第二章 心の在り処Ⅱ
広場へと続く小道は、さわやかな風がそよいでいた。日差しも暖かく、散歩するにはもってこいの気候だった。
セイルは慣れない車椅子に苦戦していた。ただ押すだけならいいのだが、乗っている人間の事を考えるとこれがなかなかに難しい作業だった。
少しでも力加減を間違えるとそのまま前に転がしてしまいそうになるが、前輪を浮かせて押し続けるのは体力が消耗させられた。
さらには座っている人間の機嫌も、損ねることは許されない。
――付加魔術師のセーラの機嫌だけは。
なんとか広場の端まで来る頃には、セイルの額に汗が噴き出ていた。戦場で名を馳せていた彼も、介護作業というものは勝手が違って疲れるようだ。
「あら? あなたは見ない顔ね。新人さんかしら?」
ふいにセーラから声を掛けられ、セイルは少したじろいだ。先ほどの部屋での様子とは違って、まったくの正気のような声色だった。
「あ、あぁ。昨日ここに来たばかりだ。名はセイルと言う」
「セイルさん。いい名前ね。それじゃあ歓迎がてらちょっとおもしろいものを見せてあげるわ。そこの小石を取って下さるかしら?」
セーラの指さす方に、手の平に収まるほどの小石があった。セイルはそれをつかむと、セーラの手の上に静かに乗せた。
「次はそこのお花を一輪摘んでくださる?」
きれいに咲いた、小さな白い花だった。先ほどと同じようにセーラの手に乗せる。
「ふふふ。いくわよ」
セーラはそう言うと、石と花を手で包み込み、再び手を開いた。そこには、きれいに花開いた石の花があった。
「石に花の属性を付加したの。しばらく置いておくとちゃんと枯れるのよ」
「全く、すごい魔術だな」
セーラから石の花を受け取ったセイルは、花を眺めながら呟いた。
「セイルさんは、魔術は扱えて?」
セーラがにこやかに問いかける。
セイルは「フッ、巷では天才魔術師と呼ばれていたよ」と答え、それに続く――巷ではな。という言葉は飲み込んだ。
「まぁ! あなた、すごい人だったのね。でも、付加魔術は使えないでしょ? ……付加魔術も、他の魔術と原理は同じなのよ」
「同じ? じゃあどうして何人もの魔術師が研究してもその力の仕組みを解明出来なかったんだ?」
「……ほとんどの魔術師に足りないものが何か分かる?」
「足りないもの? あんたのような圧倒的な魔力か?」
「ふふふ。違うわよ。魔力の扱いに長けた魔術師はいくらだっているわ。多くの魔術師に足りないものは――謙虚さと、愛よ」
「……謙虚さと、愛?」
「そう。魔術師なんて生き物はみんな不遜で独善的なの。普通の人には出来ないことが出来るからかしらね。……あなたも、ご多分に漏れずそうなんじゃない?」
セーラのまなざしに、セイルは図星を突かれたようにギクリとする。
「そんな人達に付加魔術は理解出来ないわ。いくら研究しようとね」
セーラはそれっきり、黙りこくってしまった。
夕食の時間が終わり、部屋に戻っても、セーラは口を開かなかった。まるで憑き物が落ちたかのように目は空中の一点を見つめたまま動かなかった。
そんなセーラを、セイルは静かに眺めていた。
「就寝のお時間です」
振り向くとケイがいた。隣には白衣の男が立っている。
「もうそんな時間か。でもセーラはまだ起きてるぞ」
「心配要りません」
ケイがそう言うと、白衣の男がセーラに目線を合わせるように腰を落とした。そして手をかざし何かを唱える。瞬時に、セーラは糸が切れたように眠りに落ちた。
「これは。魔術で眠らせているのか?」
「はい、そうです」
ケイが答える。
「ひどいな」
セイルが鼻で笑うと、白衣の男が振り返り言った。
「仕方のないことです。こうでもしないと、我々も休めませんからね」
「セイル様もお休み下さい。明日、また起こしに伺います」
ケイの言葉に、セイルは手だけを振り返事をした。
ケイは嘘をついた。翌朝、セイルを起こしたのはライカだったからだ。
「おい、新入り起きろ! 脱走者だ!」
耳元で大声で叫ばれたセイルは、顔を歪ませた。
「なんなんだ一体」
「脱走者だよ! 広場の先の森に逃げた。すぐに追いかけてくれ」
「なんでまたおれが」
セイルはまぶたを擦りながら問う。
「施設にいる男であんたが一番若くて体力がある。急げ! シラズという名前の爺さんだ!」
セイルは急かされるまま着替えを済ませ、施設を飛び出す。その後ろ姿を見ながら、ライカは口に手を当て、笑いをかみ殺した。
広場の先には広大な森があった。セイルは簡易的な柵を軽快に乗り越えると辺りを見渡した。
言われるがまま出てきたはいいものの、脱走者の顔も分からない。
「あの野郎。どこを探せってんだ」
セイルが恨み節を吐くと、頭上から数枚の葉がひらひらと舞い降りてきた。
セイルがその木を見上げ、目を凝らすと、枝に腰掛けた老人の姿を見つけた。
頭は禿げ上がっているが口元から顎にかけては短く整えた髭を蓄えていた。股の割れた動きやすそうな黒い装束を着ているようだ。枝に腰掛け、足をぷらぷら動かしている。
木々の陰とその黒い装束のせいで、露出している顔と手足の先だけが浮かんでいるように錯覚してしまう。
「おい! あんたが脱走したシラズか?」
セイルが声を掛けると、老人はにこやかに笑いかけてきた。
「おお、今日の相手は新人さんじゃな」
