第二章 心の在り処Ⅴ

 数日が経ち、セイルも幾ばくか施設での生活に慣れ始めていた。


日中はセーラに付き添い、その力の暴走を収める。暴走し始めたセーラに対して落ち着くよう声を掛けることにより、その被害を最小限に留めていた。

他の職員の話によると、前の担当と居る時より、セイルといる時のほうがセーラの様子は落ち着いているとのことだ。


セイルはそんな言葉を鼻で笑った。


――これでましなら、前の担当はさぞ苦労したことだろうな。


「ねぇ、テリス。あの子が一人で旅に出たいというのだけど、大丈夫かしら?」


 広場で日に当たっていると、突然セーラが話し出した。いつもの夢を見ているのだろう。


「ふふふ。そうね。私とあなただって、外の世界に出なければ出会えていないものね。今日はあの子の好きな蒸し鳥のスープでも作ってあげましょうか」


 そう言ってセーラが一人で笑い声を上げる。その瞳は、遥か彼方を見つめている。


 セイルは隣で黙って様子を見ていた。たまに起こるこのセーラの一人芝居は、不思議と不快ではなかった。

それは、家族を知らないセイルにとって、その日常を垣間見られる貴重な機会だったからかもしれない。


「……いや! いやよ!」


 突如セーラの口調が変化したことを感じたセイルは、すぐさま動きが取れるよう身構えた。


「あの子が、……そんな!」


 辺りに不穏な空気が流れ出す。酸素が薄くなったような感覚。セイルはまずいと感じていた。


「セーラ、大丈夫だ。落ち着いて」


 セイルはとっさに腰を落とし、セーラの手に自身の手を重ねた。


「あの子が……。私の……」


――頼む。堪えてくれ。


 セイルはセーラの手を握り、祈っていた。あと少しの反動で、セーラの暴走の針は振り切れるだろう。


「……あら? ガービット?」


 セーラがセイルの存在に気付いたかのように顔を覗き込んだ。


「……あぁ」


 セイルが逡巡の後に返事をする。この流れに逆らうとまずいと判断したからだ。


「こんなところにいたのね。修業が嫌だからといって逃げ出してはだめよ」


 セーラがセイルの目を見つめている。厳しい口調とは裏腹に、そこには確かに母親の愛が感じられた。


「……あぁ、悪かった」


 そう言ってセイルは目を逸らした。セーラの暴走を防ぐためには、目を合わせたままのほうが良かっただろう。

しかし、セイルにはそれが出来なかった。あのままセーラの目を見ていると、自身の心にある何かが、壊されてしまうと感じたからだ。


 格好悪いと思っていた。不必要だとも思っていた。彼の矜持が、最後の一線を越えるのを許さなかった。


「それじゃあ、修業を始めるわよ。世界の平和は、あなたが守るのよ」


 セーラは幼い子供に言うように、セイルの手をぎゅっと握りしめた。



 そんな折、食堂に着いたセイルにライカが声を掛けてきた。


「新入り、あんた予言ってのは信じるか?」


 唐突にそう言ってきたライカをセイルはいぶかしげに見た。


「お前、そんなもの信じているのか?」


 鼻で笑ったセイルの頭を、ライカの拳が襲った。


「今施設内で話題になっているんだ。この前入居してきたモハーナって女がいただろ? そいつが誰かれ構わず予言をまき散らしているんだ。不吉な予言をな。それが見事にすべて当たるもんだから、職員や入居者の多くが怯えきっている。ほら、今もやってるぜ」


