インプリンティング


(※15歳以下は閲覧禁止) 


 俺はちょっと所在ない気持ちでコーヒーメーカーに溜まったコーヒーをトールカップに注いだ。

 

 冷蔵庫から取り出したバニラのライスミルクを入れる。


 後はよろしくと言われても。


 気分は晴れなかったが、女のように飛んでしまえば、どうでもよくなるんだろうか。Bはどういうつもりなのか。


 女の分のコーヒーを白いモダンなセラミックのポットに注いだ。トレイを持って寝室へ向かう。


 女は化粧がすっかり落ちた顔で寝入っていた。眠っている方が可愛い。純真そうな寝顔に驚く。こんな無邪気な顔をしているとは普段はわからない。


 床のテラコッタタイルが冷たく鈍いくすんだひかりを放つ中、俺は靴音を立てないように薄いカーテンをあけ、忍ぶように音もなくテラスに続く窓を開け放した。朝の気持ちの良いテラスに吹く緑の風に髪を遊ばせながら、そこの大理石のテーブルに俺はトレイをそっと音を立てないで置いた。


 テラスのベランダの手すりを支える曲線のクリーム色のギリシャ風ピラー。その猫足の隙間から、帯のような深いブルーの海が広がっていた。蛍光カラーのウィンドサーフの羽が一組、二組と波間に漂うのが見え、白い波が曲線を描いてきらめいていた。ポッシュな金持ちの住むエリアだが、どこか真新しい。


 低い手すりの側でほのかに甘いバニラのコーヒーを飲んだ。ホテルより使い勝手がいい場所に住むと旅に出る意味がない。


 永遠に続く長い夏休みのような人生がすっかり板について日常になりつつあることについて、このままどこに流れていくのか、全く予測がつかなかった。


 長い毛足のシャギーのコットンのカーペットのせいで音が消されたのか、俺が気づくと女が窓際まで歩いてくるところだった。薄暗い中の完璧なシルエットだが、女はさっきまでの熱気を気だるげにまとったままだった。



 「おはよう」


 俺は大理石のテーブルにカップを置き、部屋に戻った。窓際で俺の首に両手を巻きつけ甘える女の耳元に「今が一番綺麗だ」と、囁いた。サイドのベッドトランクに脱ぎ捨てられたシルクのバスローブを拾い、女の背後から滑らせて着せる。ついでにベッドに女を座らせて、美しい美術品のようなヒールを丁寧に履かせ、女を上目遣いに見上げた。


 女は上からありがとうと、ひざまづく俺にそう言って珍しく照れたように微笑んだ。観客がいたら残念がるところ。美しい長い脚の曲線にそそられた俺は自然に女の脛の側面に軽く唇を寄せて、そのままゆっくりと味わうようにまっすぐ膝まで唇を這わせたままに滑り上がった。


 片足のバランスを崩し、力の入らない肢体に思わず崩れるようにベッドに俺を誘う女。これほど裸体が神々しく似合う女もいない。崩れないようベッドに座らせたままの女の顎を軽くあげ、膝を割らせ割り込んで、俺は女を真上に見上げさせた。一級品のような非の打ち所のない芸術品のような美しさは、いつか儚く変わる日が来るのか、女は俺を引き寄せようと腕を伸ばしたが、俺は黙って女を見つめた。時間が流れ「今」は戻らない事実が、自分たちを無意識に追い立てた。何か言いかけるがお互い言葉が見つからない。勝気な女の上気する切ない瞳が熱を帯びて俺を求めた。そそられた俺は再び女を自立するように立たせた。


 珍しくヒールのバランスを忘れたような危うい女の背後に回る。あれだけの後だから、どんなに勝気な女でも、まだ中心がおぼつかず、ふらつくのは当然だった。鎧をつけたような普段の小憎らしい女でなく、素直に可愛い。ヒールだけが普段の気の強さの名残だ。芯に熱を残したような恥じらいのアンバランスさが、俺に再び火をつけた。罪悪感など、結局、簡単に消し飛ぶような俺の意志の弱さだが、誘ってくる美しい女が罪だ。熱を帯び、小首を傾げ俺を見る瞳が切ない。俺自身を器用に探し当てた女の手首をそっと俺から引き剥がす。華奢な金色の鎖の絡む微かな音に、俺は我慢ならずに思わず女を大理石のテーブルに強引に仰向けに寝そべらせた。


