第三章 願いは遥かⅥ
バンドールはオーガの前に立ちふさがる。かつての戦場と同じように。
彼は好んで最前線で戦った。それは彼の矜持でもあった。
我こそが武力。我こそが最強。そして我こそが世界の砦であると。
「待たせたな。さっきよりは、多少強いぞ?」
バンドールが力を込めると、その両手についた青鱗鋼の手錠がまるで、飴細工かのようにぱきりと砕け落ちた。
全身の筋肉が真っ赤に腫れだした。まるでその体内でマグマが暴れているように。身体から蒸気が立ち上る。
「今でこそ【鉄腕の軍神】などと格好よく呼ばれているがな、若いときは嘲笑を込めて周りの奴らにこう呼ばれたよ。【蒸気機関車バンドール】ってな」
バンドールが地面を蹴り上げた。一瞬にしてオーガの懐に潜り込む。勢いをつけたままオーガの脇腹に拳を打ち当てた。
頑丈なオーガの皮膚がめり込み、その内部に衝撃を与える。
バンドールの打撃によりオーガの身体は吹き飛び、森の木々にぶつかりそれらをなぎ倒した。辺りには噴煙が舞い上がる。
バンドールは油断することなく、半身に構え森の暗闇に向かい視線を送った。
辺りの空気がびりびりと震えた。オーガの怒りの咆哮によるものだ。森の中から出てきたオーガの顔面は、憤怒の色に染まり切っていた。
「さぁ、お前の番だぞ」
バンドールは掛かってこいと言わんばかりに、手の甲をオーガに向け二度動かした。
オーガがその足を地面をめり込ませながらバンドールに近づいていき、拳を思いきり振りかぶった。
巨大な岩の塊にも見えるその拳をバンドールの顔面に叩きつけた。拳圧と衝撃によりその周辺には風が吹き荒れた。
しかし、バンドールはその場から微動だにしていない。
「おいおい。新兵でももう少しましな突きを放つぞ?」
オーガの拳が顔に当たったまま、バンドールはにやりと笑う。鼻血すらも出ていない。
オーガは拳を離し、少し後ずさりをした。それは恐らく、彼が初めて味わう感情だった。
――恐怖だ。
「がっかりだな一つ目野郎。もう少し楽しませてくれると思ったが」
そう言ってバンドールは腰を落とし両手を広げた。全身から蒸気が噴き出す。
オーガの目には、バンドールの姿が自身の何倍の大きさにも感じられた。恐怖のあまりに振り返り、立ち去ろうとしたオーガの背中にバンドールが勢いよく飛び乗った。
振りほどこうと暴れるオーガの首に腕を回し、そのまま力任せに締め上げた。
一瞬にしてオーガの巨体から力が抜け落ち、前方へと倒れこんだ。だがバンドールは力を緩めない。
巨木の幹のようなその腕が、みちみちと音を立てて膨らんでいる。
その力に耐えきれず、ついにはオーガの首と胴体がブツリという音と共にまったく二つに分かれてしまった。
バンドールが立ち上がる。
「この緊張感と充実感。やっぱり戦はたまらんなぁ」
手に持ったオーガの首を弄び、軍神と呼ばれた男はにやりと笑った。
シラズは懐刀を逆手に構え、施設の屋上でケルベロスと対峙していた。眼下には炎が踊っている。
ケルベロスは牙を剥き出し唸っている。三つ首それぞれがシラズを睨む。お互いに間合いを読んでいた。
先に動いたのはケルベロスだった。その四肢に力を込め、一瞬にして蹴り上げた。それはまるで稲妻の速さだった。
シラズに向かい一直線に光の筋を形成した。
しかし、シラズの目は魔獣の動きを捉えていた。飛び込んできたその牙を、身体を捻りながら避けた。
ケルベロスはその勢いのまま通り過ぎ、屋上の端の辺りで止まった。両者の間には、再び多少の距離が出来た。
ケルベロスがゆっくりと振り返る。両者の間に緊張の糸が張りつめていた。
「あぁ、そうそう。シラズというのはワシの本名ではなくての」
シラズが突如構えを解き、のんびりした口調で話し出す。手に持った懐刀をぷらぷらと遊ばせる。
魔獣は微動だにせずまっすぐシラズを見つめている。
「ワシはかつて、とある国の隠密部隊に所属しておっての。その部隊が動くと、対象者の周辺には不幸な報せが必ず届くことから、ワシらの部隊は【黒い報せ】なんて名前で呼ばれておったわ」
そう言うとシラズは楽しげに笑った。魔獣は未だに動かない。
「そして《シラズ》というのは、代々その部隊の頭首が引き継いでいる通り名でな」
シラズの目が鋭く光った。
「……いつ切られたか」
ケルベロスの左の首がぽろりと落ちた。
「……どこで切られたか」
右の首がぽろりと落ちた。
「……誰に切られたか」
真ん中の首がぽろりと落ちた。
「――その答えは誰も知らず」
シラズが懐刀を鞘に納める。カチンという小気味よい音と共に、魔獣の身体がバラバラに崩れた。
「隠密部隊【黒い報せ】第七代当主。《シラズ》のナガマサ。……名乗ってももう、聞こえんわの」
黒い装束に身を包んだ老人の後ろで、月だけが白く嗤っていた。
――クペラ♪ ポペラ♪ パッパプリカ♪
三匹の悪魔は噴水近くの空中をくるくる回っている。陽気に歌を歌いながら。
――パッパプリナンナ♪ ポポナンナ♪
