境界線 03―大和、翔真、翼と蓮斗、彩斗―

 洒落でも冗談でもなく鬼の皐月山子供会副会長、そして、友達と呼ぶほどには親しくない中学生と三人で、リビングで洗濯物をたたむ夕暮れ。

 いったいどこで間違えたのか考えてみる。

 ――か、母さん、ただいま! え、えっと、オレ、なんか頼まれていたよな!

 ――は? よく覚えていたじゃない! さっさと洗濯物たたみなさい!

 覚えていない。そもそも事前に頼まれていたわけではない。高田の家ではよくある、突然生じた「お手伝い」。

 うちの母さん雑でよかったと思いつつ、俊輔しゅんすけと小原に言った――ちょっと時間かかりそうなんで、別の日じゃあだめですか?

 小原と顔を見合わせた俊輔は、俺たちは構わない、と言うなり、すみません、と母親の方に声をかけた。

 ――自分たちも大和やまと君のお手伝いをさせてもらっていいですか。

 普通の母親ってああいう時どんな反応するのだろう、と高田は今更ながらに思う。

 自分の子どもの手伝いをすると言い出したのは、自分の子どもの下の名前まで知っているものの、板についた学ラン姿で、どう見ても小学生の子どもより年上。

 去年まで小学生だった小原はともかくとして、俊輔は雰囲気からしても子どもの友達には見えない。

 普通ならば驚くか警戒するかその両方かのどれかなのではないか。

 しかし、高田の母親は、あら、ありがとう。じゃあ上がって、大和から説明聞いてね、と、こともなげに言った。

 薄っすら予想はしていたが、相手は実際のところ友達でもなんでもない。

 さすがの鬼の子供会副会長もたじろぐのではないかと思ったが、たじろぐどころか、では、おじゃまします、と折り目正しくきびきびと上がってきて、案内してくれるか、と高田にさらりと言った。

 かくして高田は、俊輔と小原と三人で一階リビングの縁側から庭に出て洗濯物を取り込み、粛々とたたむことになった。

 母親から仕込まれた洗濯物ルールを説明したのち、しばらくは無言。

 そのうちに小原がぼそっと言った。

「高田んちって、ちっちゃいの何人いんの?」

「え?」

「ちっちゃいの」

 と、掲げて見せてきたのは幼児用の無地のTシャツ。

「ああ、二人です。弟と妹が一人ずつ」

 五人家族。大人二人と子ども三人。小六の高田の次は、幼稚園年少の弟。その次は先月二歳になったばかりの妹。

 おむつは先日なんとか外れたものの失敗続きの幼稚園児と、トイレトレーニング中の二歳児のせいで、洗濯物は嵩の割りに数が多い。

「たかた、しょうま、が、弟」

 掲げたTシャツの裾の名前を読み上げ、こちらに目を向けた小原に頷いて見せる。

「じゃあ、妹ちゃんは?」

「小原さんの膝の前のタオルハンカチの刺しゅうの……」

「うん? 刺しゅうの? 名前?――つばさ?」

「はい」

「へえ、ヤマトに、ショウマに、ツバサちゃん。三人兄妹かあ」

 ちょっとていねいな手つきでTシャツをたたみ、タオルハンカチをさらにていねいに二つに折り、たのしそうだなあ、と小原はつぶやいた。

「小原さんは」

「うちは俺一人」

「いいですね」

「まあね。よく言われるし、否定はしない」

 そう言って今度は弟の園のズボンをたたんだ小原は、でも、そういえば、と続けた。

「高田だって、弟が幼稚園の年少だったら、ちょっと前まで一人っ子だったってことだろ」

「だから今、悪いとこ取りみたいになっている気がするんですけどね」

 物心ついたころから大して家のなかに興味がなく、小学校入学と同時に皐月山にきてからは毎日探検ごっこだった。

 小二の春に弟が、小四の春に妹が生まれているが、どちらも記憶はほとんどない。あるのは、目的もなく自転車を乗り回したり、川に大小さまざまな石を投げこんだり、時短登山と称して学校の裏手にある小山のがけを駆け上がったり、ドッヂボールおにごっこという至近距離でボールをぶつけあったりする、そんな日常の記憶だけ。

「あー、時短登山俺もやったわ」

 懐かしそうに言う小原に、高田はうなずく。

「派手さはないですけど地味に面白いですよね。今でも結構やります」

「は? マジか。面白いのは認めるけど卒業しろよ、小六。俺、小四で卒業したわ」

 そう顔をしかめた小原はすぐ、というかさ、と続けた。

「そんなんだったらお前のお母さん、ショウマやツバサちゃんのことをお前には任せないんじゃあないの?」

「絶っ対に任せないですね」

「じゃあ、別に悪いとこ取りなんてないだろ」

「いや、弟妹の面倒見なくてよければ一人っ子と同じなんてことにはならないですよ」

 あんたに任せたらなにもかも大変なことになると、それまで高田になにもやらせてこなかった母親も、二人目、三人目が生まれたらそうも言っていられなくなったのか、育児の合間を縫って、あるいは父親と協力して高田にちょっとした家事を仕込むようになった。

