境界線 幕間―軽薄な半人半鬼・小原佐登留―
「あ! そういえば、オレ、親から頼まれてた用事が!」
――あ、高田、嘘吐いた。十割方、嘘。ヤな空気を嗅ぎつけたからだろうな。
先輩の方をチラ見する。ああ、先輩、真に受けちゃった感じ。でも、するのは多少の妥協だけだろう。
「親御さんの用事が終わってからでいい。親御さんに話をつけて家に上がらせてくれないか」
ほらね。やっぱり。高田、顔、ひきつってる、ひきつってる。
先輩は気づかない。そういうの全然気にしない。
強いから。だから、ちょっとばかり鈍い。うん、でも、鈍いくらいでちょうどいい。
そんな先輩を守るのが、俺の役目だ。
皐月山には
今も、いる。
もちろん、鬼はたとえで、実態は「超能力を持った人間」だ。
ただ、その超能力というのが、特定の家で脈々と真剣に受け継がれていたり、何十年かに一度、さらに特別な力を持った人間が生まれてきたりと、ほとんどファンタジーの世界のような話なんで、棲んでいるのは鬼、ということでいいのかもしれない。
そして、俺にも、その鬼の血が入っている。
母親の父方、母方ともに、その本家は皐月山で一番古い鬼の血筋の家。でも、母親の実家自体は誰も超能力を持っていなかった。
鬼の血が入っているというだけの普通の家で育った母親は、普通に県外の短大に進学して、普通に就職して父親と出会い、普通に結婚した。
皐月山とは縁も所縁もない普通の人間である父親と母親の間に生まれた俺も、普通の人間のはずだった。
普通の人間とは違うと知ったのは、今から七年くらい前、家族三人で五歳の七五三のお詣りをしたその日。
お詣りのあとは街へ出て、俺のほしいおもちゃを一つ買って、ご飯でも食べて帰ろうと、そんな予定になっていた。たのしみにしていたから、よく覚えている。
なのに、連れていかれたのは、街とは反対側。うちよりもさらに山手に入っていったところにある、大きな寺のような屋敷だった。
約束とちがうと泣きわめいた、無駄にデカい門の前で。
俺は正しい、約束を破ったのは親だ。
俺に落ち度がまったくない以上、わめけば叱りつつも折れるという、経験を踏まえたこざかしい計算があったように思う。
でも、親は俺を叱らなかった。声すらかけてこなかった。泣きわめいている俺自身どうかと思うくらい、ぎゃーぎゃーとうるさかったのに。
一周回ってこわくなってきて、親の顔を見ることもできず、泣き声も続かなくなってきたころ、大丈夫か、と声をかけられた。
ほとんど反射的に顔を上げた。全然知らない人だったけれども、どうにかしてほしくて抱きついて、また泣いた。
――いい子だ、よくきたな、俺と一緒に向こうで遊ぼう。
その時にはもう街へ行きたいというのはなくて、その人と遊んだ。鬼ごっことか、石けりとか、かくれんぼとか。たのしかった。
そのうちにおそろいの着物を着たおばさんたちが迎えにきて、今度はその人と離れがたくて泣いた。
その人はそんな俺の頭をそっと、やさしく撫でて言った――またすぐに会える。
俺の大切な人というのがよくわからなかったけれどすごくこそばゆくて、そして、嬉しくて、帰りの車の中でそのことを親に言った。
そうしたら母親は悲鳴のような声で泣きだし、父親は車を停め、わめきだした。
意味がわからない、だましやがって、化け物が、ふざけるな――ありったけの罵声を後部座席の俺たちに向け、掴みかかってきたところまでで記憶は一旦途切れている。
あの時、たぶん、俺は一度死んだのだと思う。
途切れた記憶の続きは、自宅のリビングからだった。
わめきながら俺に掴みかかってきた父親も、耳を裂くような声で泣いていた母親も当たり前のようにいて、そこになぜかあの人までいた。
なにごともなかったかのようにこにこしている父親と母親が本当に怖くて、俺は椅子から飛び降りてその人にしがみついた――たすけて。
もう、さとくんったらいきなりダメでしょ、と母親は呆れたように言い、こら、さと、迷惑だぞ、と父親が穏やかにたしなめる。
あの人は、記憶が途切れる前の時のように、俺の頭をそっと、やさしく撫で、そして、ごくごく小さな声で言った――もう大丈夫だ。すまなかった、なにもこわいことはない。
おそるおそる見上げる。
「初めまして、佐登留。俺は
俊輔先輩との付き合いはその時から始まり、それから少しずつ少しずついろいろと教わった。
俺は半人半鬼であること。皐月山の鬼についての概要。皐月山は人口の流出が多くないため、鬼の血が入った人間が少なくないけれども、正しく半人半鬼と呼べる人間は数えるほどしかいないこと。鬼の血が入っただけの人間と半人半鬼の見分けは鬼にしかつかないこと。
そして、純血の鬼は特定の半人半鬼を使うことができること。
要件は厳しくて、生涯出逢えないことの方が多い。そんななかで先輩は、久々に自分の半人半鬼を見つけた純血の鬼であること。
その半人半鬼は俺であること。
半人半鬼は数え年の十三歳で、鬼のものとなること。
つい先日、頃合いを見計らって、俺は先輩の半人半鬼になった。
儀式というほどのことはなく、絹山本家の一室で、お互いに小匙一杯程度の血をもらって飲んで、それからそのまま丸一日、一緒に過ごした。
先輩の血は、自分の血の味と特に変わらなくて、コップ一杯分飲まなきゃならないなんて言われなくてよかったな、という感想くらいしかなかった。
先輩は、ずっと俺に謝っていた――数年前に自分の半人半鬼が存在していることを知った時は本当に嬉しかった。なんとしてでも大切にしたかった。
でも、到底無理だということがわかった、と。
――俺が佐登留を守るのは、所詮、俺のエゴでしかない。
鬼は使役するもの。半人半鬼は使役されるもの。
使役者が被使役者を守るのは自分のため。そう言い切ってしまうと確かにエゴかもしれない。
けれども、この近辺で誰よりも強い人間が、必ず自分のことを守ってくれる。それは使われる側からしても悪いことではないのではないか。
頭の片隅にあったのは、あの日のこと。
あの日を境にうちの家は、当たり前が「普通」ではなくなった。それが先輩のせいだとしても、先輩がいてくれるのならば。
先輩はそれでも謝って、言った――違う、それでも俺のエゴでしかない。今からそれを証明する。
鬼が半人半鬼を使うということは、どういうことなのか。
俺は身をもってそれを知り、納得した。
そして、この人は、やたら強そうな見た目にそぐわず、本当にやさしい人なんだな、と、そう思った。
――どこにいても、どんなことがあっても、俺は、俺のために佐登留のところに辿り着く。本能がお前を求めて、離れられないんだ。
とんだ殺し文句だ。
赦してほしいなんてことは一言もなくて、気にしないでくださいと言ったら余計謝る。
たぶん、先輩は、認めてほしいのだろう。自分の罪深さを。
先輩が俺から離れられないのは鬼の本能のため。
だから、俺は、心の奥底では先輩を守りたくても、表に出すことはしない。
「ここが高田ンちっすか? 先輩、せめてお手柔らかにお願いしますね」
本当は、死ぬほど苦しくても構わないのだけれども。
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