 〜


 女を腰で抱きとめ、重みを傾げ行き場を奪って動けなくした俺は、両脇をまっすぐに滑らかな白魚のような光沢ある丸みをゆっくりとシルクの手触りを楽しみながら滑らせて降りては上がった。何度も曲線を確かめるようにゆっくりと確認して、シルクのバスローブを鼻先ではだけさせながら、敏感な場所を焦らし、気まぐれに滑り忍ばせた柔らかい指先で、奥の鍵を操るように軽く手前に右回りにゆっくり引くと、女のドアは薄くまた誘うように手前に俺を待ち構える吐息で応えた。目を軽く閉じたまま、夢に戻った女をいつもの癖のように自動的に優しくゆっくりと女の両脇腹を軽い圧力で滑らかに掌で圧を軽くかけ、伸びやかに撫で上げ、右肩のローブの隙間に左手を滑り込ませ、首筋から顎の先を流れるキスで後ろに反らせた。右肩筋の後ろを軽く噛みながら、くびれにまとわりつき撫で上げつつ背後に回り、太ももをざらりと自然に大きく割り込ませた。まだ感じたままの熱が冷めない奥をジーパンの粗い膝でシルクのバスローブをあてがい練り入れながら、弓なりの背後から、同時に走ってくる両方の丘の円周の際を時間差で二周に指と爪先で触れることを繰り返す。引き寄せた耳の側面に舌で触れるように甘噛みをやめないで、女が俺の動きに合わせて、意識が消えそうになるのを邪魔し続けた。引き裂かれるような矛盾に女は目を瞑り恍惚に没頭する。かろうじてベルトのせいで脱げ落ちないシルクのバスローブが薄く俺の膝にあてがわれているが、濡れた染みが広がり始める気配がして、俺は薄く張ったシルクの芯を爪の先で弾きこすり敏感にさせる。肩から滑り落ちたバスローブを使い、左右非対称の触感で刺激し、気まぐれな音を奏でさせるように時々唇を近づけ吐息でくすぐり、女のあちこちを温めた。俺の声が聞こえる空耳に、奥の奥から女が深く長い吐息を漏らす。どこをどんな風にして欲しい? そんなことを尋ねるまでもないほどに、あまりに簡単に女がまた乱れ始める。


 甘噛みで何かを探すように女を彷徨い、完璧なラインで隆起する場所を敏感なラインでわざと甘噛みを強くした。女の切ない声を舌先でなだめ、甘やかし、もっともっと欲しがるように焦らしに焦らす。さっきの余韻で何をしてもすぐにスイッチが入る女は、もはや、なりふりを構わない。

 

 膝に押し当てた指先で震える場所と奥を同時に強弱の運動で探し当てる振りをした。行ったり来たりの音だけが恐ろしいような静寂に響く。女の鼓動と体の火照りと分離したような嫌らしい音と。女との追いかけっこは最初から目を開けたままの俺の勝ちに決まってるが、素知らぬふりで、左手は逡巡する円周をゆっくりとランダムな直径に弧を描き続けた 。時々、シルク越しに女にどうして欲しいのか、問いかけながら、意味ある言葉がうまく出なくなった女を耳元で優しく貶め、滑らかに指先で撫で回した。最初から結果はわかってるゲームに、俺は意地悪に女の中身を右手でそっと掻き出すように恥ずかしくさせ続ける 。女は徐々にプライドをかなぐり捨て、どの地図が本物なのか俺を待ちきれない。テーブルの上のトレイが驚くほど大きな音を立て、ガチャリと女に払われる。大きな音に女は気づかずに、もがきながら俺を求めて長い腕を宙に伸ばす。


 ヒールで高さのついた女はその危うい姿勢に立ったまま俺の指先で釣られるように俺に次々をねだり、俺の首筋に唇を寄せようとして、女は思わず口元に運ばれた俺の指を奥まで求めた。俺は女のこめかみに軽いキスを続けたが、女は目をつぶったまま、俺の指の側面を温かい乳房を求める子羊のように欲し続け、声にならない声をあげた。水にまつわる音は世界を切り離すように規則的に独立して存在し、そのうちに女の吐息がどんどん激しく上がりはじめる。一歩二歩と、テラスの端に自然に近づき、低い手すりの前に豊かな胸を突き出し、揺らして、女は背を逸らし、女豹のように短い獣の声をあげた。


 浜辺からは俺たちがゴマ粒にも見えないが、たとえ小さな額縁程度の大きさだろうが、むしろ息を詰めて、どこかの別荘から窓越しに見られていてもおかしくはなかった。広いテラスはまるで映画撮影のシーンのようだったが、揺れて動き打ち付ける女の輝く体を惜しげもなく隣人に見せるというのは、実は俺の趣味じゃなかった。この女、思ったよりも簡単に墜ちてしまった。Bのせいかもしれないが、もっともっと悔しい思いに歪む女自身を鏡で見せつける方が、ずっと興奮する。


