第二章 心の在り処Ⅰ

 差し込む光に瞼を刺激され、セイルは夢から現実へと引き戻された。

昨日のすべても夢であればいいと思ったが、頬に感じる痛みが、そうはさせまいと笑うように律動した。


「セイル様、朝食のお時間です」


 この泥人形は、またしても静かにそこにいた。ともすれば、一晩中部屋の中で監視されていたのではと感じるほど、自然に存在していた。


 セイルが身体を起こそうとすると、節々に痛みを感じた。ベッドの寝心地が悪かった訳ではない。それは昨日の騒動が、いかに激しいものだったかを物語っていた。


普段の任務でも、ここまで疲労することはあまりない。ここにいる者達の魔力に対抗するために、予想以上の力を使っていたのだと悟った。


 ふと、ケイの身体を見た。昨晩、彼女の右手は確かに粉々に砕かれたはずだった。しかし、今現在、彼女の右手は何事もなかったかのようにそこに存在した。


「その右手は、どうやって直したんだ?」

「私の身体は、核が破壊されない限りは魔赤土ませきどさえ補充すれば記憶されたとおりに再生されるようになっています」

「なんとも便利な身体だな」


 皮肉ともつかない言葉を吐きながら、セイルは身支度を済ました。

 食堂へ向かう道すがら、ケイに質問を投げかける。


「そう言えば、舞踏会ってのはなんのことなんだ?」


「ライカ様のお言葉をお借りすると『あいつらは力を持て余しているからな。ちょっと気に喰わないことがあるとそこら中で力と力のチークタイムだ。人数が多くなると、それは立派な【舞踏会】になるって訳さ』だそうです」


「力を持て余した者たちの舞踏会か。全く、二度と招待状は貰いたくないもんだな」


 少し大げさに肩をすくめて食堂に入っていくと、すぐに大きな声でお呼びが掛かった。


「おーい! 新入りこっちだ!」


 見ると、ライカが行儀悪く口に物を入れながら叫んでいた。


「あそこに、行かないといけないのか?」


 ちらりとケイのほうをみると、真っ直ぐ前を向いたまま、首だけを縦に動かした。


 大きなため息をつきながら、セイルは招かれるままライカの前に座る。

あれだけの騒動があったにもかかわらず、食堂内部は綺麗に整頓され、なんらかわりのない平穏な時間が流れていた。所長の結界魔法の強度に、改めて驚かされる。


 周りを見渡すと、数人の老人達が同じように座って食事を取っていた。その後ろには、ケイと同じ給仕服を着たものや、白衣を羽織った職員がそれぞれの様子を伺っていた。


――頼むから、おかずの取り合いだけはさせるなよ。


 セイルは半ば祈りながら目線をライカに戻した。


「食事をお持ちします」


 ケイが後ろに下がると、ライカがフォークを振り回しながら話し出した。


「体調はどうだ? 初日から舞踏会に参加出来るなんて、お前、ツイてるな」


 相変わらず、口に物を入れながらしゃべる姿に、セイルは顔を歪めた。


「なにがツイてるだ。全く。おれはこんなことをするためにトライアドに入った訳じゃないんだがな」


 セイルの言葉を聞いているのかいないのか、ライカは肉の塊を二、三個一気に口に放り込んだ。


「お待たせ致しました」


 ケイが後ろから白い食器に乗せられた食事を運んできた。ふっくらと焼きあがったパンにハムが数切れ、茹でた玉子と野菜を煮込んだスープなどがセイルの前に並べられた。


その香りを嗅いだ瞬間、セイルは自身の腹がひどく空いていることを自覚した。


「飯は腹一杯食っておけよ。ここの仕事は体力が資本だ」


 ライカに言われるまでもなく、野菜のスープを口に運ぶと、続けざまにパンやハムを口に運んだ 。

朝食がこんなに美味しいと感じたのはいつぶりだろうか? セイルは思い出しながらも手を動かし続けた。


「いい喰いっぷりだ。新入りお前、ここの仕事に向いてるんじゃないか?」とライカが笑う。


 セイルは心の憤りを口に出す代わりに、目の前の女を睨みつけた。


「食い終わったらさっそく仕事だ。昨日は回れなかった場所を案内してやるよ」



 食事を乗せた盆を持ったライカに着いて施設の奥のほうまで行くと、他とは違いまた一つ厳重に封印された扉が現れた。


「ここは?」


 ライカは答えずに魔法鍵を使い、扉を開けた。中には、地下へと繋がる階段があった。


しばらく降りていくと、長い廊下の両側にいくつかの扉が並んだ場所へと出た。それぞれの扉も、強固な封印が施されているようだ。


「ここは独居房さ。あんまりにも暴れて手がつけられないやつを閉じ込めておく場所だ」


 セイルは扉の格子越しから部屋を覗くと、中はベッドと便所だけが備え付けられている質素な空間だということが確認出来た。ベッドには革で作った拘束具も備え付けられているようだ。


