第三章 願いは遥かⅦ

「ここだ」


 誰かの声がし、全員が顔を向けた。そこには一人の男が立っていた。


いや、男と言っていいものか。その者は異形の姿をしていた。


赤茶けたローブに身を包み、背格好はセイルと同じくらいだが、その額からは二本の角が曲線を描くように生えていた。

瞳は真っ赤に染まっており、茶色がかった髪を肩まで伸ばしていた。


 その男のすぐそばで、ライカは空中に浮かされていた。黒い影のようなものに身体を締め付けられているようだ。


「なんだ貴様!」


 セイルが身構えながら叫ぶ。と、同時にシラズが男に飛び込んだ。


 しかし、シラズの刃は男には届かなかった。男まであと半歩ほどの距離で、黒い影に阻まれ捉えられてしまった。


 アレッシオが隙を見て魔法を放つ。が、それも影に飲み込まれ消滅した。


 続けざまにバンドールも突進するが、男は焦ることなく影を操りバンドールを包み込んだ。影の中でバンドールがもがいている。


「無駄だ」

 男は鼻で笑う。


「……なんなんだ一体」


 セイルは目の前の光景に戸惑った。三人の手練れの攻撃が瞬く間に防がれた事実に。


「他の奴も動くなよ、動いた奴から殺す」


 男は噴水近くに集まっている全員に向け言った。その言葉に、所長のグーニーズも動けずにいた。


「まずは、お前からだ。よくもこの私をこき使ってくれたな」

 男がライカのほうへ向き直る。


 翻ったローブを見たセイルに衝撃が走った。赤茶け、汚れたそのローブの背中には、うっすらと大きな三角形が記されていた。


「……トライアドのローブ」


 セイルが今一度男の横顔を見た。よく見るとその顔には見覚えがあった。


「まさか! あんたアドルフか? アドルフ=ガスパール、そうだろ!」


 セイルの声に反応し、男の動きがぴたりと止まった。そしてゆっくり振り返り目を細めながらセイルの顔を見た。


「誰かと思えば、お前セイルか。セイル=ダミーリア。……ふふふ。お前もここに送られたのか」


 アドルフと呼ばれた男は、可笑しそうに口をゆがめ歯を見せた。その口内にはするどい牙が生えているのが見えた。


「貴様の活躍は伝え聞いていたよ。誰が言ったか天才魔術師。いや、おそらくは自尊心の強いお前自身が吹聴していたんだろうがな」

そう言って再び笑う。


「あんた、なんで? その姿は一体……」


 アドルフは魔術学院でのセイルの先輩にあたった。そしてセイルは彼の存在を意識せざるを得なかった。

それはアドルフが当時、学院きっての魔術師と呼ばれていたからだ。


 セイルはそんな彼に向けて対抗心を燃やしていた。自分は誰にも負けることは許されない。その存在を、知らしめなければならない。世界に。そして自分を捨てたであろう誰かに。


 そしてアドルフも、そんなセイルの視線に気付いていた。それは彼にとっては優越感以外のなにものでもなかった。


 そしてアドルフは、一足先にトライアドの所属となった。その後の活躍は、セイルの耳にも入ってきていた。

その才能を遺憾なく発揮し、各地で名を馳せていたようだ。


「各地に派遣されていたある日、総司令から呼び出されてな。なにかと思ったら【魔王の棲家】へ行ってくれと言われたよ。その言葉に私は胸が躍った。【魔王の棲家】なんて場所、聞いたこともなかったからな。最上級の極秘任務を遣わされたと思っていたんだ。……それがなんだ! 実際はクソみたいな辺境の地で、クソジジイとクソババアの世話係だ! 果てはあのセーラとかいう無茶苦茶なババア! なんだあいつは! 話も通じない付加魔術師なんかと、どう付き合えばいいってんだ!」


