第2話

 シトシトと雨が降りしきる季節がやってきた。零也は雨が好きではない。しかしこれは季節によるものだから誰しもが仕方ないと思っているだろう。それと同じような感覚で、零也は今の恋愛は仕方ないと思っていた。二人を本気で愛してしまったということ。こればかりはどうしようもなかった。

 大学の講義室。おそらく200名ほどが座れるくらいの大きさの部屋の後ろの方に零也がいる。長机がいくつもあり、黒板を先頭に、後ろに行くにつれ徐々に高くなっている。その後ろから3列目に座っていた。零也は普段、ジャージしか着ない。服がない、というわけではない。ただ、面倒だった。家からすぐの大学にわざわざ着替えていくこと、講義にまともに出席することがほとんどないのに着替えることが考えられなかった。そう、近所のコンビニに行くときにおしゃれをしないのと同じ感覚だ。


「ねぇ、またちゃん、彼女できたー?」


 零也が話しかけた相手は黒縁眼鏡にもっさりとした髪型の男であった。


「できひんて。そんな毎日聞かれてもできるわけないやん」


 黒縁もっさり男が答えた。黒縁もっさり男と零也の出会いは一年ほど前にさかのぼる。特別な出会いでも何でもない。零也と学籍番号が一つ違いだ、というだけであった。それだけの理由でなぜか一緒にいることが多かった。黒縁もっさり男の名前は又畠翔太(またはたしょうた)。彼と零也はいつもそんな会話をしていた。


 「またちゃんならできるっしょ~。合コンする?」


 このころの零也はたまきという彼女と、かなみという女性の二人のことが好きだということ、そして上手に関係を築き上げられているということから自分に自信を持ち出していた。


「してもええけど、俺なんにもしゃべれへんで?お持ち帰りとか夢やわ…」


「大丈夫!いっちゃんかわいい子は俺がいただくから、ふふ」


 またちゃんは黒縁眼鏡の奥にある眼を軽く光らせた。


「どうしたらそんなうまくいくん?」


 答えは明白だった。


「コミュ力じゃねー?見た目かもよ!」


 またちゃんはその言葉を聞き少し頬を膨らませた。


「そんなん俺もう終わりやん」


 そんな冗談をいいながら大学の講義を受けるのが日常だった。そんな会話をして講義が終わると零也はそそくさと家へ帰る。家から大学までおよそ3分。近すぎることが逆に学ぶ意欲を失う原因となっていた。家に帰ればゲームがある。その欲求に零也は勝てるほど学ぶことに熱心ではなかった。この日も同じようにして講義が終わり次第、家に帰ろうと決めていた。


ピコン


 静かな講義室に通知音が響きわたり、皆の視線が集まる。零也は急いでマナーモードに切り替える。


『先輩、今日も電話する?』


 たまきからのメッセージだった。思わずにやけてしまう。なぜだろうか。彼女と電話することが楽しみで仕方なかった。


「なににやけてんの?きもいで。」


 心無い言葉がもっさり男から浴びせられる。零也は思わず睨んでしまう。


「彼女からやからしゃーない!か!の!じょ!」


 嫌味をこれでもかというほど込めて彼女アピールをした。またちゃんは、くそぅ、と小さくつぶやいて携帯とにらめっこを再開した。ふと周囲を確認すると、まともに講義を受けているのは前の方だけであり、後ろにいる者たちはたいてい、寝ているかおしゃべりか、携帯とにらめっこをしていた。


「いいなぁ」


 またちゃんは小さくつぶやきながら、携帯とにらめっこをしている。それを聞いた零也は少し自分を誇らしく感じた。

 遠距離であるが、たまきと零也の関係は良好だった。めったに会うことはできなかったが、それでもできる限り電話もしたし、メッセージも返した。お互いがお互いに大好きであると言い切れるほど二人は愛し合っている実感があった。


