第3話   お屋敷へご案内

「ブレッツェルさんは、ドイツ人ですの?」


「んー、ハーフみたいなもんです。ドイツ人はお嫌いですか?」


「いいえ。イギリスではプレッツェルと発音しますから、ブレッツェルやブレーツェルならばドイツの方かなぁと、思っただけです。違ったら謝ろうと思いました」


 大きくて立派な両開きの前で、メイドはブレッツェル青年に説明を始めた。


「ご覧の通り、この大きな扉が玄関のように見えますけれど、違いますのよ。この扉は、開くようにはできておりませんの。侵入者を驚かせるための、目くらましですわ」


 青年はしげしげと扉を見上げた。


 中国の渡来品を使用しているのか、紅色の竜の鱗が彫り込まれた柱に、仙人らしき老人数体が、扉の表面で酒を飲み交わす姿が彫られている。


「楽しそうな絵ですね。実用性がないのが、もったいないです。あ、試してみても?」


「どうぞ」


 青年は扉に近づいて、金色の塗料が剥げかけた取っ手に、細い指を絡ませた。


 くるくるとすべり、よく回る。

 何回転でも回る。


 引っ張ったら、簡単に抜けてしまった。


「ふふ。元に戻してくださいませね」


 青年は言われた通り、取っ手を元に戻した。


 改めて玄関扉を観察すると、扉の開閉に必要な蝶番ちょうつがいがなく、壁に直接べたーんと固定されていた。


「僕が強盗だったら、ここでしばらく足止めを食らいそうです」


「泥棒するんだったら、目立つ玄関は避けませんこと?」


「あ」


「うふふっ。あなたに盗みなんて、向いてませんわ」


 メイドが口に片手を添えて微笑んでいる。


 青年はあんまり窃盗をしたことがなく、コツなどを体得するには至らなかった。洗脳をかけた相手が、勝手にいろいろと持ってきてしまうから。


 メイドは屋敷の裏手にまわって、枯れ木が枝を垂らす植木鉢に隠れた勝手口へと、青年を案内した。


「使用人も旦那様も、ここから出入りしますのよ。旦那様は、あまりお帰りになりませんけど、ご予定が狂わなければ、明日、お帰りになるようです」


「この木……」


 青年は伏し目がちに、立ち止まった。枯れ木の生える素焼すやきの植木鉢を、しゃがんで見上げる。


「まだ生きてますね」


「そうですの? 私、あんまり植物には詳しくなくて」


 青年は垂れる枝と、片手で握手した。弱った枝葉に張りはなく、その原因が日光不足であるのを懸念し、そっと手を放して立ち上がった。


「このような枯れ木を、旦那様の前に出すわけにはいきませんね。後で片付けておきます」


「あら、いいんですのよ、その木は。勝手口を隠すためにちょうど良いんですの。どうか、そのままにしておいてくださいな」


 メイドは鈍色にびいろの取っ手を回して、モザイク硝子がらすを張った扉を押し開けた。


 とたんに鳴り響く、数多の小さな、スズランのようなベル。扉の開閉に合わせてピンと張る紐にゆすられて、にぎやかに来訪者の存在を告げる。


 とても可愛らしい音色だったが、聴覚が鋭い青年には、耳の鼓膜から頭蓋骨の中まで、びりびりと引っ張られるような頭痛がした。思わずぎゅっと目をつむりかけてしまい、なんとか耐える。