「まぁ、最近はあまり使われてはないけどな。まだ職員も少なく、手探りで運営していた頃のなごりさ」ライカが盆を持っていないほうの手の平を上げ、肩をすくめた。


 なるほど、確かにどの扉越しに中を覗いても、そこに人の姿はなかった。


「今使ってるのは、突き当たりの部屋だけさ」


 ライカが奥を指差すと、セイルはようやくその違和感に気付いた。ここは日が当たらない地下ではあるが、廊下に備え付けられた照明により眩しいくらいの明るさを保っていた。


 しかし、指差されたその空間だけは、雨期の夜明け前のように暗く、湿り気を帯びていた。


「おい、おっさん。生きてるか? 朝飯を持ってきたぞ」


 ライカが格子越しに声を掛けた。


「……御嬢か。……久しいな」


 中から聞こえたその声は、まるで洞穴の底から発せられたかのように、小さく、それでいて心の中でいつまでも反響するような存在感を持っていた。


「ハッ、私はアンタの顔なんか見たくもないよ。爺さんのことを思い出しちまうからな。今日は新人の教育のため、仕方なくだ。飯、ここに置いとくぞ」


 ライカが扉の真ん中辺りにある取っ手を引き、その奥にある台に食事を乗せた盆を置いた。

開いた小窓から中を覗くと、男が一人ベッドに腰掛けていた。まだらに白髪が生えた髭も髪もなすがままに伸ばされて、その表情は伺い知れなかった。

部屋が薄暗い上に、男が俯いていたため、年齢すらも推し量れない。


「よし、次行くぞ、新入り」


 ライカはくるりと向き直り、来た道を足早に引き返した。


「あの男は?」


 先を行っていたライカに少し駆けるように近づき、セイルは問いかけた。しかし、ライカは答えない。


「おい、聞いてるのか?」


 少し強い口調でそう言うと、ようやくライカは立ち止まり、不敵に笑いながら言った。


「あのおっさんの正体を知ったら。お前、ここから出られなくなるぞ?」


 脅しとも取れる言葉だったが、ライカの目は笑っておらず、冗談を言っているようには見えなかった。

セイルは振り返り、その湿り気を帯びた暗い突き当りを今一度眺め、少しばかり寒気を覚えた。



「そう言えば昨日、お前は『あの髭親父! またやりやがったな』と言っていたな?」


 独居房から出て、次の目的地へ向かうすがら、セイルが疑問を投げかけた。


「『また』ということは、以前もトライアドから派遣された者がいるということだよな?」


 ライカはまたもやセイルの言葉を無視して歩く。


「前任者はどこにいるんだ? 出来ればトライアド所属の者から直接説明を受けたいのだが」

「逃げたよ」

「え?」


 ようやくライカの口から発せられた一言を、セイルは瞬時に理解出来なかった。


「逃げた? どうして? どこに?」


 次々と出る疑問をライカに投げつけるが、ライカは鬱陶しそうに手を振り、吐き捨てるようにこう言った。


「これから私達が向かう場所の担当になってから逃げた。逃げる場所なんてないのにな。そしてアンタは、そいつの代わりに派遣されたんだ。……今度は、少し粘ってくれよ?」


