第四部
七
そうして無口は、階段を上り、そして、灯台の灯火の元へ、たどり着きました。
然し彼は、その部屋へ入るや、その、灯火の様に、驚かざるを得なかったのです。
光を放つ灯火は。
いや、光を放っていたのは――。
「よくぞ、いらして下さいました」
或る、一人の女だったからです。
女は一心に、灯台のてっぺんで、男に背を向けたまま、祈りを捧げ続けていました。その身体は、何やらとても暖かな光を、常に放ち続けておりました。
「貴方は、いや、貴方が灯火、なのですか」
無口は呆然としたまま、ゆらゆらと、その『灯火様』の側へ、近づいてゆきました。
すると女は、男の方を振り返って、
「あの人は、とうとう死んだのですね」
と聞きました。
無口は再び、唖のように、黙ってしまいました。
「……馬鹿な人です」
女は笑いました。
「わたしの側にいる必要など、なかったものを」
その目は、何か、憂いて、どこか懐かしい光景を思い出しているような瞼の瞬きが、繰り返されておりました。
女は暫く、黙りこくっておりましたが、
「――さ、こちらへ」
と云って、女は男を、自分の前へ迎え入れました。
女は、男に、何故自分が『灯火』になったか、その全てを語りました。
そして判ったのは、彼女が謂わば『人柱』であったということです。
昔、灯台の下に暮らす人々を、大変な厄災が襲いました。悪魔の仕業だと、人々は云いました。ですから、悪魔がこの街に入ってくることを防ぐために、国の王は魔法使いに命じ、災から国を護る宝石を創らせたのです。
然しそれは、男と通じぬ女の中にしか存在できぬという、恐ろしいものでした。
女は、街で一番美しいと評判の娘でした。彼女は『灯台の守人』と、夫婦になる約束をしておりましたが、その日が訪れることは、決してありませんでした。
こうして、国のために『灯火』となるありがたい役目を承った彼女は、心臓を宝石に変えられて、見事な灯火となりました。それ故彼女は年もとらず、腹も空かず、灯火として永遠に、この部屋へ閉じこめられる事となったのです。
然し男は、どうしても彼女の側にいることを諦めませんでした。ですから男は、自ら望んで、灯台の守人となったのです。
その内、国は戦争で滅び、滅ぼした人々によって、今の形へつくり替えられてゆきました。
かつての歴史は何もかも燃やされ、それ故、逃げ延びた人々の、『云い伝え』だけが後世に残ったのです。
守人は長い時の中、一度確かに死にました。
が、彼はその、怨念とも呼べる、己の使命で蘇ると、自身が何者だったのかも忘れ、ただ、己に課した約束を守るために、白銀の鎧をまとった一匹の化物に、成り果てたのです。
これが灯台の灯火の、全てでした。
女は一息に、無口に全てを告白しました。
無口はその話を、しっかりと女の顔を見つめ、ただ、黙って、聞き入っておりました。
そして女は、男に全てを話し終えると、
「早くわたしを、殺して下さい」
と云いました。
無口がそれでも黙っていると、
「あの人は、わたしがどれだけ頼んでも、決してわたしを、殺しては下さいませんでした。彼もまた、灯火を創り出すという事の為に、その精神を歪め、わたしをこの中に閉じこめることで生かし、彼自身も生きようとしたのです」
と云って、目を細めると、
「然しもう、わたしは充分、生きました。わたしは充分、人のために祈り続けました。ですからもう、どうにも疲れてしまったのです」
と云うと、改めて無口の顔を見据え、その手をとって、
「さあ。どうか、わたしの中の心臓を、宝石を抉りだし、わたしを楽にして下さい」
と、男の腕を、女の胸の内に抱いて、心臓の辺りを触らせて、ただ、虚しく、うなだれました。
無口は暫く、じっと黙っておりました。
が、女の手を握り、少し声を震わせながら、
「わたしは、本当は誰も殺したくなど、ありませんでした」
と云って、
「ですがどうしても、わたしは、灯火を消さねばならないのです。ですからわたしが貴方を殺すことは、本望です」
と、涙を堪えて云いました。
「ああ。やっと。やっと、なのですね」
女はその言葉を聞き、とても嬉しくなりました。
そうして無口は、懐から小刀を取り出すと、
「すみません」
と泣きながら、女の心臓を抉り出しました。
