第7話   絵画の中の狩人

 写真の中の青年は髪をかなり長く伸ばしており、首元が隠れていた。がっちりとはめた金属の首輪との相乗効果で、少しでも噛まれる確率を下げている。


 首筋を守るための、些細な策。気休めでもこのような対策をとらないと、デコイと呼ばれる人間たちは生きていけない。多くの吸血鬼を魅了し、惹きつけてしまうから。


「この首輪に刻まれた二重の輪っかの紋章は、銀翼の天使団の証ですね。彼らは冷酷な吸血鬼狩人ハンターです。見かけても、挑まないほうがいいでしょう」


 少年が、悲しそうにしている。


 ブレッツェルはもう一度カルテを眺めた。


「もしかして貴方は、私が眠っている間に、この青年に会ったのですか?」


 少年が、とても悲しんでいる。後悔しているようにも感じられた。いろいろな悲しみに囚われがちな子だけども、ブレッツェルの知らない赤の他人に対して、ここまで悲しむ少年は初めてだった。


「この青年が狩人になってしまったのは、貴方が原因なんですね?」


 少年がどきりと反応した。図星のようだと、ブレッツェルは口元を歪める。笑みの形に。


「詳しく詮索なんてしませんから、どうかご安心を」


 ブレッツェルは、カルテの続きをじっくり読んでみた。怪我か病気か、それを確認するだけでも、この屋敷の主の正体がわかる気がしたから。


「……なんでしょうね、これは。このミヒャエルさんに対して、思うところを書き綴っているだけみたいですが、いびつな恋でもしているんでしょうか、気持ちの悪い讃美の羅列に目が回りそうです」


 ブレッツェルは、だんだんこの筆跡に既視感を抱いた。興奮するとこのような綴りの乱れが生じる人物が、ブレッツェルの身内に、一人だけいる。


「まさかねぇ……」


 血を糧と定められた種族には、月の満ち欠けと同じく、血族と離れ離れになっても時と共に再会し、また家族になる定めがある。個人的に、屋敷の主の正体を突き止めたくなったブレッツェル、他に調べられそうなところは、この机の引き出しや頭蓋骨の並んだ戸棚の奥くらいで、後は……


 切れ長の黒い双眸が、文机の付近の壁紙に止まった。


「壁紙に不自然な切れ目がありますねぇ。本当におもしろいカラクリ屋敷です」


 近づいて、よくよく観察する。取っ手も何もないけれど、ノックすると奥行きを感じさせる音が鳴った。


 片手でそっと押してみる。軽い音を立てて、壁が回転した。


「わあ」


 さすがに罠などが張ってあるかもしれないので、すぐには入らず、慎重に目視しながら、歩みを進めることにした。


 隠されていたとなりの部屋は真っ暗で、足元にカンテラが一つ。ブレッツェルがなんの躊躇もなくカンテラを手に取って点けるので、少年が慌てていた。照らされた周辺には、雑誌が積み重なっていた。


「おや? 急に生活臭が。これも医療関係の本でしょうか?」


 手に取ってみると、それは女性向けのファッション誌。号はばらばらだったが、青年は五年ほど前から、撮影関係の仕事を受けていたようだ。白黒写真と違い、淡いブロンドと空色ブルーの爽やかな双眸の青年として、瑞々しい生気をまとって笑っている。男性向けのブランド物の時計を、特集した本もあった。こちらは、やや野性的なキツイ眼差しで時計の鎖を咥えている青年の顔。他には、この青年そのものを特集した雑誌が数冊。少しでもこの青年が登場する本ならば、この部屋に集めているようだった。


