心のカケラ Ⅰ
光が収まると、ケイは自身がどこかの部屋にいることを認識した。
壁際には起きたてのように乱れているベッドがあり、ベッドの頭側のすぐそばには質素な机とイスがあった。机の上には様々な紙や本が乱雑に置かれており、インクが付いたままの書きかけのペンが風に遊ばれたのか、紙の上には象形文字のような良く分からない模様が描かれていた。
この状況を見るだけで、この部屋の主が整理整頓が苦手なことが伺える。
「……ここはいったい?」
ケイが静かに首を傾げていると、ドアの外から人の話し声が聞こえてきた。
「――で、ですから、な、何度来られても、む、無理なものは無理なんです」
「そこをなんとか。我が社にはイヴァンさんのお力が必要なんですよ」
二人の男の話し声が聞こえる。
ケイはドアの取っ手に手を掛けようとするが、伸ばした手は取っ手に触れることなくするりとそれを通り過ぎた。
小首を傾げながらケイがドアに触れると、まるで幽霊にでもなったかのように手はドアを通り抜け、そのままの勢いでケイは身体ごとドアをすり抜けた。
すり抜けた先にはテーブルを囲んだ三人の男の姿があり、ドアを通り抜けてきたケイの姿は見えていないのか、全員が無反応であった。
「現在使用されている
ハットを被った背の低い小太りの男がしゃべっている。
「なんでも、簡単な指示であれば直接言葉で伝えることが出来るとか?」
問いかけられている白衣を着た男はぶ厚い眼鏡を人差し指でかけなおした後、ぼさぼさに伸ばした髪を所在なさげにぽりぽりと掻いた。
「そ、そ、それが出来る個体を造るのは、す、すごく時間が掛かるので、い、いっぱい造るのは、む、難しいと言っていにゅ――」
眼鏡の男はどもりながらしゃべっているうえ、最後の方は小声になったため、もにょもにょと何を言っているか聞き取れなかった。
そんな彼を見て、小太りの男は隣に座っているもう一人の男に視線を向ける。隣に座っている栗毛の男は応えるように少しだけ肩をすくめた。
「それではイヴァンさん、せめて製作部屋だけでも見学させて頂けませんか? こちらにいるカーターは我が社の泥人形技師でして……」
と紹介された栗毛の男、カーターは眼鏡の男――イヴァンに向け笑顔を見せた。
「もちろん、教えられない部分は秘密で結構です。ただ、どういった道具を使用されているのかなど参考にさせて頂ければと」
小太りの男は張り付けたような笑顔でイヴァンに伺いを立てる。
「そ、そ、それくらいであれば、い、いいですよ」
そう言ってイヴァンは立ち上がると、二人を奥の部屋へと案内する。
ケイもなんとなくその後をついて行った。
案内された部屋はそこそこの広さがあり、四方の壁には天井まで届く高さの棚が備えられていた。
棚には大小様々なガラス瓶が置いてあり、それぞれの中には液体や鉱物のようなものが入っている。
「ほほー。こちらがイヴァンさんの製作部屋ですか。なるほど。見たことのないものがたくさんありますなぁ。カーター、お前には分かるのか?」
「ある程度であれば」
カーターも興味深そうに部屋を見渡している。
「イヴァンさん。使用している核はどちらですか?」
カーターのその言葉にイヴァンの肩が少しだけ揺れた。
「か、核に使っている木材はその机に、あ、あるものですよ」
イヴァンが指さすほうには確かに文字のようなものが描かれた木片が多数転がっていた。
「なるほど。……少し見せて頂いても?」
カーターの言葉に、イヴァンはぎこちない笑顔で頷いた。
カーターは机に近づき木片を手に取ると、書かれている文字を確かめるように目を細めた。
「ちなみに、そこにあるのはなんですかな?」
と小太りの男がイヴァンの肩を抱いて壁際を指さし視線を誘導する。
その一瞬、男とカーターは目線を交わしたかと思うと、イヴァンに気付かれないようにカーターは核の木片の一つをポケットに入れた。
「あっ」
カーターが木片をくすねるのを見て思わず声を出してしまったケイであったが、そこにいる誰にもその声は聞こえていないようだった。
「いやはや、勉強させて頂きました。しかし我が社としてはまだ諦めるつもりはありませんので。……イヴァンさん、お気持ちが固まりましたらいつでもご連絡下さい」
小太りの男が満足そうな表情で伝えると、イヴァンもぎこちない笑顔で返答した。
二人が部屋を出ていくと、イヴァンは疲れ果てたかのように近くにあった椅子に腰かけ息を吐いた。
ケイは恐る恐るイヴァンに近づくが、やはりケイの存在は認知されていないようで、すぐそばまで近づいてもイヴァンは顔を上げることはなかった。
「イヴァーン! いるのー?」
突如、ドアの外から女性の声が聞こえてきた。それと同時にイヴァンの背筋がしゃんと伸びる。
勢いよく大きな音を立ててドアが開かれ、入ってきた女性を見た途端、ケイの目が見開かれた。
その女性は美しい銀髪を肩まで伸ばし、その目は研磨された宝石のように碧く輝いていた。
そして、その顔には見覚えがあった。
