第一章  ある吸血鬼の寄り道

第1話   よけいに体調不良に

「うぇっ……気持ちわる……」


 青年は腹部を抱えて、背を丸めた。もともと青白い顔が、さらに白くなる。


「しまった……この人、処女じゃなかったんですか」


 こみ上げる吐き気が過ぎ去るまで、膝を抱えて、その場にうずくまっていることにした。


「……この鼻さえ効けば、匂いで嗅ぎ分けられたのに……」


 悔し混じりに、自身の鼻筋をなでた。白い湿布しっぷが、整った鼻筋を覆っている。


 湖に浮かぶ少女は、名画『オフェーリア』のように、水底から伸びた植物と、青々とした水面を背にして、ぼんやりと空を見上げていた。


 青年は爪で湿布をつまむと、なかばまで剥がして、また貼り直した。


「この人、いったいどこから走ってきたんでしょうか」


 視線を前方へ投げると、水辺の向こうにひっそりと建つ、一軒の白い屋敷が見えた。二階建てで、数多ある窓のうち、いくつかは開かれて、白いカーテンが風に揺れていた。


 とある窓のカーテンの向こう側で、若い女性の影が動いているのを、青年は目敏く捉えた。


「ふぅん……」


 薄ら笑いを浮かべ、自身の鼻筋を覆う湿布をなでた。


「僕の鼻が利けば、どのような匂いがしたんでしょう」


 回復しなかった倦怠感。青年は立ち上がるだけで時間を有した。


 つり上がった口角の端から、杭のごとく尖った犬歯がのぞき、森の木陰が風に揺れた。


「行きましょう。生きるために。耐え難い飢えをしのぐために。私が犠牲になる必要はありません。しかしこの身を犠牲にしてでも守りたいモノがそこにあることを祈ります。それこそが私の求めてやまない、『終わり』なのですから」


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