第二章 心の在り処Ⅶ

「新入り! ここにいたのか!」


 モハーナが立ち去り一人広場にいたセイルに、叫ぶように声を掛けてきたのはライカだった。


「なんだ、そんな大声出して」


 セイルは呆れながら肩をすくめる。


「セーラの様子がおかしい! 早く来てくれ!」


 尋常ではないその声色に、セイルは思わず駆けだしていた。


 部屋についたセイルが目にしたのは、驚愕の光景だった。


 セーラはベッドで眠りについてはいたが、そのベッドは部屋の中心でぷかぷか浮いている。その周りを取り囲むように、部屋に備え付けられていた家具達がものすごい速さで飛び回っていた。

家具は、突如燃え上がったかと思うと、続けて雷鳴を轟かせ、かと思えば平常の姿に戻り、目まぐるしくその姿を変えていた。


「何なんだこれは!」


 轟音が鳴り響く部屋で、訴えるようにセイルが叫んだ。

大声を出さなければ隣の人間にも伝わらないほどの暴風が渦巻いていた。


「分からない! 監視班から連絡があって急いで来たらこの有様だ! いくらセーラに声を掛けても、全く収まる気配がない!」


ライカも同じく大声で叫ぶ。

ライカの後ろでは所属の魔術師達が必死で結界を張り、被害を抑えようと奮闘していた。


「セーラ! セーラさん! どうしたんだ!」


 セイルも必死に声を掛けるが、力の暴走は止まる素振りを見せない。


「くそっ!」


 セイルは意を決し、魔力を込め詠唱を始める。


――果たしておれの力で、これを止められるか。


 セイルが部屋の中心に向け、その両手を突き出したその瞬間だった。


 不思議な光景だった。


 今まで居たはずの部屋も、ライカも、職員も、すべて消え失せていた。

 セイルは光の中心にいた。真っ白な世界で、四方はまばゆく輝き、しかし、セイルの足元には影の一つも見当たらなかった。


「……なんだここは?」


 セイルは辺りを見渡すが、果てない地平が存在するだけで、他には何も見つけられなかった。


「あら、ここまで入って来れたのね」


 ふいに背後から声を掛けられたセイルが振り向くと、そこにはセーラが立っていた。車椅子はなく、自身の足でしっかりと地を踏みしめていた。


「セーラさん。……一体ここは」


「ここは、私の中よ。精神世界とでもいうものかしら? 勝手に入り込んできて、あなたこそ一体どういうつもり?」


 言葉とは裏腹に、セーラはにこやかに微笑んでいた。


「どういうつもりと言われても……」

 セイルは事態を把握しきれずに口ごもる。


「ふふふ。私には分かるわ。きっと、私の命が燃え尽きようとしているのね」


 セーラが平然と答える。


「……まさか」


「私の寿命が尽きる間際だから、境界があいまいになったのよ。世界と私。あなたと、私」


 セイルはセーラの言葉が理解出来ずに、ただまっすぐセーラを見つめていた。


「私自身がお礼を言いたかったのかも知れないわね」


「お礼?」


「そう、お礼。最期の時を過ごしたあなたに。……ごめんなさいね。何度も息子と間違えて」


 セーラはそう言うと再び笑みをこぼした。


「覚えているのか?」


 セイルが問うと、セーラは首を横に振った。


「分かるのよ。ここにいるとすべてが繋がっていく。……テリスとガービットがいなくなってから、自分が自分じゃない感覚があったの。でも、どうすることも出来ない。たまに起こる力の暴走もね。周りが怯えているのも感じたわ。でも、あなた達は親切にしてくれた」


「あなた、たち?」


「あなたと、ライカさんよ。本当は、彼女にもお礼を言いたかったんだけど。……あなたがここに入って来られたということは、あなたには素質があったということね」


「……素質って、なんの?」


 セイルの問いに、セーラはふふふ、と笑うだけだった。


「セイル=ダミーリア。セイル。……素敵な名前よ。私の国では【風をはらむ者】という意味があるわ。……これからも、みんなを暴風から守り、そして風を受けて導いてあげてね」