それは正しく、脈打ちながら、見事な赤色に輝く、宝石でした。
女の身体は輝きを失い、然し死ぬことはなく、陶器のような肌に、次々とひびが入ってゆきます。
それが、この、灯火となった女にとっての、『死』なのでしょう。
すると女は、崩れ去る身体のままに、無口へ少し微笑みかけて、
「ありがとう」
と云いました。
無口は唯、頭を下げるばかりでした。
途端、灯台が大きく揺れ、崩れ始めました。
「はやく。塔が崩れる前に」
女がそう云いましたから、無口は急いで塔を駈け下りてゆきました。
無口が居なくなった後、女は、崩れる身体のままに、彼女の鳥籠を飛び出して、ゆっくりと階段を降りて行きます。
心臓を失った彼女の身体は、どんどんと崩れてゆきます。
それでも彼女は、ある場所を目指し、進み続けます。脚も、腕も、何もかもなくなって、最後には芋虫のように這いずりながら、あの、灯台の守人の側へ、必死ににじりよっていったのです。
とうとう女は、守人のところへ辿り着くことができました。倒れる守人の胸元へ撓垂れ、ヒビの入った美しい顔で、唯じっと、醜い守人の顔を、そこはかとなく愛おしそうに見つめて、
「やっと。触れ逢うことができましたね」
灯火の女は、守人の腕に抱かれると、とても穏やな表情のまま、崩れ滅びる塔と共に、バラバラに朽ちてゆきました。
八
「これが灯台の灯火です」
無口の持ち帰った宝石をみて、蟾蜍の王さまはたいそう喜びました。
「よくやった。望みのものを、なんでもやろう」
蟾蜍の王さまは、本当に、心底うれしい気持ちでしたから。どんな褒美でも、コノ男に与えても良い、と想ったほどです。そして、灯台の守人を倒すという、とても優秀な男ですから。是非とも自分の側に置いておきたい、とさえ考えました。
然し、無口は、
「わたしはもう、欲しいものを手に入れました」
と云って、王さまの申し入れを断るのです。
なので、王さまは不思議に思って、
「いったい何を手に入れたというのだ」
と聞きますと、
無口は、
「わたしにとっての、灯火です」
と云って、それきり振り返りもせず、どこかへと去って行きました。
どういうことだろう、と王さまは思いました。
が、高まる気持ちが収まってくると、結局自分は、何も渡すことなく、まんまと、灯台の灯火を手に入れたのだ。こんなに嬉しいことが、他にあるだろうか、と思って、灯の宝石をまじまじと眺め続けました。
王さまは、それが女の心臓だとは知りません。
みると、宝石は取り出されたときの輝きを失って、どす黒い赤に染まっています。
然し王さまは、そのどす黒い宝石を、「なんと美しいのだ」と云って、唯々、宝石の輝きに、眼を大きく見開き、魅入ってゆきます。
底のない、黒々とした輝きの、虜となっていったのです。
× × ×
半月も経たぬうちに、その国には、本当に、恐ろしい災が、起こり始めました。
村の人々が、次々と謎の病に掛かりました。それははじめ、風邪によく似ているのですが、どれだけ身体を休めても、栄養のあるものを食べても、一向に体調が良くならず、寧ろ、どんどん、次第に、やせ細ってゆき、最後には皮と骨だけになり、身体が真っ黒に染まって動けなくなり、そうして散々苦しみ抜いた末に、死んで行くのです。
それもその筈。
それは病ではありませんでした。
悪魔の仕業だったのです。
人間には全く見えませんでしたが、灯火が消えてから、街には沢山の悪魔たちが、入り込んでいました。
それはどれもが、顔を隠して、仮装をしておりました。そしてどれもが楽しそうに、げらげらと、きゃっきゃと、子供のように笑っています。
風に乗って、悪魔の一団は街の中へとやってきます。
パレードの行列は、そうして、皆々、人間には見えない、聞こえないままに、どんちゃんとあたりを騒ぎながら通り過ぎ、そして、悪魔の見えぬ人々に、次々と息を吹きかけます。
途端、拍手をするように、人々は咳をし始めました。
仕事盛りの男たちも、美しい女たちも、そして、笑顔に溢れた子供たちも、分け隔てなく、誰も彼もが次々に、この、恐ろしい病にかかり、死んで行きます。そして死んだ人々は、悪魔とともに、そのパレードの一員に、なってゆくのです。
