第三章 願いは遥かⅤ

巨大な魔物は施設を揺らす。その怪力に物を言わせ、見せつけ、誇り、暴れまわる。


 施設を飛び出すやいなや、バンドールは巨人型の魔物に体当たりを食らわせた。体勢を崩した巨人が仰向けに倒れた。その衝撃と重さにより周辺の地面が少しめり込む。


「ようデカブツ。見たところ力自慢のようだな。……あいにく、おれも力には自信があってな」


 そう言ってバンドールはにやりと笑った。


 巨人型の魔物は忌々しそうにバンドールを睨みつけると、ゆっくりと立ち上がった。


 改めて対峙すると、その姿がはっきりと把握出来た。背丈はバンドールの二倍ほど。


バンドール自身も常人よりはかなり大きな体格をしているので、その大きさは二階に頭が届くほどだった。


その顔には目が一つで、額からは短い角が生え出ていた。魔物学的にはオーガと呼ばれる巨大な魔物の一種だ。


オーガの特徴は驚異的な筋力と耐久性。通常の剣では刃も立てられないほどの頑丈な皮膚を持つ。


「薪割りにも飽き飽きしていたところだ。さぁ、力比べといこうじゃないか!」


 バンドールは半身に構え、その両手についた鎖をじゃらりと鳴らした。




 魔獣は目にも止まらぬ速さで駆け回る。その四肢が地面を蹴り上げる度に、ばりばりと雷が走り回る。

微かに捉えたその顔には、狼の頭が三つ並んでいた。魔獣型の中でもまた希少種、ケルベロスと呼ばれる魔物だ。


「さーて、ワンコよ。追いかけっこならワシも負けんぞ」


 シラズが足の振動器官に力を込め、地面を勢いよく蹴り上げた。




 三匹の悪魔は歌を歌う。陽気で不快な破滅の歌だ。空をくるくる飛び回り、踊るように魔法を放つ。


ひとつ放ってはケタケタ笑い。ふたつ放ってはケラケラ笑う。見た目は太った子供のよう。角が二本に翼と尻尾。インプと呼ばれる魔物の類だ。だが突然変異と言っていいほど、その魔力は桁違いに思えた。


「まったく。下品な奴らじゃ」


 アレッシオはインプの放つ魔法を次々と相殺する。


「魔術の基礎から、教えてやらんといけないようじゃの」


 アレッシオの振動器官がびりびりと震えている。




 施設を飛び出したセイルとライカは、群れなす魔物達を次々と倒す。

ライカは、炎の魔術の扱いだけは得意なようで、紅蓮の炎で辺りを焼き尽くしていた。


「お前、魔術扱えたんだな」


 セイルが魔物を殲滅しつつライカに声を掛けた。


「それ、さっきも聞いてたよな? 嫌味な奴だ」


 ライカはセイルを睨みつけながら炎を操る。


「小さい頃からこればっかりやらされていたからな。他の魔術は使えないが、炎の魔術なら多少の自信はあるぞ」


 巨大な炎は渦を巻き、触れるものすべてを焼き尽くした。


「しかし、これは。キリがないな」


 ライカは呆れたように呟く。背中合わせになったセイルとライカは、大粒の汗を流していた。


 魔物に対して連続して魔術を放ったせいで、疲労困憊といった様子だ。


「そういえば、朝から何も食べてなかったな」

 セイルが思い出したように呟く。


「だから言ったろ。ここの仕事は体力が資本だって」

「飯を食おうとしたおれを連れ出したのはどこのどいつだよ」

「昼飯を食わなかったのは自分のせいだろ!」


 二人がくだらない言い争いに気を取られたその時、一匹の魔獣が凄まじい速さで二人に突進をする。気が付いた時にはすでに眼前にその牙が迫っていた。


――まずい!


