団子屋の女 三十と一夜の短篇第35回

白川津 中々

第1話

 街の騒ぎようで何が起こったかを私は察した。

 浮かれはしゃぐ町内の親父ども。大手を振って昼から酒を飲む口実ができ皆阿呆になっているのだ。


「梅ちゃん。ようさんが帰ってきたよ」


 開けっ放しの勝手口から間抜け面を引っさげ恥知らずにもそう報せてきたのは向かいで八百屋をやっている琵琶小路の旦那であった。既に酒臭く顔を赤くしているところを見ると、さてはうぐいすに店を任せてきたなと呆れ果てる。


「あんたのその様子を見れば分かりますよ。この酔っ払い。まったく、鶯が気の毒だよ。いつまでこき使うつもりなのさ。あの子ももう十五だよ。酒なんか飲んでないで、一生懸命働いて新しい嫁さんでも貰う甲斐性つけたらどうだい」


「いや、まったくその通り。まったく手厳しい。まったく敵わないなぁ梅ちゃんにゃあ」


 唄うように小躍りしながら出て行く琵琶小路。そのまま車に轢かれて死んでしまえばいいのにとふと思ったがあれでも娘がいる。無事くたばれば私としては祝詞でお悔やみを包みたいくらいなものだが、それでは残された鶯があまりに不憫であるから胸の中で唱える呪詛は途中で止めておいた。

 そもそもそんな暇はない。何せ一人で祭り囃子を叩くような男が帰ってきたのであるから、兎にも角にも酒と、肴と、料理と、酒と、あぁ、酒が必要なのだ。それを誰が、誰の金で用意しなくてはならないのか。私である。ここいらの親父どもはただ酒とあらば蟒蛇うわばみとなるものだから始末が悪い。酔って暴れて、盛大に胃から吐き出す馬鹿者も少なくはない(私がこしらえた料理を、私の金で買った酒をである)。だが、実に遺憾で迷惑千万ではあるが、何の因果か同郷の縁に組まれた仲である事から浮世の義理を薄情に斬り捨てるわけにもいかず、仕方なく、まったく仕方なく手厚くもてなさなくてはならないのだ。なんと理不尽な世の中だろう。泣きを見るのはいつも女だ。あぁ無常と女が空の声を上げた途端、一つまみの泣き言と千の愚痴がこぼれ落ちるのはつまりそういう具合だからである。まったく嫌になる。金にもならない仕事で損ばかりを被ると思うとやるせない。


「あら梅ちゃん。ごきげんよう。知ってらっしゃるかしら。羊さん。帰っていらっしゃったんですって」


 そう言うのは三丁目でお琴の先生をしていらっしゃる京子さんであった。彼女はいつも品のいいお召し物に身を包んでおられて鼻持ちならないのだが、わざわざ角を立てるのも面倒なので私は彼女と仲良しの真似事をしている。


「えぇ。存じています。それで京子さん。お願いがあるのだけれど……」


「分かってますよ。後で花ちゃんと、それから勝美さんも連れて手伝いに来ますからね」


「毎度毎度、本当にごめんなさい」


「何言ってんの。困った時はお互い様でしょう。それに私、羊さんのお土産話楽しみにしてるのよ」


「そう言っていただけると助かります」


「ま、あれが実の兄だったら、ちょいとしんどいかもね」


 あははと笑いながら京子さんはお上品に戻っていかれた。あぁ嫌だ嫌だ。琴なんてやってるとあんな風に嫌味ったらしくなるのかしら。あぁなるくらいなら、団子を焼いていた方がまだましだ。 毎日毎日、父が残した店で団子を作って、たまに休んで、山に登ってお茶を飲むくらいが私には合っているのだ。お花やお琴だなんて、ちっともやりたいとは思わない。そう。思わないのだ。

 

 ……


 それでも、やっぱり、ちょっとだけ……


 支度をしている手が止まる。

 もう過ぎ去った、これから過ぎ行く半生を思い、身体が動かなくなる。溜息ひとつ、秋の空。簾を泣かす風の音がどうにも障る。


「馬鹿馬鹿しい」


 くだらないセンチメンタルよりまずは目先の面倒を片付けよう。あぁそうだ。お酒をもらいにいかないといけない。とりあえず、五升もあれば……


「よう。久しぶり。元気にしてたか」


 それはちょうど、がま口を取って草鞋を履こうとした瞬間のことであった。

 目の前には、一年前に出て行った兄が、ちょいと散歩に出かけていたみたいな調子で勝手口から帰ってきたのである。


「えぇ。お兄さんと違って忙しいものですから、病気もしてらんない」


「相変わらずだなぁお前は。ま、生きているなら結構だ」


 大口を開けて笑う兄はまったく愉快そうにそう言って、出したばかりのぬか漬けをつまみ食いした。相変わらずがさつでどうしようもない人。けれど、どこか憎めないのは血の繋がりからか、はたまた兄の魅力のためか。どちらにせよ、私はもう先までの不機嫌と不安定をころっと忘れてしまい、すっかり絆されてしまったのだった。


「今度は、どちらに行ってらっしゃったんですか」


「おうよ。山越え谷越え川越えて、辿り着いたは三重の白浜。天下御免の海ならば、しょんべん放っても誰ぞ咎める。お天道様を見上げてふんどし下げて、いざ粗相つかまつろうとした矢先。その手は桑名の焼き蛤とまさかの登場べっぴんさん。きゃーと悲鳴を上げたと思いきや。沖の向こうで船がひっくり返ったときたもんだから。これ幸いと飛び込み流れ流され……」


 兄の口上が始まると、いつの間にやら人が集まり賑わっていた。狭い勝手口から顔をのぞかせ笑いあい、まったく忙しなく、騒がしかったのだが、まぁ、人生こんなものでいいように思えた。

 さぁ、皆様のために、酒を用意しよう……

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