人々は、「全ては王さまが欲のために、灯火を独り占めしたからだ」と、怒りの気持ちのままに、団結してゆきます。
× × ×
噂の、蟾蜍の王さまは、いったい、何をしていたでしょう。
蟾蜍の王さまは、ずうっとずうっと部屋に籠もって、ただ、宝石に見入りながら、朝から晩まで、肉を貪り、酒を呑み、そして、女どもを弄びました。
その様は、もう、蟾蜍どころではなく、唯腐りかけの肉塊が、横たわっているだけのように見えました。
「これこそ、わたしが望むものの全てだ」
それでも、蟾蜍の王さまは、ただ、目を赤々と血走らせ、心底望んで、笑っています。
女達に。
王さまに群がる、女達に。
仮面を付け、蠱惑な微笑をもって、王さまの上に跨がり、揺れる。
蟾蜍の肉を貪る女達に。
まったく足先の無いことに、王さまは最期まで、気付かぬままでした。
× × ×
こうして王さまは死にました。
それは、悪魔との行為の中に死んだ、謂わば腹上死でありました。
然しそこに残ったのは、何やら不気味で恐ろしい、魑魅魍魎の腐敗物ばかりだったのです。
仮面を付けた女達は、そうして、王さまを嬲り殺すと、綺麗な満月の見える番にどこかへと去って行きました。
それと共に、ようやく、人々を襲った、恐るべき病の日々は、終わったのです。
街の人々は、城へ押し入り、王さまの死体を見つけだすと、身ぐるみも何もかも剥がし、溜め込んだ財宝の何もかもを皆で分け与え、そうして王さまを磔にしました。
そうして王さまへ石を投げ、ヤジを飛ばし、汚物でその死体を汚し、皆それぞれに、己の悲しみを、怒りを、鬱憤を、また、全く関係のない好奇心を、その、王さまの死体に投げつけました。
その内、王さまの死体は腐りました。そして酷い臭いを、周囲にばらまき始めました。その臭いは、その国全てを包み込み、永遠と消えることがありませんでした。ですから、人々は、もう、この国に住むことが出来なくなり、そうしてどこか別の場所へ、安息の地を求めて、旅立って行きました。
灯火を手に入れ、欲のままに生きた王さまは、こうして、金箔を人々に配り、鉄の像となった幸福の王子のように己の全てを失いました。
死体も朽ち果て消えました。
そして、そこには王さまを磔にした十字架だけが踏ん張り、残り、聳えたったのであります。
× × ×
そういえば、ズルはあのとき、実はまだ灯台の中におりました。ある部屋に沢山の財宝を見つけ、貪るように鞄へ詰めていたのです。
然し、突然、塔が崩れ始めたものですから、財宝を詰めた鞄を抱え、急いで塔を駆け下りました。ですが、最後の横穴に、膨れ上がった鞄が引っかかり、出られなくなってしまったのです。
それでもズルは、財宝を諦めきれず、どうにか持ち帰ろうと引っ張りました。
このとき財宝を諦めていれば、せめて命は助かったでしょう。
然しズルは、「此処まで苦労をしたのに、何も得られないとは損だ」と考え、財宝をまったく、諦めようとはしませんでした。
そうして財宝を諦めきれなかったズルは、散々藻掻く内に、本当にどうにもならなくなって、横穴にはまり、出られなくなりました。
そしてズルは、財宝と塔の下敷きになり、とうとう、ゆっくりと、じっくりと、惨たらしく、潰れ死んでいったのだそうです。
× × ×
数年後、この辺りを、ある旅人が通り掛かりました。
すると、山の中、朽ちた家の側にたつ
それは縊れておりながら、酷く穏やかな表情でした。
みると、側に誰かの墓がありました。
其れは、蟾蜍の王さまに無理矢理に犯された、どこかの娘の墓だったそうです。
ですから方々に逃げ、災を生き延びた人々は、
「縊れた死体は、灯台の灯火を取ってきた、『無口』の死体だったのではあるまいか」
と、噂しました。
そして、
「彼は恋人の死を恨む余り、このような事をしでかしたのだ」
と、縊れた死体と娘の墓を結び付けて、人々は口々に、色々なうわさ話を広めたそうです。
縊れた死体が本当に、あの、無口の死体だったのか。
それは誰にも判りません。
今では古い云い伝えと、
崩壊した塔の残骸が、
唯、この世に少しばかり、残っているだけです。
(おしまい)
灯台の守人 宮古遠 @miyako_oti
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