 いくつかの講義を終え零也は家へ帰宅するとすぐにベッドに横になった。今日はなぜかたまきからの返事が来ない。前回返事を返してからもう4時間近く経つ。妙に不安になった。不安、というよりもおそらく寂しさだと思われる。とにかく得体のしれない不安が零也を襲っていた。布団を頭までかぶりその中で携帯を触る。そしてGoogle Playストアを開く。


『暇つぶし』


 そう検索するとチャットアプリがいくつか出てきた。そのうちの一つを無意識にインストールした。アプリを開くと説明や登録画面を経て、女性の一覧が出てきた。何気なく複数の女性にメッセージを送ってみた。


『こんにちは。よかったらお話しませんか?』


 一人の女性から返事が返ってきた。


『いいよ!今学校だからあとで連絡先教えるね!』


△△△△△△


 やがて雨の季節は過ぎ去り、轟々とした灼熱の季節がやってきた。エコがどうのこうのとテレビでは連日のようにニュース番組で取り上げられているが、そんなものは関係なくクーラーの力を頼った。零也は夏が好きだった。基本的に外には出ないので暑さはどうでもよかったが、朝早くから太陽が昇るのが好きだった。そしてなによりも夏休みに帰省ができることが一番大きい。

 今年の夏休みにはキャンプを行う予定だ。普段は引きこもり気質であるが、アウトドアは非常に好きだった。キャンプのプランを考えたり、夏休みの過ごし方を考えていくうちにあっという間に毎日が過ぎていった。もちろん、たまきとの電話も欠かさない。そしてバイトも頑張った….かなみに会えるから。そうして過ごしていくうちに大学の試験も終わり、夏休みに入った。


「どーしよっかなー!いつ帰ろうかな」


 一人の部屋に大声が響く。帰省する日をまだ決めていなかった。アルバイトとの兼ね合いもあるが、アルバイトは割と融通が利く方だったので特に気にしなかった。さらに言えば、かなみがいない日にはバイトをする気にはなれなかった。


『いつ帰ろうかな?』


 ベッドでゴロゴロしながらメッセージを送る。もちろん相手はたまきだ。


 ピロン

 返事が来た。


『先輩、早く会いたいよ』

『会いたい』


 その一言で決意した。


「すぐ帰ります!」


 思わず声に出してしまった。


『もう少ししたら帰ろうかな!待っててね!俺も会いたいよ』


 その翌日、人がごみのように詰まっている電車に乗り込み、3時間揺られて女性に会いに行った。


 帰省すると、たまきに会った。彼女の姿を見るだけで心が弾んだ。自分では気づいていなかったが、たまきの姿を見るとどうやら頬が緩むらしい。


「先輩!最近何かあった?」


 不安げな顔をしてたまきが声をかけてきた。


「ん?何もないよー?どうかしたの?」


 いくつか思い当たる点はあったが、正直どうでもいいことだったので言わないでおこうという判断をした。


「うん…..なんだか少し雰囲気変わった気がして…。」


 その言葉に少しドキッとした。表情には出ないようにしたが。


「大丈夫だよ!何も心配しなくても!さてさて、暑いしファミレスにでも行こうか!」


 そんな会話をしながら二人は歩き出した。車通りの多い駅前の道をまっすぐに歩いていく。灼熱の太陽が二人を照らした。それに耐えるかのように、二人の額には汗がにじみ、耐えきれなくなったころ目的地についた。

 


「そういえば今年受験だね!進路決めたー?」


 いつものようにお喋りをする。


「看護師になろうと思ってる!できたら助産師がいいなーって!」


 将来について話すのが楽しかった。二人で話す将来の話には二人が一緒にいることが前提であった。そうやってこれからも一緒にいられるんだ、とお互いに確認しあった。帰省しているときの大半は彼女と会った。できる限り彼女と会っていようとした。そして彼女も高校の部活の合間を縫ってあってくれた。とにかく幸せな日々であった。幸せな時間が過ぎるのは早いもので、あっという間に一人暮らしをしている地へ帰る時が来てしまった。


