自分の居場所。12

 怖い───痛い───やめて───なんで───


 ───コロシテヤル


 ───ボクヲクルシメルモノハゼンブ


「ぐぁぁぁあああああ!」


 自分に殺意を向けるオオカミに、一心不乱に向かっていく。

 最早そこに理性などなく、僕はただそのオオカミを殺す事だけを考えていた。


 ドクドクドクドク!


 魔力をギリギリまで熾し、握りしめた右手の拳を叩き付ける。


 しかし、オオカミは身軽に避ける。


 その黒い目は鋭い刃のような輝きを放ち、こちらの動きを見切っている。


 空ぶった勢いで倒れ込んだ僕にすかさず飛びかかるオオカミ。




 イヤダ。


 シンデタマルカ。


 体勢を無理やり変えて、身体強化された脚で蹴りを入れる。


 靴底からオオカミの柔らかい腹の生々しい感触。


「ギャ!」


 内臓を傷つけたようで、オオカミの口から赤い血が吐き出される。

 人間同様、腹は急所だ。



 イタイ……


 右脚にかなりの負荷がかかったようだ。

 足を庇いながら立ち上がり、オオカミを見据える。


 オオカミもまた、かなりの怪我を負っているが立ち上がっていた。

 体はボロボロだが、その目から発される殺気は鈍らない。


「グルルルルル……」


 今すぐにでも殴り掛かりたいが、足が……動かない。


 今迂闊に動けば返り討ちにされることを、理性の働かない今でも本能的に感じ取っている。


「……ふせて!」


 その声は僕の耳から脳へと届き、黒い感情の渦を消し飛ばした。


 慌ててしゃがむと、頭上を白い塊が高速で通過していく。


 氷の矢。

 カレンの魔法だ。


 白く光るその一本の矢は、一直線にオオカミへ向かっていく。

 オオカミは、避けることができずまともに受ける。


 飛び散る白い破片と赤い雫。


 衝撃で体勢を崩したオオカミ。


 ……今なら……やれる……!


 痛む足に魔力を流し込み無理やり動かす。


「うわぁぁぁぁあぁぁああ!」


 まだ動かせる右手の拳に、今出せる全力を込めてオオカミの頭に叩きつける


 硬いものが砕ける感触。


 黒い塊は重力に引かれるまま地に伏した。




 ーーーオオカミを、倒した。




「……あれ……」


 全身から力が抜け、足から崩れ落ちる。


「ーーー!」


 アドレナリンが出ていて気づかなかったのか、全身が痛み始める。

 それらは今まで感じたことのない激痛で、声も出せない。心なしか意識も遠くなっていく。


「アオイ!」


 慌てて駆け寄ってくるカレン。

 僕の左腕、出血している部分を抑えて止血しようとしてくれているが、確実に血が失われていく。

 それが分かっているカレンは大粒の涙を流しながら、ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返し呟く。