 ライカが値踏みをするように、セイルの顔を一瞥した。


「本当にお前は口が悪いな」


 セイルが呆れるように呟くが、その声もライカには届いていないようだ。


「着いたぞ、ここだ」


 そこは初日にケイの案内で聞いた、入居者達が過ごす居住区の部屋の一つだった。

ここに来るまでに通り過ぎたいくつかの部屋となんら変わりはないように見えた。ライカが静かに扉を開けた。


「様子はどうだ?」


 ライカが中にいた職員に声を掛けた。そこには給仕服を着た女性と、車椅子に座り窓から外を眺めている老婆がいた。


「はい。本日はまだ落ち着いています」


 答えた女は、言葉とは裏腹に憔悴しきった様子だった。


長い間緊張状態だったのだろうか、ライカの顔を見た途端張り詰めた糸が切れたように、安堵の表情を浮かべ、その手は少し震えているように見えた。


「そうか、良かった。ここは代わるから少し休むといい」


 ライカは女の肩に手を乗せ、労いの言葉を掛けた。女は頭を下げ、足早に部屋を後にした。


「さて、新入り。今日からお前にはこの人の世話をしてもらう。名前はセーラだ」

「何を言ってるんだお前は?」


 ライカの言葉が理解出来ず、セイルは聞き返した。


「おれの担当は治安部だろ。世話はさっきのような給仕の者がすればいいじゃないか」


「……普通の入居者ならな」


「普通の?」


 そもそもここに普通の入居者などいるのか、といった様子でセイルは鼻で笑った。


「セーラは特別だ。力が強すぎるんだ。なにしろ、現在確認出来ている最後の【付加魔術師】だからな」


「な、付加魔術師だって?」


 セイルは今度こそ腰が抜けそうになった。付加魔術なんて代物は、神話や都市伝説のようなものだとばかり認識していたからだ。


 魔術とは、それを使えない者には何でも出来る奇跡のような力だと考えられているかもしれないが、セイル達が扱う魔術にはことわりが存在する。それが、魔素と振動だ。


 人の身体には振動器官ヴィヴスと呼ばれる魔力を練り上げる器官が存在する。

その多くは人の肘から手先までに存在するのだが、ほどんどの人間はその存在を認識出来ず、扱い方を理解することが出来ないのだ。


 つまり魔術師というのは、その振動器官の扱いに長けた者達の総称と言っても過言ではない。


 そして自然界に存在する魔素と呼ばれる魔力の元を振動器官で練り上げ、炎を生み、雷を呼び、風を起こすのだ。


――しかし、付加魔術は違う。


付加魔術は、この世のありとあらゆるものを属性に囚われることなく付加させることが出来るのだ。

水に炎の属性を付加させれば、液体の炎となり、岩石に植物の力を付加させれば、成長する岩の出来上がりだ。


幾人もの魔術師がその力を得んと様々な研究をしたが、その仕組みは解明されず、あまりに強すぎるその力を脅威と感じたかつての支配者達は、付加魔術師達を滅ぼさんと、大規模な魔術師狩りを行った。


