第三章 願いは遥かⅣ

ケイのまぶたがゆっくりと開かれた。

 目に映るのは自身の顔を覗き込む老人達の顔だ。


「おお! 目を覚ましたぞ!」


 誰かが言うのが聞こえた。


「……ここは? ……みなさん?」


 上半身を起こしたケイが事態を把握出来ず辺りを見渡す。そこは独居房の廊下のようだった。

周りには顔中に笑みを湛えた入居者達がいた。狭い廊下にぎっちりと人が集まっている。


「良かった! 良かったのぉ!」


 共に抱き合い、中には涙を流す者もいた。


「……どうかされたのですか?」


「どうかしてたのはお前だよ、ケイ」

 ライカが笑顔でそう言った。


「悪い奴に身体を乗っ取られていたんだ。みんな心配して集まって来たんだよ」


 ライカに促され、一人ひとりの表情を見る。みなまっすぐにケイを見つめている。


「さて、それでは本当に元に戻ったか、身体検査せねばの」


 そう言って手をわきわきと動かしながらケイに伸ばしたアレッシオの頭上に、ライカの拳が突き刺さった。


「いたーい!」


 アレッシオが涙目で頭を抑える。


「このすけべ爺! 状況を考えやがれ!」


 二人のやりとりに、周りの人間が声を上げて笑う。


「創造主の願いが一つ叶ったな、ケイ」


 セイルが腰を落とし、ケイに目線を合わせた。


「君にはこんなにも家族がいる」


 周りの人間もケイを見つめ、頷く。


――家族を持ちなさい。そして、幸せになりなさい。


 ケイは創造主の言葉を思い出す。そして首を振りこう言った。


「いいえ、セイル様。……きっと、二つとも」


 ケイは自身の核がある胸元辺りに手を添えた。熱量ではない、不思議な温かさをそこに感じていた。


「そうか」

 セイルはそう言い。鼻を鳴らした。



 その刹那、轟音と共に建物が揺れた。



「何が起きた!」

 驚いて独居房を飛び出したライカが叫ぶ。


「あれを!」

 近くにいた職員が施設の外を指さした。


「……なんだ、あれは」


 そこには、施設を取り囲むように魔物の群れが見えた。その中でも一際大きな巨人型の魔物が、建物に攻撃を繰り出していた。


先ほどの振動は、その攻撃によるものだったようだ。


「なんの騒ぎなんダネ!」

 駆け付けた所長が叫んだ。


「……大口が復活したんだ」


 ライカの呟きに、所長のグーニーズが驚きの声を上げた。


「まさか! ここの大口はもう何十年とその活動を止めていたんダネ! 研究者の見解でも、復活する可能性はほぼないと言っていたんダネ!」


「バジルの野郎だ! ケイの身体を乗っ取った後、大口を復活させようとしていたんだ! くそ! 間に合わなかったか!」


「しかし、施設のまわりには強力な結界を張っていたはずなんダネ! 魔王級でも、あれを突破するのは難しいはずなんダネ!」


 グーニーズが両手をぶんぶん振り回し訴えた。


「お、おい、まさか」

 いつの間にか隣にいたセイルがライカを小突く。


「……やっちまったな」

 ライカが気まずそうに頭を掻いた。


「いや、所長、実は……」


 ライカがおずおずと所長に声を掛けようとするが、それを遮って所長が呟く。


「……と、いうことはダネ。……まだまだあの結界にも改善の余地があるということなんダネ! くぅー。これだから結界研究は辞められないんダネー!」


 グーニーズは、今度は嬉しそうに両手を振った。喜びに身を震わせている。


「……変態だ」

 珍しく、ライカとセイルの声が揃った。



「そんなこと言ってる場合じゃない! とにかく事態を収束させよう!」

 我に返ったライカが叫ぶ。


「地下の備蓄倉庫に隠れるんダネ! あそこにはとびきりの結界を施してあるんダネ。食料はなによりも大切だからなんダネ」


「よし! 職員は手分けして身体の不自由な入居者を避難させろ! 動ける者は自分で避難だ!」


 ライカが大声で指示を出す。職員達は頷き、各自が素早く動き出した。


「私も避難作業をお手伝いします」

 ケイも施設の奥へと走りだす。


「トライアドに支援を要請しよう! おれから言えば、すぐにでも部隊を派遣してくれるだろう」