 大雑把だが、細かいところは細かく、かつ妥協はしない母親と、のんびりしているが、なにごともていねいで、なおかつやっぱり妥協はしない父親。そんな二人が本気で躾をしようと向かってきたら、逃れようにも逃れられない。

 弟や妹と一緒に遊んだ覚えはそんなにない。だが、遊ぶ時間は二人が生まれてからじわじわ減った。

「オレ、こう見えて結構なんでもできるんですよ、家庭科系」

「まあ、確かに洗濯物たたむ手際、めっちゃいいよな、お前。意外っちゃ意外」

「でも、オレ、別に弟や妹と全然かかわりたくないっていうわけではないです」

「うん? そうなの?」

「はい」

 一緒に遊びたいと思うことはある。けれども親はそういう時、だいたい家の手伝いをさせる。

 そんな親が、ちょっと二人を見ていて、という時は、高田が遊びに行こうとしている時だ。

「悪いとこ取りっぽくないですか?」

「なるほどなあ……」

 見た感じ全然悩みとかなさそうなのに、と添えられた一言に、ちょっと腹立ちはしたが、しかし、実際、高田は悩んではいない。

「まあ、近所にも似たような感じで悩んでるヤツがいますし、ソイツに比べたらマシかなって」

「弟とか妹とかで?」

「はい」

 今現在、小四。その弟は高田の妹の一歳上。

「ソイツが気の毒なのは、弟が生まれるまでかなり親に甘えてたことですね」

 高田は親や弟妹関係なく遊んでいられたらそれでよかった。だが、ソイツ――中西蓮斗れんとはそうではなかった。

 優先するのは友達との約束より親との約束。

 高田からしたら、なにも買ってもらえず、そもそも義務でもない普段の買い物に付き合うのはアホかマゾだとしか思えないが、蓮斗はたのしかったらしい。父親と犬の散歩なんて退屈にもほどがありそうな気がするが、それもたのしかったらしい。

 中西さんとこは「なかよし家族」でうらやましい、と近所のおばちゃんが言っていたのを聞いたことがある。

 その「なかよし家族」ぶりは蓮斗に弟が生まれてから今でも続いている。だが、当の蓮斗は、違うと言う――絶対違う。今、ぼく、なんかみたいな感じだし。

「は? 都合のいいところにある棚? って、すっごいたとえだな」

「床にものを置かない工夫とかなんとかで、なんか結構棚があるそうなんですよ、家に」

 高田は蓮斗の家の庭からしかなかを見たことがなく、特にそんな印象はないが、逆に高田の家に上がったことがある蓮斗は、高田の家のなかを見、なにもないと感じたらしい。

「確かに高田んち、すごくすっきりしているよな」

 ぐるっと見渡し、小原が言う。

 リビングにあるのは机、椅子といった最低限の家具と、テレビとテレビ台くらい。本棚や食器棚は壁に埋め込まれて、タンスは押入れのなかに入っている。

「ほこりが溜まるのを掃除するのがなによりも面倒って、前に母さんが言っていました」

「見せない収納ってヤツだな。うちもだけど、うちの場合は、棚とかを見える場所につくるとそこにものを置くクセがついて結局片づけなくなるかららしい、母親いわく」

 しかし、都合のいいところにある棚なあ……、と、呆れたのか感心したのかどっちともつかない調子でつぶやくように言ったあと、

「要は、そのレントって子、になったって言いたいわけだよな」

 と、小原はちょっと離れたところにあった高田のポロシャツに手を伸ばす。

 なんだかんだで小原も家で洗濯物をたたむくらいのことはしているのだろう。慣れた手つきでさっさとたたみ、今度は父親のポロシャツに手を伸ばしてたたみ始めたのを眺めながら、言う。

「蓮斗からしたら……ですね」

「うん? お前から見たら違うとか?」

「オレから見たらというか聞いて納得したって感じなんですけど、蓮斗の父さん母さんは蓮斗と、弟の彩斗さいとまで巻き込んで『なかよし家族』の演技をしようとしているんじゃあないかって」

 なんかっていうか、そんな感じっぽいね――そう言ったのは親友の春木はるき一太いちただった。

「へえ、春木一太が。まあ、らしいっちゃらしいけど」

 去年の春、海沿いの市街地から転校してきた一太は、物静かで、どこか淡々としていて、少しばかり冷ややかだが、その性格のせいか、それともなかにが棲んでいるせいか、同級生の誰よりもカンや察しがいい。