「さっきのカルテの男性ですね。そう言えば職業欄に、モデルや俳優とありましたから、写真撮影のお仕事を受けるのも不自然ではないですね」


 ブレッツェルはカンテラを持つ片手を持ち上げて、もっと広く周囲を照らしてみた。視界の端に四角い額縁が飛び込んできて、すぐさまカンテラを壁へと向けた。


「うーわ……」


 それは女性向けの雑誌に写っていた、青年の笑顔そのままに、油絵の具で描かれていた。


「絵のタッチが、クレアさんの絵とよく似ています。彼女に模写してもらったのでしょうね。この雑誌に掲載された写真、そのままに」


 他にないかと照らしてみたら、あった。どの絵も笑顔で、そして色彩豊かに、健康的に描かれていた。魔法陣のような小さな渦巻が、さりげなく背景の大自然にくるくると描かれているのを見つけて、やっぱり作者はクレアだと確信する。


「デコイ、とカルテにはありましたね」


 ブレッツェルが話しかけると、少年がびくりとした。


「デコイは、洗脳は受けても噛まれなかった人間の総称です。半端な存在は、かえって我々の目を惹きます。ある意味、魅力的に映ってしまうのです。それがたとえ、気の迷いや錯覚だったとしてもね」


 ブレッツェルは、この部屋が造られた意味に予想が付いた。吸血鬼を惹きつけてやまない魅力的な人物を、さらに魅力的に描いてしまっては、他の吸血鬼に屋敷を襲撃されかねない。写真や印刷技術が、どんなに発展しようとも、デコイたちを美しく手元に置く事は、吸血鬼たちにとって大変な危険を伴うのだった。


 噛むなら噛んで、しっかりと支配下に置かなければ、奪い合いに発展する。デコイが美しくて優秀な人材ならば、なおさら争奪戦が激化する。


 繊細に描かれた宗教画のような美貌の青年に見下ろされ、微笑まれて、思わずブレッツェルもこの絵の青年に会いたくなってしまうほどだった。


「これは男女問わず魅了されます、本当に綺麗な人ですね。部下として手に入れたら、吸血鬼でありながら人間社会に溶け込み、大勢から新鮮な血液を採取することができるでしょう。そういった意味で、我々吸血鬼は魅力的な人間を部下にしたがるのです」


 少年は、じっと耐えていた。じっと耐えて、ブレッツェルの話を聴いていた。


「このデコイは、人間からも吸血鬼からも、さぞや人気があるでしょう。彼をそのような過酷な運命に堕としてしまったのは、貴方なんですね?」


 少年の感情の乱れを、大きく感じた。トラウマになっているようだと、ブレッツェルは判断する。


「いつか、再会できるといいですね。貴方が洗脳を解いてさえあげたら、彼は貴方から解放されます。自分の人生を、取り戻すことができます」


 少年が同意し、うなずいたのを、ブレッツェルは確認した。どうやら部下が欲しくてミヒャエルを洗脳したわけではないらしい。事故に近かったようだ。


「さてと。この気持ち悪い部屋から得られる情報は、これぐらいでしょうか。館の主は、我々と同じ吸血鬼。そしてデコイに恋慕し、写真を集める変態さんです。クレアさんを襲うことはやめておきましょうか。主人がいつ帰宅するのか存じませんが、余計ないざこざを起こして勝利できる自信が、今の私たちにはありませんからね」


 せめてクレアの洗脳を解いてから脱出することにした。そのためには、クレアに会う必要がある。


 ブレッツェルは最後に、カンテラで部屋を一照らしした。屋敷の主人が長時間ここで、観覧している姿が想像できる。


「この館の現在の主人が、いったいどなたかわかりましたよ。かつての私の部下である、ドクター・ネガティブです。彼らしい、趣味の良いお住まいですね」


 ブレッツェルは心にも思っていない言葉も口にできる。それが少々、少年を困惑させるときもあった。


「今の我々の状態で、ドクターとの再会はお勧めできません。ここは早々にクレアさんにお別れをしなければ。彼女に会いに行きましょう。貴方も迷路への出口探しに協力してくださいね」


 ブレッツェルの中で、少年が同意を示した。基本的に素直でブレッツェルにも従順なので、二人がケンカになったことは一度もなかった。


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