 ライカが指さす方に、先日入ってきた老婆、モハーナがいた。周りの老人達はモハーナと目を合わせようとしないながらも、その動向に耳を立てているように見えた。


「あなた。あなたは明日、指を怪我をするわ」


 モハーナに指をさされた老人は、びくりと肩を上げ、ゆっくりと彼女のほうを見る。


「わ、わしが何を……」


「知らないわ。でも、私の予言は絶対なの。精々気を付けることね」


 モハーナはにべもなく言うと、ひとりでに車椅子を動かし、食堂を後にした。予言を受けた老人は今にも泣きだしそうな表情だ。


「あの有様さ」

 ライカは肩をすくめる。


「それで? おれにどうしろと」


「予言の力を解明出来るならお願いしたい。このままじゃ施設の雰囲気が悪くなる。いつまた怯えた奴らの鬱憤が爆発して、舞踏会が始まるかも分からない」


「それだけは遠慮願いたいな」

 セイルは顔をしかめた。


 翌日、広場でセーラといるところに、ライカが急ぎ足で近づいてきた。


「当たったぞ。予言」


 食堂へ行くと、舞踏会とは行かずとも多少の騒動が起きていた。予言を受けた爺さんが、実際に食事の最中に刃物で指を怪我をしたようで、何かをわめきながら辺りに魔法を投げつけていた。


「このままだとまずいぞ」


 ライカの言葉にセイルも頷く。舞踏会の前奏が鳴り始めている。


 セイルは魔力を込め、老人の放つ魔法を相殺し始める。その隙に、ライカが老人を縛り上げるべく鞭を振るった。

鞭はみごとに命中し、老人は少しのうめき声を上げながらその動きを止めた。

周りで動向を伺っていた者達も、多少落ち着きを取り戻したようだ。


「だから言ったじゃない。私の予言は絶対なのよ」


 声の主はモハーナだった。どこか誇らしげにも聞こえる。


「貴様……」


 セイルが声を上げるのを遮り、モハーナの前に立つ者がいた。――ケイだ。


「もうお止め下さい。モハーナ様」


 いつも通り、抑揚のない声ではあったが、どこか強い意思を感じられるものだった。


「ここにいる皆様は平穏を望まれております。輪を乱されるのは、他の皆様にも迷惑です」


 セイルはライカと視線を合わせた。ライカは少し口角を上げた。


「なによあなた! 私に口答えするつもり? 私と対等に話せるのは国王様だけよ!」


 モハーナが金切り声で叫ぶ。


「あなた! ケイとか言ったわね! あなたは明日、右足を失うことになるわ! 絶対よ! 絶対!」


 モハーナがケイを指さし強い言葉でそう言った。ケイの後ろにいた老人が自分の事かとびくりと肩を揺らした。


「そうですか」


 ケイは気にも留めずにそう答える。留める気を持っているかどうかも怪しい。


 数人の職員に連れられ、モハーナが食堂を後にすると、ライカがセイルに近づき耳打ちをする。


「明日はケイだとよ。大丈夫か?」


「とりあえずは、様子を見るしかないな」


 セイルは肩をすくめてそう言った。



――そして翌日、事件は起きた。


 セイルは広場でセーラの相手をしていた。彼はセーラに呼ばれるまま、ガービットとして付加魔術の指南を受けていた。

しかし、何度教えられようと、付加魔術の使い方など、到底理解出来るものではなかった。


さらにはセーラの言動もめちゃくちゃで、昨日と同じことを指示されたかと思うと、格段に難度が上がっているであろう技術を指示されることもあり、セイルはその度、言われるがまま見よう見まねでやってみるしかなかったのだ。


「何度言えば分かるの? ガービット。もっとよく感じるの。すべてのものの本質を捉えなさい。テリス、あなたからも何か言ってあげて下さる?」


 そんなセーラの言葉に、セイルはため息を吐くほかなかった。ここまで魔術のことで指導を受けるのは、トライアド直営の魔術学院以来だった。


――必死になってすべてを吸収しようとしていたあの頃。


 そんな中、セイルは目の端でケイの姿を捉えた。昨日のこともあり、彼は無意識にケイの姿を追っていた。


 すると突然、ケイのそばにいた老人が叫び声を上げ、広場の端に生えていた木を魔力で持ち上げた。セイルが「危ない!」と思ったそばから、持ち上げた木をケイに向かって投げつけた。


