第二章  大きな屋敷の、メイドと主人

第11話   密集した温室の花

 ブレッツェルが駆けつけたときには、ガラス張りの温室が南国の花畑のような密度で命に満たされていた。


 温室にひしめく真っ赤な花弁の蔓薔薇は、異様に花弁が多く、赤子の舌のように肉厚で、茎まで鮮血色をしていた。それらの隙間を押し広げてたくましく生えるのは、昔にこの温室で育まれていた草花の種子たちだろうか、抱きしめるだけで花束ができるほどの密度で花畑ができている。ヤシの木のごとくたくましい幹を持ち、不自然な木影を作る植物や、コスモス、ポインセチアにも似た葉っぱの形状の植物も、やたら肉厚で、そして茎や幹までも赤かった。


 どれも見た目がいびつで、生命力あふれた力強さを誇示し、その下の石畳は植物たちの根っこに押し上げられて、ひっくり返されていた。


「あらら、なんと言う……」


 見上げるブレッツェルの目が、点になっていた。


 かろうじて残っていた硝子の壁は、植物の急成長に驚いて粉々に、硝子張りの天井はヤシの木のアッパーを食らい、空に向かって伸びてゆく幹の形に割れてしまっていた。


 ブレッツェルは屋敷へと視線を移した。大きな屋敷に、彼女は一人、朝夕の感覚も乏しくなるほど忙しく働いていると言っていた。


 もう一度温室に視線を戻した。植物たちはどれも、丈夫そうな葉や茎を所狭しと伸ばしている。


「さすがに剪定しなければ。このような重労働を彼女に残して立ち去るのは、心苦しいですから」


 思わぬ手間に、肩をすくめたのだった。



「彼女は洗脳を解かないでくれと言っていましたが、ここを立ち去るまでには、しっかりと解いてあげますよ。そうしないとマナー違反ですからね。ルールが守れず孤立してきた貴方ならば、わかってくれますよね」


 ブレッツェルの中にいる少年は、ルールを破る気なんて、なかった。中途半端なしもべゆえに、意識が人間のままだったから、周りの吸血鬼たちの役に立てなかった。だから、自分にできることを探した。鼻が利かないので調理やお茶の支度したくはできないが、視覚で捉えられるモノを美しく整えたり、美しい植物で生活を彩ったり。できることは、たくさんあった。


 気付けば、庭師の経験がいちばん長くなっていた。


「うーん、この御伽噺にもならないほど不気味な見た目の薔薇たちの、急成長した姿を違和感なくクレアさんに説明するには、どうしたら……」


 足の踏み場もない温室の中で両肩を圧されながら、ブレッツェルはとりあえず内部の様子を確認していた。王からの慈悲深い心付けであることに違いないが、こんなに食べきれない上に、美しく整えるにははさみではなくチェーンソーが必要だった。


「特殊な肥料を使ったら成長した、とかにしましょうか~。それとも、この花の種類が希少価値の高い特別なモノで……う~~~~ん、どの話も無理やりが過ぎますねぇ」


 育てる植物によって、肥料の種類も違ってくる。何種類もの土や素材を混ぜ合わせて作ったり、お店で専用の土を買ったり。薔薇には牛ふんの肥料を使ったりする。しかしブレッツェルも少年も鼻が利かないので、肥料の匂いがわからない。パッケージに成分表があれば助かるのだが、それは温室に狂い咲く植物が存在していない場合の話。


「ふぅん、考えているだけでは何も進みませんね。とりあえず何か特別らしい行動でも取りましょうか。たとえば……こだわりのある肥料を取りに動く、とか」


 湖の底の汚泥を乾かして使った、という、とんでもなく荒い言い訳を思いついた。無論、成分不明の土を使うのは、植物が病気になってしまう可能性があるから絶対にやってはいけない事だと、少年が助言する。


「あくまで、クレアさんを説得するための作り話です。実際に薔薇に施したりはしませんよ」


 青白いまぶたに、そっと触れる花弁に目をやり、手を伸ばした。蔓薔薇にしては異様に肉厚な一輪を、静かに手折る。口元に近づけると、うっすら脈打つ振動が唇に伝わった。王が、その心臓が、その一族が、繁栄している証拠であった。


「過保護ですよねぇ、相変わらず。よほど貴方を、逃したくないとみえる」


 大輪の花弁の付け根から、くしゃりと噛みつき、その汁をすすった。見る間に茶褐色に乾いていき、花弁を散らして崩れてゆく様は、ドライフラワーの失敗作。革靴の爪先に、枯れ葉と見分けのつかない有様で、重なり落ちてゆく。