 4時間の電車の旅はもう目新しさもなくなりただ苦痛になってきた。


『会いたいよ』


 そんなメッセージを受け取るだけで元気が出た。しかし、この頃になると零也は自分に腹立たしさを感じるようになっていた。自分があまりにもふがいなくて、自分の弱さに悩んでいた。


「なんで….俺はこんな人間なのだろう…」


 電車の中ひとりでつぶやく。そんな自分に零也はハッとしたように我に返る。公共の場での無意識の独り言に気づいた時ほど恥ずかしいことはない。


△△△△△△


 一人で家にいると自分の気持ちに押しつぶされそうになる時がある。寂しさや自分に対しての怒りなどいろんな感情が零也を襲った。クーラーのよく効いた部屋でドキドキしていた。


 ピンポーン


 インターホンが鳴る。


(来た!!!!!!)


 零也は待ち遠しかった。急いでオートロックを解除し、部屋の玄関を開ける。するとそこにはロングヘアーの細身の女性が立っていた。


「零也―!」


 女性は零也の姿を見るや否や零也に飛びついた。二人はお互いを強く抱きしめあった。零也がこの女性と会うのは二度目であった。


「理沙!よく迷子にならずに来れたね!」


「迎えに来てくれないから怖かったよ」


 そんな会話をしながら、お互いの顔を確認する。そして二人は恥ずかしさを感じ二人そろって顔をそむける。


「やっと会えたね!」


 その夜、事件は起きた。月は雲に隠れ電灯だけが暗い夜道を照らしている。零也はコンビニへ行った。もちろん、ジャージで。アルバイトをしているコンビニにはいかなかった。いくことができなかった。なぜかかなみに会うのはまずい気がした。ビールなどを買い、家へと向かう。車通りの多い道から少し入ったところで携帯が鳴った。


プルルルルルルルルル


 突然電話がかかってきた。零也は驚いておもわず、ひやゃ、と変な声が出てしまう。電話の相手の名前を確認すると理沙だった。何事かとすぐに冷静になり電話に出る。


「もしもし、どした?」


「・・・・・・・」


 理沙は何も言わない。何かあったことは明白だった。


「理沙!どうした!理沙!!」


 返事は何もない。右手で持つ携帯を耳に当て、左手ではコンビニの袋を持ちながらもビールのことなんか気にせずに走った。風よりもはやく。すぐにマンションにつく。胸がどきどきする。息が切れる。走ったから、というのもあるが、それ以上に恐怖が零也を襲っていた。

 マンションのオートロックを解除し玄関のカギを開ける。胸の鼓動がバクバクとはっきり耳を通して聞こえるようだった。


ガチャ


 静かなマンションに玄関のドアを開ける音がいつもより大きな音で響く。部屋の明かりはついていない。一歩、また一歩とベッドの方へ近づく。


「理沙・・・?大丈夫?」


 やはり返事はない。


(うるさい・・・静かになれ・・・)


 胸の鼓動があまりにもうるさい。鼓動のうるささは部屋の静けさをより一層引き立て、それが不安に拍車をかけた。部屋の明かりを点ける。ベッドの上には三角座りをして顔をうずめている理沙がいた。


「理沙?どうしたの?」


「・・・んぐっ・・・」


 理沙は泣いていた。よく見てみると右手には携帯を握りしめている。嫌な予感がした。何とも言えない不安で体中の力が抜ける。それを補おうと全身に目一杯の力を込める。


「理沙・・・・」


 零也はベッドの前で理沙を見つめている。何が起きているのかを確認するかのように、自分の行った過ちから逃げるかのように。理沙は震える手で携帯を触る。そして、零也に画面を見せた。画面は暗く、普通ならば「明るくして」と頼まなければ見えなかっただろう。しかし零也はその画面をはっきりとみてしまった。そして、目一杯に入れていた力は抜け、その場に崩れないので精いっぱいになった。

 画面にはたった一枚の写真と1文だけがあった。


 写真には零也とたまきのツーショット。

『零也っていう男、ほかにも女がいるよ。』

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最低最悪男の最低最悪で最高の恋 ごんぞう @tatata68

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