 ふい起きた事態に、ケイの反応が遅れ、避けようと飛び上がった彼女の足に木が命中した。


 セイルは駆け出し、未だ威力を保ち飛び回るその木に火の玉を放ち、粉砕した。

 ケイは態勢を崩しながらも、老人に向け拘束網を放ちその動きを止めた。


「大丈夫か!」


 セイルがケイに駆け寄ると、彼女の右足が折れ曲がっているのが見て取れた。通常の人間であれば、再起不能な曲がり方だ。


――あなたは明日、右足を失うことになるわ!


 モハーナの言葉を思い出し、セイルは少しだけ身震いをした。騒ぎを聞きつけたライカも到着し、ケイの足を見るなり驚きの声を上げる。


「お、おい新入り! これってまさか……」

「いや、そんなはずは……」


 セイルとライカは押し黙り、それぞれの思考を整理していた。



 セーラと共に部屋に戻り、セイルは椅子に腰掛け考えていた。モハーナの予言のことだ。


 そもそも、予言とは大別すると時間操作系の魔法に属する。それは極めて稀な能力だ。魔術の歴史においても、時間操作系の能力を持つと言われた魔術師は、伝説の域を超えず、その多くが真偽不確かなものだった。


――まさかな。


 いくらここの入居者達が人外の能力を持つとはいえ、時間操作などという突飛な力の存在を、セイルは信じることは出来なかった。


「付加魔術の真髄は理解と認識よ。もっと深く、感じて。視野を広げるのよ」


 ふいにセーラが呟いた。いつものように唐突な、支離滅裂な言葉だった。

セイルは椅子から立ち上がり、セーラに近づこうとしたその時だった。セイルの思考に稲妻が走った。


――指を怪我した老人。そして、ケイに襲い掛かったあの男。……もしかして。……調べてみる必要があるな。


 セイルは一人笑みをこぼし、セーラのしわがれた手に自身の手を重ねた。



 翌日、食堂に着いたセイルの目に、ケイと口論をしているモハーナが映った。


「あなたどうして! 右足を失ったはずじゃないの!」


 モハーナはケイの足を見て驚きの声を上げていた。入居して間もないモハーナは、ケイが泥人形だということは知らなかったようだ。


「私は泥人形です。魔赤土さえ補充すれば元に戻るようになっています」


 ケイはモハーナに対して落ち着いて返答する。


「そんな。……いや、そういうことね」


 モハーナが自身を納得させるように呟く。


「おい、モハーナ。次はおれに予言をしてくれよ。このおれは予言なんてものは一切信じていないんだ。どうせあんたの予言も嘘っぱちなんだろ?」


 セイルが壁に背をつき、挑発するようにモハーナに声を掛けた。腕を組み、あえてぞんざいに、小馬鹿にしたような態度で。


 自身を馬鹿にされたモハーナは、顔を真っ赤に染め、金切り声で叫んだ。


「何よあなた! この私を馬鹿にしているの? いいわよ、あなたは明日、炎に焼かれて大火傷を負うわ! 命を失うかもしれないわね!」


 モハーナはセイルを指さし、そう叫んだ。気持ちの高ぶりゆえか、その指は小刻みに震えていた。しかし、セイルは意にも介さず、鼻で笑うだけだった。


 興奮したまま、モハーナが食堂を後にすると、ライカが心配そうにセイルに駆け寄った。


「お、おい、新入り。あんなこといって大丈夫なのか?」


 ライカの顔をちらりと見たセイルは彼女に問いかける。


「あの女、なんと言っていたんだ?」


「はぁ? あんたちゃんと聞いてなかったのか? 明日あんたは大火傷をするそうだ。命の保証もないと言っていた」


「……そうか」


 そう呟くと、セイルは堪え切れずに肩を震わせ笑い出した。


 そんなセイルの顔を、ライカはいぶかしげに見つめていた。



 ――そして、翌日。