それぞれの手から魔法を放つ。炎を、風を、雷を。
グーニーズは結界を張り、老人たちを守っている。
「アレッシオ、早くなんとかしてくれ!」
セイルが震える手を抑えつけ、アレッシオに叫ぶ。
「さっきから頑張ってはいるんだがの。こいつらちょっと特殊なんじゃ」
アレッシオは困った表情で頭を掻いた。
「ほれ、見ておれ」
アレッシオは魔力を込め、火の玉を放った。それは一匹に命中したが、傷一つ付いていない。
続けて雷の玉を放った。先ほどと同じ悪魔に当たり、今度はその姿を消滅させた。
「やったか!」
セイルが歓喜の声を上げるが、その表情がすぐさま曇った。消滅したはずの悪魔が空虚から蘇ったのだ。
「この調子での。いくらやっても埒があかんのじゃ。色々試してみたんじゃがのぉ」
――クペラ♪ ポペラ♪ パッパプリカ♪ パッパプリナンナ♪ ポポナンナ♪
「くそっ! 腹立つな、コイツら」
からかうように歌う悪魔に対して、セイルが唾を吐く。
「……僕たち仲良し三兄弟。……火の子と風の子、雷と……三つで一つ、一つが三つ」
ふいに、そんな声が聞こえた。
セイルが振り向くと、一人の老人がぶつぶつと呟いている。その顔には見覚えがあった。
「あんた、魔族の言葉が分かるのか?」
それはセイルが施設に来た日に風魔法で暴れまわったあの老人だった。セイルのほうを向き、本数の少なくなった歯を見せ笑った。
「……そういうことか」
アレッシオが何かに気付いたように顔を上げた。
「ヤツらは三匹で一つの存在なのじゃ。三匹同時に倒さんと残った者が復活させてしまうんじゃな」
「それじゃあ、三匹まとめてやれる巨大な魔法を作ってやればいいんだな」
セイルの言葉にアレッシオが首を振った。
「それがヤツらの厄介なところでの。それぞれが火、風、雷の属性を持っていて、同属性の魔法は利かんようになっておるみたいじゃ」
セイルは先ほどの光景を思い出した。火の玉は利かず、雷は食らうがすぐさま復活した悪魔の姿を。
「じゃあどうすれば?」
異なる二属性の魔術なら、手練れの魔術師であれば両手それぞれで魔力を練り上げて放つことは出来る。
実際、万全の状態であればセイルにもそれは可能だった。
しかし、三属性ともなるとそうはいかない。両手では足りないからだ。
さらには三匹の容姿はまったく同じで、どいつがどの属性を持っているかは、見た目からは判断がつかなかった。
悪魔たちはくるくる回っていた。
「さて、若者よ。魔術の基本は何か知っているか?」
アレッシオがセイルに向かい問いかけた。
「こんなときに講釈なんか垂れている場合じゃないだろ! 魔素と振動、これが魔術の基本だ!」
セイルは苛立ちを隠せずにそう答えた。
しかし、アレッシオは残念そうに首を振った。
「お主、頭がかっちかちじゃのお。魔術の基本は……」
そう言いながら、アレッシオが右手に魔力を込めだした。周辺が熱を帯び、炎の塊が出来上がった。続けて左手に魔力を込める。ばちばちと音を立て、雷がほとばしった。
――やはり二つ。これでは足りない。
セイルが唇を噛む。
「魔術の基本は、……想像力じゃよ」
アレッシオはにやりと笑い、大きく息を吸い込んだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉ」
吸い込んだ息を吐きだしながら、アレッシオが唸りだした。不思議そうに眺めていたセイルにも、徐々にその意図が分かってきた。
アレッシオの喉元に魔力が集まるのが見て取れたのだ。
――この爺さん、喉を振動器官の代わりにしてるのか!
セイルが驚くのも無理はない。振動器官による魔力の形成は、実は非常に繊細な作業の元に成り立っている。
それぞれの魔術に合わせた振動――魔力の練り方があり、常人には、一つの魔術の習得にも長い時間がかかるのだ。
それを目の前の老人は即興で、それも通常魔力を練る場所ではない喉を使って成そうとしているのだ。
いつの間にかアレッシオの口元には風が集まり竜巻の玉が出来上がっていた。
「カァッ!」
叫び声を上げ、練り上げた魔法を一気に悪魔に放った。
炎と風と雷が、折り重なるように一つになった。悪魔たちは「キャ?」と声を出し、不思議そうにそれを見ている。
巨大な一つの魔法となったその塊は、三匹の悪魔を包み込んだ。
光が収まると、そこには綺麗な星空が広がっていた。
「この年になってまた一つ、新しい技を作ってもうたわい」
千の魔術を持つ男は、満足気に微笑んだ。
「……終わったのか?」
緊張が解けたのか、疲れ果てたセイルはその場にへたりこんだ。
「こっちも片付いた」
シラズが頭上からすたりと降り立った。
「土産を持ってきたぞ」
バンドールがオーガの首を抱えている。
「いるかよそんなもん」
セイルはオーガの首を一瞥し、鼻で笑った。
「……あれ? ライカちゃんは?」
誰かが言った。
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