 ああ、安心させてあげないと。

 女の子の悲しむ姿は見たくない。


 いつの間にか痛みはなくなっていて、視界はチカチカ明滅している。


「……初めて名前を呼んでくれね……」


 笑顔で言うつもりだったけど、力が入らず顔は引きつってしまう。


「そんなことどうでもいい!はやく血を止めないと……」


「大丈夫だよ、カレン……全然平気だよ」


 体が冷たくなっていき、眠気のようなものを感じ始める。


 見えている世界はもはや色を失っている。

 白と黒の、彩のない空。


 ちらりと青が見えた。


「あっ……」


 霞んで、消える。

 やっぱり届かないんだ、僕は。

 伸ばしたこの手はいつだって何も掴むことはできなくて……

 僕の持っていたものは指の隙間からこぼれ落ちていってしまう。

 なんて無力なんだろう、僕は。


 ああ、もういいや。

 疲れちゃったな。


 ゆっくりと瞼を閉じる。

 もはや光も消えて、真っ黒な世界。


「グル……ゴフッ……ガウ……」


「いやだ……そんな……こっちに来ないでよ!」


 突き刺さる殺意の視線。

 倒したはずのオオカミは、まだ生きていたみたいだ。


 僕はもはや動くこともできない。このまま殺されるのを待つことしかできない。


 ……オオカミに食べられてしまうのもいいかもしれない。無力な僕だけど、なにかの力になれるんだ……それでいいじゃないか。


 オオカミの苦しそうな息遣いはだんだん近づいてくる。




 ふわり。


 温かくて柔らかいものに包まれる感覚。


 トクントクンと小さな心臓の鼓動が聞こえる。


「今度は……私が守るの! 絶対に食べさせないんだから!」


 カレンが動けない僕の体を抱きしめて、身を呈してオオカミから僕を守ろうとしてくれていた。




 ああ、何一人で諦めてるんだろう。

 ここにいるのは僕だけじゃない、カレンもいるんだ。

 僕が死んだらカレンも死ぬ。

 そんな当たり前のことに気づかなかった。


 ーーーなんて自分勝手なんだ僕は。


 あきらめちゃだめだ。




 ドクン。




 燃え尽きかけていた魔力が再び熾きあがる。


 ドクン、ドクン。


 温かい血液がめぐるように、魔力は体内を駆け巡る。


 ドクンドクンドクン。


 目を開く。

 モノクロだった世界は再び彩を取り戻していた。

 大丈夫だ。できる。

 体を起こして地面と向き合う。


 ーーー僕だけの力、僕にしかできないこと。


 右手で地面に絵を描く。

 それは決して絵と呼べるものではなかったけれど、大事なのは僕のイメージ。


 それはあらゆる動物が恐れるもの、太古の昔からの人類の知恵だ。


 炎よ、燃えろ。


 描いたのは一本の松明。

 木の硬さと柔らかさ、ゴツゴツした樹皮。先端に巻かれた油に浸された麻布のヌルッとした液体とゴワゴワした感触。

 そして……燃え上がる、熱い炎のイメージ。


 ーーーいける!


 木の棒の感触。

 僕はそれを握りしめると一気に引き抜いた。


「グルル……」


 オオカミは怯んで後ずさる。

 僕の手には間違いなく……炎の揺れる松明が握られていた。


 よしっ! このまま逃げれば……


「うっ……」


 がくん、膝が崩れる。

 バランスが崩れ立っていることができなくなり、松明が手から滑り落ちーーー


「危ない!」


 背中から伝わってくる温かくて柔らかい感触。

 松明を持っている右手には、彼女の右手が重ねられて、松明を落とさないように支えてくれている。


「……ありがとう」


「た、松明落としたら終わりでしょう? 絶対に落とさないようにするためなんだから……」


 早口で言う彼女。

 重ねられた右手が熱い。


「ガルルルル……」


 血を滴らせながら左右に移動して隙を伺うオオカミ。

 その目は、片方は僕の攻撃でつぶれてしまっているが、もう片方の目から放たれる殺意のナイフは未だに衰えていない。

 彼らは弱肉強食の世界で生き抜いてきたんだ。やらなければ、やられると理解している。

 だから、絶対に諦めない。


 僕たちにできることは松明をかざして牽制することだけ。

 この炎が燃え尽きた瞬間、僕たちにオオカミは飛びかかってくるだろう。


 ……どうする……




 ズドン!




 目の前、オオカミのいた辺りが突然爆発する。


 舞い上がる砂埃。

 慌てて松明を手放し、カレンとともに地面に伏せる。


 爆発の余韻が消え、砂埃が収まったところで顔を上げると……


「なんだ……これ」


 オオカミの姿は跡形もなく消え、小さなクレーターができていた。

 ふいに、上から黄色がかった光が降りてくることに気づく。


 あれは……確か……


「二人とも無事ですし!?」


 その光は地面に降り立つと、白いワンピースをまとった少女に姿を変え駆け寄ってきた。


 そう、彼女はヒカリ。

 エリアスさんと契約している精霊。


 彼女がいると言うことは……



「おい! アオイ! カレン!」


 兵士を数人連れたエリアスさんの姿が見える。


 ああ、これで本当に……大丈夫だ……


「うわ! 腕からものすごい量の血が出てるですし! はやく治療するですし! って、ちょっと! 大丈夫ですし!?」


「大丈夫……じゃない……」


 今度こそ、かろうじて繋がっていた意識の糸は、プツリと途切れた。


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空に描いた虹の向こうに。 相沢毬藻* @take0807marimo

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