第三章 願いは遥かⅠ

葬儀の後、セイルは食事を取る気にもなれず、館内をうろうろしていた。たまにすれ違う入居者達はみな、おぼつかない足取りで廊下を歩いている。


――人はどうあがいても年を取らされる。


 モハーナの言葉が心で響いた。


 ここにいる人間達は皆、かつてはどこかで名を馳せた者達のはずだ。国のため、野望のため、弱き者のため。その力を存分に発揮して。


 それが今では、世界から必要とされず、人知れない山奥に閉じ込められている。望むと望まざるとにかかわらず。


 セイルは一人笑みを零した。セーラの死に立ち会い、少し感傷的になっている自身に気付いたからだ。


 しかし、それでも考えてしまう。


――それじゃあ、おれはどうなんだ?


 セイルは、世界がこの施設、【魔王の棲家】の存在をひた隠しにしている理由が少し理解出来た気がした。


「おい、サボリ野郎」


 声を掛けてきたのはライカだった。


「サボリ野郎とは失礼な」


 セイルはそう返したが、そのぞんざいな口の利き方にも、いつものような勢いで反論出来る気分ではなかった。


「入居者はセーラだけじゃないんだぞ。どうせ見回りするなら、もっときびきび歩きやがれ」


 セイルは何も言い返さず、ハッと鼻だけで返事をした。


「……気持ちは分からなくはないがな。そういえばお前、ケイを見なかったか?」


「ケイなら葬儀の後広場に来たぞ。それ以降は知らん」


「そうか。食堂でも見なかったからどこに行ったのかと思ってな。まぁ、いい。悲しみにふけるのも今日までだぞ。明日からまた仕事を与えてやるからな」


 そう言って指をさし、ライカは立ち去って行った。


 残されたセイルは、ふっと息を吐き、先ほどよりは幾分か速い速度で歩き始めた。



「きゃー!」


 突然、女性の悲鳴が聞こえた。


 セイルがその発生源に目を向ける。


 そこには、逃げ回る女性と、ふわふわ浮かびながら彼女を追いまわすアレッシオの姿があった。セイルはため息を吐く。


「おい、爺さん。そんなことしてたらまたあの暴力女に叱られるぞ」


 アレッシオに向かい、呆れ気味にそう告げる。


「なんじゃお主。わしの楽しみを邪魔するのか?」


 不機嫌そうなアレッシオをよそに、女性職員はさっさと逃げ去ってしまった。


「あぁ、逃げられてしもうた」


 アレッシオは空中に浮いたまま口を尖らせる。


「全く。あんたそんなに元気ならこの施設に居なくてもいいんじゃないか?」


 セイルは多少の嫌味を込めてアレッシオに言う。


「……確かにの」


 アレッシオの伏せ目がちのその返しに、セイルは少しの違和感を覚えた。


「何か、理由があるのか?」


 セイルの問いかけに、アレッシオはその身を地上に降ろし、そばにあった椅子に腰かけた。


「……ラッセル=ルーストン。……名前は知っておるじゃろ?」


 アレッシオの言葉にセイルが頷く。


「世界三大魔術師と呼ばれた男だ。……そして、あの女の爺さん」

「そこまで知っておったか。それじゃあ【獄炎の七日間】のことも?」


「……あぁ、聞いた」


 セイルが頷くと、アレッシオは一人息を吐いた。


「灼熱のラッセルと言えば、わしら世代の間じゃ憧れの存在じゃった。その炎の扱いはまるで踊るように華麗での。美しかった。さらには自身の身体を炎そのものに変える炎化の術というものまで扱っておった。未だに、この術はわしにも扱えん。そんなラッセルの最期を伝え聞いてわしは驚いたよ。あれほどの魔術師の最期が、周りの人間を巻き込んだ大惨事を引き起こしただなんて……」


 そこまで言うと、アレッシオは少し間を置いた。


「わしはの、志願してここに入ったんじゃ。そこらの魔術師より強い力を持っているということは自覚しておったからの。……あぁ、これは自慢ではないぞ。ただ、その力も、いつかラッセルのように暴走するかもしれん。その事実が怖かったんじゃ」