 セイルはライカをかばう様に、咄嗟にその手を広げた。


 しかし、その牙が二人に届く直前、魔獣は強い力で真横に吹き飛ばされた。


「加勢するぞい」


 見るとそこには、何人もの入居者の姿があった。


「……あんた達。だめだ! ここは危険だぞ!」


 ライカがそう叫ぶが、老人たちは笑いながら魔術を放つ。


「孫みたいな年のお主らが頑張っているときに、黙って見過ごす者はここにはおらんて。それに……」


 老人たちは互いに顔を見合わす。


「今日の舞踏会は、いくら楽しんでも怒られることはないからの」

 そう言って子供のように無邪気に笑った。


「まったく。手のかかるジジイ共め」

 ライカも思わず笑みを零した。


 久しぶりの戦場に、かつての血が騒ぐのか、普段は眠ったように過ごしている老人たちが嬉々として魔物に立ち向かっていく。


ある者は車椅子ごと身体を浮かせ、ある者は自由の利く片腕のみで魔術を放った。


「わたしのセイルちゃんに手出しはさせないわよ!」


 ミラがそう叫びつつ、両手に持った筒状の道具で魔力を放ち、魔物を次々と撃ち落していった。


 援軍がきたお陰で、戦況はかなり有利になっていた。セイルとライカも再び気を入れ直し、手当たり次第に目に付く魔物を駆逐した。


「そういえば、さっきあんた……」

 ライカが背中越しにセイルに声を掛ける。


「何だ」

 セイルがめんどくさそうに答える。


「……いや、なんでもない」

 ライカの答えに、セイルは「チッ」と舌打ちをした。


 突如、凄まじい業火が辺りを覆った。それは確実に、人間を対象に放たれたものだ。


が、そこにいる者達にその炎が届くことはなかった。


「間に合ったんダネ」


 グーニーズが瞬時に結界を作り、炎から皆を守ったようだ。結界の外にいた魔物達は消し炭と化していた。


「来やがったな」


 セイルは炎の放たれた方向を睨みつけた。そこには巨大な黒い影があった。


――黒竜だ。


 古今東西、竜の一族は人々の脅威とされてきた。数々の種類が確認されているが、そのどれもが非常に硬い鱗に覆われ、その吐く息は、人が放つ魔術をはるかに超える威力を持つとされている。


 事実、先ほど吐かれた炎の息は、結界外を焦土と化し、そこに生きとし生けるものすべての命を奪い去っていた。


「こいつはまずいぞ」

 セイルはライカに目だけで訴える。ライカはこくりと頷いた。


「爺さん達! 遊びは終わりだ!」

 ライカが辺りにいた老人達に声を掛ける。


「所長! みんなを集めて守っていてくれ!」

 グーニーズも頷き、辺りで飛び回っていた老人たちを広場の中心へと魔力で引き寄せた。


「そんなぁ。ワシはまだまだ戦えるぞ」

 無理やり引っ張られ、ぐずる入居者をよそに、ライカとセイルは黒竜と対峙した。


 黒竜はゆっくりと近づいてくる。その歩みには余裕さえ感じられた。無機質なその瞳は、しっかりと二人を捉えている。

が、ふいに頭を施設に向けた。黒竜の胸のあたりが大きく膨らむ。


「やめろ!」


 ライカが叫ぶよりも早く、黒竜は施設に向かい息を放った。


 魔物の進撃に耐えていた施設の結界も、その灼熱の吐息によりついに力尽き、施設は真っ赤に燃え上がった。


「畜生!」


 ライカは燃え盛る施設を目の当たりにし、拳を強く握りしめた。


「大丈夫! 地下にある備蓄倉庫なら安全なんダネ!」

 グーニーズは結界で老人たちを守りながら叫ぶ。


「この野郎!」


 セイルが黒竜に向かい雷を放った。しかしその鱗に阻まれ黒竜には傷一つ付かない。

続け様に何度か魔法を放つが、そのすべてが強靭な鱗の前では無力に等しかった。


「なんとかならないのかよ天才魔術師様!」

 ライカが嫌味っぽくセイルに言う。


「うるさい! いま考えている!」

 セイルは思考を巡らせ手段を考えていた。


 通常、竜を倒すためには、対竜兵器と呼ばれる専用の兵器が用いられる。


ハバル火山の周辺でしか採取出来ないハバル鉱石を加工し、巨大な矢じりを生成した後、射出装置により強力な力で打ち出すものだ。

ハバル鉱石は熱に強く、魔術師が何人かがかりで熱すると、竜の鱗をも貫通するだけの威力を持つことになる。


 しかし対竜兵器は大国の居城か前線の重要拠点にしか配置されていない。もちろん、この施設にそんなものあるはずもない。


――どうする?