 俺はここから見える場所はどこか咄嗟に人気を確認したが、最も可能性があるのは、住宅街のすぐ先のまっすぐな海岸遊歩道にいるランナーやサイクリストだった。気のせいか立ち止まって見えるが、これくらいの距離があれば、問題なしかと俺が思ったのは、乱れてるのは女だけだから。


 観客にとっては息を飲むような光景でも、俺はさすがにそこまで見る者を楽しませるつもりなく、女の乱れに乱れて脱げかけたバスローブを直して大きなラタンの椅子に座らせた。きっと無駄だが、とりあえず。金髪の少年のように化粧っ気のなくなった女は、少年のような素直さで、目をつぶったままに俺の言いなりだった。ぐったりしていても、どこかで俺を求めて止まず、暗闇で求め続ける。むしろその様子が俺を加速させた。俺も矛盾しているが、どこかで俺自身を見かけたような気分になった。


 改めて軽く頰に何度も唇を寄せ、 脚を開かせ、素早く地肌についたままのバスローブのベルトを解いて引き抜いた。天からのキスで上を向かせて目隠しに女を軽く椅子の背に固定するよう括り付けた。案外と大きいラタンの椅子は、そうするのに好都合だった。まだ何もしていないのに、上を軽く向けさせられた窮屈さに、規則的に短い喘ぎを吹き始める女。俺は容赦なく奥を探すのに、柔らかく女の片足をヒールのままに椅子の手すりに預けさせた。溺れるように俺を求める白い腕が宙を掴む。


 前から女に軽くまたがり、ラタンの下から突き上げるように小さな声で囁いた。


「終わったと思ってた?」


 思わず含み笑いをしたのは、砂嵐のような女の意識が見えるせい。


 深い深いところに落ちたまま、逃げたと思えば、まだ砂嵐が横殴りに吹くような闇のままにいる。テラスに来た時から夢うつつの女は、知らぬ間に夢の続きの中にいた。



 女はラタンの椅子まで濡らし、喘ぎながら言葉にならない声でお願いと言い続けていた。短い意味のない懇願の声は、無意識がそうさせた。俺なしでは生きていけない、恥ずかしげもない喘ぎの声で、女は俺を求め続けた。途切れ途切れになり、どの国の言葉かわからない言葉が混ざる。女に割り込んだ俺は、無理をさせるように親指で引き伸ばし、中指の奥を同時に震わせたが、女はとにかく、見えないままに俺をつかもう、引き下ろそうと俺を求めて弄ったが無駄だった。


 俺にはどんな声も聞こえない。ただただ、自分の居場所は何もない白い砂漠だから。音を吸い込む虚しい場所。


 溢れる蜜は泉のように滴っていたが、自分の服は脱がなかった。砂漠の火に焼かれ、俺まで影になる。


 女の耳元に口からでまかせを囁き続けた。欲しいものは手に入るさ、と。


 女は一瞬毛穴を立てるように震え、意識がないはずなのに、嘘つき、嘘つきと、単調な単語の羅列でちぎられたうわごとを繰り返し始める。悪霊に憑かれたように女は嘘つきと喘ぎながら、弱々しく俺を責め続けた。意識がないくせに、なんでもわかってしまうのは、女が今いる世界のせいだ。


 お願い、お願いと熱に侵され、うわごとを言い続ける女が、俺に操られて、突然に短く叫んだ。無理もない、やめずに徐々にゆっくりと、俺の陣地をまた広げ始めて。そこから山が崩れるように、奥から伸びやかな叫びが絞られ始まる。止む気配もない尋常でない愛を求める声に、そこからはさすがの俺も、仕方なく女の叫びを唇で塞がせる。通行人に通報されてはたまらない。ブラックホールのように俺を求める女は全てを吸い込もうと踠き、俺は同時に矛盾を広げながら、秒速のようにカウントし続け、女が俺の思う通りに放り出されるまで、無情に女の懇願を無視して、感じさせ続け、女の意識を最後の最後まで綺麗に何もない場所まで飛ばした。


  痙攣するのに、息ができないで踠く女の頰を軽く叩き続ける。耳元に言う。


 「息して。…息、忘れないで」


 慟哭のような目覚めを呼び起こすと、女は走り出すようにまた短い息をし始める。何もない広い場所を俺が見渡すと、女は無意識に俺も道連れにしようと、俺を弄り、気持ち良くさせようと探し求めたが、優しいキスでそれを拒んだ。