 アドルフは当時を思い出したのか、力一杯地団駄を踏んだ。何度も何度も、クソがクソがと呟きながら。


「……私の自尊心は無茶苦茶にされたよ。ついにはすべてに嫌気がさし、施設を飛び出したのさ」


――前任者はどこにいるんだ? 出来ればトライアド所属の者から直接説明を受けたいのだが。


――逃げたよ。逃げる場所なんて、どこにもないのにな。


 セイルの脳裏に、いつかのライカとの会話が思い出された。


「私は鍵を持たされていなかったからな。逃げ場は森しかなかった。どのくらいかわからない。無我夢中で走って走って、ついには力尽きて倒れこんだ。水もない。食料もない。私の命はここまでかと思った時だ。一匹の魔獣が私を食べようと近づいてきた。私の顔を覗き込むんだ。鼻を塞ぎたくなるような酷い臭いの吐息と、ねばついた唾液を私にかけながらな。魔獣が大きく口を開け、私の頭に食らいつこうとした時だ。……死にたくない。そう強く願ってしまった。……気が付いたら私の周りには魔獣の骨が散らばっていた」


「……食ったのか?」


 セイルの言葉にアドルフが鼻を鳴らした。


「三日三晩熱にうなされたよ。そして、熱が引いた頃には私の額にこれが生えていた」


 アドルフは自身の角を指さした。


「それからは楽になったよ。魔獣はたくさんいたからな。しかし困ったことがひとつ出来た。……結界だよ」


 その言葉にセイルは唇を噛み締めた。


「魔族を取り込んだせいか、所長の結界が反応するようになってな。私はいよいよ施設に近づくことが出来なくなった。それが今日、優しい誰かさんのお陰で、結界は取り払われた」

 アドルフはセイルの顔を見て笑う。


「……見ていたのか」


「なにやら騒がしかったからな。夜は感覚が冴えるんだ。ただ、まさかお前だったとはな」


 セイルは力一杯歯ぎしりをした。あの時、別の方法を取っていれば、こんなことにはならなかったかも知れない。

その後悔からくるものだった。


「そうかそうか。セイル。私の次はお前か。なるほど。……お前は、なぜ自分がここに配属されたか分かるか?」


 アドルフはセイルに向かい不敵な笑みを向ける。まるで答えのわからない学生をわざと指名する嫌味な教員のようだ。


「理由なんて……。ここの人間を抑えられるだけの能力があると上層部が判断したからじゃないか?」

 セイルは戸惑いつつも答えた。


「ふははは。それだよ! それさ、セイル! その不遜な姿勢! それこそが理由さ! 自分に能力があると信じて疑わないその態度! それこそが私とお前がここに送られた理由さ。要は……使いづらかったんだよ。私達は。自身の才能を疑わず、周りを見下し、輪を乱す。それが組織を運営する上では邪魔だったのさ。……厄介者だったんだよ。同じさ、セイル。お前も私も。厄介者が左遷された。ただそれだけの理由さ」


 そこまで一気に言うと、アドルフの表情が少し曇った。自分が発したその言葉に、自分自身が傷つけられたかのように。


「……違う」

 誰かの声が聞こえた。


「お前とそいつは違う。お前は自分の自尊心が傷つけられたからといって、すべてを投げ出し逃げ去った。……だけど、そいつは頑張ったよ。戸惑いながらもセーラと接し、悩みながらも生活に慣れようとし、悲しみながらも人の死と向き合ったんだ! そんなそいつを。……セイルをお前なんかと一緒にするな!」


