第24話 違いあす
「おはよー」
「おっはよー」
「お早う」
圭は鞄を置いて、自分の席の前で向かい合って座っている美鈴と由美恵に挨拶を返す。
「ふふ。眼鏡だねー」
「ん、そう、だが」
由美恵の雑でご機嫌なだる絡みに軽く戸惑いながら、圭は自分の椅子に座った。月曜だというのに朝から二人してにこにこしているが、どうしたというのだろう。
「何か、機嫌が良さそうじゃないか? 月曜朝だぞ」
「ちょっと今の美鈴の話が面白くってねー、聞きたい?」
圭は頷くしかない。
「聞きたいって」
「えー? うふふ、しょうがないなあー。誠司の野球の練習試合の話なんだけど、実はうち、土曜暇だったから見に行ってさー」
「ああ、あいつ、打てたんだろ」
「あ、何だ。知ってんの?」
「夜に『打ったぞ!』ってメールが何故か二回来た」
「アハハ! ウケる。それって試合でも二回打ってたけど、もしかして関係あんのかな」
「へえ、二回か。すごいな。あいつ格好良かったか」
誠司が打って機嫌が良くなるなら、彼をこの先待ってるストーリーも悪くはないのかもしれない。
「いやカッコいいって話じゃなくてー。今聞いたらすげーウケんのよ」と由美恵がニヤつく。
「うんまあでも、打った時はカッコ良かったよ。キン!ってすんごい響いて」
「へえ」
「誠司も自分でびっくりした顔しててさー、それはまあ分かるじゃん、一年なんだし」
「うん」
「で、口開けた後走り出すんだけど、あいつ走りながらねー、めっちゃこっち見んの! 笑顔で! もう見んなしって!」
「ねえー、思い浮かべると無理! 芸人じゃんー!」
「こっち走って来んのかと思ったよー。ワンコみたいに」
「アハハ 、可愛いかよ!」
きゃらきゃらと二人が笑う。
「二回目とか監督に『前見ろ横田ぁ!』って怒鳴られちゃってて」
「そう、か……」
確かに前を見る走り方は教えていなかったが、そもそも体動方法の問題とも言えない気がする。一頻り笑った二人が余韻でくつくつと肩を震わせているところへ、誠司が「おーっす!」と元気に入って来たからもう一爆発だ。
「お? お?」
助け舟という訳でもないが、椅子からずり落ちそうになって笑っている女子達を置いておいて圭が声を掛ける。
「お早う。土曜、活躍したみたいだな」
「あーそれな、ほんと圭には感謝だよ。てか何で俺笑われてんの?」
「まあ、噂話をしてたところだったから」
「んん? んっふふー、そっか。やっぱ噂、してたんだ」
「そう、だな」
目じりに指を当てて苦しそうに息しながら、由美恵が誠司を見上げた。
「あーマジ笑ったあー。もう美鈴さ、また試合あったら行けばいいじゃん」
「ねえー、どうしよ。行こっかな」
「お、おう。来い来い」
「次も出れんの?」
「それは分からんけど……。一応打てたんだし、これからもアピールはしてく」
「頑張ってよ。決まったら教えてー。また奢ってくれる?」
「おう、マックでいいならな。バイトしてねえから貧乏なんだ」
「いいよいいよー」
何だ、いい感じじゃないか、と圭は鞄から教科書やノートを取り出しながら思う。マックも初耳だったが帰りにでも寄ったんだろう。
まだこのクラスに来て一週間程度の付き合いだったが、美鈴も誠司も明るいいい奴だし、それなりに応援していきたいところだ。何だか心の内が少し暖かくなるような慣れない感覚を味わいながら、圭は顔を上げる。ニヤついてこちらを見ていた由美恵と目が合った。
午後は授業の代わりに『救命講習会』というのが行われることになっていた。担任の引率で廊下に並び、講堂へと向かう。
道すがら誠司が、「多分挨拶に出てくる」という生徒会長『リザ会長』について教えてくれた。三年生の女子生徒らしいが、何でもとんでもない『ブロンド美人』で、『どえらいお金持ち』、そしてそれゆえに『我々農民にとって遠くからの観賞用』なのだそうだ。
(――生徒会か。鈴が鳴ってたところだな)
そう思った圭は彼にしては珍しく
体育館に入って学年とクラスごとに並び、暫く待った後で、今、その生徒会長が司会の紹介を受けて壇上へ上がろうとしている。
一年が並んだ後方位置からでも確かに日常生活で見かける類のルックスじゃないのが見て取れた。重い髪色がずらっと並んだ向こうに天然だけが出せるとでも言うような白金のロングヘア―。美しく自信に満ちた笑顔。戯画的という表現を使いたくなる寸前のようなプロポ―ションで、胸を張り、”農民”じゃ二百年かかっても不可能な歩き方で多くの視線の中を進んでいく。彼女に向けてフラッシュが焚かれてないのが不自然なくらいだった。