 名付けの親すらわからないその名前を、今まで誇ったことなどないセイルは、その言葉に戸惑いを見せた。


「そろそろ、時間みたいね」


 セーラがそう言うと、辺りが激しく光り出した。目を凝らさないとセーラの姿が捉えられないほどだ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 セイルは叫ぶが、光はどんどん勢いを増していく。


「ようやく、家族の元へ……」


 最後の言葉は聞き取れなかった。光の中、セイルの目に映ったのは、腰まで伸ばした黄金色の髪を揺らした、青い瞳の美しい女性だった。



「……いり! 新入り! おい! 大丈夫か!」


 強く体を揺すられ、セイルは目を覚ました。


「っつ! 何が起きた?」


「こっちが聞きたいよ。突然あんたが倒れたかと思うと、セーラの魔法がすべて解けたんだ」


「そうだ! セーラさん!」


 セイルがベッドに横たわるセーラに駆け寄る。老いたその女性は静かに眠っているように見えたが、その息遣いは感じられなかった。


「先生! 診てくれ!」


 ライカが医療班の男を呼び、すぐさまセーラの容体を確認するが、彼女の身体に数回触れると、医師の男は静かに首を振るだけだった。


「そうか……」


 ライカが呟く隣で、セイルは膝を床に付けながら、冷たくなったセーラの手をいつまでも握っていた。



――すべての命を司るものよ。ここにいま、一つの命が失われたことを伝えます。清らかなるその魂を、あなたの元へお返しします。願わくば、安らかなる時を、そしてまた、幸福と栄光に満ちた次の巡りを……


 翌日、施設の墓地でセーラの葬儀が行われた。聖職者による鎮魂の儀が続いている。

 セイルは隣にいるシラズと共に、掘られた穴に埋められた棺桶を静かに見つめていた。


 葬儀が終わり、広場に備え付けられている長椅子に腰掛け、セイルは一人息を吐いた。


「泣いておられるのですか?」


 そう声を掛けてきたのはケイだった。


「まさか」


 セイルはそう言って鼻を鳴らすが、奥歯の奥から塩辛い液体が染み出てくるのを感じていた。

セイルは踏みとどまれと自身に言い聞かすように、奥歯を強く噛みしめた。


 戦場では、死者が出ることなど当たり前のことだった。それに対して、セイルが何かを感じたことなど一度もなかった。

それが当然の日常で、死ぬような奴はただの弱者だと決めつけていた。


 しかし今、彼は自身の中に渦巻く言い知れぬ感情に戸惑っていた。孤児院で育ち、すべてのものを見返すために、自身の価値を証明するために、必死に生きてきた彼にとって、他人を思いやることなど必要の無いものだと思っていた。


 この施設で過ごすうち、いつの間にか自身の内面が変化していたことを、セイルは今になって気付かされたようだった。


「私には心がありません」


 ふいに、隣で佇んでいるケイが呟いた。セイルは彼女の顔を見る。


「この施設で、今まで何人もの死に立ち会いました。周りの方が悲しむ姿を見て参りました」


 セイルは、彼女の言わんとしていることが理解出来ず、黙って話を聞いている。


「私の創造主(マスター)は死ぬ間際、こう言いました。『ケイ、いつか家族を持ちなさい。そして幸せになりなさい』と。この言葉の意味を、私は未だ理解出来ずにいます。幸せとはなんなのか。いつか私にも理解出来る時が来るのでしょうか。……感情のすべてを持たない私と違い、セイル様は人の死を悲しむことが出来ます。それはとても素晴らしいことです」


 ケイはまっすぐな視線をセイルに向ける。それは彼女なりの慰めなのだと、セイルは感じた。


「そうかも知れないな。……ありがとう」


 セイルは立ち上がり、ケイの肩を一度叩き、施設へと歩みを進めた。

その背に向かい、ケイは深々とお辞儀をするのだった。



「……心が欲しいか?」


 一人残されたケイの背後から、ふいに問いかける声が聞こえた。

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