


 何か言いたげな顔をしているが、言葉が出ないようだ。それ以上、言わせない。

私の好きな人の自虐は即ち、彼女を選んだ私への貶めでもある。そんな惨い仕打ち、許せるはずがない。確固たる意志で続ける。


「私は私、何も変わりやしませんよ。真由の方こそ、私を過大評価しすぎです」


 涙を詰まらせながら諭す。大好きな真由が自傷する姿を見ていられなかった。親のいない子犬のような心細さに打ち震えているように見えた。

 私は、私の意思で真由の隣を選んでいる。真由に悪戯されたり、ぎゅっとされるのを期待して、傍にいる。そしてそれを選んだのは流されたりなんかじゃなく確実に、紛れもなく、私なのだ。



 だから。


「私は! 真由のことが好きなんです、離れたくないんです、だから、いかないで……」


悲痛な声で無様に懇願する。ありったけの想いをぶつける。素直に甘えられない私だが、ここで意地を張っていたら永遠に真由はいなくなってしまうから。


「……でも、貴女を変えてしまうかもしれない、汚してしまうかもしれない。それでも、いいのですか……?」


 目を伏せ、涙を流す彼女の言葉が返ってくる。汚すなんて言わないで。涙を拭いながら泣きじゃくる彼女を前に独白する。行かないで、その一心で。


「耳、舐めてくれて嬉しかった……真由ともっともっと触れ合いたかったけど恥ずかしくて、私からは出来なくて! 真由が汚れているなんて言うなら、それを求める私だって汚れてる。だから、そんなこと言うのは……やめて、ください……」


 一瞬、彼女の手が止まって目が覗く。言ってしまった。言うべきときであったとはいっても、恥ずかしいものは恥ずかしい。赤面して、真由の胸に飛び込む。全力を出した私のMPはすっからかんで、更なる言の葉は生成できそうもない。温かい胸。ずっとこうしていたい。


「……嫌になったら、遠慮しなくていいんですからね」


 声が降ってくる。嫌になんて、なるものか。一生貴女の傍にいる、絶対に。絶対にだ。



 落ち着いた時には辺りは真っ暗で、冷たそうな黒い海が静かに波打っていた。

 砂浜でお城を作っていた子供たちも居なくなっていて、バケツで作られたであろう大きなお城が残されているのみだった。

 私たちはそのお城の横を通り過ぎて、家に帰る。目が腫れているのを親に見られたら煩いだろうな。ブーツだって砂まみれだし、何よりこんな遅い時間になってしまった。

 でも、これはぜんぶ、真由との大事な思い出だから、恥ずかしくなんてなくて、敢えて隠さない。

 真由の手を握りしめて、幼稚な鼻歌を口ずさむ。すれ違った通行人は顔を見てぎょっとした表情で去って行ったが、知ったことではない。


今日は記念日。真由と恋人になった記念日である。

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