「このお屋敷は、いろいろと厄介ですの。少し待っててくださいな」


 イタズラっぽく笑う彼女が、扉の中に消えてしまった。


 ビリビリッと紙類を破く音が聞こえだす。


「クララさん、じゃなかったクレアさん、大丈夫ですか」


「ええ、終わりましたわ。さ、入ってらして」


 さっきの音はなんだったのかと扉をくぐると、ブレッツェルの足元に、びりびりに破かれた紙片が散らばっていた。何かが描かれていたのか、紙片のところどころが黒い。


 目の前には、薄暗い廊下が真横に伸びていた。

 光源となる物は、やたらと多く造られた窓からの、斜光しゃこうだけ。異様に細長い窓枠で、小ぶりな動物か小柄な子供でもないかぎり通り抜けられそうになかった。


 不自然な窓の明かりに照らされた、大量の≪≪扉≫≫も、壁を不自然に飾っている。


「扉、多すぎませんか? 一部屋に三つくらい付いてますよね」


「開かない扉がほとんどですのよ」


「え、開かないんですか?」


「じつはこのお屋敷には、部屋数もそんなにありませんの。広いお屋敷なのに、おかしな間取りでしょ? これも外からの侵入者を惑わせるための魔法なんですの」


 森の奥の辺鄙へんぴな場所にあるから、不思議だなぁくらいには青年も思っていた。飢えに苦しんでいなければ、この森で人が住んでいそうな建物の屋根を見つけたとしても、素通りするところだった。


「まだ間取りを見ていませんから、よくわかりませんね」


 黄緑色の、抽象的な枯れ草模様の絨毯じゅうたんが、廊下をまっすぐ、そして暑苦しくおおっている。


「あのー、冬用の絨毯ですよね、コレ」


 青年の尋ねに、メイドは困った笑みを浮かべた。


「あなたって、いろんなことに疑問を持つのね」


「使用人の経験が長いですから。不自然なモノは旦那様の目に触れる前に、すべて片づけてきたんです」


「とても良い心がけですわ。でもこの絨毯は、このままで構いませんのよ。旦那様からのご指示ですの」


 おもむろにメイドが壁を指さした。淡い黄色の、しかし年期が入ってところどころが茶色く変色した壁紙に、なにやら、黒い点が、いくつも見える。


「壁に小さな穴が開いていますでしょ? あそこから向かいの壁の穴まで、ピアノ線を通しておりましたの。簡単にはここの廊下を通過できない罠がありましたのよ。数年前まで」


撤去てっきょしたんですか?」


「ええ。旦那様がご招待されたお客様たちが、引っかかってしまいましたの。以来、取り外しまして……。私はあの罠、便利でしたから愛用しておりましたのに、残念です」


「……」


 無言になった青年の様子がおもしろかったようで、メイドが口を覆ってころころと笑った。


「絨毯の模様を目安に、ピアノ線が張られておりましたの。模様を見れば、私でも避けられましたわ」


「今、夏ですよね。旦那様は、冬用の絨毯がお好きなんですか?」


分厚ぶあつい絨毯だと、足音が消せますの。ほら、あなただって、静かな廊下を歩いていても靴のかかとが鳴らないでしょ?」


 たしかに、鳴らなかった。夏用の絨毯では不満を抱くほど足音を気にするとは、ずいぶんと神経質な主人だと思った。


「こんなに罠だらけのお屋敷に住まなくても、安全な場所に移ればいいのでは? 街とか」


 街と聞いて、メイドの顔色がさっと険しくなった。けれどもそれも、一瞬の見間違えであるかのように、すぐに笑顔を取り繕う。


「私にも、いろいろと事情があるんですの。そうでなきゃ、こんな森の中で女一人、働いていませんわ」


「そうですね」


「あなたにも、言えないことの百や二百、ありますでしょ?」


「そんなにたくさんの秘密はないですね」


「またまた、謙遜けんそんしちゃって、可愛いらしい人。こんな所に就職を希望される男性が、まっさらな経歴なわけありませんわ」


 メイドはそれでも楽しそうに、青年を受け入れている。彼女にかけた洗脳の効果とはいえ、ブレッツェル青年は皮肉な笑みを浮かべた。


「クララさん」


「あら、私はクレアですわ。クララはドイツ圏の女性名です」


「失礼、クレアさん、しかし経歴うんぬんはあんまりな物言いですよ。僕だって傷付くんですよ?」


「うふふ、本当にあなたっておもしろいわね」


 どんな反応をしてみせても、彼女にとっては可愛い、おもしろい、に変換されてしまう。青年を前に、ご機嫌になってしまう。


 青年がかけた洗脳のせいと言えども、青年にとって共感しづらい精神状態になっている相手に合わせるのは、ちょっと大変なのだった。


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