第三章 願いは遥かⅡ
夕食の時間になり、セイルは食堂へ向かった。今日はセーラのこともあり朝から食欲がなかったが、腹の虫もようやく目を覚ましたようだ。
「おい、新入り! ケイを見なかったか?」
食堂へ入るなり、ライカが突進するように向かってきた。
「お前さっきも聞いてきたな。……どこかでさぼってるんじゃないか?」
そう言って一人笑うセイルの頭を、ライカが力一杯殴りつけた。
「ケイはあんたとは違うんだよ! ……おかしい。こんなことは初めてだ」
大声で叫んだかと思うと、一人思いにふけるように呟くライカを、セイルは頭を押さえながら睨みつけた。
「ケイちゃんなら、昼頃に森に入って行くのを見たぞ。……車椅子を押していたから、誰かと一緒だったんじゃないか?」
食事をしながら話を聞いていた一人の老人がそう言って首を傾げた。
「なに! それは本当か? ……やっぱりおかしい。いくら入居者の希望だからといって、危険な森に連れていくことなんかケイは絶対にしない」
ライカはなにか不穏な気配を感じているように、顎に手を当て押し黙った。
「おい、新入り。一緒にケイを探しにいくぞ」
「おいおい、おれは今から飯を……」
「いいから早く!」
そう言って駆けだしたライカの後を、セイルはしぶしぶ追いかけた。
夜の森は暗黒の世界だった。生い茂る木々のせいで、月明かりすら届かない。
ライカとセイルは、その手に炎を宿し、辺りを照らし出す。
「お前、魔術使えたんだな」と、セイルはわざとらしく驚いたように言うと、ライカは「誰の孫だと思っているんだ」と言って睨みつけた。
「おーい、ケイ! いるのかー!」
ライカが暗闇に向かって叫ぶ。しかし返答はなく、声に驚いた鳥たちがばさばさと飛び去るのみだった。
「くそっ! 埒が明かないな」
「本当にここにいるのか?」
吐き捨てたライカに、面倒くさそうにセイルが問う。
「館内に居ればどこかで目にしたはず。それでも見つからなかったってことはまだ森に居るはずだ」
ライカはそう言い、ずんずんと先へ進んで行く。
セイルはため息を吐き、明かりを前方に向け歩き出した。
しばらく進んだ所で、突然ライカが立ち止まった。セイルはぶつかりそうになり、少しのけぞる。
「おい、危ないだろ」
「しっ!」
文句を言うセイルを制し、ライカは静かに指をさした。そこはシラズを追いかけて辿り着いた森の端の辺りだった。
少し前方の木々の間に人影が見える。遠目に見えるそれは、両手を天に掲げていた。
「……あれは。ケイか?」
セイルが小声でライカに問いかける。
「……やっぱり様子がおかしいぞ」
ライカはそう呟き、足音を立てないようにゆっくり近づいていく。手に灯した炎はすでに消していた。
徐々にその姿が明確になるにつれ、二人の心拍数が高まる。暗闇に浮かび上がるその姿は、紛れもなくケイそのものだった。両の手を天に掲げ、何かを詠唱している。
――一体、何をしているんだ?