「無駄だよ」

 セイルの言葉を、ライカがすぐさま否定した。


「どうしてだ?」


「……ここは、世界からすれば頑なにその存在を隠しておきたいくそったれな秘部なんだ。部隊なんか派遣してもらえるはずがない。……理由はわかるか?」


「……士気が下がるのを恐れているんだな?」


 セイルの答えに、ライカが頷く。


「やっぱりそうか、くそったれ!」


 世界がこの場所を秘密にしたい理由。それは、今現在、最前線で戦っている戦士たちの士気が下がるのを恐れているからだ。


 今はただ、その力を存分に発揮し、がむしゃらに戦果を上げ、誉れ高き英雄と呼ばれる者達が、年老いてその力が制御出来なくなると、流刑のようなこんな最果ての地に送られると知ったらどうなるか。


恐らく少なくない者が、その剣を置き、拳を下げ、魔術を封印することだろう。


 魔物達との闘いが今なお各地で続く現在では、それは最も恐れるべき事態であることは容易に想像がつく。


「と、いうことは」

 セイルが施設の外を見やる。ライカが頷く。

「……私たちだけで、この施設を守るぞ」


「……大口は私が封印しよう」

 声に振り返った二人が驚く。


――そこにいたのはドゥランだ。


「邪教のお前に任せられる訳がないだろ!」

 大声で拒絶したライカの肩に、グーニーズの手が乗せられた。


「大丈夫なんダネ。……彼に任せるんダネ」


「でも所長……」


 返事を聞く前に、ドゥランが施設を飛び出した。襲い掛かる魔物を、次々と焼き尽くしながら飛び去って行った。


「……本当に大丈夫なんですか?」


 ライカがいぶかしげにグーニーズに問いかける。グーニーズは、笑みだけで返事をした。


「私は入居者の避難を確認してから倉庫の結界を強めるんダネ。君たちの健闘を祈るんダネ」


 そう言うと踵を返し、施設の内部へと走り去っていった。


残された二人が再び外を確認する。魔物達による攻撃は未だに続いていた。施設はまだ、グーニーズの結界によりその姿を保っていたが、それも間もなく破られそうな勢いだ。


その理由を、セイルがライカに告げる。


「魔王級が数匹紛れ込んでいる」


 トライアドでは、魔物の力の度合いにより、その脅威を段階的に位置付けていた。

 魔王級とは、その一匹で一万人規模の街を壊滅させうる力を持つ者たちの総称だ。


「さっきからこの施設を揺らしているデカブツは言うまでもなく、目にも止まらぬ速さでビュンビュン駆け回って雷を落としまくっているあの獣型、所かまわず魔法を打ちまくっている三匹の悪魔型、そしてまだ離れているが、あそこに見える黒竜。こいつらがこの大群の主戦力だろう」


「くそ! このままじゃここも危ない。……新入り、なんとか出来るか?」

 ライカの問いかけにセイルはため息を吐いた。


「……一匹二匹なら対処は出来るが、こうも数が多いと骨が折れるな」

 苦しそうなセイルの答えに、ライカも唇を噛み締める。


「ワシらも加勢しよう」


 二人が振り返ると、そこにはアレッシオ、シラズ、バンドールの姿があった。


「しかし、爺さん達……」

「おいおい、ワシらを誰だと思っておるんじゃ」


 そう言って笑うアレッシオは、普段の色欲にまみれた顔ではなく、引き締まった戦士の表情に変わっていた。


「久しぶりに遠慮なく力を振るえるな」

 バンドールはその腕の筋肉に力を込め、真っ赤に隆起させている。


「そういうことじゃ。手分けして守るぞ。……ワシらの家を」

 シラズの瞳が鋭く光った。


「……わかった。爺さん達、寿命が来る前に死ぬんじゃないぞ」


 ライカは三人を指さした。それは願望ではなく、互いの約束であるかのように。三人もそれぞれが深く頷いた。


「よし! それじゃあ、バンドールはこのデカブツを頼む。シラズはあの獣型、アレッシオは悪魔型をなんとかしてくれ。おれ達は先に雑魚を殲滅する」


「それじゃあ、行くとするか」


 ライカが胸元で両の拳を合わせた。それを合図に、それぞれが施設を飛び出した。

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