 その時も、たまたま高田の家で遊んでいたところに半泣きの蓮斗がやってきて、一太からしたら前情報もないまま、高田からしたらいつも通りの蓮斗の愚痴を聞いて、一太は言った――別に蓮斗のことが邪魔になったとかじゃあないと思う。蓮斗のお父さんお母さんにとって、なんじゃあないかな。

 お兄ちゃんとして下の子の面倒を見て、お兄ちゃんとして家の手伝いをして、お兄ちゃんとして家族と一緒に行動する。

 蓮斗のことが好きだからこそ、蓮斗の両親は、蓮斗にお兄ちゃんであってほしいと願っているのではないかというようなことを諭して帰したあと、かわいそうだから言えなかったけど――と、さらに一太は言った。

 んだと思う。蓮斗の親にとっては、自分たちの子どもで一番上の子っていうのは、そういうものでないとだめなんだろうね――

「うわ、きっつ」

 手だけはていねいに動かしながら、小原は笑いながら、やや乱暴に、吐き捨てるように言った。

「はっきり言葉にしちゃうあたりがエグいな、春木一太」

「いや、だから、蓮斗には言っていませんよ、一太も」

「いや、当たり前だろ。本人に言ったら悪魔だぞ。そうじゃなくって、春木一太は俺らがぼんやりとしか思っていないことを、文章にできるくらい認識しているってことだろ。それがエグいんだって」

 よくわからなかったが、たぶん、その通りなのだろう。そんな気がした。ただ、親友を「エグい」と言われていい気はせず、はあ……、と、あいまいにうなずく。

 それに小原も気づいたのか、まあ、悪い奴じゃあないけど、春木一太、と取ってつけたように言った小原は、しかし、レントじゃあなくてもいいと思うってなあ……、と息を吐き、

「よし! 終わり!」

 と最後の洗濯物をたたんで床に置いた。

 途中からたたまれた洗濯物を所定の位置に片づける方にまわっていた俊輔が、それを拾い上げ、片づけながら言う。

「お手伝いはこれで終わりか? 高田」

「あ、はい」

 そもそも洗濯物の片づけ自体、前もって頼まれていたわけではないのだが、一先ず頷く。

「終わりであれば、こちらの用事を片づけさせてほしい」

 時計を見る――17時前。

 今の門限は校則に合わせて18時。そして、今日のようなことでもなければ、18時になるまで母親は高田をそうそう拘束はしない。家のなかも、弟妹の部屋とキッチン以外は、自由に出入りして問題ない。むしろ、今の時間はだいたい弟妹の部屋で二人の世話をしながら一息吐いている母親の邪魔さえしなければ自由だ。

「いいと思うんですけど、どうしましょうか」

 庭に面した窓の前に立つ俊輔を見上げる。

 やっぱり好奇心よりは不安が勝っている。だが、洗濯物をたたむという日常が差し込まれたことで、その差はほとんどなくなっていた。

 振り返った俊輔の表情は、差し込む夕日で逆光になり、はっきりとはうかがえなかった。もっとも、うかがえたところで、おそらく平静なのだろうとわかるような声で、高田の部屋は二階か? と言った。

「え? はい、二階ですが……」

「そこからレントという子の家は見えるか?」

「蓮斗んち? え、なんでですか」

「あとで説明する」

 穏やかな言葉のなかに焦りのようなものを感じ、蓮斗んちは……、と、自分の部屋の西の窓を頭のなかに思い浮かべ、首を振る。

「方向的に見えそうな窓はあるんですけど、道挟んで二軒斜め向こうなんで、たぶん、ぎりぎり見えない感じです」

「そうか」

 腕を組み、考えるような素振りを見せた俊輔は、佐登留さとる、と小原に目を向けた。

「キョウユウしても、いいか」

「いいっすよ」

 どこか気まずそうな俊輔に対し、小原はカラッとした笑顔で頷いた。

「そのために声かけたンしょ? キョウユウと、他、なンすか?」

「エッキョウ、カクサン、ハカイ」

 キョウユウ? エッキョウ? カクサン? ハカイは破壊?――高田が内心首を傾げるうち、

「あー、フルコースっすね」

 ははは、と力なく笑った小原が、まあでもやるしかないならやりましょ、と腰を上げた。

「ください、先輩。まずは視界を――高田、合図したあと、俺のあとからついてこい」

 そう言って、伸びをして、両腕を肩から回し、両手の指を絡ませて手を前に突き出して、パタンと下ろしたあと、約束は三つ、と高田の方に向き直った。

「なにがあってもお前から俺に声はかけるな。なにが出てきても絶対に触るな。あと、お前の声は俺にしか届かなくなる。俺以外から呼びかけられても応えるな」

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こどもの領分 梅比良望 @umehiranozomi

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