ケイとの距離にあと十歩ほどまで近づいたセイルが、よりその動向が見える位置に移動しようとした時だった。何かに足元を取られ躓いてしまった。物音に気付いたケイが振り向く。
「誰だ!」
その声色は明らかに異質で、普段のケイとは似ても似つかぬものだった。
咄嗟にライカが駆け出し、ケイに向かい鞭を振るおうと腰に手を当てたが、一瞬早く、ケイの拘束網がライカを捉えた。
ケイは続けざまにセイルにも拘束網を放ち、体勢を崩していたセイルも、あっさり網に捉えられてしまった。
網に絡まり、倒れこんだセイルは、そこでようやく先ほど躓いた物の存在をはっきりと把握した。
――車椅子だ。
車椅子のそばには、その主であろう老人が倒れている。その人物からは、まるで生気を感じられなかった。
「ふん! 施設の職員か。気づかれていないと思っていたが、勘のいい奴がいたんだな」
ケイの口から吐き出されるその声は、普段より何段階も低い音を響かせていた。
「しかし、この身体。なんと素晴らしいんだ。この射出速度も申し分ない」
ケイの姿をしたその人物は、その孔の空いた手を誇らしげに眺めている。
「お前、バジルだな」
ライカが網に締め付けられ窮屈そうに、だがはっきりとした口調でそう断言した。
「勘がいいのはお前のほうだったか」
ケイがライカを見やり、不敵に笑った。
――なるほど。あっちで倒れているのはバジルか。
セイルが車椅子の隣で倒れている老人に目を凝らした。
「ケイに何をした!」
ライカがケイの姿をしたバジルを睨みつける。
「ふふふ。驚いたよ。こんなに精巧な泥人形が存在したとは」
バジルが手を広げ、誇らしげにその身体を二人に見せつける。
「私がなんの研究をしていたか知っているか? ……不老不死だよ。様々な文献をあさり、研究を重ね、それでも満足の行く結果は得られなかった。教祖様からは何度も急かされ、叱責されたよ。結果を急ぎすぎたあまり、数多の人体実験を行い、真偽不確かな危険な魔術にも手を出し、私はいつしか自我を失った」
バジルは自嘲気味に笑みを零した。
「教団にも不必要とされ、流れついたこの場所で、まさかこんな出会いがあるとはな」
今度は楽し気に笑い出したバジルに、セイルとライカは少しだけ目を交わした。
「身体を乗っ取ったのか」
セイルがバジルに問いかける。
「その通り。この泥人形は心を欲していたからな。与えてやったのだよ。私という心をな! 私はついにたどり着いたのだよ。これこそがまさに不老不死という難題に対する一つにして至高の答えさ。どれだけ負傷しようと、土さえ補充すれば元通りになる身体。どれだけ時が経とうと、老いることのない肉体だ。私はこれから、この世の支配者となり悠久の時を過ごすのだ。混沌と共にな!」
そう叫び、バジルが指さす方向には、憂いの大口があった。その暗闇の中心が、うねり、辺りに重低音を轟かせていた。
「貴様まさか! 大口を復活させようとしているのか!」
ライカが叫ぶ。
「いかにも。もう間もなく儀式も終わる。お前たちはそこで指を咥えて見ているがよい」
バジルが振り返り、両手を上げ、儀式を再開しようとしたその時だった。
「そうはいかんぞ」
どこかから声が聞こえたかと思うと、バジルの脇腹に衝撃が走り、横に立つ樹木に体ごと打ち付けられた。
呆気に取られているセイルとライカの網が、瞬時に切り裂かれた。
自由の身となり、体勢を立て直した二人が目にしたのは、懐刀を逆手に構えたシラズだった。
「シラズの爺さん! 着いてきていたのか!」
ライカが思わず叫ぶ。
「ほっほっほ。若いもんだけに行かすのは少し心配だったからの。……油断しとる場合じゃないぞ」
シラズの蹴りを喰らい、木に打ち付けられていたバジルの両手がこちらに照準を合わせていた。
すぐさまその両手から拘束網が放たれたが、三人は瞬時に散りじりに飛び、その網を躱した。
三人は木に隠れ、バジルの様子を伺う。
「お前たち、許さんぞ!」
バジルは怒り狂った様子で、近くの木々をなぎ倒した。
常人であれば不可能であるはずのその怪力は、元来土木作業の現場で活用される泥人形のもつ性質のものだった。
「おい、新入り! 何とかできるか!」
ライカがどこかにいるはずのセイルに問いかける。
「動きさえ止めてくれれば手段はある!」
セイルも大声で叫んだ。
「何をわめいている!」
バジルが所かまわず木々をなぎ倒し、三人の姿を捉えようとする。
しかし、それはこの暗闇では逆に自身の正確な位置を三人に知らせることとなる。
「シラズの爺さん! いけるか!」
どこかでライカの声が聞こえるやいなや、目にも止まらぬ速さでシラズがバジルの足に向かい飛び蹴りを放った。
咄嗟の事に体勢を崩したバジルに、ライカの鞭が巻き付いた。
「新入り!」
「任せろ!」
泥人形の力を持つバジルには、巻き付いた鞭を振りほどくまで残された時間はそう多くない。