講演台の前に立った彼女が口を開く。
「皆さん、入学式、そして始業式以来ですね。生徒会長の
”カリスマ性”というものを聴衆にはっきりと認識させるために行事の段取りで決まってたかのような、もう一度の笑顔。
「救命講習会と言うと、私たちの日常とかけ離れた実感に乏しい内容を行う行事だと思うかもしれません。でも、突き詰めて考えていくと、ここにいる私も、皆さんも、先生方も、それぞれが持続している一つの命である、と、そういう側面で捉えることが可能です。それは勿論日々の生活の中で自覚すること自体が少なく、また日常の助け合いの中、そうと知らずにお互いに保ち保たせ合っていますが……」
救命だけでなく社会の中での互助の意義を再認識させるような視点でリザは話し、それが終わると「固い、難しい話でしたね。目的については以上です」と言って微笑んでから、実際の受講手順の説明に移っていく。
そうやって話しながらリザは、話の中盤辺りから一年が並んでいるエリアの間で重点的に視線を移動していき、誰かと目を合わせては微笑んで、を繰り返してるように見えた。
そして、圭とリザの目が合う。コンサートホールでアイドルと「目が合った」というようなのとは実感が違う。たまたま目が合ったというよりは、次は圭へ向けて視線を移動した、というような焦点移動と、一秒後の笑顔。元々決めていた確認作業の一環のようだった。
大分距離を挟みながら、向かい合ってまじまじと顔を見られてるような感覚に囚われる。
(【
圭は条件反射のように、すぐに【
――しかし。
圭に油断があったのかもしれない。
先週後半から今朝まで、睡眠不足を押して鍛錬を重ねていたのもあったのかもしれない。
【
喉の奥から摩擦音とともに勝手に空気の塊が押し出される。
圭の魔法起動に合わせて、生徒会長に何かをされた訳ではない。他の誰かという訳でもなかった。
圭が、勝手に、自分の魔法効果に”酔った”のだ。
考えてみればこの体育館のような状態にまで人を、しかも思春期の少年少女をぎゅうぎゅうに押し込めた中での【
前方で若干の誇張を含む欠伸が六つ、後方に二つ、前後で音の伝わり方が全く異なるのが、いま、四つと三つ。誰かの鼻をすする音が通奏低音のように絶え間なく続いていく。五百人以上の人間がただすぐ傍に居るだけの存在感、何百と言う身動ぎ。ラッシュアワーのような人いきれを、上下方向にも、遥かな水平方向にも無理に詰め込み続けたような圧迫感。整髪料、香水、ゴム、建材などの人工的な匂いと、その間から漏れる生物的な匂い。若者の体温が生み出す対流と、後ろから緩やかに押し寄せて来る呼吸、呼吸音。
圭の驚きをすぐに苦しさが上書きし、ものの四秒程度で【
そうして前かがみになって浅い呼吸を繰り返す。それに気付いたクラスメートが声を掛けるより早く、歩み寄って来た人影によって圭の肩が叩かれた。
「君、ずいぶん気分が悪そうだね。保健室に行っておこうか」
「……いえ、すぐ、治まりますから」
「無理を押して倒れられても皆に迷惑が掛かる。何にせよ一度出よう」
ここで押し問答をしても仕方がないので、圭はその生徒に肩を優しく押されるまま列の後ろの方へと導かれる。人酔いだ。こちらを見る人の視線すら避けたくて、ほとんど目を閉じ足元だけを見て歩く。
そのまま後方の鉄扉から体育館の外へ出た。
太い柱の傍に行き、一息を付く。人の気配が一気に薄まり、遠く小さく鳥の囀りが聞こえる。まだ具合はおかしいが、世界線が異なる場所に移ったような感覚だった。
先ほど付き添ってくれた男子生徒が、落ち着いた声で斜め後ろから語りかけてくる。
「何だか一気に酔ったみたいに見えたけど、どうしたのかな。君って魔士?」
「違います」圭は眼鏡を押し上げながら答えた。
「ほれ、美織、美織。もう一回」
「えー、圭君絶対もうキレますってー」そう言いながら美織は咳ばらいをして真顔に戻る。
そして低めの声で「君って魔士?」と言った。
途端に『断崖』がいた場所から白い煙が上がり(わざとだ。出さずに済むのに『視覚的効果』と言ってよく作為的に上げている)、垂れ目の圭(これもわざとだ。『断崖』は勿論瓜二つに化けられる)が眼鏡を上げる。
「違います」
「ぶひゃ、ぶひゃはははは!」
「違います魔士じゃないです」
何回目だ、と圭は溜息をついた。