 セイルは黙って話を聞いていた。ただのエロボケ爺と思っていた彼の中に、こんな思いがあったとは。返す言葉はなかった。


「……わしは臆病者じゃ」


 【千の魔術を持つ男】と呼ばれた男は、そう言って自虐気味に笑みを零した。


「お主はどう思う?」


 問いかけられたセイルは、わからないと言いたげに首を振るだけだった。


「ここはある意味最前線じゃ。世界にとって、これほどまで重要な意味を持つ場所はないかもしれん」


――最前線。ここも戦場、か。


 セイルはアレッシオの言わんとしていることが理解出来た。


「まぁ、それを知っているのは、ここの関係者だけじゃがの。世界は魔物の相手でいっぱいいっぱい。ここで戦っている者の存在は、誰の耳にも届かない」


 アレッシオがため息を吐く。


「悔しいのか?」


「……いや、少し不憫なだけさ。ライカちゃんや所長や他の職員。……もちろん、お主のこともな」


 アレッシオがセイルに顔を向け微笑んだ。


「少し、感傷的になってしまったの。こんなことはめったにないのに。……お主、意外と聞き上手じゃな」


 そう言って笑ったアレッシオは、再び自身の身体を浮かび上がらせた。


「それじゃあ、またかわい子ちゃんを探しにいくとするかの」


 アレッシオの身体がどんどん高く浮かび上がる。


「あんまりやりすぎるなよ」


 セイルの忠告に、アレッシオがひらひらと手を振って答えた。



 アレッシオと別れ、施設内をぶらぶらしていたセイルの耳に、何かが崩れたような大きな物音が入ってきた。近くにある部屋の中からのようだ。


 セイルは思わず音のした部屋の扉を開ける。


「お、おい。大丈夫か?」


 セイルの目に映ったのは、よくわからないガラクタの下敷きになった老人の姿だ。這い出そうとしているのか、手だけがパタパタと床を叩いている。


 セイルは魔法で老人の上に乗っかったガラクタ達を一つ一つ取り除いていく。ようやく自力で這い出せた老人がよろよろとベッドに腰掛けた。


「ありがとう。助かったわ」


 一息つき、そう呟いた老人は、こげ茶色の肌着の上から長い白衣を羽織っていた。長く伸ばした白髪を後ろで一つに縛っている。


痩せ細ったその風貌と口調は女性のようにも思えるが、性別は確かに男性のようだ。しかし、その口元にはうっすらと紅が引かれていた。


「あら、新入りの色男じゃない」


 セイルの顔を見るなり、明るい声を上げたその老人は、誘惑するように片方の瞼をパチリと閉じた。


「……悪いが、おれにそんな趣味はない」


 セイルは、投げつけられたその目配せを打ち返すように手を振った。


「んもう! つまらない男ね! そんなんじゃ女にモテないわよ!」


「女にって……。あんたは男だろ?」


「体はね! でも心は誰よりも乙女よ?」


 そう言うと、老人は立ち上がり、セイルに見せつけるように体をくねらせ、艶めかしいポーズをとった。


「……吐き気がするので、失礼させてもらう」


 そう言って出て行こうとするセイルの手を取り、老人が引き留める。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! せっかく二人きりになれたんだから、もう少しお話ししていきましょうよ」