 ライカが影に締め付けられながら、それでも力の限り大きな声で叫んだ。


「……お前」

 セイルが戸惑いを隠せず呟いた。


「ふふふ。そうだな。私とこいつは確かに違う。……何が違う? ……格が違う」


 アドルフはそう言うとセイルに手を向けた。とたんに、セイルの周りには影が渦巻き、身体のすべてを覆いつくした。


「ぐあぁぁぁ!」


 影が身体を締め付ける。その力の強さに、セイルは思わず悲鳴を上げた。


「この姿になった時から、人知を超える魔術を扱えるようになった。影を操る魔術など、見たことも聞いたこともないだろう? セイル、お前には出来ない芸当だ」


 アドルフは満足げにそう言った。


「さぁ、終わりにしよう。忌むべきこの施設も、そしてここにいる人間も。私の手で消し去ってやる。世界もそれを望んでいるだろう!」


 アドルフがそう言うと、辺りに影が溢れ出した。それは広がり、広場全体を覆いつくす勢いだ。


「所長! 命がけで結界を張ってくれ!」


 ライカが叫ぶ。グーニーズもその意図を汲み取り深く頷いた。


「……これだけは使いたくなかったが」


 そう呟いたライカの身体から、パチパチという音が漏れ出した。

とたんに、ライカの毛髪が真っ赤に燃えた。それは顔から全身に広がり、ライカは一瞬にして火だるまとなった。


「ライカ!」


 セイルが叫ぶ。アドルフも事態が掴めず戸惑いを見せた。


 火だるまとなったライカが、縛り付けていた影から飛び出した。

いや、飛び出したというのは正確ではないかもしれない。

なぜならば、ライカは炎そのものだったからだ。炎となったライカが、ゆらりと身体をくゆらせ立ち上ったのだ。


「なんだ貴様!」


 アドルフが炎に向かい影を放つ。

しかし、その炎はあざ笑うかのように影をかわした。そしてアドルフに向かいその速度を速め、アドルフの周りを取り囲んだ。


「これでも影を操れるか?」


 どこかからライカの声が聞こえたかと思うと、炎は巨大な柱となった。

立ち上る炎は施設の屋上をゆうに超え、その熱量により、セイルは皮膚に痛みを感じた。


「やめろぉぉぉぉぉ!」


 その中心にいるアドルフの叫び声が聞こえた。炎の中心では、おそらく影を出すことも出来ないはずだ。


「何故だ! 何故こんな奴らを守る! こいつらは世界にとって害でしかないではないか! 我を忘れた能力者など、魔王以外のなにものでもないではないか! こんな奴ら、ぶっ殺せばいいんだよ!」


 アドルフが痛みに耐え必死で叫ぶ。自身を取り囲む炎に向かって。


「何故? 言うなれば私の我儘(エゴ)だ。どんな奴だろうと、寿命を全うさせる。それが私の決め事で、ただ一つの理由だよ」


 炎の中を反響するようにライカが答える。


 炎がその勢いを強めた。辺りには熱風が吹き荒れている。セイルはすでに影の呪縛からは解放されていたが、動けずにいた。

呼吸をしているだけで、肺が灼けてしまいそうだ。


「何が、何が間違っていた? 私の何が……」


 かすかに聞こえた呟きの後、アドルフは沈黙してしまった。



 ほどなく、炎がその勢いを弱めた。炎の中から、微動だにせずうずくまっているアドルフの姿が見えた。


 やがて炎は一点に集まり、人の形になったかと思うと、一糸纏わぬ姿のライカがそこに現れた。


「なっ!」

 セイルは思わず目を反らす。


「おほー!」

 アレッシオが歓喜の声を上げる。


「くそ! だから嫌なんだよこの術は!」

 ライカが身体を隠すように屈んだ。その顔が耳まで赤く染まっている。


「……助かったよ。お嬢」

 シラズがライカのマントを持ってきて彼女に羽織らせた。


「……あいつは? 死んだのか?」

 セイルがライカのほうを極力見ずに問う。


「……いや、最後に加減はしたからな。恐らく、命は助かったはずだ」


 ライカがふっと息を漏らす。


「どうして? ここにいる人間を皆殺しにしようとしたやつだぞ?」

 セイルが思わずライカを問い詰める。


「言っただろ、新入り。……『死ぬな』そして『殺すな』。それが私の、たった一つの誓いだ」

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