「『魔士』って……! 『魔士』って言葉知ってるやーん! 君知ってちゃあかんヤツやん!」
「…でも違うんです魔士じゃないです」
「あひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「……全員の飯抜きは、もう決定してるんだ」もう五回目だろうか。
圭は薄暗い目で湯呑を見つめている。
「おっとおー圭君」
美織がファーが付いた水着のような恰好でしなだれかかった。
目の前の座卓の上で『断崖』が圭から莉緒に化ける。
「すまぬ。はしゃぎ過ぎた」
「何で莉緒になるんだ」
「お主の秘めた心は各山奥義並みに秘め過ぎゆえ、どれがいいのか儂にも分からん。ほれ、今宵は化けたまま
「おい」
「ほれ、あの、野球と言ったか。あの玉遊びのベタベタとした指導は、そういうものか? 昔も小姓などよくいたからな、衆道にも理解あるぞ」
「いいからもう狸に戻れよ。あと布団に入ってくるなって言ってるだろう」
黙って圭の首元を指先でいじっていた美織がしなだれかかったまま『断崖』を見下ろして、小声で「で、君って魔士?」と言う。
ドロン、垂れ目の圭が中空を見ている。鼻水を出している。「違いあす」
二人の爆笑。
圭は美織の頭頂を片手で掴んで引きはがした。
あの時は、調子が悪く、場所が変わって意識に切れ目が生じた時の隙をごく自然に狙われた。大したものだ。技が決まった後で攻撃されたことに気付く類の、超上級者の妙技のようだった。
「……ふうー。ま、しかし何じゃな。あいつらには気を付けとけよ。圭」
「あいつ
「ふむ。あの優男はよう分からんが、まず匂いが好かん」
「匂い」
「ああ。あと異人の娘の方はな、今日姿を見ていよいよはっきりしたが、力の大きさも、お前との相性も良くなさすぎる。近づかん方がいい」
『断崖』が優男、という少年のことを圭は思い出す。圭からすると優男を通り越して優美とでも言ってしまいたくなるような美少年だった。優しく微笑みながら、圭に「魔士か」と問うた男。近くにいた別のクラスの生徒かとも思ったが、彼も生徒会だったか。
そしてもう一人の、ハーフの美少女。二人とも微笑んでる顔しか浮かばない。恐らく他生徒からの妬み、嫉みにも晒されない程にまで規格を隔てた、美男美女の生徒会ペア。
今、『断崖』としては珍しくはっきりと助言してくれてることは圭にも分かっている。これまでみたいな『感知が出来ないお主が悪い』というスタンスではなかった。それだけここで伝えておくべき情報ということなのだろう。圭は頷き、素直に肝に銘じておく。
「相性って、何すかー? 圭君にゃあ突っつくと痛いところ、ふたつみっつ、よっつ、あるっすけど」
「使ってないのに緩うい効果が漏れ出ていた。確かその”生徒会長”というのは、名乗っておったな。
その名前を聞き、美織の目から笑顔がスッと引く。
「ぐえ……マジか」
圭と『断崖』は美織の空気が変わったのを察し、黙る。
しばらくして彼女は半分独り言のように話し出した。
「げー……。情報集めなんて大分サボりっ放しだったけど、まずかったかにゃあ……。あれ、でも木和ちゃんこそそういう情報集まってるししっかり集めてるよね? 何だ? 何だこの学校」
美織の独り言が続く。
「学校じゃなくて、町、か? 蟲も”具”も、光海家もか。んー、繋がってるんだかないんだか。クソ、出遅れたな。まずは木和ちゃんにクレームがてら突っついてみて……」
「おい、美織。何かテンションが変わったみたいだが……、分かってることがあれば教えてくれるか」
「ん…、んーごめん圭君。まだ輪郭も見えてないから教えらんない。今回は意地悪とかじゃなくって普通にまだ言えんわー。兎も角そのハーフちゃんとは、今は接触しないどいて?」
「彼女は、どういう奴なんだ」
「まあ……そこだけ言っとくか。そうね、【
「【
「それが、成功しちゃうかもかも。多分あっこは何でもつええんだけど、とりわけ、そういう家でねえ。魔女の歴史の中でほとんど真ん中にずっと位置してるとこ。ねえ? それってまずいじゃんね?」
「……」
「とりわけ正統だとしたらこんな辺鄙な町にいるわけがない子な訳よー。ちょいとそこら辺を調べてくっから、とりま一週間くらい、大人しくしといてくれる?」
「……分かった」
ここには魔女が、多すぎる 百号 @hyakugou
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