3杯目 ほうじ茶
カタカタとキーボードを叩く音が店内に響く。
別に強めに入力しているわけではなく、本当にやさしく扱っていても、響くぐらい店内が静かなのである。
「ご進捗はいかがですか」
控えめな声が聞こえ、パソコン画面から視線を外し音源を見る。
「おにぎり、お持ちしました」
ふわりと笑い、両手でおにぎりが乗ったプレートを軽く持ち上げて見せられる。
プレートにはおにぎりが三つお行儀よく並んでいる。
湯気も出ており、磯野の香りが漂いすきっ腹に届く。おいしそうだ。
机の空いているスペースに、ほかほかおにぎりプレートを置き、おにぎりを指さした。
「向こう側から、かつお、こんぶ、わさび菜です」
熱いのでお気をつけて、とふわりと笑う彼女の名前は
「ありがとうございます、ちょうどよかった。お茶頼んでもいいですか」
「もちろんです、どういったものがよろしいですか」
ここのお店は少し変わっていて、飲料のメニューがない。月影さんがひとりひとり、要望や好みを聞いて提供している。もちろん、これが欲しいと言えばそれが出される。ちなみに今机にあるコーヒーも、コーヒーをくださいと言っていただいたものだ。
「そうですね、おにぎりに合うもので、あったかいものがいいです」
「かしこまりました、すぐご用意いたします」
月影さんが踵を返し、カウンター奥へ引っ込んだのを見届けて、パソコン画面に目を向ける。
画面に映るのは、スーツで微笑の私の写真と、今までの経歴、自己アピール、学生時代で頑張ってきたことなどなど。所謂、エントリーシートだ。
高校は受験勉強を頑張り、第一志望校に入学できた。しかしそこからがダメだった。将来なりたいものがみつからない。なりたい職業をみつけ、逆算して大学はどこを受けるべきなのか、と考えていこう思っていたのに見つからないままだ。少し興味があった学部がある大学に進学したが結局、なりたいものは見つからず、だらだらと4年間過ごした。そして今度はいよいよ就職先に悩んでいる。
高校の頃に、なりたいものが決まっていたら、こうはならなかっただろうな。
否、結局私だから悩んでいそうだ。
今は【個性】が大事にされている時代――だそうだ。
笑っちゃうよね、それこそ個性が飛び出た人は変な人だと、周りに合わせなさいと教育され、それが骨の髄まで染み込んでいるのに、いきなり個性を出せだなんて。
周りに迷惑をかけない、集団に属すからには規則を守る。少しでも歩調が、思考が周囲と違えばおかしい、変だ、あわせろ、集団を乱さないことが正しい、だとか。
主流に身を任すことが、正しく、なにより楽だった。逆流なんて、他の人からの目が怖い、勇気がなかった。そんな普通に溶け込んだ私に個性なんて、ない。
「お待たせいたしました、ほうじ茶です」
ことり、と置かれた湯飲みからお茶の良い香りがする。
「ありがとうございます。私、ほうじ茶ペットボトルでしか飲んだことないですよね。淹れたてってこんなに香り立つんですね」
「そうなんですよ。最近健康意識が高まっている様で、注文が増えまして。なんでも血流をよくする――とか」
「へぇ、知りませんでした。カフェインが少ないって情報しか知らなかったです」
パソコンをぱたりと閉じ、ほうじ茶に手を伸ばす。
湯飲みに口をつけ、ゆっくり流し込む。うん、おいしい。
「月影さん、また一緒にお茶しませんか」
そう言いながら、空いている手で向かい側の席を示す。
月影さんは「はい」と笑って返事をし、カウンターから取ったお茶を手に、向かい側に座った。手にしているお茶は、きっと同じほうじ茶だろう。
彼女が着席したのを確認し、おにぎりを手にとり口に含む。
ぎゅっっと握りこんだおにぎりではなく、米粒が潰れないように配慮されたおにぎりだ。
咀嚼しながら彼女を見ると、ちょうどお茶を飲んだところだった。
湯飲みから口をはなして「あ、」と言い、私を見た。
「どうしました」
「あの、恥ずかしい話、最近までほうじ茶はティーパックを使っていたんです。なかなか注文が入らなくて――」
めずらしい、と純粋に思った。彼女は飲料にとてもこだわりを持っているように思えていたからだった。
「それで、注文が増えたので、いい茶葉を買い出すようになったんですが」
そこで言葉を区切り、「笑わないでくださいね」と言われた。
察するに、本人にとっては恥ずかしい話が今から始まるのだろうが、茶葉の、ましてやほうじ茶の知識が皆無な私には、きっと笑えないと思う。寧ろ、勉強になりそうだ。
「私、ほうじの茶葉がとれる茶畑があるんだって、そういう植物があるだって思っていたんです」
「―――――――――――ほう」
なるほど、それは知っていた。緑茶やウーロン茶、紅茶は茶葉の発酵度合いが違うだけで、もとは同じだ。
「あ、今笑いましたね、もう笑わないでってお願いしたのに」
月影さんは、私の口角が上がっているのをバッチリ確認したらしく、ぷんすこ怒っていた。私は、少し上がった口を隠すためにおにぎりをほおばった。
「でも、それを知ると奥が深いな――と思えて」
また言葉を区切ると、今度はふくれっ面ではなく優しい笑顔になった。
「もっと学ぼう!といいきっかけになりました」
彼女は言い切った後、湯飲みを持ち腰を上げた。
「失礼しますね」という言葉と共に片づけを始めた。お茶の時間はお終いらしい。
私も手元にあるほうじ茶を飲み干す。もうぬるくなってしまっていた。
発酵時間が違うだけで、色や風味が異なる――私も初めて知ったときはとても驚いた。みんな一緒なのにちょっと違うだけでこんなに変わるものなの⁉って。
ちょっと違うだけ―――か。
もしかしたら私にも、周りと少し違うことがあるかもしれない。ほんの少し、普通という線から3度ぐらい傾いた個性の線があるかもしれない。
残りのおにぎりに手を付ける。つん、というわさび菜特有の痛さが涙ぐませる。
まだまだ就職活動は始まったばかりだ、ほんの少しの個性を武器に戦ってみよう。
まずは、この夜に営業する喫茶店とかわいらしい店主を知っていることが、周りと違うことだろう。
夕暮れに灯る茶屋 あまやよも @amayayomo
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