 セイルは普段通りに業務にあたっていた。セーラに付き添い、たまに起こる力の暴走を抑え、時にはあちこちに飛び回る脈絡のない話の相手になっていた。


 食事の時間に食堂へ行くと、モハーナがセイルをちらちらと見ながら、気にする様子が見て取れたが、セイルは淡々と食事を取るだけだった。


「あんた、大丈夫なのか?」


 ライカが心配そうに声を掛けるが、セイルは問題ないと言わんばかりに鼻で笑った。


 日が落ち、夕食の時間になっても、セイルの身には何も起こらなかった。そんな姿を見て、モハーナは苛立ちが収まらない様子で、セイルを睨みつけている。


 そしてついに、感情の高ぶりが限界を超えたのかモハーナが皿を床に叩きつけた。音に驚いた周りの人間がモハーナに視線を集める。


「どうして! どうしてなの! なぜ私の言う通りにならないの! あなた一体なにをしたの!」


 モハーナが感情的に喚き散らすと、セイルはゆっくりと立ち上がり彼女に近づいていった。


「あんたの魔法のからくりはすべて分かったよ」


 セイルが不敵に微笑み、モハーナに目線を合わせた。


「あんたの魔法は【予言】じゃあない。【催眠】……だろ?」


 その言葉にモハーナがたじろぐ。


「な、なにを言うのあなた! 私の力は未来の予知よ! それを親切に教えてあげているだけだわ!」


「あんたの予言には違和感があった。対象を指さし怪我をする、火傷を負うと予言する。確かにその通りになった。しかしその要因を考えた時に、気付いたんだ。対象が、自発的に起こした行動によって、予言の通りになっているということにな」


 セイルの話を聞いているモハーナの唇が震えている。


「指を怪我した爺さんは、食事中に不注意でナイフで怪我をした。他の予言の情報も集めたよ。普段はめったに部屋を出ない爺さんがその時ばかりは何故か広場に出て転んで怪我をしたり、医療班の職員が、突然火の魔法を出し自らの魔法で火傷してしまったりな。すべて不自然な行動だ。極めつけはケイへの予言」


 セイルがケイをちらりと見るが、ケイは感情のない顔で話を聞いているだけだった。


「あんたは入居したばかりで、ケイが泥人形だということを知らなかった。そんな彼女に催眠魔法をかけたところで、効くはずはないよな」


「でも、実際にケイは足を破損したじゃないか?」

 ライカが口を挟んでくる。


「そう。あの時、ケイにかかるはずの催眠魔法に、意図せずかかった者がいたんだ。――ケイの後ろにたまたまいた、あの爺さんだよ」


 セイルが指さす方向に、ケイに向けて木を投げつけた男がいた。男の肩がびくりと跳ねる。


「恐らく、あんたの魔法には条件がある。その振動器官から催眠の音波でも出しているんだろう。対象を指さし、予言を耳に入れることでその効果が発動する。そしてあの時は、たまたまケイの後ろにいた彼に催眠がかかり、ケイの右足を奪おうと襲い掛かったってわけだ」


 セイルは鼻を鳴らし、モハーナを見下ろす。モハーナの手はわなわなと震えていた。


「じ、じゃあなんで! あなたは私の予言が効かなかったのよ!」


「簡単な話さ。あんたが予言する時、自分の耳の周りに魔法で風の膜を張ったんだ。即席の耳栓だな。誰にも被害が及ばないよう、壁に背を当ててな」


 セイルは、以上で演説は終了と言わんばかりに両手を広げ、モハーナの前から立ち去っていく。

残されたモハーナは、震えながら俯き沈黙してしまった。


「……助かったよ」


 席に戻ったセイルにライカが声をかけた。


「おれを誰だと思っている」


 そう返したセイルに、この時ばかりは笑って頷くライカだった。

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