 セイルが逡巡しているまさにその時、巨大な影がセイルの眼前を横切った。

物凄い速さで飛び去ったその影は、広場の噴水に衝突し、美しく象られた噴水の彫刻が粉々に砕け散った。


「ちくしょう。なかなかやるな」


 破片の中から顔を出したのはバンドールだった。破片にまみれて顔が真っ白になっている。


「バンドール! 大丈夫か!」

 ライカがすぐさま駆け寄った。


黒竜の隣でオーガが雄たけびを上げていた。


 続けざまにセイルのそばにすたりと舞い降りる影が。


「いてて。今日はちょっと無理しすぎたかのぅ」


 声の主はシラズだった。自身の腰を抑えながらさすっている。ケルベロスは施設の屋根の上でうなり声を漏らしている。


「こっちもちょっと手こずっておる」


 どこかからアレッシオも近づいてきて、肩をすくめた。三匹の悪魔は楽しそうに声を上げる。


「どこもかしこもいっぱいいっぱいだな、クソ!」


 セイルは苦虫を噛み締めたような表情で悪態を吐いた。


「誰かー!」


 ふいに、どこかで助けを呼ぶ声が聞こえた。声は施設二階のバルコニーからだった。


「モハーナ! 逃げ遅れたのか!」


 セイルの目にバルコニーの手すりに捕まり、手を振るモハーナが見えた。

バルコニーにも灼熱の火の手が迫っていた。


「ワシが行こう」

 シラズが名乗りを上げ、その足に力を込めた。


「シラズの爺さん! これを!」

 ライカが自身の羽織っていたマントをシラズに投げ渡す。


「それは私の髪で編んである! ある程度の炎なら防げるはずだ!」


 シラズはそれを受け取ると、一度だけ頷き、すぐさま二階のバルコニーへと飛び移った。


「さぁ、もう大丈夫じゃ」


 シラズがモハーナをマントで包み、抱え込みながら脱出しようとしたその時だった。黒竜が二人に向かい、吐息を放った。


「シラズ!」


 セイルの目の前が真っ赤に染まった。バルコニーはその熱により崩れ落ちる。

しかし、その炎の中から一つの影が飛び出してきた。モハーナを抱えたシラズだ。


 セイルの隣に舞い降りたシラズとモハーナの身体は、黒竜の炎により真っ赤に燃えていた。


 シラズは力を振り絞り、モハーナをライカの元へと投げ渡した。ライカのマントに包まれていたモハーナは、多少煤けてはいたものの、命に別状はないようだった。


 力尽きたシラズは、その場で膝をつく。その身体には未だに紅蓮の炎が踊っていた。忌まわしきその炎が、シラズの命を奪い去るのに、そう時間は掛からないだろう。


「だめだシラズ! 死ぬな!」


 セイルは必死に声を掛けた。自分の目の前で人が死ぬことは、今のセイルにとって許されざることだった。


――死ぬなシラズ。頼む! 死なせるもんか!


 セイルがそう強く願った時だった。不思議な感覚がセイルを襲った。


 周りの音が遠くなった。それぞれの動きがひどく遅く感じられた。目の前のすべてが光の粒に見えた。


――すべての物は一つなのよ。もっと感じて。視野を広げるの。


 セーラの声が聞こえたような気がした。


 目の前で燃え盛っているはずのシラズも、その炎も、光の粒の集合体に見えた。


 セイルは、不思議と自身がどうすべきかを理解していた。シラズに向かい手の平を向ける。


 とたんに、シラズに纏わりついていた炎が嘘のように消え去った。


「これは?」


 シラズが自身の身体を見渡した。多少の火傷は負っていたが、その肉体は平常のものとそう変わらないように感じた。


 セイルは続けざまに黒竜のほうへ向き直る。セイルの目には、黒竜も光の粒の集合体としか認識出来なかった。


 セイルが黒竜へとその手を向けた。瞬時に、黒竜は足元から徐々に石化しだした。

異変を感じた黒竜が、足の石の塊を振りほどこうと暴れるが、変化の速度のほうが早く、膝元、胸元、首元へと石化は続き、ついには黒竜だったものは完全に石の塊と化し、その動きを停止した。


それはまるで手練れの職人に造られた、見事な彫刻のように見えた。


 黒竜を石化させたとたん、セイルは膝をつき、ぜぇぜぇと苦しそうに肩で息をし始めた。


「あ、あんた。何をしたんだ?」


 ライカがセイルに問いかけるが、セイルはわからないと言いたげに首を振るだけだった。


 セイルの両手が震えていた。振動器官を酷使しすぎると起こる魔術師特有の発作だった。この症状が出てしまうと、発作が落ち着くまで魔術を扱うことは出来ない。


 黒竜が石化するのを目の当たりにしたオーガが雄たけびを上げた。

彫刻となった黒竜をなぎ倒し粉々に砕いた。そして広場にいる人間たちを睨みつける。


「次は、おれたちが頑張る番だな」


 バンドールが腰を上げ、気合いを入れなおす。シラズとアレッシオも、自身の目標へと視線を送った。


「待ちなさい……」


 立ち去ろうとした三人に声を掛ける人間がいた。


――モハーナだ。


 ライカに抱えられながら、モハーナは三人を指さし告げる。


「……あなたたちは今一時、全盛期の力を取り戻すわ」


 その言葉を聞いた途端、三人の瞳が怪しく光った。


「ほほぅ。なんだか力が漲ってくるようじゃわい」

 アレッシオが嬉しそうに声を上げた。


「腰の痛みも無くなったぞ」

 シラズが屈伸をする。


「身体が暴れたくて疼いておるわ」

 バンドールが肩を回す。


「爺さん達!」

 ライカが声を上げた。


「今日だけは特別だ。……存分に暴れろ!」


 ライカの言葉に三人が笑みを零す。


「やってやるかの」

「御意に」

「任せとけ!」


 それぞれが返事をし、散開した。

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