シラズはそう言うやいなや、木の枝を蹴り上げ飛び上がった。少し先の木に着地したかと思うとすぐさま枝を蹴り、次々と木に飛び移っていく。
その姿はまるで森林を棲家とする動物のようだった。
「お、おい、待てよ!」
セイルは必死にシラズを追いかけようとした。しかし、木々の根に足を取られ思うように走れない。
走って追いかけることを諦めたセイルは、風魔法を纏いふわりと浮き上がった。その間もシラズの姿はみるみる遠ざかっていく。
「鬼さん、こちら。手の鳴る方へ」
シラズがからかうように手を叩く。セイルは拘束魔法を唱え、対象に向け投げつけた。
しかし、シラズは凄まじい速さでそれをかわし、どんどん先へ進んでいく。
「この野郎!」
頭に血が上ったセイルは次々に魔法を放つが、一向にシラズに命中する気配はない。
――この移動速度は普通じゃないぞ。恐らくあの爺さん、足に振動器官を持っているな。
セイルの推理は正しかった。通常は腕にある振動器官だが、極稀に身体の別の個所にそれを持つものが存在した。
シラズもその一人だ。シラズは足で魔力を練り上げ、蹴り出すことにより凄まじい移動速度を生み出していたのだ。
――ならば。
シラズはしばし振り返り、笑い声を上げながらセイルを挑発する。いつの間にか森の奥深くまで進んでいた。
「どうした、小僧。もうお手上げか?」
セイルは苛立ちを抑え、魔力を練り上げる。数発の魔法を放ち、意図する場所へと誘導する。
「どうした? そんなへなちょこ玉じゃ、ワシには当たらんぞ。……のあっ!」
高笑いをしていたシラズが、突如驚きの声を上げた。見えない壁に衝突したようだ。セイルはすぐさまひも状にした魔法でシラズを縛り上げ木に吊るした。
「捕まえたぞ。ジジイ」
追いついたセイルがシラズを睨みつける。
「あらかじめ障壁を作っておくとは、見事じゃな」
逆さに吊るされたシラズは、動揺することなく答えた。
「ただ、ここに連れてきたのはワシのほうじゃよ。ほれ、周りを見てみ」
シラズを追いかけるのに必死だったセイルは、促されるまま辺りを見渡す。
セイル達がいるのは森の端、切り立った崖の上だった。下を覗き見ると、遥か彼方に地面が見えた。ここから落ちれば、ひとたまりもあるまい。
そして、すぐそばの空中には憂いの大口がなお一層の存在感を示していた。
「この施設が、なぜこんな場所にあるか分かるか?」
シラズの問いかけに、セイルは黙って首を振った。
「周りを崖に囲まれた山奥、目の前には活動を休止しているとはいえ、いつ魔物が現れるかも分からん憂いの大口。これが意味するところは一つじゃ。……世界はワシらを拒絶しておる。いつどうやって死のうが、お構いなしなのさ」
シラズがふーっと息を吐く。セイルはなにも答えられずにいた。
「お主、セーラの新しい相方らしいの」
ふいに、セーラの名前を出されたセイルは動揺する。
「なんでそれを?」
「ほっほっほ。ライカお嬢の気遣いじゃな。ワシは毎朝ここを散歩するんじゃ。身体は動かさんとすぐに鈍るからの。初めのほうは脱走だと思った職員が追いかけてきたが、朝飯の時間になれば自ら戻ると分かると、最近はほったらかしにされていたんじゃ。でも今日はお主が向かわされた。その理由はただ一つ」
「なんなんだ?」
「ワシがかつて、セーラと共に旅をしてきた仲間だからじゃよ」
「なんだって?」
シラズの言葉にセイルが驚きの声を上げる。
「いい仲間達だった。剣士のテリス。魔術師のセーラ。僧侶のフリークにワシの四人。どこにも属さずに、各地の魔物を退治してきた。トライアドが結成されてからは、それぞれの国に帰り余生を過ごそうと離れ離れになったんじゃがな。まさか、こんな所で再会するとは」
シラズはしばしその目を閉じた。
――テリスというのはかつての仲間の名前か。
セイルが昨日のセーラの言葉を思い出す。
「ガービットと言うのは誰なんだ?」
セイルが問いかけると、シラズは静かに首を横に振った。
「ワシにも分からん。セーラはテリスと共に暮らしていたはずじゃから、二人の子の名前かも知れんが、今となっては聞ける状況でもないしの」
セイルは「……そうか」とだけ呟く。
「……彼女は、夢を見ているんじゃ。楽しかったいつぞやの夢をな。小僧、老い先短い爺からのたった一つの願いじゃ。……彼女に、親切にしてやってくれんか」
シラズの言葉に、しばし沈黙していたセイルだったが、ようやく静かに頷いた。
「助かる。あぁ、あと、ライカ嬢にもな。あの子はいい子じゃ。ワシらみんなの孫みたいなもんじゃ」
「……それには約束しかねるな」
セイルの答えにシラズは大笑いをした。
「それじゃあ、そろそろ帰るとするかの。この森には魔物も多く生息しておる。所長の結界も施設の付近しか守っていないからの」
シラズはそう言うと、セイルの拘束魔法をいともたやすくするりと外し、地面に降り立った。間近で見るシラズの姿は、腰の折れ曲がった小さな老人だった。
「帰りも、競争じゃぞ」
にこやかに言うやいなや、シラズはまた木々を蹴りながら飛び去っていった。セイルもすぐさま追いかけようとしたが、ふと立ち止まり振り返った。
目の前には憂いの大口があざ笑うかのようにその暗闇を主張していた。
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