 一輪ではとても足りない。同じ要領で十五ほどの花が、一体の吸血鬼の命を繋いだ。濃厚な血液の匂い、まるで殺人事件の犯人になったかのような、胸やけするほどの重たい血の匂いが、胃を、胸を、肺を、そして脳を占める。


 鼻が効かなくとも、全身で現王の慈愛を感じる。


 現王がこの少年へ向ける感情、そのものだとブレッツェルは思った。


「うえっぷ、重たいですねぇ……。あまり飲まないほうが貴方のためです。体の回復は、遠くまで移動できる程度に留めておきましょう」


 王の施しを受ければ受けるほど、少年の中の人間らしい自我が薄らいでゆくのだから、よけいにたちが悪い。今はまだブレッツェルとともに旅ができている少年だが、心身ともに王への依存が強くなると、王のそばを離れられなくなる。純血の吸血鬼ばかりが集うあの城で、元人間だった少年の居場所なんて、どこにもない。


「コレに頼るのは、今日で最後にしましょうか。どなたか、生き血を提供してくださる都合の良い……いえ、親切なお人が見つかればよいのですが」


 ブレッツェルの中の少年が、どきりと顔を跳ね上げた。


「ミヒャエルさん、でしたっけ? 彼と連絡を取ってみては? しもべの洗脳がまだご健在なら……喜んでうなじを差し出してくれるでしょう」


 ブレッツェルは少年の反応をうかがった。案の定、首を横に振られたから、思わず苦笑がもれた。


「冗談ですよ」


 ブレッツェルは行手を阻む植物たちを、素手だけで幹ごとめりめりと押し返した。


「さあ! 力も取り戻したことですから、ばっさばっさと切っていきましょう! 素手でへし折るのも野蛮ですから、ここは庭師らしく道具を使って。まずは斧でも取りに行きましょうか!」


 少年は拗ねた顔でうつむいたまま、なかなか返事をしなかった。


 そして様々な農具が納まった納屋には、埃にまみれた年代物のスコップがあり、帽子とゴム長靴も、壁際に並んでいた。しかしチェーンソーや斧などはなく、壁に立てかけられた大きな剪定鋏だけでは、いくら力が戻ってきたブレッツェルといえどヤシの木を形よく整えるのは不可能に近かった。


「困りましたね……納屋はここしかないのでしょうか。他に、物置などあれば――ん? どうしましたか?」


 少年が納屋の奥の暗がりに、何かあると主張している。ブレッツェルは狭くて物の多い納屋の奥へ、体を横にしてするすると入ってゆくと、古いガーデンバギーと、さらにその奥に隠れるようにして、蓋のずれた大きな木箱が幾つもあるのを見つけた。


「この箱、なんですかねぇ。草木の手入れに便利な物が、入っているといいですね」


 奥まった場所にひっそりとあった木箱の中には、錆びついて刃の潰れた剪定鋏せんていばさみが、やたら多く突っ込まれていた。こんな朽ちた代物を使ったら、茎がつぶれて見栄えが悪くなる。幸い木箱の中には新品同様の剪定鋏と、大きな斧も入っていて、ブレッツェルはさっそく手に取った。


「よかった。まだまだ天は我々に味方してくれていますよ」


 他の木箱には、用途不明の大小さまざまな鋏と、刃のやたら長い鋏が詰め込まれており、異様さを醸し出していた。


「……やたら鋏の種類だけが豊富ですね。この納屋は、普段はなんの目的のために使われているのでしょう。使えなくなった鋏を、無造作に押し込んでいるだけなんでしょうかね。処分したほうが掃除も楽でしょうに、クレアさんは物をため込むのがお好きなんですかね」


 それだけではないことに、ブレッツェルも少年も気づいていた。大きなバギーを無理やり引っ張り出したとき、バギーの支えを失った木箱が大きくずれてしまい、散らばった鋏に混ざって、どう見ても人間の頭蓋骨が不恰好に欠けたのがいくつも足元に転がったときは、少年が卒倒しかけた。先ほどまで箱があった位置には、茶色く乾いた液体の跡が、四角く残っている。


「ふぅん……ドクターの部屋の女性物の頭蓋骨、逃げた患者に無頓着なメイド、斧や刃物を納屋の奥に押し込んで隠し、それが水洗いだけの粗末な洗浄で錆びつき、茶色い液体を滴らせながら乾いていったのだとしたら、そして全てが一繋がりの事実として関係があるのだとしたら――」


 一刻も早く逃げたがる少年を、礼儀作法や義理人情を重んじるブレッツェルは優しくなだめた。


「植物たちをどこかに廃棄して、しっかりと後片付けが終わったら、クレアさんの洗脳を解いて、それから退散しましょうか。夜通し歩く羽目になりますが、明日のお昼までには森から出られるといいですね」


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