幽界解脱のテトラスポット
真摯夜紳士
幽界解脱のテトラスポット
こんなに帰りたいと思ったことは――結構ある。
トンネルの奥に進むほど、目の前が暗くなっていく。持ってきた懐中電灯の頼りない明かりが、くっきりと浮かび上がってきた。
「ほほほ本当に、パワースポットなんてあるのかよ!?」
「確かな筋からの情報よ。信じなさい」
「その筋って怪しげな雑誌だろ! 待て待て引っ張るな、歩くから、自分で歩くから!」
「
「うう、うっさいわ。暗いし怖いだろ、トンネルは!」
「目を閉じてたら歩けないわよ?」
肩まである黒い髪、化粧が必要ないくらい整った顔立ち。長袖長ズボンの動きやすい格好なのには、理由がある。
俺と夕凪はオカルト研究同好会に身を置いていた。部活ではなく、同好会だ。もっと言えば、好き勝手にやってるのは夕凪だけだ。同好会という
貴重な春休みを無駄にしてまで。
「これで最後なんだろうな。終わったら写真、消してくれるんだよな」
「しつこいわね。分かってるって。あんなキモいの、私だってスマホの中から消したいし」
「キモいとか言うな! ちょっと疲れて寝てただけだろ!」
「好きな女子の席で? 放課後こっそりと?」
「……ごめんなさい」
「私に謝られても。ていうか男子って、どうして清楚系が好きなのかしらね。会話とか弾まなくない?」
「分かってないな。
「いや、あんたは咲いてる草むらに顔うずめてたでしょうが」
「そ、それは、ほんの出来心で――うっ!?」
夕凪の容赦ない言葉に傷ついたから、じゃない。
まるで何かの膜を破ってしまったかのように、がらりと空気が変わった。
「………………」
二人で黙り込む。場馴れして怖いもの知らずの奴が、ここまで切羽詰まるのを、俺は見たことがなかった。
トンネル内に冷たい風が吹き、誘うようにして俺達の頬を
「よし、帰ろう」
「冗談。ようやく
「……お、おい。今、心霊スポットって」
「こんな人気の無い場所に、パワースポットなんてあるわけないじゃない」
「だだだ騙したのかぁ!?」
「ここまで来て帰りたいなら、一人でどうぞ」
「嘘だろぉ、おぃい」
俺は先頭を歩く夕凪のシャツを摘みながら、なんとか足を動かした。
大丈夫、俺は冷徹無比なマシーンのはず。今日こそクールに決めてやる。科学で説明できない事象は無い。お化けなんて居ないんだ。
「う――ひぃっ! い、今、何か聞こえなかったか!?」
「聞こえない。いつもの幻聴でしょ」
耳を澄ますと、はっきり自分の心音が聞こえた。戦闘曲のバスドラムだって、ここまでテンポは早くないだろう。嫌でも人間であることを自覚する。
どれだけ歩いたか。ジャリジャリとした足音が響く。
これは二人分か? 途中で増えてたりしないよな。うあぁ、後ろとか振り向きたくない。変な妄想するなよぉ、俺。
いつの間にか、口で呼吸していた。首の下が総毛だつ。上下の歯が噛み合わない。
ㅤ準備は万端だ。
何かあれば、今すぐにでも気絶してやろう。
そして、一切の予兆なく、それは起こった。
「ぎやぁあ゛あ゛あ゛あぁあぁぁあああッ!?」
暗がりの中――髭面――小汚いコート――やせ細った――ぎょろりと光る目――
わし掴もうするポーズのまま体が固まって、倒れながら白目へ。
意識が遠のく。ようやく恐怖から解放される。さよなら現実。
ブラックアウト。
したはずが、薄っすらと目を開けた俺は、夕凪の服を摘み続けていた。
苦しい。小刻みに息を吸っていたようで、肺がパンパンだ。ふしゅるぅ、と呼吸を落ち着かせながら、辺りを見回す。
……あれ、さっきの中年男は?
「うっさい」
「ぴっひぃ! おぅお、驚かすなよ夕凪!」
「こっちの台詞。毎度、耳元で叫ぶんじゃないわよ。もう慣れたけど、鼓膜がキーンってなるの。まあ今回は気絶してないだけ上出来じゃない」
「ななな何で冷静でいられるんだ、お前は。心臓に毛でも生えてんのか。いきなり浮浪者だぞ、浮浪者!」
「……は?」
夕凪は振り向き、首を傾げた。俺の言ってることが、心底理解できないみたいに。
その傾げた表情が、一気に強張る。やめてくれマジで。壊れる、心臓が壊れちゃう。
射殺すような視線の先。
懐中電灯の丸い光が、俺の体を貫通していた。
あんぐりと、夕凪が口を開く。
「なに、これ……?」
「ひゃう!? あ、い、う、そ、だろ」
「ちょっ、跳び上がらないでよ上城。検証できない」
「けけ検証って何だ、検証って! その光を俺に向けるなぁ!」
「ドラキュラじゃあるまいし。成仏しないから平気だって」
「や、やめろぉ、殺す気か!」
「そんなつもり……ん?」
ぴょんぴょん跳ねる俺を余所に、夕凪は来た道を照らした。
またしても、あいつの眉間にシワが寄る。今度は何だってんだ。
「あれ……あんたよね?」
そこには、ピーンと気持ち良さそうに伸びている俺が居た。口の端に泡が見える。こんな感じなのか、卒倒した俺は。なんてブサイクな。
――じゃなくてっ!