 ねっ、と言って再度ウィンクをした老人は、ベッドのそばにある椅子にセイルを無理やり座らせた。


「私はミランダ。ミラって呼んでもいいわよ。あなたはセイルと言ったかしら?」


 仮名か本名かもわからないが、自らをミラと名乗った男は再度ベッドへ腰掛け、セイルの顔を覗き込むようにして笑顔を作った。


「あぁ。セイル=ダミーリアだ。しかしまた、ごちゃごちゃした部屋だな、ここは」


 セイルが部屋を見渡すと、そこかしこに鉄くずやなにかの装置・機材が乱雑に置かれており足の踏み場もないような状態だった。


「職員に言って片づけてもらったらどうだ?」


「あら、片づけるなんて失礼ね! ここにあるすべては必要なものよ。私にはちゃんとどこになにがあるか把握出来てるわ」


 そう言って頬を膨らませかわいこぶるミラを見て、セイルは不快気に顔をしかめる。


「あんたは、研究者かなにかか?」

「そうよ。かつては魔道具研究の第一線で働いていたの。あなたたちが使っている通信機なんかも私の発明なのよ」


「へぇ、それはすごいな」


 通信機の発明は、人類の生活を劇的に進化させたと言っても過言ではない。

事実、離れた場所と交信出来る通信機のお蔭で、各国の協力体制は飛躍的に向上した。


「そうだ! いいもの見せてあげるわ」


 ミラがベッドから立ち上がり、ガラクタの山の中から石のようなものを取り出した。


「これ、なにかわかる?」


「これは……。もしかしてアルマナライトか?」


「あら、あなた物知りね。そう、これが魔道具制作の肝。アルマナライトよ」


 ミラの手のひらに収まるそれは、まるで精製していない鉄の塊のようで、表面は黒くざらついた質感をしていた。


「それじゃあセイルちゃん。これに魔力を込めてみて」


 そう言ってミラがセイルに石を手渡す。セイルはほんの少しだけ石を持った手に魔力を込めた。

とたんに石が光り出し、ほのかな熱を帯び始めた。


「これがアルマナライト。魔力を保持出来る希少な鉱石よ。でも魔力が保持出来ることは分かっても、それを放出する方法は長年発見されていなかったの」


「どうやって放出させるんだ?」


 セイルがミラを見やると、ミラはもう一度ガラクタの山に向かい、アルマナライトを一つ取り出した。


「あなたの持ってるものとくっつけてみて」


 セイルがその手に持った石をミラのものに触れさせると、とたんに魔力がミラの持つ石に移動するのが見てとれた。


「魔力を持ったアルマナライトを別のアルマナライトに触れさせると、魔力は移動するの」


「でも、移動するだけじゃ放出とは言えないだろ?」


「そう、それが難題だったのよね。そこで、研究を重ねて出来たのが、この加速装置よ」


 ミラは再度床をあさり、模型のようなものを取り出してきた。それは糸にぶら下がった玉がついた振り子がいくつも並んだような構造をしていた。


「これはあくまで分かりやすく説明するための模型だけどね」と言いながら、ミラは端にある玉をひっぱり、離した。

すると、玉は糸に引っ張られるまま弧を描くように落ちてゆき、隣り合った玉にぶつかった。

とたんに、離れているはずの逆側の玉が、勢いよく外側へ飛ばされた。が、その玉にも糸がついているため、ある程度離れると再度玉の密集地へと引き寄せられ、隣り合った玉を打ち付け、逆側の玉がこれまた弾き飛ばされた。

それからしばらく、玉と玉が打ち付けあうカツーンカツーンという音が続いた。


「……つまり?」


 セイルはこれがなんだと言わんばかりに、ミラに目線を移した。


「つまり、この力の流れが魔力の流れだと思えばいいの。たくさんのアルマナライトを並べてその端に魔力を込めると、魔力はアルマナライトを伝い、どんどん加速していく。そして、一番端まで到達した時に、一定の速度まで加速していると、アルマナライトもその魔力を保持できずに、外に向かって放出してしまうってわけ」


「なるほど。加速させて、放出させるのか」


「そして、私たち研究者は、どのくらい繋げればどの程度加速するのか。どの程度加速すれば魔力を放出してくれるのか。その魔力の許容量はどのくらいか。なんて細かい調整を延々と繰り返すの」と言ってフフフと笑うミラを見て、セイルは肩をすくめる。


「なんとも、地道な作業だな」


「そう。地道で地味で退屈な作業。それでも、私は信念を持って取り組んでいたわ。……生きた証を残すためにね」


「生きた証?」


「そうよ。セイルちゃんは自分がなんのために生きているか、その意味を考えたことはある?」


 ミラはゆっくりとベッドへと腰掛けた。


「生きる意味なんて。そんな大層なこと考えたこともないな」


 セイルは肩をすくめる。


「私はね、人が生きる意味は、何かを残すことだと考えているの」


「……何かを、残す」


「そう。一番簡単なのは、子供を作ることよね。次の代へ命を残す。……でも、私には子供は産めない」


 そう言うとミラは少しだけ目を伏せた。


「だから、私は残すの。私の子供達を」


 そう言ってミラはガラクタの山を指さした。


「地道で、地味で、退屈な作業。だけどきっと私が残す研究結果は、次の代へと受け継がれるわ。それが私の生きる意味」


 フフフと笑うミラを見て、セイルも少しだけ笑みを零した。


「セイルちゃんは、愛する人はいる?」


「いや。人を愛しいと感じたことは、一度だってないな」


「あら、それじゃあまさか童貞なの?」


「どっ、どうだっていいだろ。そんなこと」


 目を見開いて驚くミラに、少したじろぎながらセイルは答える。


「そう。じゃあ、仕方ないわね」


 そう言いながらミラは自身の服を下半身からたくし上げる。


「……なにをしているんだ?」


 セイルは怪訝そうにミラを見つめる。


「いいわよ?」


 ミラが痩せ細った太ももを見せつけながら誘うように体をくねらせる。


「セイルちゃんの欲望のままに、押し倒してもいいのよ?」


「わかった」


 セイルはそう言うと、右手に魔力を込め出した。途端に右手は熱を帯びその手のひらに炎の玉が形成された。


そしてミラに向かい冷たい目線を送る。


「ちょ、冗談よ! 冗談! ……んもう! 童貞の男はこれだから嫌いよ」


 そう言って顔を背け、頬を膨らませるミラを見て、セイルは一人ため息をついた。

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