セイルは魔力を練り上げ、その手をバジルの胸元に押し当てた。
「きさっ!」
バジルが何かを言おうとするより前に、その身体からは力が抜け落ち、ぐらりと前へ倒れこんだ。
「殺したのか?」
息を切らしたライカがセイルに問いかける。
「いや、泥人形の核から指示系統だけを遮断した。通常のものであれば再度命令を与えなければ動くことはないが、これだけ複雑な造りであれば、いつまた再起動するかも分からん」
「ケイを元に戻せるか?」
ライカの問いに、セイルは首を振った。
「反魂の魔術は闇の魔術だ。おれの持つ知識では魂を引き剥がす方法は思いつかない」
その答えに、三人のため息が重なった。
「……待てよ? 闇の魔術に詳しい者なら、可能かも知れないってことだよな?」
ふいに、ライカが何か思い当たったように顔を上げた。
「あぁ。だが、そんな人間がいるのか?」
「……一人だけな。よし! すぐにケイを連れて行くぞ! 新入り、背中を貸せ!」
ライカはそう言うやいなや、ケイを持ち上げ、セイルの背中に押し当てた。
セイルは咄嗟に手を回し、ケイが落ちないように固定したが、その重さに微かなうめき声を上げた。
「こいつ、見た目より重いぞ」
「淑女にそんなこと言うもんじゃない」
ライカがそう答えるが、少しばかり不満げな表情で、セイルは歩き出した。かと思うと、一旦ケイを下ろし、風魔法で持ち上げた。
「初めからこうすれば良かった」
「ほっほっほ。魔法に頼ってないで、少しは身体も鍛えないといかんぞ」
シラズが呑気に高笑いをするが、そんな二人をライカが急かした。
「早く行くぞ!」
「わかってるよ」
セイルはため息を吐きながら、ライカの後を追った。
施設が眼前に迫った時、突如セイルがライカを呼び止めた。
「おい! ちょっと待ってくれ! 何かおかしい!」
ライカが振り向くと、立ち止まり、手を振っているセイルが見えた。
「何をしている! 早く来いよ!」
「行けないんだ! おれがじゃない、ケイがだ! 障壁に阻まれている!」
ライカが駆け足でセイルの元へ向かうと、地べたに寝そべっているケイがいた。
「見てくれ」
セイルがケイを浮かせ、前方へ動かしある地点まで進むと、見えない障壁に阻まれ押し戻された。
「これはまさか。所長の結界だ。……でもなんで」
ライカが少し思案する素振りを見せると、シラズが静かに呟いた。
「バジルの奴、喰うたんじゃな。……魔族の肉を」
「まさか!」
シラズの推理に、二人が驚きの声を上げるのも無理はなかった。
この世界では、魔族の血肉を自身の身体に取り入れることは禁忌とされてきた。魔族の種類によって、肉体にどんな変化が起こるか想像もつかないからだ。
かつて、その禁忌を犯し、魔族の肉を人間に与える研究をした者もいたが、それを食べた人間は、未知の病を発症したり、魔族に近い存在にその姿を変えたと伝えられている。
――数多の人体実験を行い、真偽不確かな魔術にも手を出し
全員の脳裏に、先ほどのバジルの言葉が浮かんだ。
「……そういうことか。この施設の周りの結界は、魔族の持つ特殊な魔力に反応し、魔族のみを排除するように作っていると所長が言っていた。だから普通の人間は出入り自由だが、魔族は施設に近づけないようになっている。しかし今回はバジルの魔力に反応して障壁を作っちまってるってことか」
「お前いま、さらっとすごいこと言ったぞ」
魔族の魔力にのみ反応する結界など、セイルにはさらさら作れる気がしなかった。結界魔法の変態と言われるだけのことはある。
「困ったのう」
話を聞いていたシラズが頭を掻いた。
「……新入り、この結界壊せるか」
ライカがセイルに問いかけた。
「おいおい、本気か? 施設を守っている結界だろ?」
「今回は事を急ぐからな。大丈夫だ。ここの森にいる魔物達は、小物ばかりだ。所長には明日にでもまた作ってもらおう」
ライカの言葉に、セイルは苦笑した。この規模の、そしてこの精度の結界を作ることが、どれだけ大変なことかくらい、セイルは理解出来ていた。
「お前が代表して怒られろよ」
セイルはそう言いながら辺りの地面に目を凝らす。
――これだけ複雑な結界なら、絶対にあるはずだ。
セイルはすぐに地面に埋まっている目当ての物を見つけ、引き抜いた。それは木で作られた杭のような物だった。
「結界軸と呼ばれる物だ。大規模で複雑な結界であればあるほど、魔力を込めた結界軸が多く必要になる。だが、内側からなら壊すのは簡単。結界軸を取り払えば、その魔力は保てなくなる」
セイルはそう言うと、ケイを浮かせ、前方へと動かした。先ほどとは違い、なんの障害もなくケイは進んだ。
「よし! 急ぐぞ!」
ライカの号令で、一同は施設へと再び走り出した。
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