「どう、なっ」
「ああもう、無理に喋んなくていいから。そこ居て」
ふぅ、と一息入れた夕凪は、もう一人の俺に近付いて足裏を蹴った。なんて奴だ外道め。
反応が無いと分かるや、それと遠巻きの俺とを交互に見て、おもむろに屈んだ。そのまま耳を、倒れた俺の胸部へ押し当てる。あ、ちょっと羨ましい。
妙な気恥ずかしさとは裏腹に、夕凪の顔は蒼白に染まっていった。そっと耳を離すと、今度は首筋や手首をペタペタと触る。
見開いた目のまま、うわ言のように――
「息、してない。心臓も止まってる、みたい」
絶句した。むしろ気絶してないのが不思議でならない。さっきまでの事態、普段の俺なら六回は失神してるはずだ。
光が通る体。もう一人の俺。これって、あれか。
「幽体、離脱……ってヤツか?」
「せーかいです」
やけに幼い声が反響する。浮浪者が俺の幻覚なら、ここには俺と夕凪しか居ないはずなのに。
夕凪が反射的に声の方へライトを向けると、そこにはパーカー姿の小学生が立っていた。
「わわ、眩しいよ、お姉さん」
「あ、ごめん」代わりに地面を照らした夕凪は「君、迷子?」と場違いに尋ねた。
「ううん」
首を振った小学生は、イタズラした時のようにクスクスと笑う。
「どう言ったらいいのかな……ええと、ほら、お兄さんと同じで『霊体』ってのです」
俺の腰は完全に抜けた。
「霊体……幽霊、なの?」
「んー、微妙に違います。本体の方は、ちゃあんと生きてるよ。お兄さんと同じで『時間が止まっている』だけ」
「生きてる。お、俺、生きてるのか!?」
「そうそう」小学生は人懐っこく笑って「幽体離脱するとね、人の体って時間が止まるみたいなんです」と何でもないように言った。
あまりにも現実離れした状況や話に、俺と夕凪は揃って言葉を失った。
気にせずパーカー小学生だけが口を開く。
「この場所の特性なのか、僕にも分かんないんだけどね。そうなった本体は、腐ったりしないで生きてるんだ。ちなみに、どう頑張っても元には戻りません」
「……は……ぁ……?」
「もちろん試してもらって構わないよ。でも時間の無駄だと思うなぁ」
嘘だ、嘘だろ!?
へたり込んでいた俺は、四つん這いになって体へと向かった。
気絶した自分に触れようとするも、するりと手応えなく地面に当たる。まるで透明人間にでもなった気分だ。
そういえば、さっきから砂利の感覚がしない。フローリングされた床を這っているようだった。
これが、霊体ってことなのか?
パーカー小学生の言葉が蘇る。
「違う、違う! 俺は、戻れる」
よくテレビで見ていたのは、同じように重なって意識が戻るパターン。それを見よう見まねで、やってみる。
目を閉じて、集中しろ。
「……で、君は何が目的なわけ?」
「切り替え早いね、お姉さん。不思議に思わないの、僕達のこと」
「オカルトにロマンを感じてたけど、実際に見ると萎えちゃうみたい。やっぱり、正体不明なままにしておく方が魅力的よね」
「なはは、そうかも」
「誤魔化さないで教えて。上城を元に戻す方法も、どうせ知ってるんでしょ?」
「……せーかい。それじゃ話ついでに案内するよ」
「ちょっ! 勝手に話を進めるな!」
「そこのビビリ変態予備軍、無駄なことしてないで、早く来なさい」
「……はい」
いくら念じても願いは届かない。
立ち上がった俺は、夕凪とパーカー小学生の後を追った。
「こっち」トンネルの横腹に開いた穴を通り、さらに奥へ。
そこで俺達が目にしたのは、この世のものとは思えない光景。
ㅤ俺の中で、科学は完全に敗れ去った。
「な、何よ、これ……」
虹色に輝く、いくつもの正四面体が散らばっている。その一つひとつに漂うのは、半透明で足のない人形の浮遊物。
「
ああ、今なら断言できる。
こんなに帰りたいと思ったことは――無い!!
幽界解脱のテトラスポット 真摯夜紳士 @night-gentleman
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