「俺のことは気にしないで」


 バスローブのベルトを素早く解いて、目隠しを外し、息をあげて震える女をテラスから軽々ベッドまで運んだ。どちらにしても目など開けていられないのだから、目隠しにほぼ意味はなかった。女が無意識に大きく掴む宙には悪魔がいるように虚しく、何も掴めない。俺のものを求め無意識にジッパーを引き下ろそうと女は何度も手を伸ばした。



 愛してるの、愛してるの、お願い……お願い……


 女はうわ言のように繰り返したが、何を言ってるのか、きっと自分でもわかってない。愛してるという言葉がこれほど似つかわしくない女も珍しい。


 俺は女に跨り、俺の重みをかけないように、優しくシーツの上から抱きしめ、キスしたが、女は無意識に俺のシャツのボタンをまさぐり、脱がせようとした。汗をかいていた俺は、仕方なく女に応え、さっと脱いでそこの床に投げ捨てた。


 女は少しだけ安心したように、俺の素肌にまとわりつき、キスを繰り返した。俺は自分があまりにも冷たいと感じて、黙って女の金髪を何度も手櫛で梳いて、体重をかけないようにしながら、耳元で言葉の代わりのキスを繰り返した。




 じっと女が落ち着くのを待ちながら、ちょっとやりすぎたことを後悔する。愛してるとか、重すぎる。ただオートマティックに出た社交辞令だろうが、俺は急速に現実に引き戻された。ただただ気持ちよくさせるだけが、そんなところまで追いやる気は毛頭ないし、何より、単に気持ちよくなりたいだけの女の方が、俺の相手に似つかわしい。


 かといって俺は、娼婦を抱くことはない。自分が気持ちいいのを人に知られるなどというのは気恥ずかしい。そんなことなら、自分で処理できる。


 黙って女を寝かせ、形を整えるように白いシーツの上からくまなく抱きしめた。短い息と痙攣に、頰からこめかみに優しいキスを繰り返す。ビクリビクリと跳ねる小さな白い魚のように女は、震える喘ぎ声を短く出し続け、俺は女の頰にいく筋も光る涙の跡を優しく舌で撫で上げた。そうしながら、目をつぶって今朝の暴走を後悔した。


 起きたら全て忘れていてくれれば。単なる寝物語、口からのでまかせで深い意味などないと知ってはいても、たとえ戯れに口にする嘘でさえ、そういう言葉は重すぎる。


 生まれ落ちた瞬間に言葉というものは一人歩きする怖さを知っていて、女の自立心など、鎧を外せば儚く脆いというのに、俺はいつもその欲望を結局、利用している。俺は生意気な女をこんなふうに虜にさせるゲームが決して嫌いじゃない。かといって、付き合う気は毛頭ない。なんと自分勝手な。


 遊んでいる女は危険だ、娼婦と同じだと感じてしまって、俺は自分自身、最後の一線を越えることはしない。万が一、妊娠させたらと思うと、俺は絶対にそんなことがありえないように気をつけていた。潔癖症の俺は実際のところ、フレンチ・キスさえ実は気が進まないくらいで、好きだとか、愛してるとか、そういう言葉も俺を現実に引き戻すから、聞きたくなかったし、たとえ寝物語の嘘であっても、自分が口にすることはなかった。


 結局のところ、俺にとっての女はゲームで、不誠実極まりなかったが、どうすることもできなかった。しつこくされるのが嫌で、一度寝た女とはできる限り二度と寝ないようにしようと決めていた。また具合の悪いことに、俺は女に不自由したことがない。泣かれたりすると困るから、俺は必ず、真剣で真面目な相手の時は、絶対に手を出さなかった。


 そのまま泣きながらストンと眠りに落ちた女をベッドに置いて、俺はすっかり冷めて溢れたコーヒーのトレイを持って、キッチンに戻った。Bの手前、気まずい。二回戦は余分だったに決まってる。




 オレンジの紙袋を抱えて、Bが戻ってきたのは、俺が新しいコーヒーを飲み終えて、シャワーから出た直後だった。


「あれ?まだ起きてこないのか」とBは女を気遣った。


 起きてきたけど2度寝することになったと、俺は言わなかった。代わりに俺は、後よろしくと、オレンジをジューサーで絞るBのジーパンのポケットから、キャデラックのキーを引き抜いた。


  目覚めた時にお前、側にいてやれよ。


 結局そうも言わず、無言でキッチンを出た。

 

 女が目覚めて初めて見るものを親だと刷り込まれる雛ならいいのに。


一直線にまっすぐ海岸線を南に当てもなく、俺はキャデラックを走らせた。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フロリダ・ドリーム @0078

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