第一章 魔王の棲家Ⅲ
セイルが目を覚ましたのは、清潔な白いベッドの上だった。まわりの壁も白で統一されている。
四歩も歩けば壁につくような小さな部屋だ。
ゆっくりと起き上がると、頬の痛みが覚醒した感覚を刺激した。
「いてててて」
自身の頬に手を当てると、ようやく思考を取り戻した。
「あのメスオークめ。力任せに殴りやがって」
「メスオークとはなんのことですか?」
いつの間にか部屋に入ってきていたケイが静かに問いかける。
「いや、何でもない。……今の言葉、誰にも言うなよ」
「……はい、ライカ様には言いません」
理解した上でのその返しは、人と人との掛け合いそのものだった。セイルは改めてケイの存在を疑った。
――本当にこいつは泥人形なのか?
ケイがセイルの頬に湿布を当てていると、突然けたたましい音が響いた。
初めてその音を耳にする者にも、緊急を告げることが分かるほど大きく、そして張り詰めた音だった。
「舞踏会のお知らせです」
ケイは静かにそう言うとすっと背筋を伸ばし、その静かな言葉とは裏腹に、素早い動きで部屋を飛び出した。
「舞踏会?」
セイルも首を傾げながら後を追った。
ケイはまるで飛ぶように廊下を駆け抜けた。セイルはその速さに着いていくのがやっとの様子だ。
やがて、ケイが目的の部屋に辿りつき、飛び込んだ。セイルも同じく飛び込んでいく。
「ケイ、来たか!」
部屋の中にいたライカが叫んだ。セイルの姿には目もくれない。
不思議な部屋だった。大小様々な水晶が置かれ、その前には数人が緊張した面持ちでそれを覗いている。
それぞれの水晶には、この敷地内の様々な場所が映し出されていた。
「場所は?」
ケイがライカに問いかける。
「大食堂だ。おかずの取り合いが原因らしい。最悪なことに所長は今、新しい入居者を迎えに外出している」
ライカが早口で説明する。
「拘束網を多めに補充しておきます」
ケイが壁際にある収納棚を引き出し、手早く準備をした。
「い、一体なんの話をしているんだ?」
セイルが戸惑いながら問いかけると、ようやくその存在に気付いたかのように、ライカは大きなため息を吐いた。
「猫の手でも借りたい状況だ。コイツも連れて行くか」
自身をコイツ呼ばわりされたと気付いたセイルが顔を紅潮させて反論しようとしたが、それを制してライカが胸倉を掴んで来た。吐く息が掛かる距離で言う。
「いいか、新入り。『死ぬな』そして、『殺すな』」
大食堂に着いたセイルが見たものは、この世の地獄だった。
そこかしこで泣き叫ぶ老人と、それに呼応するように暴れまわる魔力達。イスやテーブルが飛び回り、炎が渦巻き、室内であるにも関わらず、雷鳴が轟いていた。
「なんだこれは」
戸惑うセイルにライカが檄を飛ばす。
「新入り! 一人残らずとっ捕まえろ!」
そういうやいなや、ライカとケイが左右に跳ねた。ケイが腕に仕込んだ拘束網を連続で射出したかと思うと、ライカは腰の鞭を唸らせ、強い魔力を放つ者を縛り上げた。数人の職員が拘束された者達を次々と外へ引きずり出す。
呆然としていたセイルの目の前に火の玉が迫る。反射的に結界を作り、難を逃れたセイルは、続けざまに天井付近で蠢いている雷雲に向かい風魔法を放った。しかし雷雲は少しの穴を空けただけですぐに元通りになった。
「クソ!」
セイルはそう吐き捨て、魔力を練り直し、先ほどより強い威力で風魔法を放った。暴れ狂っていた雷雲は、それによりようやくかき消された。
「ちょっとはやるようだな! 新入り!」
ライカが飛び回りながら叫ぶ。華麗な鞭捌きは、まるで踊っているようだ。
「ちくしょう!」
セイルは意を決し、次々に暴れまわる魔法を自らの魔法で相殺させた。魔法をかき消しつつ、数人に拘束魔法を掛けた手際は、自らを天才魔術師と語るだけのことはあった。
混乱の中で、一際鮮やかに輝く魔法が見えた。赤や青や黄色の光が、色とりどりに弾けている。放っている人物は、【千の魔術を持つ男】アレッシオだった。