ケイは思わず自身の顔に触れる。
――私だ。
ケイは自分に瓜二つのその女性の顔を見て、感情のないはずの心がざわめいているような感覚を覚えた。
「いるならいるって返事してよね!」
女性は不機嫌な様子でずんずんとイヴァンの前まで歩いていくと、椅子に腰かけているイヴァンに向けて顔をぐいっと近づけた。
「や、やぁ、エルザ。へ、返事をするまえに君が――」
「パンを焼いたの。一緒に食べるでしょ?」
イヴァンの言葉を遮り、エルザと呼ばれた女性は持っていたバスケットを掲げにこりと笑った。怒っているかと思えば満面の笑みを浮かべたりと、ころころと表情の変わる女性だった。
ケイはそんな彼女を見て少しだけ自分の顔を揉んでみる。
「さ、早く立って立って!」
そう言ってイヴァンの腕を取り、振り返ったエルザのバスケットが勢い余って壁の棚に当たった。
その衝撃で棚に置いてあった小瓶の一つがエルザの頭上に落ちてきた。
「あ、危ない!」
イヴァンが叫ぶと同時に素早い動きでエルザを抱きかかえ、小瓶をキャッチする。
「だ、大丈夫かい? エルザ」
抱きかかえた胸元のエルザにイヴァンが問いかける。エルザは間近にあるイヴァンの顔を見つめると、顔を真っ赤にしてゆっくりと頷いた。
そんな彼女を見てイヴァンも顔を赤く染める。
それを見ていたケイが無意識に自身の胸元を押さえた。
「ご、ごめんなさい。私ったら慌ててしまって」
体勢を整えたエルザが取り繕うように言う。
「だ、大丈夫だよ。無事でよかった」
そう言ってイヴァンが小瓶を元の棚に戻す。
「その小瓶に書いてあるのはなにかの印なの? 数字ではないようだけど」
エルザが棚を眺めながら問いかける。そこに並べられている小瓶の一つ一つにひっかき傷のような印が刻まれていた。
「こ、これはね。【アルファベット】という文字なんだ」
「アルファベット?」
「そう。え、エルザは【堕ち人】って聞いたことがある?」
イヴァンの問いかけにエルザは首を横に振る。
「し、真偽は確かじゃないんだけど、う、憂いの大口が稀に別世界に繋がって、僕らの世界に迷い込んで来る人がいるらしいんだ」
「憂いの大口から?」
「そ、そう。その別世界から来た人を研究者の間では堕ち人と呼んでいるんだけど、そ、その人の世界で使ってた文字がこのアルファベットなんだ」
「へー」
エルザは小瓶をかわるがわる手に取り、そこに刻まれたアルファベットを興味深そうに見る。
「う、美しいでしょ?」
「うーん、良く分からないけどイヴァンが気に入ってるならいいんじゃない?」
そう言うとエルザはパチンと手を叩き「さ、食事にしましょう」と言った。
作業場の隣の部屋に向かい、二人はテーブルを挟んで座った。
エルザはバスケットをテーブルに置くと、イヴァンの目の前に持ってきたパンを並べた。
「さ、どうぞお食べ」
エルザが笑顔を作りイヴァンに食事を促す。イヴァンはおずおずとパンを手に取りゆっくりとした動作で一口齧った。
「どう? 上手に焼けてるでしょ?」
母親のような笑みを浮かべながら問いかけてくるエルザに対し、イヴァンもぎこちない微笑みで返した。
「さっきの人達って、採掘企業の人?」
「そ、そう。ぼ、僕の造る泥人形が欲しいって」
「すごいじゃない! もちろん、受けたんでしょ?」
エルザの問いかけに、イヴァンは少しだけ顔を伏せた。
「なぁに? 断ったの? 報酬もたっぷりもらえるだろうに、もったいない」
そういうと、エルザはぷくっと頬を膨らませた。
「ぼ、僕は自分の納得する泥人形を造りたいだけだから」
「またそんなこと言って。せっかくいまこの町が新しい鉱山の発見で沸いているっていうのに。稼げるときに稼いどかないと貧乏なままだよ? 幼馴染の私がお世話してあげてるからって、ちょっと甘えすぎじゃない?」
というエルザの顔は、言葉とは裏腹にそれほど不快そうではなかった。
「い、いつもありがとう。か、感謝してるよ、エルザ」
恥ずかしそうにそう呟くイヴァンを見て、エルザはふふんと鼻を鳴らした。
「どういたしまして。あなたに稼いでもらわないと私も両親を説得できにゃもにゃも――」
後半になるにつれエルザの声は小さくなり、最後の方はもごもごと何を言っているのか聞き取れなかった。
「……え? な、なんて言ったの?」
「何でもない! とにかく、研究もいいけど、貰えるお金は貰っときなさいよ!」
何故か赤面しているエルザがごまかすように席を立ち、吐き捨てるようにそう言ってから逃げるように家から出て行った。
一人残されたイヴァンは少し微笑んでから、手に持った食べかけのパンを口に放りこむと、席を立ってすぐそばの戸棚を開けた。
「稼がないと――か」
戸棚に入っていた指輪を取り出して、イヴァンは一人呟いた。
その瞬間、ケイの周りの空間が歪み、ぐるぐると回り出した。
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