結果、付加魔術師は全滅し、今となってはその伝聞だけがわずかに資料に残ってるのみだった。


「まさか本当に存在しただなんて」


 セイルはそう呟き、老婆に目を向けた。静かに外を見つめているその老婆の中に蠢いている力を想像し、少しばかり寒気を覚えた。


「また昼に呼びに来る。何かあればそこに置いてある通信機で助けを呼べ」


 助けと聞いて少しむっとしたセイルであったが、ここの勝手がわからない以上、使う機会もあるだろうと思い直し頷いた。


「じゃ、後は頼んだぞ。彼女に付き添うことが、ここの治安を守るということだ」


 そう言い残し、ライカは手を振りながら部屋を後にした。


 残されたセイルは一人、居心地の悪さを感じていた。見張れと言われはしたが、何をすれば良いのか見当もつかなかった。


「あら? あなたガービットじゃない?」


 ふいに呼びかけられたセイルは、しかし、それが自分のことだと理解するまで少し時間が掛かった。


「おれのことか? おれはガービットなんて名前じゃない。セイル。セイル=ダミーリアだ」


 そう言ってセイルはセーラに向け手を差し出した。差し出された手を不思議そうに眺めていた老婆の表情が、突然怒りに変化した。


「あなた! あなた誰なの! ガービットはどこ? 私のガービットをどこに隠したの!」


 セーラがそう叫ぶと、突如ベットが燃え盛った。

驚いたセイルは考える間もなくベッドを風魔法で覆い消火しようとするが、炎は一向に消える素振りを見せない。

その間も、セーラは「私の、私が、……嫌! 嫌!」などと呟いている。


――なんなんだこれは。


 セイルは混乱した頭で必死に消火活動を行うが、炎はあざ笑うかのように蠢き回る。それは凄まじい強さだった。


後に思い知らされることになるのだが、これこそが付加魔術の真髄であった。つまり、ベッドは炎を纏い燃え上がっているのではない。――ベッド自身が炎そのものなのだ。


「おい! 婆さん! いや、セーラ! これをなんとかしてくれ!」


 セイルはなんとか炎を抑え込みながら叫ぶ。少しでも力を抜けばこの業火は部屋全体を覆い尽くすだろう。


「あらあら、テリス。そんなものに苦労しているの? 任せて頂戴。私を誰だと思っているの?」


 先ほどとはうってかわって、活発な少女のような口調で返事をしたセーラが手をかざすと、炎はすぐに勢いを失い、消え去った。

そこには焦げ跡一つない元通りのベッドの姿があった。


 息を吐いたセイルがセーラを見ると、何事もなかったかのように静かに窓の外を眺めている彼女の姿があった。口を少し開け、目の焦点も合っていないように見えた。


――むちゃくちゃだ。


 この施設の存在自体がセイルには理解出来ないものだったが、彼女の存在はそれに輪をかけて理解の範疇を超えていた。

セイルの額には玉のような汗が噴き出している。

炎の熱のせいだけではない。得体の知れないものに遭遇した恐怖や、緊張からくる汗だった。



「おう、その様子だといきなり洗礼を浴びたようだな」


 ふいに声を掛けられたセイルが振り向くと、ライカが不敵な笑みを浮かべていた。


「顔を見ればわかる。……とんでもない力だろ?」


 ライカが続けてそう言うと、セイルは声を発することなくゆっくり頷いた。


「お昼の時間だ。セーラを連れて食堂へ来てくれ」


 それだけ言うとライカは部屋を出て行ってしまった。


 車椅子を押し、セーラと共に食堂に入ったセイルに声が掛かった。


「やぁ、セイル君。活躍してくれているみたいダネ。昨日の舞踏会の話も聞いたんダネ」


 声の主は所長のグーニーズだった。


「あれくらい、朝飯前ですよ」

 言葉とは裏腹に、セイルは力なく笑った。


「さすがなんダネ。あ、彼らは今日からの入居者なんダネ」


 グーニーズの隣には、車椅子に座った二名の男女がおり、それぞれに職員がついていた。


 女性のほうは、年の割にはしゃんとしていて、きつい目つきで辺りの様子を伺っていた。

薄い褐色の肌に緑がかった瞳が印象的で、おそらく、かつては男に苦労しない程度には美人だったはずだ。


男のほうはというと、頭はきれいに禿げ上がっており、その皮膚は乾ききっていて、顔中にひび割れた皺を形成している。口を半開きにしたまま、だらしなく涎を垂れ流していた。目も虚ろで、心ここにあらずといった様子だ。


「彼らにも親切にしてあげて欲しいんダネ」


 グーニーズはそう言うと、二人を連れて出て行った。


「セイル様、お代わりしますので食事をどうぞ」


 声を掛けてきたのはケイだった。セーラをケイに預けると、ライカが手招きをしていた。


「新入り、とっとと食うぞ!」


 様々な感情が入り混じったため息を吐きながら、セイルはライカの元へ向かった。


「たらふく食っておけよ。ここの仕事は体力が資本だ」


 今朝聞いたばかりの台詞を繰り返したライカは、続けてセイルに言う。


「所長が連れてきた二人、見たか?」

「ああ」


 セイルは投げやりに返事をする。


「女のほうの名はモハーナ。かつて某国の国王に寵愛を受けた凄腕の占い師だ。占いというよりかは予言に近かったらしいがな。そして男のほうはバジル。邪教で不老不死の研究をしていた爺さんだ。研究に没頭しすぎて気が触れちまったみたいだがな。まったく、やっかいな入居者がまた増えたぜ」


 ライカは相も変わらず口に物を入れながらしゃべり続ける。


「逆にやっかいじゃない入居者を教えて欲しいもんだ」


 セイルは嫌味っぽく返すが、ライカは気にも止めないようだ。


「新入り。飯を食ったらセーラ婆さんを散歩にでも連れて行ってやってくれ。普通のヤツじゃそれすらもままならんからな。あんたならまぁ、なんとかなるだろう」


 無責任にそう言ったライカは、皿に残った食事を掻き込み、足早に立ち去っていった。


 セイルはため息を吐き、残った食事を口に放り込んだ。

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