「新入り! あのジジイはほっとけ! 一人で冷やかして花火を上げて楽しんでるんだ。気が済んだら自分で帰る」
食堂内に残る者も数えるほどとなった頃、セイルに向かい巨大なテーブルが飛んできた。かろうじてそれをかわしたセイルは飛んできた方向を見て息を呑んだ。
「うははは。次の相手はどいつだ!」
高らかに笑いながら、手に触れる物を片っ端から投げまわしているのは【鉄腕の軍神】バンドールだった。
欲求不満な筋肉が、活躍の場所を見つけ喜ぶように火照り、隆起していた。
「くそ! やっぱりあのおっさんが残ったか!」
いつの間にか隣で息を切らしているライカが苦々しく言う。
「あのおっさんは戦闘狂だ。戦となると見境なしに暴れ回って手がつけられねぇ」
「ケイの拘束網は使えないのか?」
セイルが問いかけると、ライカは首を横に振る。
「あのおっさんのクソ力の前では、拘束網もクモの巣みたいなもんだ。巻きつけるそばから破かれる」
高速回転しながら飛んで来たイスを、二人は身体を捻ってかわした。
「あんたの鞭はどうなんだ?」
「コイツも駄目だ。これは対魔特化で、単純な力勝負では勝ち目はない」
「じゃあ、どうやって止めるんだ?」
「バンドールに対してだけは、いつもは所長が抑えるんだ。あの人はああ見えて結界魔法の天才、……いや、変態だ。おかしいと思わないか? これだけ魔法が飛び交って、暴れまわってるのに壁や天井には傷一つ付いていないだろう?」
バンドールの攻撃をかわしながら、セイルは回りに目を向けた。たしかに、火の玉や稲妻やテーブルが暴れまわったにも関わらず、白い壁や天井は潔癖を保っていた。
「この施設全体に結界魔法の膜が掛かってるんだ。それがどれだけ無茶苦茶なことか、あんたが一番分かるんじゃないか?」
にわかには信じられないことだった。この強度の結界を、膜を張るように建物全体に掛けるだなんて、そんな魔術師見たことも聞いたこともない。
「新入り、あんたアイツを押さえつける自信はあるか?」
ライカが鋭い視線を投げかけてきた。
「自信はあるか、だって? おれを誰だと思っている! 天才魔じゅ」
「御託はいいから早くしろ!」
「ほんとに、品のない女だな。少しだけ詠唱時間をくれ」
「わかった。ケイ!」
ライカの号令により、他の者の拘束にあたっていたケイが振り返り、うなずく。
二人がバンドールを挟むように向き合った。ライカが指を振り、ケイになにか合図を出す。素早くケイが拘束網を左足に集中して打ち込んだ。
バンドールが力を込め、網を振りほどこうとしたが、今度は逆に右手を鞭に絡め取られた。手錠の鎖がじゃらりと鳴った。
しかし、動きを止められたのも一瞬で、バンドールが腕を振るうと、ライカは激しく壁に打ちつけられた。
返す刀で足元にあったイスをケイに向けて投げつけた。防御するため、とっさに出したケイの右手が弾けて粉々に崩れた。
「っつ。……新入り! まだか!」
「いちいち叫ぶな!」
セイルは練り上げた魔力をバンドールに向かい、放った。光の球体が凄まじい速さで飛び、対象を包み込んだ。
大きな光の玉の内側で、バンドールは何かを叫び暴れているが、それがこちらに伝わることはなかった。
食堂に入ってから、大きな魔力を連続して使ったセイルは、疲労によりへたり込んでしまった。
「なかなかやるじゃないか、新入り」
ライカが腰をさすりながらゆっくり立ち上がる。周りを見てみると、バンドール以外の老人達は、すべて外に出されたようだった。
「全く、なんて所なんだよ」
昼間からの出来事に、頭も魔力も体力も、すべて酷使されたセイルが天井を見上げ息を吐いた。
「理解出来たか? 新入り」
ライカがセイルに手を差し出す。
「ようこそ。【魔王の棲家】へ」
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